小説 | ナノ

案内されていた一室の障子窓から、酷く明るい日差しが入ってきている。
小さな埃が舞っていて、それを受けた太陽光がキラキラと反射。
何て言うんだったっけな。
幾何学反射。
そう、それ。
きれいだ。

ゆっくりと体を起こして、障子窓を開けた。
すうっと、大きく大きく、もっと大きく息を吸って、吐く。
お腹の中まで届くようにと吸った、朝の独特のひんやりとした空気が体中に満ちていくのがわかって気持ちが良い。
昨日渡されていた着流しに着替えてから表の井戸迄出向き、そこで顔を洗った。
すっかり慣れてしまったボットンに用を足して。
この時が自分が一番間抜けに思える。
お台所が近いのだろうか。部屋に戻る途中ですごく良い匂いがした。
藤の家の人が、運よく通りかかったから、昨日の隊士の方と、一緒に食事をしたいとお願いする。
にこやかに、「あいわかりましたよ」としわがれた声が言う。
頭を一つ下げてから、私は腰に引っ掛け直した刀を、そこについている実弥さんの鍔を、撫でつける。
よし、と顔を上げて、嗣永さんの眠る部屋に向かい、声をかけることにした。

「おはようございます」

少しだけ大きな声をかける。
一応、手には綺麗な水を汲んだ桶を持って。

「あ、どうぞ」

秋さんのお父さんらしい、優しい声に、やっぱり唇がゆるゆると上がっていってしまう。
失礼します、と入り、案の定顔を洗いたいと言う彼に桶を差し出した。

「今日、私、家まで送りますね」

私のその声に、少しだけ考えるそぶりを見せてから、

「いや、遠慮しよう」

と。

「私が信用ならないですか。……いや、そうですね。不審者だもの。いえ、わかります。」
「いや、違う!そうじゃない!申し訳が立たないだけだ!」

両手をブン、と嗣永さんは勢いよく振る。

「まぁ、せっかくだし、ご飯でも食べながらお話し、しませんか」
「……それは是非とも、ご一緒したいな」

にこ、と笑う。その笑い方が、秋さんに似ている。
いや、違う、秋さんが、似ているのか。
少しだけ籠った空気を入れ替えたくて、障子窓を開くと、綺麗なモミジが見えた。

「わ、秋、だ。」
「あぁ、もうそんな季節だったのか。……だめだなぁ。」
「綺麗ですよ」
「あぁ。一緒に紅葉を見ようと、妻と約束をしたのに、暫くは帰れんなぁ。」

少しだけ寂しそうに笑う男を見てから、私はまた窓の外を見る。
部屋にかけられた声が、食事をお持ちしました、と告げて、嗣永さんがそれにありがとうございます、と返している。
素敵な空間だった。
鬼殺をしていて、触れる空気ではない感じ。
ほのさむいのに、少しばかりさしてくる日差しが暖かくて、どこからか秋独特の匂いが運ばれてくる。

「もう、やめるんですよね」
「……あぁ、もう、潮時だ。」

その声に、私は向き合って腰を下ろして一緒に食事を摂る。

「「いただきます」」

やっぱり、全然油ものは無くて、ヘルシーな感じ。
もうさすがに、ホイップの味なんて忘れてしまったから、食べたいとは思わなかったけれど、玄弥君の作ってくれていた、しょっぱい煮物が食べたくなった。
好きだった。しょっぱいのに、噛んだら野菜の甘みがじわっと広がるあの感じが。
静かな食事だった。けれど、全然、気まずくはなくて、

「あ、の、……どうして、あの日、裸で、」

言葉に詰まりながらもそこまで嗣永さんが言ったところで、鴉がすごい勢いで入り込んできた。

『ゥウ、ウマァレルゥゥウ!!』

独特の口調にうっかり笑いそうになりながら、

「どうします?嗣永さん。私、脚には自信がありますが!!」
「……お、お願いしても、良い、だろうか!!」
「なら、今行きましょう!」

私は着流しのまんま、袂を大きく開き、嗣永さんを背負った。
途中、藤の家紋の家を出る前に、世話をしてくださったおばあさんにお礼を言って、食事の片付けなんかを出来なかった事を詫び、そのまま外に走り出た。
暫くしてから、そう言えば、隠の人を待つのを忘れていた事に気が付いたけれど、後の祭りだから、仕方がない。

兎に角、走りに走って、嗣永さんのガイド通りに道を行くと、小ぢんまりとした一軒家にたどり着いた。
そのまま嗣永さんの指示に従って、裏庭から回り込んで、縁側に嗣永さんを座らせる。

「ここで待ってます。いつまででも待っているから、行ってあげてください!あ、居ない方が良いです!?」
「いや、すまない!待っていてくれ!!」

はぁい、
大きな声で返事をして、縁側に腰を掛けた。どれくらい経ったか。静かだった家には、女性の唸り声と、いきめ!とがなる老婆の声。
きっと、産婆さんなのだろう。
こうしてみんな産まれるんだなぁ、と少し胸が熱くなる。
あぁーん!!と、最初はか細い。それから、大きく。赤ん坊の声がどこかで響く。
あぁ、産まれた。
秋さんが、この世界にやってきたんだ。
私に吹き付ける、夕暮れ時の少しばかり強い風はもうすっかり冷えてきていて、もうすぐやって来る冬の訪れを知らせようとしていた。
爽やかな風だった。
どう形容すれば良いのか、私はこの気持ちの表し方を知らない。けれど、胸を占めるのは冷えてきた体とは打って変わって、暖かなものばっかりだ。
頬の内肉を、思わず噛み締めた。
今なら、実弥さんが良くこうしていた理由がわかる気がする。
だって、際限なく頬が緩むから、もうほっぺたが落ちてしまう気がする。落ちないように、私は両手で頬をぐい、と持ち上げておいた。

「き、来てくれ!!名字さん!」
「え、え、い、やだって」

嗣永さんから声をかけられるけれど、衛生面を考えると、外を駆け回ってから私は服を着替えていないし、手も洗った覚えがない。
ずっと風を受けていたから、砂埃だって、きっとかかっている。
親族でもないし、奥さんからしたら嫌じゃないのだろうか。
馬鹿みたいに過敏になっている私の耳は、か細い「来てくれると良いのだけれど、」と言う女性の声を聞いた。
あぁ、もう。
さっきまでは落ちそうな頬を抑えていた手が、今度は顔全部を抑える。
食い縛った唇を、潤んだ目を万が一にも、見られたくなかったからだ。
ゆっくりと上を向いて、すっかり翳ってきた空を仰ぐ。

「あの、是非!」

そう大きな嗣永さんの声がまた響くから、私はついに。
「はい、」と震える声で返事をしたのだ。

酷くツンとした、血の匂いがするのに、いつもと違う感情が胸を満たすのは、きっと命を失った訳では無いから、なんだろう。
命が、産まれたからなんだろう。
秋さんに、会えるからなんだろう。
ゆっくりと襖を開くと、後処理をしている産婆さんの姿と、座って秋さんを眺める嗣永さんに、布団に体を横たえている女性。その二人。やっぱり秋さんはお父さん似だ。お母さんは、どこか儚い感じがあって、なんだか、あの秋さんを想像できないから。

「あの、失礼します」
「ほら、こっちです」
「お願いします」

二人に呼ばれながら、ゆっくりとそこに向かう。
足が、少し震えていると思う。上手く進まない。

「見てくれ、俺の子だ!俺と、妻の子だ!!」

嬉しそうに私に向けられる嗣永さんの顔は、目が無くなる位にしわくちゃだ。
覗き込んだその赤ちゃんの顔は、全然秋さんかどうかわからないけれど、でも、産まれたての赤ちゃんだった。
実弥さんも、きっと、こうしたかったろうな、と思う。
実弥さんにも、見せてあげたかった。
ふくふくとして。
いや、何なら浮腫んでパツパツ。
可愛くない。可愛くないのに。

「抱いて上げては、下さいませんか」
「は、いや、でも!」
「聞きました。夫の、命の恩人だと。本当に、本当にありがとうございます」

そう言って、秋さんのお母さんが布団から体を起こして、まだまだ辛いだろうに、三つ指をついて頭を下げる。

「あ、もう、本当に、そんなつもりでなかったから、あぁ、ちょ、頭を上げて!安静に!二人とも、安静にしててくださいよぅ!!」
「抱いてあげては、」
「あ、わ、わかりました!!」

秋さんの、お母さんだった。
そこはかとなく、秋さんを、私は感じたから。
落とさないように、壊さないように、ゆっくりと腕に閉じ込めた柔らかい体はふにゃふにゃで。
顔を覗くも、やっぱり秋さんとはわからなかった。
でもこれが秋さんなんだ。この子が、秋さんなんだ。一気に胸が熱くなって、目がぼやけてきた。
出来る限り、直接は触らないようにとおくるみのように、大判の手ぬぐいに包まる秋さんは、確かに今、ここにいる。
あぁ、なんて、愛おしい。
胸が重たくて、体からいっそ引き摺り出されてしまいそうだ。
甘やかな痛み、とか、そんなじゃない。
いっそ、暴力的なまでの感情を、私は確かに持て余す。
頭まで痛くなっている。

「あ、だめだ。……つ、嗣永さん、受け取ってくださ、もう、前が、見えないから、」
「はい、いっぱい、見てやってください」
「だ、からぁ……ぅぅう、」

抱え直して、私はその小さなぬくもりを、やっぱり落とさないようにと腕の中に閉じ込めるんだ。





そのまま泊ってくれ、とありがたい申し出を受け、私は泊めてもらう事にした。
あわよくば、もうちょっとだけ、秋さんと一緒に居たいからだ。
嫌でないならさせて欲しいと名乗り出て、嗣永家の食卓を私の料理で埋めさせてもらった。秋さんに教えてもらったものばかりで。
それから、風呂の用意も私がしたいと名乗り出た。
兎に角、この時代の人は、出産を終えたばかりだというのに、安静にしておいてくれないから困る。
子宮脱になったらどうするんだ!令和の妙齢女子ならみんな知ってるぞ!と、どこかで危機感を抱きながら。
そんな日が、一週間程、続いてしまった。


「本当にごめんなさい、ただ飯食らいで。あの、ちゃんとお返ししますので」
「要りませんよ、むしろ、本当にお世話になってしまって、」

洗濯ものを取り込みながら、縁側に腰かけている秋さんのお母さん_夏子さんと言うらしい、_に視線を向ける。

「でも、本当に、すぐに出るつもりだったんです。こんなにお世話になるつもりは、」
「私も、お礼をしたかったのに、お世話をされてしまっているから、あいこにしましょうよ」

うふふ、と柔らかく笑う夏子さんの顔色は良い。
昨日は水分が足りなかったのだろう、凄い顔色をしていたから。
あれからすぐに、嗣永さんは職を探しに街に出た。
それから、今は通っているようだ。

「あーき。」

夏子さんの優しい声が響いている。
私に、名前を付けて欲しい、と二人が言うから、もうその名前しか私には浮かばないのに。
でも、こうやって愛されていたんだ。
秋さんは、やっぱり、こういうのが似合うと思う。
ゆっくりと、ほんの出来心で指で手の腹を突くと、丸っこい、小さな小さなあったかい手が、ビックリするくらいの力で私の指を握る。

「ッッッ!!!キュンです……っ、」



夜、嗣永さんが部屋の向こうから声をかけてきた。

「今、いいかな。酒でも、どうだろう」
「はぁい。だめです。」

襖を開けて、酒を取り上げる。

「ちぇ、厳しいなぁ」
「夏子さんに何かあったら、酔ったまま何も出来ないとか、なったら怖いじゃないですかぁ!」

私の声に、くつくつと嗣永さんが笑う。
襖を閉めようとしたところに待ったをかけて、ここは開けておいてください、とお願いする。
間違いがあったと思われるのは、絶対に嫌だったからだ。

二人で部屋からすぐの縁側に腰かけながら空をみあげる。

「子供ができたんだと、聞かされるまでは、俺は死んでもいいと思っていたんですよ。
それがどうだ。あの日、死にたくない、そう思ったら、……動けなかった。」

静かな声だった。

「……私の師に当たる人がね、いつも言うんです。『生死を分けるのは、死にたくないという恐怖だよ。だから俺はいつも死に損ねてる』って。おかしな話ですよね。
生きたいと思うと死んじゃうなんて。死にたいと思ったら、生き残ってしまうなんて。」

藤間さんの顔が浮かぶ。
でも、私が本当に思ったのは、実弥さんだ。きっと、実弥さんは、死んでしまっても、良かったんだ。
そう、改めて思ってしまった。
でも、そうなんだろうと思う。
本当にその通り。死を恐れると、逃げてしまうから。
積み、ってやつ。
それが、見えてしまうんだ。
一瞬の動揺で首が飛ぶ。そんな世界なのだ。ここは。
だから、柱の人たちは強かったんだ。誰一人として、『死』を恐れてなど、居なかったから。動揺をすら、しないから。
でもこう考える。ならば私はもっと強くなれる。ならなければいけない。恐れなければならない『死』などないのだから。

「なら、あなたも?」

やっぱり、嗣永さんの声は、今日は一段と静かだ。

「わかりません。……死にたいと思う、消えてしまえるなら、そうなりたい、とは思うんです。
でもね、そうすると、『諦めてんじゃねェ!!』って、口汚く私を怒る人が居るんですよ。
その人には、『良くやった』って、私は言ってもらわなくちゃいけないから。」

流石は俺の女だァ、とかって。まぁ、言わないなぁ。想像できないもん。
隣を見ると、優しい目がある。やっぱり、秋さんは、お父さん似だ。

「大切な、人なんだなぁ」
「……はい」
「素敵な、人なんだろうな」
「うぅん、そうですねぇ、不器用で、ちょっとスケベで、しかもむっつり。その上、頑固です。甘い言葉の一つもくれないような。」

私が一息に言うと、きょとんとした顔に変わる。
ゆっくりと覗き込んだ空には、まだ夏の大三角が見える。
本当にそうかは知らないけれど。
多分、そうだ。

「おや、まぁ」
「口も悪いし、ガラも悪いんです。見た目的なあれで。でもそのくせ人目をすごく気にするんです。色々、気にしなくても良いのに。」
「ふふ、何と言うか。」

嗣永さんは笑っている。
私は手持無沙汰な手を、何度も組み直して、腰に引っ掛けていた刀の鍔を、やっぱり撫でる。

「でも?」

そう、嗣永さんは続きを促してくるから、私はほんのちょっとだけ、胸がくすぐったくなるんだ。

「そうなんですよねぇ。
誰よりも私の事を考えてくれているんです。
それに、誰よりも、私の事が好きだったみたいです。
誰よりも、私の事を大切にしてくれて、
誰よりも、厳しくしてくれて、
誰よりも、優しい。そんな人です。」
「やっぱり、素敵な人だ」
「そうですよ。誰よりも。」
「のろけるねぇ」

酒が欲しくなる。そう言って、煽る仕草をしながら、空を見ている。

「今、どこに?」

何と、答えようか。
同じ様に、空を見上げなおして考える。
私はゆっくりと、刀を全部が見えるように、腕を前に出した。

「ここに。」

私の言葉に、少しだけ俯いてから、嗣永さんは大袈裟なくらいに明るい声を出した。

「ハァ!強いわけだ!」
「そうなんです?」
「あなたが斬ったのは、下弦の弐ですよ?本当に、知らなかったんです?」
「見てなかったなぁ」
「柱になれますよ」

その言葉に、胸がかゆくなった。

「は、しら、かぁ。想像できないなぁ」
「やっぱり、隊士の方だったんですね」
「あ、」

少しだけ考える。
隊士ではあるけれど、恐らく、ここでは違う。
この場所では、違う。

「月の呼吸、でしたか」
「ひどい!嵌めたんですかぁ!?」
「だって、教えて下さらないから!」

あはは、と笑う声が、二人分響く。

「その痣は、何か、あったんですか?変わった形を、していますよね、」

恐る恐る、と言うように聞いてくる。

「うぅ、ん」

どう答えるのが正解だろう。アザの話は、正直良くわからない。何かあったか、朝、起きたら?あの初めて出た日は、朝だったかな?それとも、一度死んでるから、生まれつき?そう答えて良いのだろうか。生まれつき、が生き返った時、を指すなら是だけれど、どうなのだろう。難しいなぁ、と考えていると、申し訳ない、無神経過ぎた、と謝られたから、「気にしてません」とだけ。
そうこうしていると、どこかの部屋から、秋さんの泣き声が響き渡る。
でもすぐにやんだから、夏子さんがおっぱいをあげたのかもしれない。
いつか、秋さんに、「あなたのおしめを変えました」と言ってやりたいなぁ。
クスクス、と私の笑い声が小さく響く。

「どうしました?」
「秋さんの、おしめを変えたいです。」
「えぇ!そんな恐れ多い!」

私は、この日の会話で、また鬼殺の道を歩くことを心に決めたのだと思う。
柱に、なろうと思ったのだと思う。
大変かもしれないけれど、
今の私なら、届くのではないかと思ったから。
だから、それで、守りたいものを全部、守れるようにありたいと、そう思ったから。
今なら、実弥さんと肩を並べて、苦しいとか悲しかったとか、対等に語れる気がするから。
護られるだけではなくなったから。
いつかどこかで、実弥さんが私を頼ってくれるんじゃないか、なんて。
そうあれればいい。
悲しい事も、辛いことも、嬉しいことも全部を、実弥さんのものなら、受け止められる人間でありたい。
次に会うときまでに、そんな人間になっていたいと思えたから。


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