小説 | ナノ

「斬りきれよー」

独特の間延びした藤間さんの声を聞きながら、大きな声で返事をして、刀を何度も振りかぶる。
そのうち綺麗に首をとらえ、弧を描く真っ赤な飛沫を合図として鬼を斬り伏せることに成功した。

「お、待たせしました!」
「お前、まぁまぁ筋は良くなってきてんな」

藤間さんは厳しいと言うよりも、あまり私に興味がなかった。
だから、見てはくれるし、任務の際は私が斬る様に指示もする。いけない事は教えてもくれる。けれど、稽古を付けてくれる訳でもなければ何かを説くことも無い。
だから、私は彼をしっかりと見て、きちんと一つずつ出来ることを増やしていく事を覚えた。
もしかすると、これを教えてくれていたのだろうか?とも思うのだけれど、私が斬り終えると途端に藤間さんは居住まいを整え、歩き出す。

「んし、遊郭行ってくる」

くるか?と悪戯に嗤うその顔に苛立ちを感じながらも、「行きません」と返すのに私は精一杯だ。
そんなであるから、私を鍛えてくれているのか、それとも投げられているのか。わかったものではない。
掴み所のない。正しく彼はそんな人であった。



もう陽が昇ってきていた。
そろそろ帰らなければ。玄弥君が、待っているのに。
そう思いはするものの、今日は足が上手く動かない。
思わずしゃがみこんだのは、藤間さんの屋敷から五キロ近く離れた山の川縁。
せせらぐ川を見ても、ちっとも心は休まらない。
理由はわかっていた。
何だか、もう疲れてしまったのだ。
実弥君を見つけられない自分も、任務終わりの玄弥君の悲しそうな顔も。昂って、誰かに抱かれたいと薄汚い欲を内包する自分の体も。
もう全部が煩わしい。
頭をヒヤリと冷たく流れる水の中にぶち込んで、ぼう、と水の中を眺めた。
全部に疲れ果てそうだった。
段々と、世界から色が失われていくような感覚に、慌てて顔を引き上げた。

その懐かしい感覚は良く知っていた。
死んでから、ここに落ちるそれまでの日常で、現代で感じていたのと同じ景色。
色褪せた、無味無臭に近いそれは、どこか人工的に操作されて動いているかのような感覚だ。
何度も目をしばたたかせ、大きく息をした。
あの頃に戻るのは、怖い。
何も持っていない、感覚の馬鹿になっている日常で、生きているのか、死んでいるのかもわからない。無限にも思える退屈な日常。そこに転がる悪意の中心には、私が居た。
今はわかる。
もう、わかった。
十二分にわかっている。
今、私はここで罰を受けているのだ。
人の命を奪った罰を。母からの、祖母からの教えに背いた罰を。
だから、死ぬことは出来ないのであろうし、こうして鬼の居る時にまた墜とされたのだ。きっと、そうだ。
私達が、私が奪った命の罰を、きっと私が実弥君を失う事で受けているんだ。きっと、きっとそうだ。

「ゆるして。……もう、ゆるして。」

口から落ちる言葉を拾うものは何もない。
ただただ静かに、さらさらと、川のせせらぎと風に揺すられる葉音だけが響いていた。


その夜の任務がまた終わる。

「今日、ちょっと金貸してもらうかもしれないんだけど、良いかな?」

花街の提灯がたくさん掲げられたゲートの前まで連れられた私に藤間さんが投げかけた言葉である。
黙っていれば、切れ長な目が涼し気な、端正な顔立ちのイケメンで、鍛え上げられた腕も詰め襟を少し持ち上げている胸筋も美しい。
首元をだらしなく開いて詰め襟を着ているけれど、それすらも筋張った首筋が覗いて正直色っぽい。
羽織物もなく着ている金のボタンの詰め襟の腰ベルトのお陰で見られる、一目で引き締まっていることの分かる体のライン。
何なら現代でも通じるそこそこのイケメン。背丈だって、私よりも高いし、きっと170は普通にあるだろう。
おちゃらけた性格だって、多分受けは悪くない。
時代の関係だったとしても、……だとしてもこんな所に来なくても、抱ける女の子は普通に居そうだし、苦労はなさそうなのに、とも思うけれども、一応は預かってもらっている上に、玄弥君の世話までしてもらう事もあるのだから「嫌です」などと斬り捨てるわけにもいかなかった。

「今渡しますか?」
「いや、少しここでまってて」

そう言って、ゲートの前に私を置き去りにして、どこかいつもより真剣な表情の彼は、その提灯の山と掲げられたいっそ幻想的なまでのゲートの向こう側に姿を消していった。
まだ、夜の10時前後だったのではないのだろうか。
本当なら早く鬼を倒せたのだから、その分他の鬼を探したりだとか、実弥君を探していられたりだとか。そういった時間なのに、と歯噛みするも、藤間さんがそう言うのだから、仕方がない。
ガヤガヤと騒がしいそのゲートから、少しだけ離れた木に私は体を預けた。

光に釣られてやってきた蛾や羽虫が舞っているのがうざったい。
最初こそ、蟲一つにきゃぁきゃぁ叫び声を上げてはいたけれど、そんな事では大正時代を生きられないと知ってからはあきらめも早かった。
けれど、やっぱり苦手なものは、苦手である。
足の傍を這っていた、良く見えないけれども、うぞ、と動いた虫を踏み潰した。
すると、どこからともなく悲鳴が聞こえ始め、ゲートの外に走り出し逃げ惑う人が見え始めた。

「?!は?な、に……ッ!!」

ふ、と頭上に感じる殺気に慌てて刀を抜いた。

「斬るなぁ!!!名字!!斬るなぁッ!!!」

今度は、「斬るな」の声に何とか反応出来、一先ずは体を捻り避ける。
影をまとった塊は、ドッと私の直ぐ側へと転がり落ちる。

「っ!これ、は!!鬼ですよ!?」
「違う!!」

藤間さんは、そう叫んで私のすぐ横に落ちた塊を違う、と言い庇うけれど、
間違いない。
この感じは、鬼だ。
山と掲げられた提灯の揺らめく明かりが僅かに映し出す彼女・・の、顔には、額には、角が生えている。

これ・・は鬼です!藤間さん!」

刀を抜き去り、真正面、正眼の構えをとったところで、私よりもずっと速い動きで私と鬼の間へと滑り込み、私の刀を自身の刀で抑え込めようと鬼に背を向ける藤間さんが居た。

「危ないですって!!どきましょうよ!」
「やめてくれ、……頼む」

始めて聞く、弱々しい擦れた彼の声に耳を塞ぎたくなった。
聞いては、いけない。
きっと、聞けば、この刀は振り下ろせなくなってしまう。
だめだ。良くない。
藤間さんの揺れている眼も良くない。
そんな眼、したことなかったじゃないですか。そんな声、初めて聴きましたよ。どうしたんですか。声、やばいです。
いつもの「女は買ってなんぼだろ」みたいな態度、どこに行ったんですか。私に興味なんて一ミリも無かったでしょ?だって、殆ど視線が絡んだことも無かった。こんな時だけ、揺れた眼でまっすぐ・・・・にこっちを見るの、ずるいです。
ずるい。
ずるい。
これじゃぁ、刀を、振り下ろせないじゃないか。

「ずっと、……探してたんだ……、やっと、見つけた!!……姉さん・・・、なんだ」

あぁ、やめてくださいよ。
藤間さんの肩に、鬼が齧り付いた。
何で、避けないんですか。お姉さん、人殺しになっちゃいます。お姉さん、鬼になってます。

「っぐ!!」
「藤間さん!!!」

叫ぶ私に手のひらを向けて「止まれ」と指示をする藤間さんの手は、痛みからか、何からか、震えている。
あの・・藤間さんが、泣いている。

「いてぇよ、……ねぇちゃん、痛いなぁ、…ごめん……間に、合わなくて、」

ごめんなぁ、そう零す口の中に、藤間さん自身の落とした涙やら何やらが消えていく。
力も入らなくなったのか、刀をとり落とした藤間さんの腕はお姉さんを頭から抱えこむように回っていき、抱き締めていった。
ただ、その腕にはしっかりと力が入っている。
多分、抑え込もうとしているのであろう事は伺える。それでもその光景は、いっそ提灯も相まって幻想的にも見えてしまうのに、大切な人同士の逢瀬に見えるのに、藤間さんの肩口から溢れる血が、滂沱と溢れるような血の匂いが、それを一気に偽物に変えて行ってしまっている。
鬼が、鬼を作り出しているという「キブツジムザン」という存在が、心底腹立たしい。
なんなら、藤間さんは苦手だった。いつもおちゃらけた事ばかり言うのが少しウザかったし、女狂いなのも、正直マイナスポイント。
でも、彼が玄弥君に優しく笑うところも、私に稽古を付けてはくれないのに、玄弥君に木刀を渡して稽古をつけて笑っていたのも、私は見ていたんだ。
「兄を探す」玄弥君に、きっと、彼はシンパシーみたいなものを感じていたんだと、今ならわかる。
きっと、本気で「兄ちゃん、見つけてやろうな」って、言ってくれてたんだ。
自分が、お姉さんが生きていると信じて探していたように。

もう、私だってこんなの、どうすればいいのか分からない。
だって、このまま死ねた方が、藤間さんは多分幸せなんだと顔を見てたらわかってしまったんだ。
このまま、お姉さんに殺されてしまいたいと、彼の全部がそう言っている。
私には、狂おしいほどにそんな気持ちがわかってしまっている。

ザン、と斬れ落ちた鬼の首がごろりと、私の足元に転がり落ちた。

もう、全てが残酷だ。

「何やってんですか、藤間さん」
「……は?」

掠れた音を落とし、ぶるぶると震えながら頽れる藤間さんの膝が地についた頃、後ろから鬼を切り捨てた隊士の顔が、遮られるものも無くなった提灯の明かりで照らしあげられていく。
唐突に降った冷たい声とは裏腹に、薄暗がりからあらわれたその瞳は、悲しみを刻みこんでいる。

「確りしてくださいよ、」
「ね、えさん、……あぁ、あ、……消えるな、あ、ッ!」
「ダメですよ、藤間さん、……これは、ダメだ」

その黒い詰め襟をきちんと着込んだ隊士は、藤間さんの側まで歩み寄っていく。
クメノ!!と、叫びながら、藤間さんはその隊士に殴りかかっていた。

「あ!し、私闘です!!ダメです!!」

もう自分でも何をしているのか私自身わからなかったけれど、止めなくてはいけない事はわかる。
藤間さんを後ろから羽交い絞めにし、落ち着いてください、と何度も私は呼びかけた。
抑えきれるとは思ってもいない。
それでも藤間さんは、フー、フーッ、と荒い息を何度も何度も吐き出し、時間にして、恐らく1分とか、もしくは5分とか。
なんとか私の腕の中にとどまってくれた。
バッと私から体を捻り、離れた藤間さんは「クメノ」と呼んだ隊士に声を荒らげた。

「せめて、……せめて一緒に殺してくれりゃぁ良かったじゃねぇか!!」
「……できるわけ無いでしょう!!」
「たった、たった一人の家族だったんだ!!やっと、やっと、見つけたのに……!!!俺は、何のために、……ッ」

クソ、
吐き捨てられた弱々しい言葉はやっぱりいつもよりもずっとずっと擦れた音で、それに返せる言葉を私は持っていないし、クメノさんもただ静かに俯いていた。
藤間さんは、ゆっくりとしゃがみ込みなおして鬼の、お姉さんの着ていた着物を抱きかかえた。
私達は、それにも何も言えない。
そう時間も経たないうちに隠がやってきて、藤間さんは連れていかれた。クメノさんと私は静かにそれを見守って、振り返ることの無い背中を見続けていた。

「兄弟子、なんだ……」

ぽつ、と呟かれたクメノさんの声は、さっきより幾分か、掠れている。

「……そ、ですか」
「殺さない方が、良かったと、思うか。鬼を」

かろうじて質問の形を取ったそれは、それでもきっと質問ではない。

「……いいえ。……いいえ!」

私は地に膝をつき、頭を地に擦った。

「ご、免なさい。ごめんなさい!!私が、迷ったから、……斬らないと、いけないのは私だった!藤間さんについていたのは、私だったのに!!ごめんなさい!」
「……憎いよなぁ、……もう、腸が、煮えくり返りそうだ、ッ!」

そう言って、何度か息を吐く音が聞こえている。
きっと、彼も苦しいのだ。あふれる涙を堪えて、私は下唇を噛んだ。
クメノさんは何度も私の肩をぽすぽすと叩く。

「悪いな、気を遣わせて。……一緒に、鬼の居ない世界にしていこうなぁ、」

クメノさんは、そう笑っているのに、きっと、心では泣いている。
きっと、悔しい苦しいと、泣いているんだろう。
どうしたって、この世界は残酷だ。

少しずつ、少しずつ、この世界が憎くなっていく。
地を這っている虫を、うざいな、とダンと音を立てながら叩き潰した。
まるで、私は虫みたいだ。




藤間さんの屋敷に戻ると、玄弥君の魘されている声が聞こえてきていた。
適当に隊服を風呂場の傍で脱ぎ捨てて、適当な着流しを引っ掴んで玄弥君の部屋へと入り込む。
風呂にも入りたかった。
せめて顔くらい流したい。
汚い手も、清めたかった。
でも、それ以上に玄弥君に会いたかった。

「……ん、ぅ、にい、ちゃ」
「ごめん」

ごめんね、と何度も零しながら、玄弥君の布団に潜り込み、彼の頭を抱き込んで自分を慰める為にも私は謝り続けた。
鳥の囀りが聞こえても、障子から日が差し込んできても、私はずっと、謝り続けた。


「ひぁぁぁああ!!」

男の子らしくも無い叫び声が、朝には耳元でこだましていた。
どうやら、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
視線を上げると、顔中を超え、耳まで真っ赤に染まり上がった玄弥君が、そこにいた。

「な、んで!!ここで!!寝てんだ!!!あっち行けよ!!!」
「……おはよう、……玄弥君さぁ、私の事恨んでる?……やっぱり、間に合わなかった癖に、兄ちゃん見つけられねぇくせにって、思う?」

起き抜けに、私に言われた言葉の意味をしばし考えたらしい彼は、私がいつもしていたからか、座り直してからかなり照れくさそうに両手を広げて口を尖らせた。

「幸せなんとか、今、いるんだろ……くそ」
「……ごめん、……ありがとう」

もう、自分が情けない。
やっと、二桁になるかどうか。そんな年頃の少年にこんなことを言わせて、させている。
ショタもロリもノータッチだわ馬鹿。と、自分に悪態を叩きつけながらも、玄弥君を抱きしめる腕の緩め方を私は忘れてしまったみたいにぎゅうぎゅうと抱きついて、

「ごめんね」
「いい加減放せよ!」

と背中を叩き上げられるまで、離すことが出来なかった。
これからの藤間さんの事を考えると、もう胃が痛くてたまらない。私だって、もう泣きわめいて全部やめてしまいたい。
玄弥君の頭の匂いをスンスンと嗅ぎながら、今日の自分が、自分を保っていられます様にとこっそりと誰かに向けて祈っていた。


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