小説 | ナノ

「見つけた」
「……」

濡れ羽色の髪を誇らしげに靡かせる男が、こちらを向く。

「キサマか」
「何度死ねば、あなたは消える」
「……キサマは、何度だ?」

美しい夜だった。
虫の羽音に囀り。
夜露が、下弦の月に照らされてつやつやとその粒一つ一つを光らせている。
そこに堂々とした立ち姿には、かつての彼の面影はない。
その立ち振る舞いに見合うだけの、厳しいその声に、私は理解した。
やはりだ。やはり、この男も今地獄に生きている。私と同じ、不死なのだ。
月が、優しく語りかけでもするかのように、少しずつ場所を移動している。

「何故、殺すの」
「キサマは何故、殺す。キサマが奪う事は許されて、私が奪う事は許されぬと言うか」

男はそう、嗤う。

「私は、
「青い彼岸花を、知っているか?」

私の言葉を遮る男の目が、弓なりにしなっていく。

「……殺すことに、罪悪感は、無いの」

ずい、っとこちらに体を近づけ、上から下まで舐めとる様に見て、男はまた嗤う。

「ない。」
「……ころして、やる……」
「私を殺す術もないのだろう」

私を嘲笑うように、男は一歩、また一歩と後ろに下がっていく。

「キサマはいつ何時も、誰一人として護れはしない」
「……ころ、して、やる」

背中を向け、歩き始めた男が、「あぁ」と、私に振り返り直る。

「黒死牟は、傑作だったな」

その声に、私は息をのんだ。

「こ、ろしてやる!!!!」

鬼舞辻の体から伸びてきた触手に、首が刎ねられたのがわかった。





いつだって、辛くなかった事等無かった。諦めきった方が、きっと楽だった。それを誰もさせてくれなかった。
それくらいに、大切な人たちにばかり出会ってきた。
私は、その人たちの善意の中心に、いつだっていた。
私はここでも、決して不幸では無かった。
辛くはあった。
泣きたかった。
もう、終わりにしようと、何度だって諦めた。
いつだってここには、善意が溢れている。
それが、何よりも、地獄だった。


「産屋敷という、方の屋敷はいずこに」
「あぁ、ここを少し行った、あぁ、あれだよ」

もう夕刻に差し迫っていた。
そう案内してくれる、男の指し示す指の先には、立派な屋敷がある。男はそれ以上はなにも言わず、少しばかりの速足で去っていく。早く家に帰りたいのであろう。
それを尻目に、私も暫く歩き、ぼう、と目の前に聳える塀を眺めてしまう。
均等に美しく、それでいて高く積まれた石垣。その塀を上ると、美しい庭園が眼下に広がった。
ここに、居る。

ここに、あの男はきっと、また居る。

庭に植えられているこの木は、桜だろうか。

「すごい、」

見たことも無いくらいには、大きな屋敷。

曇りだからだろうか。
月明かりの筋も、一つ二つしか差し込んでいない。
随分と鍛え抜かれた、夜目の利く私の目は、その庭に面した一室、御簾の向こうに眠る少年を見た。
少年、だった。
この時世には珍しく、高級な布団の敷いてあるそこに仰向けに目を瞑る少年。
どうして、この男は、眠っている。
鬼なのに。
子供の姿をしているの。
鬼だから、か?
何もかも、訳が分からなかった。
けれど一つだけわかることがある。これは、あの男で、間違いはない。
鬼の気配は、しないのに。

ここに来るまでの間に拾っていた刀。その鞘で、少年の頸を突く。

「っ!!」

がば!!と勢いよく起き上がる少年を睨みつけながら言う。

「殺しに来た。」

ふるふると、弱弱しく頭を振りながら、擦れた声で、「誰ぞ、誰ぞ、……」と、子供のまねごとをしている事に腹が立つ。
刀を振り抜き下ろすと、命からがら、とでも言うように布団から男は、少年は這い出た。

「キ、サマは、鬼か!!!」
「鬼も人間も、変わらない。
 最後に言いたかった。」

刀を正眼に構える。
す、と薙ぐと、あっけなくその少年の首筋には線が入り、「あ」と少年が口から音を漏らすのと同時にゆっくりと、首がずれ落ちていく。
私はその頭が地に落ちるよりも早く受け止め、私の頭の高さまで持ち上げた。
目線を合わせて。
何かを言いたげな顔が、私を睨みつけている。

「……ごめんなさい」

ゆっくりと、その頭が崩れていく。
鬼でもないのに。
砂のように崩れ、手のひらから零れ落ちていく。
まるで灰か何かを舞い上げるように吹いた風に、それが吹き上げられて、宙を舞う。
月の光を反射して、まるで星か何かのようにきらきらと瞬いている。

終わった。
全部、終わった。
この男は、ここで終わったのだ。これ・・でこの男の地獄は終わるのか。
この男は、ここで、消えることが出来るのだ。

血痕一つとして落ちていないその部屋を尻目に、私は屋敷を後にしてゆっくりと歩く。


どれくらい歩いたろうか。
寒々しかった刺すような冷たい空気は、いつの間にか柔らかさを孕んでいて。
春が訪れようとしている事を如実に教えている。
水のせせらぐ音に誘われるようにそこへ足を向かわせる。
木々の合間から陽の射すそこには小さな小川が出来ていて。
頭巾代わりに頭に引っ掛けていた藍色の手拭いを引き落とす。
水面にかすかに写る自分の顔に、私の目に涙の幕がかかっていくのを感じた。
老いている。
確実に、歳を、とっている。
私も、ここで終わるのか。
ここで、おわれるのだ。
それを、確かに感じた。
私にも終わりが来た。
きっとこれが、最後だ。

鼻をすん、すん、と動かすと、
青い草の匂いがする。木の根から、水が吸い上げられていっているのが見える。それから、葉まで辿り着き、葉脈に広がっていく。それを瞼に焼き付けた。
縁壱も、この素晴らしい世界を見ただろうか。
出会っただろうか。
陽が燦燦と葉と葉の隙間から漏れている。
グゥ、と獣の喉の鳴る音がする。
いつかの始まりと同じように終われるのだ。
何かの糧になって終われるのなら、やっぱりそれは、今は本望かも知れない。

ゆっくりと目を閉じると、それからもう、目を開くことは無い事を、私はどこかで知っている。
二百七十二度。
きっとその数の世界を巡った。時を巡った。
やり直してきた。その度に、沢山の物を背負い、零し、愛して大切が出来た。
全部をゆっくりと思い出しながら、私はそう、と世界を消していった。
ここで眠ろう。眠れるだけ。次に目が覚める、その時まで。





「名前」

優しい声が聞こえる。
ちょっとだけ、厳しさを含んだ、女性特有の甘い声。

「名前!」

大好きな声だ。
私の、一番落ち着ける声だった。
もう、聞こえる筈のなかったその声に、私は慌てて目を見開くと、やっぱりそこには秋さんが居て。
ごし、ごし、と『殺』の記された真っ白な羽織ものを洗っている。

「もう、ぼうっとして!!」
「……へ、」

ゆっくりと辺りを見渡しても、そこに在るのは、いつかの風柱邸で。いつも秋さんとともに洗濯をしていた、井戸のすぐそばの、そこ。
鬼は、まだ、居るのか。まだ、あの男は、死んでいなかったのか!
私は腰に腕をまわすけれど、スカ、と。
何も掴むことも、撫でつけることも出来ずに手がただ空ぶってしまった。

「……あ、れ……」
「名前、もう、終わったのよ」

秋さんは、優しく、まるで幼子に言うみたいに言う。
ゆっくりと、そこから離れて、■■■さんを探しに走る。

「母上」

その声に、目を見開いた。

「縁、壱!!縁壱!!!」

嬉しそうに、紅い髪を揺らして私が知っている幼い姿ではない、もう大きくなった縁壱が、そこにはいた。
いつの間にか、縁側に腰かけていた縁壱はゆっくりと立ち上がって、私を大きな腕の中に閉じ込める。

「おおきく、なって!!」
「母上は、変わりなく」

静かな声だった。
巌勝よりも、少しだけ声が高いかもしれない。いや、優しい声だから、そう聞こえるだけなのだろうか。

「置いて逝って、ごめ、ごめんね」
「はい」
「守ってあげられなくて、ごめんね」
「いいえ」
「全部、いっぱい……背負わせて、……ごめんね」

大きな体で私を包み込みながら、すう、と息を鼻から吸っている。
その癖が、私と同じで、少しだけ。ほんの少しだけ、嬉しくて、くすぐったくて。愛おしかった。

「巌勝は?」
「……」

なにも言わずに、小さく首を振る。
巌勝は、ここには居ないらしい。
その答えは、一つだけだ。きっと、私と同じような責め苦を味わっている、と。
私を縁側に腰かけさせながら、ゆっくりと背中を擦ってくれる。自分も、辛いだろうに。やっぱり縁壱は、優しい子に育ってくれた。
あまり、縁壱は口数が多くは無いから、少しだけ。あれからの話をしてくれた。
それからゆっくりと腰を上げて、「うたが、待ってる」と、私に向けて一つ頷く。

「ありがとう、ございます」

そう言ってから、縁壱は私に背を向けて、行ってしまった。
ありがとう。それは、私の言葉で。
ごめんね、も、私の言葉で。
あなたには、苦労をかけただろうに。
思わず、立ち上がろうとすると、ぽす、と頭に大きな手のぬくもりがあって。

「よくやった」

それだけ。
それだけ言って、淡い色の頭を揺らしながら、いつの間にかやってきていた藤間さんが、縁壱と同じように縁側から外に出て、行ってしまう。

「あ、え、あ、……お、世話になりました!!!」
「……してない」

振り返りながら、それだけ言って、手をひらひらとさせて去っていく。
それから、背中をパシンと叩きながら、

「もう!秋を見に来ると言っていただろう!!」
「いつ来て下さるのか、楽しみにしていたのに!」

そう言うのは、秋さんのパパとママ。
涙でだんだんと、また前が見えなくなってきたところで、目の前に差し出された手を、迷うことなく握り、私は立ち上がる。

「ほら、探すんだろ」

そう、少しばかり堅い声で言うのは須玖君だ。
秋さんの両親の横に並んで、「早く行け」と私を急かす。

そうだ。
会いたい人が居る。
今すぐにでも、抱きしめて欲しい人が、居る。
そ、と私の背中を押してくれる、少し熱い手には覚えがある。鱗滝さんだ。きっと、鱗滝さんだ。

「判断が遅い!」

背中をスパン、と叩かれながら、私は大きな声で返事をした。

「……よくやった」

その言葉に、返事をするのは、今は待って欲しい。もう、喉が痛くてうまく声が出ないから。
もう、色々と溢れてしまいそうだから。
襖を開いて、■■■さんの部屋を目指す。

縁側から、私が住んでいた部屋に入り、廊下に出て、どたどたと、秋さんに𠮟られそうな勢いで速足で、段々と、走って。
目の前に見えた姿に、私は思わず縋りついた。
記憶よりもずっと大きくなっているけれど、間違いない。

「げ、げんや、く、……う、ぁあ、ご、ごめんん、や、約束、やく、そく、まもれ、な、」

びぃびぃ泣き始めた私に、べしん、と手拭いを投げつけられる。

「うるせぇ!…………泣いてんじゃねぇ」

そう言って、赤い頬のままでそっぽを向きながら、「兄ちゃんが、待ってる」そう言うから、少しばかり寂しくてへばりついてしまったのだけれど、「う、うるせぇ!!早く行け!!」と、引っぺがされて、襖の前まで引きずられた。

「……ちゃんと、お前は約束、守ってた」

そう言って、玄弥君も行ってしまった。
目の前の襖を、「失礼します」と、声をかけて、ゆっくりと開こうとするのだけれど、少しだけ開けてから手が止まる。
そうだ、私は、誰に会いたいんだっけ、
誰だっけ。
この向こうに居るのは、誰、だっけ。

少しだけ、きっと、多分、怖気づいていた。
襖を開けようと手をかけていた手のひらを、ぎゅう、と握りしめる。
だれだ。私が、会いたかった人。褒めて欲しかった。よくやった、って、言って欲しかった、幸せになって欲しかった、その人は、誰だった。
ゆっくりと、何度も口内に溜まる唾液を飲み下しながら、開けた。

こちらに背を向けて、部屋の外側の障子戸を開けっ広げて、縁側に腰を下ろしている。
真っ白な髪が、風に吹かれて揺れていて『殺』の字を背負う、立派で、カッコいい背中がこっちを向いていて。
手をつきながら、緩慢な動作でゆっくりと立ち上がり、大きな傷跡を携えて、まるで先程の玄弥君同様に、少しばかり拗ねたような、ちょっとだけ不機嫌なふりをしたような顔がそこにはある。

「遅ェ」

擦れた声だ。
私が、ずっとずっと、聞きたかった何よりも誰よりも、求めていた気がする。
誰よりも、私を勇気づける声だ。

「名前」

その声が、私を呼んでいる。
大きなくりくりとした目が、少しずつ細くなっていって。

「要るかァ」
「……っ、…さ、…さね、……実弥さん」
「実弥さん!!」

いつかみたいに、広げられた両手がそこにはあって。
どんな慰めよりも、どんな言葉よりも、それに私は救われた。

息を吸うと、鼻腔を擽るにおいが身体中に満ち満ちて、段々と、心臓が脈をうっていく。
心臓がポンプして、身体中に熱が広がって。
私の腰に絡まった力強い腕が、痛いくらいに絞まっていく。
実弥さんの頭の乗った首筋が、しっとりと濡れてきて、風が吹くと少し冷える。
それでも、火照り過ぎたからだの熱は逃げることはない。
同じように熱を持つ、実弥さんの指が、私の首筋を、優しく這う。

「おかえり」

「ただいま!!」

ぼろぼろとあふれるものが、実弥さんにぜんぶ、吸い込まれていった。

end


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