小説 | ナノ

すっかり立て付けの悪くなった玄関扉が、ギシギシと唸りながら開いていく。
両腕に荷物を引っ提げた玄弥が、玄関すぐの厨に居る俺を随分と凶悪そうな面で睨みつける様に一瞥してから「ん」とその両手の荷物の一部を渡してくる。

「悪いな」

本当は玄弥もこんな事よりもしたい事があるだろうに、と思わなくもない。
ツキツキと疼く気がして、左肩から下。不自然な形でぶら下がる袖を俺はそ、っと撫でつけた。

「痛むのか」

すっかり目ざとくなった玄弥は、俺の背中側からそう声をかけてきた。

「いや、……気のせいだ」

もう何度も、玄弥に「諦めろ」「もうやめよう」「俺と二人でやっていこう」そう言いかけて、やめている。
玄弥が帰ってくるまでに作り終えるつもりであった夕餉の味噌汁が、グツグツと茹って音を上げていた。

「俺がやる」

すっかり大きくなった玄弥は、名字が連れてきた日の、出会った頃のように癇癪を上げることは、もう無い。
お玉で鍋をぐるりとかき混ぜてから味噌を入れている横顔も、涼し気なものだ。
あれ・・から、玄弥はずっと俺に心を開ききることは無いし、いつまでも名字名前の帰りを待っていた。
「アイツは死なない、帰ってくる、って言った」
そう、歯を食いしばって、俺の告げた名字の死を受け入れているのかいないのか、もうそれもわからないが、それでも名字を待っている。
「名前姉ちゃんが、兄貴を連れて帰ってきたわけじゃねぇ。だから、俺に謝りに来るだろ。藤間さんはもうここから離れても良いんだぜ」そう、どこか沈んだ顔で言うのだ。

帰ってこない事はわかっているんだろう。
受け入れたくないのか、逃げているのか。

「二人で、街に住もう」

そう俺は何度も言おうとするが、頑として首を縦に振らない事はわかっていた。
この男の頑固さは、コイツの兄のようでもあり、名字のようでもあったからだ。
もっと素直なやつに育てとけよ。
俺は何度も名字に、そう罵ってやりたかった。




名字が居なくなってから、もう四年が経とうか、と言う頃だった。
俺は玄弥に毎日稽古を付けて、隻腕であることにようやっと本当の意味で慣れてきたころだ。
ここに、不死川実弥が訪ねてきたのは。
玄弥の特訓の一環で、山を走らせていた頃。俺は家で玄弥の帰りを待ちながら飯を拵えていた。
トントンと、どこか戸惑いがちに叩かれる戸に、やっと叩く気になったのか、と少しばかり呆れながらも玄関先に立つ男の気配に「あいてる」とだけ。
ゆっくり開かれた玄関扉には、矢張り、と言うべきか俺の予測した通りの男が立っている。

「元気だったか」
「……はい」

何故敬語を使うのかは分かりかねるが、ついぞこの男とはきちんと話をすることも無かった事を、ここで初めて思い出したのだ。
匡近のいつか言っていた、「皆で飯行きたいです」と言う言葉が胸を重くしていったものだ。
俺とこの真っ白な男を繋ぐ人間は、もう殆どいなくなってしまったのだ。

「玄弥なら、まだ一刻は戻ってこないよ」
「ええ、存じています」
「柱なんだから、そんなに畏まらなくても良い。俺が畏まった方が良い?」

揶揄うように顔を向けると、表情の読めない、しかつめらしい顔がこちらを見ていた。

「まぁ、茶くらいは出すよ。そこ、座っといて」

居間にしている一室を指さしながら茶を用意した。
目の前に茶を出してやると、小さく頭を下げたその男は、いつか見た時とはすっかり変わって、こう言うとなんだけれど、立派な体つきになっていた。

「玄弥の事か?それとも、名字?」

問いかけるも、湯呑を握りしめてから、その中身を男は見つめて、きゅと口元を引き結んだ。
静かな木の葉の擦れる音だけが室内に入ってきて、風が通っている。

「……玄弥は、どう、だァ」
「隊士にはならない、そう名字と約束してしまってるからな。……それでも、仕事に出つつ、休みの日はこうやって訓練してる。もし名字帰って来たら、名字は玄弥に殺されるかもな」

いつかの玄弥と名字とのやり取りを俺は思い出してクツクツと音を立てた。
きょとんとした顔の不死川に、事のあらましをかいつまんで説明して、今玄弥はまだ呼吸も使えないと言う事を告げる。

「毎日必死にやってんだけどな、玄弥も。
見てるこっちがしんどいわ。……もう、連れ帰れよ。金も、もう送ってくるな。物送るときは、差出人の名前くらい書け。」

暫く湯呑を見つめていた目が、やっと俺を捉えた。
いつか見たよりもずっと細まった目が俺を穿つ。
そんな眼で見ても、俺は他に何も言えない、と言ってやりたいが、ずっとこちらばかりが口を開いているのもわかっている。
こんなに普段話さないのに、つい、名字の守りたかったものたちだから、と思うと色々と口を出してしまう。
やはり、そう長く人と関わるべきでは無かったな、と名字の顔が浮かんだ。
俺は初めて男から視線を外した。

「俺は、稀血だァ、……あの、女、……知ってやがったァ……何でだ、考えても、答えが出ねぇ……」
「俺も、詳しくは知らない。アイツは何も言わなかったからな。
ただ、お前たちを守りたい、その一心でだけ刀握ってた事だけは確か。……俺は考えることも好きじゃない、他人だってどうでも良い。だからずっと言ってたんだよ、もうやめろって。
お前が護ろうとしてる不死川実弥・・・・・って男は、お前を見てないし、お前と同じような感情をお前には向けないよ、ってな。
俺はね、アイツには刀を置いて欲しかった。お前らが居なければ、アイツは刀握ることも無かったんだ。
……ただ身を隠していれば良かったのにな。
なのにアイツ、お前に命かけてさ、今は死ぬこともできないのに、鬼の手の内。その先はもう想像もしたくないよ。……アイツ、自分の命を何だと思ってんだろうな。今、アイツ、どこで何してんだか。
違うか。どこで、なにされて・・・んだろな。
だからさ、もうお前自分の身くらい自分で守れるんだから、ここいらで引けよ。日輪刀だけ持って、もう玄弥と二人でどっかで幸せにやれよ。名字が、文字通り死にきれないだろ。」
「……頼んでねぇ。どいつもこいつも、……勝手なことばっか、言いやがる」

そう、不機嫌な声を落とす癖に、不死川は立ち上がって出て行く事はしない。
ぎゅ、と不死川が握りしめたからか、日輪刀の鞘が揺れて光を受け、その鞘に付いた傷の数を浮かび上がらせた。
コイツはコイツで、玄弥を守るためにやってきたわけだ。
俺も柱だったからわかる。「隊を抜けたい」それで抜けられるほど、背負ったものは軽くはないだろう。
柱になるほど死地に向けひた走ってきたのだ。
背負ったものの数など、落としたものの数よりもずっと多いだろう。
それはもうきっと、自分の命よりもずっとずっと重く感じてしまう程には。

「なぁ、それでも鬼殺を辞めないなら、……一つ、俺の分も、背負ってくれ。」

俺は、他人なんてどうでも良い。
何度でもそう言う。
俺が護りたいのは、俺の家族だけなんだ。
俺は、名字の帰りを、玄弥とずっと、待っている。

「名字を、救ってやってくれ。__アイツ、死ねないから、多分、ずっと、あれからもう何年も、苦しみ続けてやがると思う。……逃げろって、だから逃げろって、」

言ったのに。
もう言葉にはできなかった。
アイツが最後に守ったのは、不死川実弥でも、玄弥でもない。
弱くて、姉の一人も、守ると決めた新しい帰る場所も何一つとして守れない俺と、自分の恋敵の胡蝶カナエ、その女だった。

何度も教えてきたはずだった。"自分の命と、対等なものだけを守れ"それ以外は斬り捨てろ、と。
アイツが"守りたい"と思った不死川実弥と玄弥だけを守ってりゃ良かったんだ。
そうすれば、俺はあそこでただ死ぬだけで良かった。
アイツが、死ぬよりもつらい目にあうだろう事なんて無かったろう。
もうなくなってしまった左腕のあるはずの袖口を、俺はただ握りしめた。

「……ハナから、そのつもりだァ」

だから、と一呼吸置いて、畳に擦り付ける様にその男は俺に頭を下げる。それが当たり前のように。
そうすることが、当然のように。

「だから、玄弥を、よろしく……お願いします。」
「……ちょっとだけ、待ってろ」

不死川実弥を残して、厨に行き、玄弥には見つからないように隠していた日輪刀を引っ張り出す。
それを持って不死川の元へと戻り、その刀をそのまま突き出した。

「持って行ってやっては、くれないか。……アイツが、何よりも大事にしてたんだ。"形見"らしい。必ず、返してやって欲しい」

不死川は何も言わず、それを受け取った。
ゴツゴツとした、ひし形の敷き詰められた独特の鍔が、そこにあるのが当然とでも言うように、不死川の手に収まっていた。
名字が持つよりも、ずっと似合いだ。と、思った。

男は冷めきった茶を、ざ、と喉に流し込み、俺に一つ頭を下げて、玄弥にも会わずに帰っていった。こちらを振り返ることも無い背中に背負う文字が矢鱈とハッキリと俺の記憶には刻まれている。

それが、ついこの前の事のようだった。




名字は決して自分の事を多く語る人間では無かった。
出会いだがああだったからこそ、お互いにぎくしゃくすることもあった。それでも、ずっと行動を共にしていれば慣れてくる。猫の脱げたアイツは、何方かと言うと姦しい、いや、やかましい女だった。

あれが可愛い、これが旨い、玄弥に食べさせたい、だのと嬉しそうに任務先で見かけたものを物色して。
そこいらの女子供と変わらない。
この女なら、こうやって普通に暮らせるだろうに。
俺はずっと、そう、どこかで思っていた。

鬼を憎む素振りなど、とんと見せないのだ。
だから、そうやって生きていけるのなら、そうすればいい、と。

太陽の出ている時刻にだけ行動をする。それを徹底すれば、別に刀を握る必要だってないではないか。だからもうやめよう。玄弥と逃げろ。俺は何度もそう言った。

特に、あの日、だ。

不死川と蝶屋敷で話し込んでいた日から。
不死川実弥に胸倉を掴まれ、名字は不死川から罵声を浴びせられていた。
玄弥を連れて共に住んでいると言う事を不死川は気にしていたらしかった。
その気持ちが、少しだけ、俺にはわかる様になっていた。
巻き込んでほしくなかったんだろう。どっか遠くで、幸せにやっていて欲しかったろう。
なのに「鬼殺隊士」と共に居る。鬼殺を玄弥が知っている。教えた者がいる。
それは例え今、玄弥が隊士でなくとも今後、という可能性を出してしまう事に他ならない。知らずに済んだかもしれないものを。
そりゃあ、怒るよな。
そう、思う。
でも、不死川は知らないだろう。
玄弥が、名字が戻る度に安堵したように走り寄ってくる事も、名字もそれを嬉しそうに抱きしめることも、まるで親子のようにも、姉弟のようにも見えるその光景も。
玄弥は、あの瞬間は不幸では無い、寧ろ幸せな日常を送っていたと俺は断言できる。
名字に、「風呂に入れ」と怒鳴り飛ばしながら、風呂から上がってくるのをソワソワと待っていた事も、一緒に飯を食べながら、「玄弥君、美味しい!腕上げたね!!すごい!!」そう褒める名字に、嬉しそうに「お前が下手なだけだろ!」そう返す姿も。
自分の作った飯を、嬉しそうに食べる名字を見ていた丸っこい猫みたいな目も。俺は忘れないだろう。

だから、一緒に無理矢理にでも、俺があいつら連れて、逃げれば良かった。
俺は、鬼殺隊に入ってからずっと"後悔"なんて言葉とは無縁に生きてきた。
するべき事は一つだったからだ。
出来る限り身軽に、何も背負わず、死ぬものは拾わず。俺は強い人間では決して無いから。身軽に、できうる限りは、身軽に。

だから、お前らの手をとって、俺は今、初めて後悔してるよ。
アイツの面倒なんて、引き受けなけりゃあ、良かったよ。
お前らと、一緒に笑いあいながら食べる飯の旨さなんて、知りたくなかった。
静かに、一人で少し良いものを食べる旨さだけを知っていれば、それで十分だった。

胡蝶カナエと向かい合って、顔を赤くして大人しくなった不死川を見ていた名字の顔なぞ、見たくは無かった。知りたくは無かった。
ぼろぼろと涙をこぼす名字に手を差し伸べることも出来やしなかったのだ。
決して恋やなんやではない。
居心地の良いそのぬるま湯から、俺は出たくなかったのだ。
口では名字に厳しい事を何度も投げつけながら、時を追うごとに狂っていく俺にも、名字にも目を背けながら、それでも玄関扉を開いてやってくる小さな幸せの詰まった、つかの間の日常を。
俺は、知りたくは無かった。
こんな俺よりも、名字は多分、ずっとずっと、強い人間だった。
俺の想いよりもずっと、アイツは強いものをずっと、握り込んでいた。
ずっと、不死川実弥を、想っていた。

「もう、やめろよ。"サネミクン"はお前の事を見ることは無いんだろうよ」

そう言った俺に笑いながら言う。
眉を下げて、

「実弥さん・・が幸せなら、それが一番良い。」

嘘つきは、そう言ったくせに陰では泣いていた。
俺には気取られないように、と。
でも馬鹿だから、部屋の襖越しに聞こえない筈がない事すら気付きやしない。
馬鹿だから、
上弦の弐になんて、叶う筈も無かったんだから、「逃げろ」そう言ってやったのに、従いやしない。

胡蝶カナエが倒れているのを見て、俺は飛び出そうとした名字の腕を掴んだ。

「アイツの為に命捨てるってか?冗談じゃない!現実見ろ!捕らえられて終わりだ!!捕らえられるくらいなら、死にきれと俺は教えた筈だ!!」

名字は、あの瞬間、間違いなく迷った。
俺の言う事を聞くだろう、と俺はもう一度口を開こうとした。したんだ。
逃げろ、と、そう、言った。
その声でこちらに気が付いてしまった鬼と応戦して、俺は腕を凍らされてしまってた。
もう死ぬな。と、どこかで俺は諦めていた。
それで良かったんだ。姉さんは死んだ。匡近も、もう居ない。名字は逃げたはずだ。それなら、もうそれで終わってよかった。

だが、名字は俺の言うことなんて一つとして聞きやしなかった。
片腕失った俺を抱えて、地べたに転がった胡蝶を抱えて。
勝てるどころか、歯向かう事も出来ないのだから。
それなのに、

「あなた達の探し物は、私でしょう。……着いて行くから、殺さないで」

そう言ったアイツの声は、震えていたのに。
恐怖に体を震わせていた。
「ごめんなさい」と、そう何度も何度も言うその身体が、鬼にのまれていっているのを、俺は遠くなる意識の向こう側に見ていたように思う。断末魔のような名字の「怖い」「痛い」と、叫んぶ悲鳴を最後に、俺は意識をやってしまった。



それから暫くして、花屋敷で療養中だった俺の下に女の隠がやってきた。
俺には専属の鎹鴉がもう居ないから、御館様からの伝令や某を伝えに来たのだろう。
嗣永秋 そう名乗った隠は俺に『遺書』とそう、汚い癖のある字で書かれたそれを差し出していた。

「こちら、名字隊士の遺書にございます」
「俺以外にはもう渡したか」

何故か、わからないけれど、そう聞かなくてはいけない気がした。不死川にはきちんと、届けられたのだろうか、と。
それにしても、『遺書』だと。不死・・なのに。
おかしなもんだな、と鼻で笑ってしまった。
嗣永と、そう名乗った隠は一つ頭を下げて、

「これ一通のみと、窺っております。御館様より、藤間様の任を解かれる、との言伝も預かっております。」

そう、告げてから隠は病室を後にした。




遺書は、暫く見れなかった。
あんな薄情な女の最後の言葉など、聞きたくも見たくも無かった。

俺は不死川実弥が初めてやってきたその晩、初めてその遺書を開いたんだ。
何故、見ようと思ったのか、何度考えても分かりはしなかったが、行燈の柔らかな明かりの照らす、薄暗い中で俺はそれを見て、笑った。

馬鹿だろう。
馬鹿じゃないか。
もう少し、書くことがあったろう。どこまでも、馬鹿だ。

その手紙・・をいつまでも閉じられずにいる俺も、きっと馬鹿だ。


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