小説 | ナノ

とびきり長くもいっそ短くも感じていた、地獄のような一週間を終え、ヘロヘロになって煉獄の家に、煉獄さんと共に着いた頃。
辺りはもうすっかり明るくなり始め、屋敷の表を杏寿郎君と玄弥君が掃き掃除を始めている頃合いであった。
つまりは、いつも帰宅できていた時間よりもかなり遅い。

下を向いて、ぼう、としながら掃き掃除をしていた玄弥君の背中を杏寿郎君がぽすぽすと叩き何やらを言ったように見える。玄弥君はそれを受けてから漸くそれはそれはゆっくりと、こちらに顔を向けた。
早くその元気な顔を見せて欲しくて、私はひらひらと手を振りながら此処に居るよ、とアピールをして門戸までの道のりを速歩きで歩く。
段々と、箒を持っていた手の力を緩めていたらしい玄弥君の手から箒はパタンと落ちて、ころころと玄弥君の足元で遊んだ。
杏寿郎君はそんな玄弥君を慰めるように頭を一つ撫でて、背中を押す。
けれど、それに抵抗するかのように玄弥君は門戸の内側、つまりは邸宅の方に入っていってしまって、私と煉獄さんの視界から姿を消してしまった。

「あれ、あっれぇ……私、嫌われてます?」
「そう見えるのならお前の目は節穴だ」

速く行ってやれ。
そう煉獄さんに背中を押されると、私はもう走り出さずにはいられなくなる。
走って、杏寿郎君に頭を下げてから門戸を潜り、挨拶もそこそこに玄弥君の姿を探す。
心臓の音と同じくらいに速くなる足を、私は止めることなんてできない。

玄弥君の姿は、すぐに見つかった。私達の使っている部屋の隅に、これでもかと小さくなってこちらに背中を見せて転がっており、いつかの実弥さんの言葉が蘇るようなその仕草を、そのままなぞっていく。

「玄弥は、優しい癖に、頑固ですぐに怒る。あの短気は誰に似たのか、って。」
「……居たのか?!」
「ごめんね」

やっとこっちを向いて、体を起こした玄弥君の体をたっぷりと30秒。私はぎゅう、と抱きしめる。
βエンドルフィンと、アドレナリンだったか、ノルアドレナリンだったか、もう覚えていないけれど、何でもいいや。
私と彼の脳みその中には、幸せホルモンが今はたっぷり出て、ほんの少しでも彼を癒せればいいのに。そう、こちらが勝手にも癒されながら思う。

「実弥さんがね、いつか、そう言ってた。……居なかったよ。見つけられなくて、ごめん。……遅くなって、ごめん」
「……」

少しずつ、玄弥君の体が小さく震え始めて、しゃくりあげて泣き始めた。
えぐ、えぐ、と何度も嗚咽を漏らして、何度も言葉を区切りながら「俺を置いていくな」と悲痛な叫び声を上げていた。
私は何度も何度も、玄弥君の背中を擦る。
少しでも、私を感じてもらえるように。
少しでも彼が、怖くないように。
置いて逝かれる辛さは、私にも痛いほどにわかる。
それをこんなに小さな、私の腕にすら収まってしまうほどの彼は受け止めようと必死だ。
少しでも、背負ってあげられればいいのに。
その一心で、私は玄弥君をぎゅっと抱きしめた。

「ごめん。もっと、強くなるから。……玄弥君が安心できるように、実弥君を、早く見つけられるように。それまでは、絶対に、死なないから」

何度も頷いて、私の隊服をぎゅうぎゅうと握りしめながら、泣き疲れて眠ってしまうまで、私も玄弥君を抱きしめ続けた。
肩に着かないくらいの短い黒のモヒカン頭を手で梳きながら、既に私の為に用意をしてくれていたのであろう布団に玄弥君を入れてやり、静かに部屋を出る。
もしかしなくても、毎日こうして布団を敷いてくれてたのかも知れない。毎日、待ってくれてたのかも、知れない。
嬉しいとも、悲しいともわからない気持ちが、胸を埋め尽くした。

表を掃き終え、庭で素振りを始めていた杏寿郎君に一言詫びを入れようと近づくと、あの明朗な声で挨拶をされる。

「おはようございます!名字殿!任務、お疲れ様でございました!!玄弥は大丈夫でしょうか!!」
「ごめんね、おはよう。玄弥君を気にかけていてくれて、ありがとう。大丈夫だよ。今はちょっと休んでるから、また起きたらよろしくお願いします」
「頭を上げてください!玄弥はずっと、帰りを待っていたから、……気が抜けたのでしょう!!」

杏寿郎君と話していると、須玖君の姿が浮かんでは、消える。
未だに立ち直ることも出来ない私は、ちょっとずつ、ちょっとずつ自分がおかしくなっている事には気付けない。




死なんとすれば生き、生きんと戦えば何とやら。と昔の彼の偉い人は言ったらしい。
なんてムチャな。馬鹿らしい。とそう思っていたけれど、
事実として、そうだった。

段々と、私はどうせ死なぬのだから、と自分の生死を考えずに戦う事が増えてきた。
それが功を奏しているのかどうかはわからないけれど、力は確実についていった。そのやり方は、と口酸っぱく煉獄さんには叱られていたけれど、最近はそれもめっきり無くなった。
流石に、お腹に穴を開けてしまった時は、大きな雷が落ちて、頬が腫れるほどにぶたれた。
それでも、鬼を斬るのにかかる時間も減った。
怪我をすることも、減った。
そのうちいつからか、煉獄さんからの講評は無くなっており、ぼう、と私を見ているだけの煉獄さんの姿が見られるようになってきた。
煉獄さんは、何も言わなかった。
それどころか、任務の前に酒を飲んでいる姿を目にすることがちょくちょくと出てきた。
煉獄さんは、段々と私に物を教えてくれることは減り、私と共に、任務に就くことも減っていった。
それが、例の「下弦の鬼」が斬れる程度になったからなのか、それとも何か煉獄さんの思うところがあってなのか。
それはもうわからない。
けれど、少しばかり、私には好都合だった。
実弥君を探して回り、時折、藤の家紋の家で誰とも知らない隊士と体を重ねた。
そうしていると、不思議と全部が上手くいくのだ。
誰とも深くかかわらないから、悲しい事は無い。悲しくなったらこうして慰めてもらって、また、無心で実弥君を探せるのだ。
だから、上手くいっていた。
失敗したのは、その相手がその日、悲鳴嶼さんだった事くらいだろうか。
何のことは無い。鬼を斬り伏せ、興奮したままの悲鳴嶼さんが居たからただ誘った。それだけで、それ以上でも、以下でも無かった。
彼は、酷く優しく抱く。そして何を思ったのか執拗なまでに私の首筋に舌を這わす。
その時に、思い出してしまった。
実弥さんが私を抱く時の優しい目と、その目がなぞる様に私の首筋を通り、その通りに指が滑っていくそのさまを。
セックスの、始めと後に優しく首をなぞられる感覚が、優しく私を呼ぶ唇が、その時だけ鮮明に蘇っていた。
それが好きだった。
それが、実弥さんだったからだ。
もうだめだった。

「実弥さん、実弥さん、……実弥さん」

実弥さんよりも、全てが大きな悲鳴嶼さんに揺さぶられながら、私は何度も実弥さんを求めた。
ただただ実弥さんの名を呼んで、ただただ目の前の大きな体にしがみついていた。
悲鳴嶼さんは何も言わなかった。ただ、静かに私を抱いた。

「……俺は、かわりにはなれない。すまない」

ただ、全部が終わってから最後にそう、言葉を落とされた。
ごめんなさいと何度も言ったけれど、彼がそれに返すことも、もう一度が訪れることも無かった。
まだ陽の出切らない山肌に切り取られた光を、私はぼぅ、っと見ていた。

それから暫く経った頃。
明確に言うと、恐らく半年ほど経った頃。
煉獄さんが、子供を拾ってきた。
丁度、私が任務から帰ったのと同じタイミングであった。
ばったりと玄関で鉢合わせたその子供は、一見、女の子にも見紛う綺麗な顔立ちで、私を見ると酷く怯えるように身を縮こまらせた。

「煉獄さん、お疲れ様でございます。ただいま帰りました!……こんにちは」

私の一言に、ペコリとだけ頭を下げたオッドアイを称えたその顔は終始私の目と視線が絡まることは無い。
玄関先で佇む煉獄さんの足にひしとしがみついた子供に、どうやら私は怯えられているようだ。
子供の横にそびえるように立っている煉獄さんから一つ頷かれ、私は「またね、」とだけ声をかけてそうそうに部屋に引っ込む事にした。

部屋には玄弥君が居て、初対面で子供に怯えられていたショックも相まって、玄弥君にひしと抱きつく。

「だぁぁあ!!っはぁなぁれぇろぉ!!風呂行けよ!!臭ってるんだよ!」
「玄弥君遠慮なくなってきたねぇ、嬉しいなぁ、でも酷いなぁ」

30秒は、こうしておいて頂きたい。
最近は、私の前でだけ少しだけ乱暴になった態度も、口調も、愛おしくてしょうがない。

「……兄ちゃんは、見つかったかよ」
「本当に、ごめんね。……でも、絶対に、見つけるからね。」

生きているのか?生きていると、思うか?
玄弥君は、そう聞いてきたことが、一度だけあった。
涙をこぼしながら、嗚咽を堪えながら。
自分が、何と応えたかは分からない。もう、忘れてしまった。けれど、玄弥君は悲しそうな顔をしたから、きっとその回答は正解ではなかった。それ以降、彼がそれ以降、生死を尋ねてくる事は無い。
だから、この会話はもう挨拶のようにもなっている。
こう尋ねることが、こう、答えることが正しい、みたいな。
でも、これではいけない。きっと、玄弥君は自分から動き出してしまう。この子は、多分、そういう子だ。
盲目的なまでに兄を求めている。実弥君を、求めているのだ。私と、同じ様に、実弥さんを求めている。
この瞬間に、私も、玄弥君も現実に引き戻されるのだ。


少しして。
少ししてから、おかしくなっていった。
それは、玄弥君を煉獄の家に引きずり込んでから、もうすぐ一年が経とうとしていた頃だった。

けれど、それまでは、ずっと平和だった。
伊黒小芭内と名乗った少女のようにも見える、愛らしい少年は少しづつ心を開いていき、玄弥君は実弥君をの事を毎度私に聞いては肩を落とし、「俺も探しに出たい」と怒り始めるようになっていく。
私がそれを宥めすかして、いいタイミングで杏寿郎君が玄弥君を誘いに来て、共に剣術の練習をして、それを伊黒君が眺めている。
時折杏寿郎君の大きな笑い声が響いて、玄弥君の小さな笑い声。そこを見ると、伊黒君の目が窄まるのと、それまでは読書をしていた千寿郎君が混ざろうと駆けてくる。それを障子戸を少しだけ開いてみている瑠火さんと、煉獄さん。

そう、平和だったのだ。
けれどもその平和はあっけなく、崩れ去る。
瑠火さんが、亡くなってしまった。
そこからだ。

煉獄さんは、もう私に見向きもしなくなり、私をひき連れていった柱合会議で「名字の”世話係”を降りたい」と。
もう、柱も下ろしてほしい。脱隊したい、と。
そう言った。


「そうかい、槇寿郎には随分と苦労をかけてしまったからね」

そう今代のお館様は応え、私は最終的に以前会った__藤間と呼ばれた全体的に色素の薄い男、その男の預かりとなった。
その翌日には私と玄弥君は煉獄の屋敷を去る事になり、玄弥君が寂しそうに俯いている姿を私は見ていた。
煉獄さんは見送ってくれることも無かった。
残して行く小芭内君も気掛かりだったけれど、ずっと気丈なままの杏寿郎君が、何よりも気掛かりだった。
私は、彼が泣いた姿を、見ていないのだ。

それでも私の優先順位が上下前後することは無い。
未だ、門の向こう側から私達へと軽く頭を下げる姿を、私は目を瞑ってやり過ごした。

「よろしく、お願いします」
「あー、うん。よろしく。……で、それがあんたのひろったガキね」
「あ、彼は玄弥といいます」

自分よりも随分と上にある頭を首を持ち上げて見上げながら、私の紹介の後に「よろしく、……おねがいします」と、玄弥君は静かに言った。
日夜共に、隠の者が一人だけ常駐しているその屋敷に玄弥君を残し、任務に行くのは気が引けたけれど仕方がない。
意外な事に、藤間さんは玄弥君にとびきり優しかった。
「兄ちゃんを、探してる」
そう言った玄弥君に藤間さんが

「生きているかどうかも分からないのに?」

と、そう言った時に私はヒヤリとした。

「兄ちゃんは、絶対生きてる」

それでもそう強く答えた玄弥君の体を藤間さんは抱き上げた。
玄弥君は「おろせ!」と何度も藤間さんの背中を殴りあげ、髪を引っ張り、腰を蹴る。
それでもそのうち背中を何度も何度も擦られた玄弥君の口元が食いしばられていき、そのうち囁くように言った藤間さんの言葉に、とうとう玄弥君の目から涙が溢れていった。

「なら、迎えに行ってやらなきゃな。帰り道を忘れてんだよ。きっと」
「だき、上げんな、ぁ……っ、ぐ」
「ハイハイ」

そう言って、玄弥君を抱きしめる藤間さんの顔はとても優しくて、まるで本当の兄弟のようにすら見えたのだ。
そう、私が勘違いしそうになるほどには柔らかな時間が流れていた。



藤間さんは、色狂いらしい。
そう聞いてから、嫌な予感はしていた。
任務終わり、彼は私が実弥君を探すことに何も言わなかった。
けれどそのかわり、彼は毎日遊郭、つまりは花街へと通った。
東から西まで、ありとあらゆる地域の任務を受けては近郊の花街へと通う。
そこに付き合わされるものだから、たまったものではない。玄弥君には、以前よりもずっと会えない時間が増えていく。


その日は酷く晴れていた。
暑くて、暑くてセミの声がうっとおしい。
珍しく藤間さんが休みをとったものだから、玄弥君と漸く慣れてき始めた殺風景な藤間さんの屋敷の縁側でスイカをかじる。
ここに来てから、私たちは季節を一つ、終えていた。

「玄弥君、最近……癇癪を起すんだって?」
「……うるせぇ」
「ん、美味しいねぇ」
「ん」

ぺぺぺ、と口から種を飛ばす玄弥君に倣って、私も種を飛ばす。
玄弥君を挟んだ向こう側に、どす、と重たい音がして、藤間さんが腰を落としたのがわかった。

「あれ、……出かけないんですか?」私が聞くと
「もう体も持たないよ」と、藤間さんは息を吐く。
「そうですか。……会議の時、」
「んー……」
「皆さん、任務だったんですか?すごく、少なかったから……」

スイカに手を伸ばしたまま、藤間さんの動きが止まる。
玄弥君の好物だ、と知って、いの一番に私が買って帰って来たものだ。

「お前、何も、聞いてないの」
「……は、」
「俺、手洗ってくる」

玄弥君は、不穏な空気を察したのか大好物のスイカから背を向けて去っていく。
後で食べるだろう、と玄弥君の分だけ端に避けながらも視線だけを藤間さんにやると、凄く怒ったような、悲しんでいるような、難しい顔があって、私はその顔に何を言えばいいのかもどうすれば良いのかもわからない。
最近、こんな顔ばかりだ、皆。と、どこかで思いながら、赤々としたスイカを一口私はかじった。

「……死んだよ。」
「そう、なん、ですか……」
「柱についてる、不死の者を鬼どもは探してるんだと。」

その言葉に、私は息をのむ。

「浮かばれないなぁ。何も漏らさず逃げずに戦ってるってのに、当の本人は死んでった仲間が居たことも知りません、てな」
「私、ですか」
「しかいないだろ。煉獄さんが、お前と任務わざわざ別で受けてくるようになったことにも疑問一つ抱かないの?」
「……なら、藤間さんも、狙われますよ」

煉獄さんの行動に、そんな意図の反映があったのであろう事に私は驚きを禁じ得ない。
勿論、煉獄さんが途中で物事を放り出すような無責任な人間でない事は知っている。でも、おかしくなっていっていた事も、見ていたから。だから、その延長だと思っていたのに。
精神的に、彼は追い詰められているんだな、と。そう思っていた。

「俺に打診してきたのも煉獄さん直々だ。お前、甘やかされてんなよな。」
「甘やかさ、れて……るんですね。そうですよね。……でも、そこいらの鬼じゃ、普通死なないですよね。柱、……だもの」
「だから、そこいらのじゃないのが出回ってんの。上弦がうろついてんだよ。"指に銀の枷を付けた女隊士寄越せ"つって」

その言葉に、思わず左手中指の指輪を擦る。

「お前を引き取ったのは、給金があがるから。それ以下でも以上でもないよ」
「藤間さんが、狙われるんでしょ?」
「それこそ、どうだっていい。どうせ殺さなきゃいけない奴らだ」
「そ、……ですけど、」

いつの間にか、スイカは玄弥君の為に避けたモノだけになっていて、私の給金で買ったのに、とか何とか、ぼう、とした頭で考えてた。

「もしかしなくても、やばい、ですか?」
「はぁ?」

足を庭に向けて振り回しながら藤間さんは笑う。

「ヤバいのは、ずっとだろ。鬼が居る限りは、平和なんてないんだから」
「そう、ですね。そうですよね。」

藤間さんが良いと言うのなら、もうそれで良い。
これ以上は、考えるのはよそう。お互いに苦しくなるだけだ。

「ただ、一つ言っとく。捕まる位なら、死ねるまで首斬ってでも死ね。今までの全部をお前の一存で無にするなよ」
「はい。」
「戦場では意志の弱い奴から死んでいく。毎日、自分に『死ね』って言い聞かせとけ」
「……はい」

言っている事が、わかるような、わからないような。
それでも、今までの全部の人をこそ思うなら、私は捕まってはいけない。
それは、良くわかる。

「玄弥ァ、お茶ー」
「チッ」
「聞き耳立ててんなー、助兵衛が」

揶揄う藤間さんに玄弥君はドスドス音を立てて、何かしらを怒鳴りながら去っていく。
そこに残された私と藤間さんの間にはそれ以上の言葉は無くて、ただただ静かに玄弥君の戻りを待っていた。
空が、禍々しい程に赤らんでいて不気味だと、どこかでぼうっと思った。


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