小説 | ナノ

名字名前は自身の師となってくれた、宇髄天元のもとを目指してひた歩いていた。
名前とて、体力が無尽蔵にある訳では無い。
そろそろ、帰りたい。__そう、切に願ってはいたのだ。

夕刻になると、何処からともなく鴉がやってきて、名前の頭上を旋回する。
いつも、名前はこれを任務が告げられている合図だと思ってはいるが、本当にそう、というわけでは無い。
幾度か繰り返された、名前の鴉食いは、鎹鴉の間では酷く有名な話であり、彼女つきになった鴉は、仲間との別れを惜しみ、次があることを空に祈り、「イキタクナイ」と最後まで嘆くのだそうだ。
であるからして、今回担当になってしまった鴉は、前回の鴉、前々回の鴉の二の舞を演じることの無いようにと、ただひたすらに名前を何とか認知できる瀬戸際を飛ぶ。
そうすると、今度は困った事態に陥るのは名前である。
彼女は、この鴉と意思の疎通を図ることが出来た試しが、一度としてない。
任務地も、告げられているのではあろうが、聞こえない。

辛うじて聞き取ることが出来た際も、方角などがわからない。
そう、名前には、学がない。地図も未だ読むことは出来ないし、それを教えてくれるような世話焼きの優しい隊士に出逢えることの方が少ないのだ。
学がないだけで、決して馬鹿、というわけでは無い。
そう、周りも彼女も信じてはいるが、師となった宇髄天元は言う。

「あンの馬ぁ鹿、まぁた帰ってこねぇ。今度はどこほっつき歩いてんだぁ?
派手に机に縛り付けるかぁ?」

頭をぼりぼりとかきながらもそうため息を吐いたことは、もう一度や二度では済まなかった。
それでも宇髄が名前を見捨てることをしないのは、そのまま宇髄の言葉を用いると、_派手に使えるから、__である。


兎に角、今日も今日とて、名前は迷子を堪能していた。
腰に引っ提げた巾着袋に手を突っ込み、手のひらに掴んだ生米を食む。
これが主な彼女の主食であることはもう、鬼殺の隊士なら誰しもが知っている。__お腰に下げた、生米、である。

はむ、と口を動かしながら、砂利道を歩く。
砂埃が舞い、ブーツに張り付いていく様を見下ろした名前は、「洗わなきゃ」と呟いた。

師の宇髄は、何方かと言うと綺麗好きであった。
名前が酷く薄汚れた姿で帰宅するのを見るや、顔を顰め、「庭で水を浴びてこい!」と追い出してしまうのだ。
それが冬でもそうなのだから、名前は頬を膨らませたのだが、そんな事は知らん!とでも言うように、追い出され、庭で着の身着のまま水をかぶった名前の頭を、宇髄は手拭いで拭いに行ってやるのだ。
彼は彼なりに、名前を可愛がっては居た。
ただ彼女が帰りつかないだけで。

兎に角、名前は歩いていた。
そうすると、ずぅと同じ建物に見えてくる長屋の並びを抜けようか、という所。
目前に一際大きな家があった。
家、と言うと語弊がある。屋号が掲げられているのだ。
雨やなんやで、つまり、年季が入り過ぎていて名前は読めたものでは無いけれど、兎に角、見世であった。
名前は見世が苦手だ。
「いらっしゃい!」
と言うくせに、入っても腰かける場所が無かったり、そもそも「冷やかしなら出ていけ!」とまで言われてしまうのだ。
訳が分からない。
だから、見世には極力近付かない。

けれどこの日だけは違った。
すぐそばを、彼女の倍ほどはある長さの鉄柱にタコ糸で括りつけられた鯉が泳いでいるのだ。
空を泳ぐその姿が、酷く目映く映る。
いつか煉獄の家で、杏寿郎と共に見たことがある。
名前は自分が、一等頬を緩めていた頃を思い出せるのだ。

暫くそれを眺めていると、段々と影が伸び、すっかりと闇に呑まれて行ってしまった頃だ。

「いない、」

頭上を見ると、鴉は消えている。
きっと、着いて来ているのだろう。そう思って、振り返ることなく行ってしまったのではあるまいか。

今までは、鴉が居たから、一人でも無かったし怖い事も、寂しい事も無かった。
まぁ、鴉が居なくなっても直ぐに新しい鴉がやってくるし、今度もそう。__そう、思いはするものの、矢張り今は見世の傍に居る。
それが名前の不安をあおっていた。
つまり、迷子で心細かった。
しかし、彼女はもう、長らく迷子なのである。宇髄のもとに、帰れては居ないのだから。_そこに気が付くことは無い。

だからかもしれない。
目の前を、素早く白黒の羽織をはためかせ、横切っていった青年。
それが詰襟を身に纏っていたのを視認した。
その瞬間、同じ様に名前も走り出していたのだ。

後をひた走っていると、人里から段々と逸れていく。
名前にとってはありがたかった。
人里ではなく、森や林の中ならば、虫さえ気にならなければ案外快適に過ごせるものだから、好きなのだ。
林道に入ろうか、と言う頃、青年の姿が消えた。
けれど名前は暫く山に住んでいたし、幼い頃から生き物を見つけるのは得意だった。
そうしなければ生きてこられなかったから、と言う事もありはするけれど、そうではない。それだけではない。
眼が良かった。
これが宇髄の一番の気に入りである。
動体視力の良さ。これが常軌を逸している。__そう宇髄に言わしめさせたのだ。
つまり、足元につくばる様に低くから、こちらの足元を狙い定め、入れられた蹴りを避けることは不可能ではなかったのだ。

そうして鍛えられた目で見たその姿に、二人して息をのんだ。

「お、小芭内!!!」
「名前……?」



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