小説 | ナノ

名前と並び立ち、電車に揺られる。
最後まで何かを言いたげに見送りに玄関前で立つ名前の親父さんは、俺に向けてねめつけるような視線を送ってからため息をつき、「無茶をしないように」と俺と名前へと言いつけていたのを思い出す。

「はぁい!いってきます!」
「失礼します」
「……実弥君」

ぺこ、と俺が頭を下げたところで、名前の親父さんが俺を呼び止めた。

「はい」
「手は、出してくれるなよ」
「…………はい」

なんなんだ。ってやつだ。
そもそも、だから、俺は別にコイツにそんな気持ちを抱いてねェ。

ガキの頃。
それこそ、本当にガキの頃。
小学校にも上がる前。
まだ弟妹も居なかった俺は、名前と一緒に小学校の付属幼稚園に通っていた。
その頃はまた少し違った。
名前は赤ん坊の時からずっと傍にいて、幼稚園でもずっと隣にいた。
別段、一緒に遊ぶ事はない。特別なことをしていたわけでもない。近所で、少し仲のいいツレ。それだけだ。
それでも行きも帰りも必ず一緒で、帰りに公園で遊ぶ時だけは一緒に遊んでいた。なんとなく。将来とか、そんな具体的なものではなく。この女とはこれからもずっと一緒に居るんだろう。
そんな事を、ただ漠然と思っていた。
コイツは女だから、俺が守ってやらなきゃいけねえやつ。ただ、そんだけだった。
だから、公園の行き帰りは手を繋いでやる。
幼稚園で給食残して食えなさそうにしてたら、先生が居ないうちにこっそり食ってやる。
意地悪されてたら助けてやる。それは当たり前のことだった。
代わりにとでも言うように、名前は、俺が髪の色やらをからかわれた時には、すかさずやってきては「さねくんのかみはね、きれいなんだよ。そんなことも分からないの?ビテキセンスがないんだね!」等と、その年頃にしては難しい言葉を並びたてては俺を庇っていたし、小学校に上がる頃に名前がテストが難しい、百点が取れなかったと愚図った時には俺が玄弥の面倒を見ながら教えた。
そうして何かあれば親よりもお互いを頼るように育ってきたし、それが当たり前になっていた。良いのか悪いのかは知らない。
だから漠然と。
漠然と、だ。俺は、そのうちコイツと付き合うことがあるのかもしれねぇ。そのうちケッコンもするのかもしれねぇ。
そのうち、名実ともに、カゾクってやつになるのかも知れねぇ。
そんな事も、あるのかも知れねぇ。
これまでそんな風に考えてきてた事もあった。
だから少し意外だった。
コイツにはそういった認識は無かったのか、と。
立ったままで電車に揺られている俺よりも低い位置にあるつむじを眺める。

「なァ」
「ん?」
「茂武」
「茂武くん?」
「どうなってんだァ」

スマホに向けていた視線を俺の目まで持ってきた名前は、睫毛を伏せながら口を尖らせた。

「もういいの」
「そうかィ」
「聞かないの?」

きょとん、とした顔を俺に向けながら名前はでっかいバッグを肩に担ぎ直した。
俺はそれを名前の肩から外してやり、左手に持ちながらフン、と息を吐き捨てる。

「聞かねェ」
「ありがと。聞いてよ」
「結局言いてぇんじゃねぇかァ」
「まぁ、……ちょっとだけ」
「ンだよ」
「なんか、迫ってきてね……」
「…………やっぱ聞かねェ」

ガタンゴトンと揺られながら「なんでよ」とぶすくれる名前の顔を見ていたら口角が上がる。
いずれにしても、コイツが今頼ってるのは俺で、コイツが不安がっているのを助けてやれるのも俺しかいないという事だ。



目的の駅がアナウンスされ、電車を降りる。
それなりの荷物を抱えた俺を気にしながら名前は「持つよ」と声をかけてくるが、要らねぇと突っぱねた。

「重いでしょ」
「お前よりは軽ィ」
「そりゃあそうでしょ」

改札も潜り、ターミナルまで出たところで名前は目的地がプリントされた用紙を取り出した。
駅徒歩15分
そう記された名前の持つ用紙を、俺はジト、とした目で見る。

「やっぱ俺も一緒に不動産行きゃァ良かった」
「……でも、ほら、家賃は最初の二年間半額なんだよ!二年終わったら私が払うし!」
「…………」

俺がそう言ったのには理由がある。広げられた用紙に「下階住民注意」と書いてあるからだ。
詳しく聞けば、下階の住人がたちの悪い人間らしく、それこそ半年と待たずに部屋が空いてしまうそうだ。

「私たち日中ほとんど居ないし、それに……実君居たら大丈夫かな、と」
「てめェ、何のために引っ越すかわかってんのかァ?アァ?」
「わかってるよ」

どこか拗ねるように口元を膨らます名前は、どうにも「自立」と言う事にもソレなりに拘っているらしい。
というのも、名前の母親、つまりおばさんが趣味で始めた小物作りが実を結び、今や会社の社長である。大して儲けてないと聞いていると名前は言うが、役職付きの親父と、会社社長の母親。
それはそれでコンプレックスなのだろう。
自分も立派にやらねば、と気負ってしまうのだろう。

「あ、つい……ついた」

そんなことを考えながら、適当に周りを物色しつつ歩いていくと、目の前に現れたのはそれなりに広い敷地の半分以上を埋め尽くす、アパート。
それなりに、なんと言えばいいのかわからないから端的に言おう。ボロだ。

「……蔓……蔓麗荘ツルリソウ……」
「どう見ても蔓麗荘クズレソウの間違いじゃない」
「…………ッ、……やめろォ」

あっけらかんとしたテンションで呟かれたギャグに、俺は手をきつく握りしめる。

蔓麗ツルリ蔓麗荘クズレソウって?」
「……ン、ふ……やかましィ」

きつく握りしめたが、駄目だった。
暫くはそこから動けずに、名前と肩を震わせた。

□□□□■

「カギは、宅配ボックスに入ってるって」

2階建ての、2階。
外に備え付けられてある赤茶色の鉄製の階段は、端の方に穴が開いている。
雨の日に、名前が滑らないように履く靴は指摘しておこう。
そうこうしていると、201と記された部屋の扉の前につく。
名前の言葉に、ドアの左手に設置された宅配ボックスに目をやった。
勿論鍵やらなにやらがついている気配はない。
そんなに豪華な某ではないのだ、そもそも。
何というか、A4サイズのダンボールも入らないであろうサイズだ。意味はなさそうである。

「不用心かよォ」
「あ、あったあった」

それでも嬉しそうにボックスから鍵を取り出した名前は、その場で一つを外して俺の手に乗せた。
「開けるよぉー」と、口元をきゅうきゅうと上げる顔には、俺も必然的に破顔してしまう。

「早く開けろォ」
「はぁい」

鍵を回して大きくドアを開いた名前は、また嬉しそうに両腕を上げ、ぴょんと跳ねる。

「すごい!すごいすごい!中すっごい綺麗!!」
「…………おい、」

名前の様子に、自然と上がっていた俺の口角が下がっていくのを感じた。

「綺麗ね!」俺の方を向かない名前は、そのまま靴を脱ぎ始める。
「……てめェ」
「フローリング白!!」ダサいキャラ物のドギツいピンクの靴下が、フローリングを踏んだ。

「話聞けェ!!!」

近所迷惑だとか、そんなことは一旦消え失せていた。
大事なことだから、声を大にして言う。
あえて言う。
部屋が一つしかない。
一部屋、しかない。
玄関を開けたら、入ってすぐ左手横側には申し訳程度のキッチンがあって、右手側に有るのはどう見ても風呂場だ。
つまり、有るのはこの目の前に広がる、四畳程の一間と、押入れ。以上だ。

「……」
「一部屋……だァ?」
「はい」そっと、名前は頭を抑える。
「聞いてねぇぞ!!」
「ご、ごめん」

モゴモゴと話し始めた名前の言葉に、また舌打ちが出そうになった。

「二部屋つってなかったかァ」
「ここの区切りがそうだと思ってたんだよね。違った」
「違った、じゃねェ!」

どう見ても、押し入れだ。
このフローリングに不釣り合いにもくっついてる、その黒光りした縁が目立つ押し入れだ。

「ごめん、ってば」
「………………はァ」

悪びれて、は見える。
恐らく、想像していたより狭い、とか。そういう事も有るのだろう。
なにせ、下見には結局来れなかったし、俺は、バイト先を辞めるって事にもなり、入れられるだけバイトを入れたから、全部名前に丸投げだったのだ。
寧ろそれは甘えてた。申し訳ないことをしたと思う。
思うから、あまり強くは言えそうにない。
ただ、これだけは言わせて欲しい。
俺を何だと思ってやがる。
試されてんのかァ?ア?
妹分相手に勃たねェわ。

「ここから……こっちは、さね君のスペースね。こっちは私」

遠慮がちに押し入れ側2畳分程を指定している。

「居るかァ?それェ」
「……もういっか」
「ン」

もうこれ以上責める気は無かった。
何度もいうが、俺も悪い。
不動産、一緒に行きゃァ良かった。それは確実に。

「布団で寝るよね?今日15時から17時にここに布団届くことになってるの。二つ」
「あァ、ありがとなァ」
「うん、あと小っちゃいテーブルだけまだ買えてない」
「……要るなァ」
「とりあえずはこの前預かってたお金で足りたから大丈夫だったよ!」
「そうかィ」

荷物を適当に下ろしながら、名前の言葉に耳を傾ける。
そうこうしていると、風呂場の蛇口に引っ掛けてある小袋には、開栓手続きの書類やらが入っていた。

「なァ、ガス屋は何時に来るんだァ?」
「……ガスヤ……」

俺は動きを止めた。

「……電気はァ……」
「デンキ……」

マジかよ。

「………………水道」
「ミズ……は、した!水はした!!!」
「……引っ越しの書類に書いてんじゃねぇのかァ?」
「……ごめん……」

もう怒っても呆れても仕方がない。
いっそ、屋根があるだけマシと思っておくことにしよう。
間抜けに任せた俺が浅はかだったのだ。
今度玄弥達への土産話にでもしよう。
そんなしょうもないことを考えつつ、小袋の中に入ってある書類の番号に順番に電話をかけていった。

「……」
「ガス、最短明後日ってよォ」
「……あい」

俺がヒョコッと首を伸ばして部屋を覗くと、部屋のど真ん中で正座をして待つ名前が、比較的静かに自分の手元を見つめていた。

「ご、ごめんねぇ……」

等と呟く名前の声を掻き消すほどの勢いで、ドンドン、ドンドドンと玄関扉が叩かれる。
いや、インターホン有るだろがァ。
あァ、今開通したばかりだからか。等と合点が行くのと同時、名前はぴょんと跳ね上がるように玄関へと向かう。

「あ!!私!私出る!!」
「バッ、カ!外確認くらい、!」

バッと外開きの玄関扉を勢いよく開けた名前は、「はぁい!!」と大きな声を出す。

「さっきからてめぇはうっせんだよぉ!!!!!!」

ドスの効いた大きな声が室内に響き渡った。

「う、わ!!え!!!あ……」
「ドッスドスドッスドスよぉ!!!こちとら夜勤してんだぁ!!!!」
「ご、ごめんなさ、え、でもそんなに歩いてな……」

戸惑いがちにあたふたと対応する名前の声に、更に男の声がデカくなっていた。

「あ゛ぁん?!」
「……こんにちはァ」

あえて、長袖のニットの腕を捲りあげ、俺は名前の後ろから顔を出す。

「……」

ヒョロ、とした見るからにオッサン、と言う風情の男が、ジャージにポケットに手を突っ込み、名前を掬い上げるように睨みつけている。
男は俺を見てから、静かに背を伸ばしていく。

「後ほどご挨拶に伺う予定でしたが、折角なのでこちらから失礼します」
「……お、おぅ」
「越してきたシナズガワってモンです」

名前を後ろに引っ込めながらズイッと前に出ると、男は一歩下がった。

「あ、イチミヤ言います」
「煩かったみたいで申し訳ねェ。煩かったら今日みたいに俺に・・言って貰えると助かります」
「……はい」
「どのくらい煩かったんでしょう。俺も確認しに行ってみても良いですかァ?」
「……いや、あの、……気を付けてくれたら、それで良いのでぇ」
「そんなに煩くしてるつもりは無かったモンだからよォ、それで煩せぇ、ってんなら確認しとかねぇとなァ、と思ったんだが」
「いや、あの、大丈夫、です」

引っ越し初日。
確かにはしゃいでいたかも知れない。
だが、この男はドスドスと言った。
言い方も悪いが、歩くスペースも然程ないこの家でのドスドス、とはどういうことだろうか。
キャアキャア煩い、ならあり得るのかもしれない。素直にきちんと謝る必要もあるだろう。
だが、ドスドス、というのならただのイチャモンだ。

「……あの、私たち、日中ほとんどいないと思うので、その……すみません」

俺の脇から顔を出した名前は、怖がる素振りも見せずに、静かにそう言ってのけた。

「いや、それなら、その、全然」
「……あ、あとコレ、挨拶のお品なんです」

その上、予め用意しておいたらしい、熨斗の巻かれたタオルを俺の脇からグイグイと出てきて男へと渡す。

「あ、ご親切に」
「いいえェ」
「よろしくお願いします」

名前はペコッと頭を下げた。

「あ、お願いします。では、……あ、ここ、お隣まだ空室だと思います」

その様子に毒気の抜かれたらしい男は、隣の部屋を指さしてそう言い、

「……ッス」
「ありがとうございます」
「……失礼します」などと言って階段を降りていった。

パタンと、静かに閉まった玄関扉を見てから、また俺は大きくため息を吐き出す。

「……」
「……」
「……親切な、ヒト、だったね?」

どこがだ。

「違ェだろォ」
「やっぱ実君効果すごいな……」
「……」
「全然怖い!って思わなかったや……」

上目遣いで様子を窺うように手を擦り合わせる名前の仕草にはよぉく覚えがある。
つまり、コイツは今、怒られる覚悟をしているということだ。
怒られることをしたと、理解していると言うことだ。

「じゃねぇ!!!てめぇ!!相手の確認くらいしろォ!!!糞味噌がァ!!」
「ご、ごめんなさいぃ!」

ぴぇ!と頭を隠す名前に、お前のことは殴ったこともねェだろが!!!
と、更に怒鳴り飛ばしてやりたくなった。

こうして俺たちの六畳一間のルームシェアは始まったわけだ。

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