バイトから帰宅すると、玄関口には名前の靴と見慣れない靴が何足か。
それから親の談笑する声が聞こえている。
「そうそう!二人そろってねぇ……はぁ、懐かしい」
「実弥のお漏らしを名前ちゃんが隠したる、言うて布団交換しようとして、結局二人して濡れてたんよねぇ」とはおふくろの声だ。
結局の所、いつものメンバーでの会合だったらしい。
ついでだが、厳密に言ってやるとあれは本当に名前のお漏らしだった。はずだ。
「ちょ、やめてよ!もう!」
などと、きゃんと名前の高い声が響いていた。
手を洗ってからリビングのドアを開けると、皆して俺を見やがるから、思わず顔を顰めそうになる。
「おかえり!さねくん」
「お帰り、実弥」
「お帰りなさい実弥君、おじゃましてるわ」
女三人の声に、軽く頭を下げておく。
でかいダイニングテーブルに腰かけて何やら話をしていたらしい名前の家族と俺の家族は、どうやら俺がその席に交ざるのを待っているらしかった。
「ちょっと、疲れてるのに悪いんやけど、来てくれる?」
「ン」
お袋に言われるままに、とりあえずバイトで出た洗濯を出し、適当にマグに茶を入れてから席を目指す。
腰を下ろすと同時に、お袋が俺に問い始めたのは、今日俺が知った事実の話だ。
そんな事だろうとは思っていた。
「名前ちゃん、盗撮をされてた言うて、知ってたん?」
「志津さん、あの、実君は本当に、今日知って、その、……アドバイスというか、」
「今日知った」
名前が口を挟むのを遮るように答える。
名前の両親は顔を見合わせ、俺にありがとうと頭を下げた。
クソ親父は終始、つまらなさそうに耳をほじっている。
「は、……やめてくれ、そんなつもりじゃ……」
「いやいや、もう本当に、この子ったら、大事なことなのに相談もせずに実弥君に心配かけて、……実弥君がそうやって相談しろ、って言ってくれてなかったら、多分未だに私たちは知ることもできていなかったと思うの。本当にありがとう」
「ありがとう、実弥君」
名前の父親にまでそう言われると、「いや」としか返すこともできない。
ばつが悪そうに俺を上目遣いで見てくる名前には心底ため息が出てしまいそうになった。
「警察には」俺がそう問うと
「来てくれたんだけど、」と言葉を濁すおばさんは、困った、とでも言いたげに名前の顔を見る。
「あー、……私が言うね、……こういう犯人って、その、捕まりにくいらしくて……もちろん、捜査はしてくれるし、パトロール増やしてくれるらしいんだけど、それだけで止む場合はそれでいいんだけど、そうじゃない場合も、結構多いらしいのね。
もしできるなら、やっぱり引っ越しちゃうのが最善、ではあるんだって」
「そうかィ」
「でね、」と言いにくそうにもじもじとする名前を急かすことなく、俺はマグに口をつける。
「そのぉ、……引っ越しは、もうしようと思うの。……気持ち悪いし、……怖いし」
「だろうなァ」
俺の返答に、眉をこれでもかと下げた名前は母親の顔を一度見てから俺に向き直り、唇を引き結ぶ。
「でも、一人で……って言うのも、やっぱり、ちょっと怖くて……」
「だから俺も行ってやる、って言ってンだろォ」
ため息交じりに零した俺の言葉に、お袋とおばさんは目くばせをしあう、みたいに顔を見合ってから示し合わせたように俺と名前を見る。
「実弥君、本当に?彼女なんかが出来たら、……この子居たら、満足に彼女も作れないんじゃない?」
「……大丈夫です」
「手出したら絶対にあかんよ……!!」
「出さねェ」
名前のおばさんの言うことはまだしも、お袋のことばに俺は頭を抱えたくなった。
だから、そんなんじゃねぇよ、と。
未だ不安気な顔を見せる名前も、「本当に良いの?」とでもいう顔を俺に見せる。
「俺が居て防げる、安心するならそれに越したこともねぇ。なんかあったら寝覚め悪ィだろ。気にすんなァ」
「……ごめん……」
名前にはそう告げ、おばさん達には「俺は問題ありません」とだけ伝えた。
名前の親父さんはこの話が出始めてからは、終始不満気な表情を作っていたが、俺をちろっと見てから「よろしく頼む」と頭を下げた。
「頭上げてください、俺がそうしたいからするんです」
「まぁ、ただそれだけじゃ実弥君にも悪い。家賃を折半するという話だったようだが、実弥君の分は俺が払う事にするが、それでいいかな」
その言葉に、今度は俺がいやいや、と申し訳なくなる番であった。
「そんな必要ないですよ」
「貰っとけよ、サネクンよォ」
「マジで黙れェ」
親父の茶々にキレつつ、「俺の気持ちだと思ってくれ」と言う名前の親父さんの言葉に俺は最後には「ありがとうございます」と頭を下げる事になった。
「まぁ、そこら辺の話は今度にしましょ。名前ちゃんも、今後こういうことがあったら、実弥でも私にでも、誰でもいいからきちんと相談して頂戴ね」
「……はい、……ありがとう」
お袋の言葉にまた肩を落とす名前は、いつもよりも一回りも二回りも小さく見えた。
と言ったまるで挨拶行事のようなあれやこれやも終え、その数か月後、俺は荷造りをしているといった具合なわけだ。
「兄ちゃん、もう行くんだな……」
寂しい、とでも言うように俺の隣に張り付く玄弥の頭をわしゃわしゃと撫でつけながら、笑ってやる。
「すぐそこだ。いつでも帰ってこれるんだから、寂しがんじゃねぇ」
「別に寂しいとかじゃねぇ!!」
「ア?寂しいンだろォ?」
「ッダァ!うぜぇ!!」
「へぇへぇ」
「……帰ってくるときは、土産持って帰ってきてくれよな」
「オウ、それまで弟と妹しっかり見てくれなァ」
「うん……」
寂しがる玄弥は、来年度には中学二年になる。
多少の反抗はあったものの、俺よりもずっと穏やかな反抗期であった、と思う。
そんなこともあって、玄弥に任せとけば安心だなァ、等と思うくらいには信頼をしている。
まだまだ足りねぇところはある、とは思うが、立派に兄ちゃんやってると思う。
「イラついたら親父にあたれなァ」
「そうする」
「ドアにはもうあたンなよ、就也も居んだ、指挟んじまったら大ごとだからなァ」
「わかってるって」
「今日から洗面所じゃなくて、こっち使えなァ」
「もう、うぜぇ」
そろそろ本気でうざがりだした玄弥の、俺よりも低い位置の頭をわしゃわしゃと撫でまわし、然程ない荷物を詰め込んだバッグを片手に俺は部屋を出た。
リビングまで行くと、お袋が何やらを詰めたバッグを俺に手渡してくる。
「これ!要りそうなもの詰めといたから!あと、何かあったら、これ、使うんよ!」
「サンキュなァ、良いのによォ」
とは言いつつ、こうして心配されることはむず痒い。
今まで俺が心配されている、と感じる事は然程なかったから、余計に。
「これ、は……要らねぇよ」
胸元に押し付けられた茶封筒はどう見ても金が入っているものだろう。それだけをお袋に押し返すが、俺の背中側から出勤前らしい身支度を終えた親父がそれをスッと抜き取った。
「……ならオレが貰うかねぇ」
「ザケンな!返しやがれェ」
それをひったくり返しながら、親父に蹴りを入れようとして頭をわし掴まれる。
「クソがァ!!放しやがれェ!!ぶっ殺すぞォ!!!!!」
「へぇへぇ、どうやって?やってみろよぉ?あぁン?」
「はいはい、もうやめてね」
「実兄たちうるさぁい」
リビングでテレビに興じる冷たい妹達はさておき、親父の背中を奥へと押し込めていくお袋は、俺にひらひらと手を振り、リビングを出ようとする俺にまた釘を刺した。
「間違っても名前ちゃんに手出さんようにね」
俺はそれには答えなかったが、玄関を出てからやっと「ケッ」と吐き出す。
「出せねぇよ」
バァカ、ってやつだ。
そのままはす向かいに佇む、俺の家よりももう少しだけデカい家のインターホンを押した。
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