小説 | ナノ

宇髄さんが柱になっていた事には驚いた。
焦った。
私より後に来た隊士達が皆が皆サクサクっと階級が上がっていっている気がして、どうして私はこうなんだろうと、無茶をした。
結果、藤間さんの手を煩わせるようなことも増え、より一層自分の不甲斐なさに辟易していく。
それでも、時折「何焦ってんだ、お前はちゃんと強くなっていってるよ」と呆れた顔で藤間さんが言ってくれるから、私は初めて息を吐けたのだ。

藤間さんの鴉はお館様のもとに戻されることになった。

「じゃあな、銀子。元気でやれよ」

カァと一つ鳴いて去っていく鴉を見送った。
風柱の邸宅を出た。
財産なんてほとんど無くて、「申し訳ない、」と藤間さんは苦笑いしながら一番高価なものだと思う、とずっと刀につけていた根付を隠に渡していた。
新しい家は三人で住むには少しばかり狭くて、それでも三人で川の字で眠るのは悪くなかった。
玄弥君は家事を担ってくれると張り切ってくれて、あれ以降実弥君の事を聞いてくることは無い。
一種タブーのような扱いになってしまって、申し訳ないとは思うけれど、藤間さんが「アイツ、多分諦めてないよ」と、そう言うのだから、きっとそうなのだと思う。
だから、玄弥君が大人しい事に胡坐をかいていてはいけない。
何だかんだ実弥君が鬼殺をしていると私が確信しているのは、彼が、実弥さんがそう言っていたからで、風柱だったから知っているだけで、「実弥君」の居場所を知っているわけでは無い。
だから実弥君を探さなくてはならないと言う事も、玄弥君との約束が変わったわけでも無い。

それでも私は、この三人でいる時間が、大切だった。
大好きだった。

玄弥君の見送りに藤間さんと共に手を振って玄関を出た。
そろそろ、この少しだけ古びた一軒家も慣れてきた頃であった。
家中に焚きしめた藤の香の香りとともに、風に乗ってくる青臭い匂いを感じながら、今日も刀を鍔を撫でつける。

「頑張るね、実弥さん」
「行くか」

今日の空には月が無い。
曇りなのか、新月なのか。
けれど一際深い闇だった。

「今日は特に気をつけろ」

横で柱の位を失った藤間さんが言っていた。
小さく頷きながら向かった任務地には、珍しく既に人が居る。

「あれ?今日の任務は一人、というか、藤間さんと、私だけですよね」

そう思わず確認した。

「そうだ」

と藤間さんが短く答えるも、どうにもその鬼はきっと目の前に立っている人の足元に転がっているのが"そう"なのだと、思われた。
さっさと鬼を斬り伏せてしまったらしいその人の顔は暗くて見えない。
けれど、何故だろう。
顔まわりだけは、やたらとハッキリと見える気がする。
それが、彼の髪が黒くはなく夜目にも目立つ明るい色をしているからだ、と言うことに気が付けたのはもう少し近づいたとき。

「あ、ごめんなさい、遅かった、か、…な…」

その人の血走った目が、こちらに向いたのがわかる。
いや、血走っている、というのは、彼の、私の知る実弥さんの目がそう・・だったから、そうなのでは?と思ったから。なのだろう。
私のゆっくり進める足はとどまる事を知らなくて、私が伸ばす腕に、手に、遮る物はない。
私は無我夢中で指を伸ばした。
触れる、と、思った。
そろりと、まぁるい彼の顔に触れた指先が熱い。

実弥さんだ

実弥さんだった。

触れた顔にはいくつか滑りの悪いところがある。
それは、良く知っていた感触だ。
いつか、夜毎触れた跡だ。
忘れるわけがない。
忘れることなんて、出来はしない。
たっつけ袴に巻いた足のベルト、羽織こそ羽織っていないものの、首元の大きく開けられた詰襟。
首元「首、詰まってンのが苦手でなァ」と笑った実弥さんを思い出す。
手に持つ刀の鍔こそ違うものがついて居るけれど、間違う筈がない。

「さ、ねみ……さん」
「……」

誰だよ、と開こうとしたのか、はたまた別の言葉か。彼の、兎に角開きかけていた口が閉じられて、かわりに目が大きく開いていくのが私の網膜に焼きついていく。

「名前……さん、」
「"実弥さん"!!」

目いっぱい伸ばして首に巻き付けた私の腕は、振りほどかれること無く彼の、実弥さんの背中に回っていった。

私よりも幾分か背が高くなっていて、けれど、知っている実弥さんよりも、少しだけ華奢な気がする。
彼の匂いをスンと吸い込めば、「クサイ」と言ってしまいたくなるほどに、土とか汗とか埃とか、たくさんの匂いが混ざった中に、確かに「実弥さん」の匂いがある。
その匂いですら懐かしくて、"いつか"に全部全部が戻っていく。

「実弥さん、実弥さん。……実弥さん」

顔をしっかりと見たくて、体を少し離すとやっぱり少し寂しくてまた抱きつきたくなってしまうけれど、それでも顔を両手掴んでしっかりと見た。
右から左に向かって沢山の傷が走った顔がやっぱりそこにはある。
私が思っていたよりも、思い出そうとしていたよりも、少しだけまだ幼さを残したような顔。
けれど、雰囲気が、纏っているものが、間違いなく"実弥さん"なのだ。

「実、"実弥さん"……ごめん、ごめんね、……間に合わなかった!!私が、弱かったからだ、……ごめ、……ごめん、なさい!ごめんねっ」

実弥君の目が、段々と細くなっていく。

「実弥さん、」

私の指が傷をなぞっていくのを嫌な顔一つせずに受け入れている彼の手が、戸惑いがちに私の肘辺りに添えるように置かれて、そんな遠慮がちな、恐恐としたような動き一つをとっても私の知る実弥さんのままだ。
息が苦しい。
しんでしまいそうだ。
しんでしまいたい。
もう、いい。
今、全部が終わってしまえばいい。
また会えたことにも、今までの怖かったことも、寂しさを感じていた事も、辛かったことも、ひもじかった苦しかった寒かった、全部全部が押し流されて、ただただ全身に血が巡っていく。
体の中心から、全部が溶けていくみたい。
あまりの温度差に、いっそ肌が泡立っていくほどだ。
もう抑えきれなくて、また実弥さんにひしと縋りついた。
ぴくりと体を揺らしてから、ゆっくりと、それこそ恐る恐ると言うのが正しいのであろう動きで、私の背中に実弥さんの腕が回ってきた。
まるで隊服を引っ張るかの様に背中を握りしめられた。
肩口にうずまった実弥さんの頭が少しでも動かされる度に、男性特有の少しばかり固い髪が首元にちくり、ちくりと刺さっている。
いっそそれが全部傷になって私の体に刻み込まれれば良いのに、と、そう思う。
このまま、どうなったって構いはしないのに。

「名前さんが、……来た日は、食いモンがたらふく食えたから、皆すげぇ、喜んでて、」
「うん」
「晩飯が、団子でよォ、」
「ご、めん」
「いつもより、腹いっぱいだっつって……玄弥が、……貞子らが、よろ、こんでて、よォ……」

実弥さんの声が、段々と震えていく。
それと同じくらいに、背中に回っている腕の力が強くなってきて、ず、と鼻を啜る音が小さく響いた。

「お、袋が、……礼を言いてぇって、いっつも、…………俺、守れなかった、……ッ」
「が、んばったね、……実弥さん、頑張ったねぇ、頑張ったん、だねぇ、……頑張って、生きてくれたんだねぇ、ごめんね、間に合わなくて……ごめんね、」
「……んや、」
「うん、ごめんね、」

小さく鳴いている鈴虫の音が、響いている。
それを掻き消してしまうほどに、私の鼻を啜る音が響いて、実弥さんの声がぽつぽつと降る。
真っ暗なはずなのに、草木の青さまで見えてきそうだ。
世界全部に色がついていくみたい。
実弥さんの肩口に乗せ、少し上を向いている視線を、そのままに、ゆっくりと空を仰いだ。

「げんや、」
「うんっ、」

小さなものから大きなものまで、どれ一つとして同じものがなく、美しく瞬く星空は、まるで私たちを包んでくれているのかと錯覚を起こしそうになる。
結局、実弥さんさえいれば、どこでだって、なんだって良いのだ。私は。
そこはきっと、幸せで満たせてしまえるのだ。

「名字、終わってたなら次行くぞ。……別の任務がある」
「……はい」

唐突にかけられた声に、私達二人だけで無かったことを思い出した。
一気に世界から色が抜けていくように、私は現実へと、押し戻された。
後ろ髪を引かれる、どころではない。
身体を少し跳ねさせ、慌てて目元を拭い「クソ」と吐き捨ててから、いかつい顔を作り上げた彼の所作一つ一つが全部、「実弥さん」なのだ。
私の身体全部が、行きたくない、離したくないと上手く離れていかない。
まるで磁石を剥がすみたいに肩をなぞって、腕を辿って指を少しだけ引掛けて、離れた。

「まだ、言えてない事が、……沢山、あるんだよ」
「……おゥ」
「必ず実弥さんの所に帰るから、待っていてくれる?」

頷く事も、返事を返すことも無く私をその両目に捉える実弥さんの姿を振り切る様に、私は彼に背を向けた。
ゆっくりと、来た道を戻る。
また、現実・・へと、歩みを勧めた。

「ごめんなさい。取り乱しました」
「さ、鬼退治にいこう。早く帰らないと、あいつも待ってる」
「……はい」

走り始めた藤間さんに着いて走る。
もう、振り返る事なんて、出来はしなかった。
振り返ったら、戻ってしまいそうになるから、前だけを見据えて走って、走って、走った。


藤間さんは、驚くほどに、本当に厳しい。
そもそも、鬼殺に関わる人はみんな厳しい。
ただ、藤間さんはその中でも群を抜いて厳しかった。
私が死なない・・・・と言う事を利用した上での厳しさだったからだ。
これは、今までに無い方法での鍛えられ方で、確実に鬼の方が力が、素早さが上でも絶対に藤間さんは手を出さない。
私が殺されても、手を潰されても、首を絞められても、助けてはくれない。

「死んだら動けるようになるんだから、もう一回戦え。自分にくらい自分の命を懸けろ」

それが藤間さんのスタンスだった。
鬼も、どうせ不死者の存在を知っているのだから、もう隠す必要もない。怪我したなら、死んでリスタートしろ。
俺が常にお前に付くんだから、万が一十二鬼月が来てもなんとか出来るだろう。
そう言う、スタンス。
けれども、そのおかげで良いのか悪いのか、私なりの闘い方は身に着いて行く。階級も、一気に上がった。
討伐した鬼も、50は超えた。
それでも柱に任命されないのは

「お前がまだまだ人を護れる器じゃないからだよ」

と、藤間さんは言った。もちろん、そうだと思う。
まだ甲までも少し遠い。
チートだから、もっと強くなれるでしょう?それが鬼殺隊の、藤間さんの判断と言う事だ。多分。

鬼を斬り伏せたところで、刀が折れた。

「「あ」」




「玄弥君に、良い報告ができるなぁ」

そう言いながら、藤間さんの差し出す刀に心臓の近くを食い込ませていく。
ズキッとした痛みを瞬間的に感じるが、もう、それも慣れてきた。

「行くぞ」
「はい」

そのうち、痛みを感じる間もなく、あちらこちらの体中の痛みが消えていく。
直後その分の痛みを全部集約させてもまだ足りない痛みが心臓を、脳天を襲う。けれども、もうそれすらも慣れてきていた。
それでも、汚いうめき声は口からとめどなく溢れる。
ただ、このくらいの苦痛なら、終わりのわかっている苦痛なら、なんてことはない。

「何だかんだ、罪悪感はあるから、自分でやって欲しいんだけど」
「すみません。藤間さん、上手だから……」
「嬉しくない」

まっさらに綺麗になった体で少しだけ伸びをして隠を待つ。
隠の者がやって来たらタッチ交代で今日の任務は全部終了だ。
私の鎹鴉の世々セゼが帰ってくる頃には隠も来るだろう。

「アイツ、玄弥の兄貴だろ、……幾つ」
「ええと、……玄弥君の5つ?6つ?そのくらい上のハズだから、……多分……じゅ、十六!!?十六です!!!」

段々と、藤間さんの顔色が悪くなっていく。

「お、まえ、それに手だしてたの?」
「ち、違います!!さ、すがに、……せめて二十歳くらいになってから……」
「……名字って、幾つ?ていうか、年齢って考えていいのか?」

隠を待ちながら、聞かれれば確実にまずい会話をしている。何がまずいって、女性の年齢ってタブーだし、私の事情もだし、実弥君の年齢の話しも、全部だ。
少し失礼な藤間さんを睨みつつ、話しを早く切り上げよう、と質問に答えることにした。

「ずっと、見た目変わってないから、……外側だけなら、21、2?だったかな、……です」
「……うわ、ぁ」
「ちょ、やめてください!!感極まっただけで、まだ手はだしてません!!絶対!!」
「まだ!!?」

あのぅ、と言う隠の声に姿勢を正しながら、報告をして、玄弥君の待つ家へと帰った。
未だ嘗てない程に軽くなった足取りで帰路につけることが嬉しい。

「アイツに……玄弥には、まだ言わない方が良い、と思う」
「そう、なんです?……出来るだけ早く会わせてあげたいんですけど、駄目ですかね?」
「……兄貴の方に、先に預かってる話ししとかないと……アイツ面倒そうだ」

実弥さんの性格を思い出して、少しだけ考える。
いきなり引き合わせるのは、確かにきっと、……いや、確実にまずい。
実弥さんは短気なところがあったから、ヘタを打てば話しも聞いてもらえずにブチギレされて皆喧嘩のバッドエンドだ。
目に浮かぶ。
かと言って、玄弥君に「見つけた!でもまだ会わせられません!」は確かに酷いのかもしれない。
私なら拗ねる。
次実弥君に会った時に玄弥君の話しをして、それからにしよう。と藤間さんと示し合わせて家に帰った。
青い匂いを体いっぱいに吸い込んで、明らんできた空の下で報告をしに行っていた鴉の世々から、今後の予定なんかの話しを聞かされながらもぼう、と「これからかぁ、」そう少し先の事に想いを馳せた。
目を瞑ると、実弥君と玄弥君の笑顔が浮かんで、自然と口元が緩んでくる。

「隠せよ」
「無理かもしれません。……へへ」

ふざけるな、と小突かれながら勢いよく玄関を開けて、藤の残り香を沢山吸い込んでから私は、玄弥君に飛びついた。

「ただいま!!」
「離れろ!!う、わ!!マジかよ、クッセ!きったねぇ!!風呂入れよぉ!!!」

そう、
これから、だ。


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