小説 | ナノ

いっそ耳が痛くなる程にがなり立てる心臓を無視して、私は小さく息を吸って、吐く。
鴉を傍に呼びつけ指示を飛ばした。

「隠の者にここの後処理を依頼しに行って。それから、不死川玄弥君、貴方は今から私に着いて来るか、ここに後から来る者に従うか選んでください。」

それから玄弥くんへ向けても、そう静かに告げた。
鱗滝さんの言葉を思い出せ。
私が今、しなくてはいけない事は打ちひしがれる事でも、悲しみに暮れることでも、間に合わなかった事を嘆く事でもない。
それは後で良い。
後で死ぬほど悔やもう。憤ろう。
まずは、人がたくさん集まってしまうよりも先に、玄弥君をきちんと保護して心も体もケアをする。それが何よりも今必要な事は火を見るよりも明らかだ。
焦らずに、確りと、心を保とう。
せめてそれくらいは、役に立たなければ。

「玄弥君、私は必ず、貴方のお兄さんを、実弥くんを見つけます。……だから、貴方が選んでください。
私と来るか、一人で立ち直るのか。」

酷なことを言っている事も、彼が今冷静な判断が難しい可能性も分かっている。選択肢なんて、与えていないようなものだ。
狡いことを言っている。
それでも私たちは、今立たなければならない。
転んでいては、また次の刃が降ってくるから。そうならないために、殺されないために、死なないために立たなくては。
そうしなければ私たちは現実という鬼に殺されてしまう。

「に、兄ちゃんを、……絶対に、見つける、か?」
「絶対よ。必ず、貴方のもとに、連れて帰る。」

これが、きっと実弥君からすれば間違った答えな事はわかっている。
実弥くんが、違う。実弥さんが望まないこともわかっている。
実弥さんが、「どうすれば玄弥は幸せになれたんだ、」と幾度となく思考していた事を、知っているのだから。これは良くない判断かもしれない。
けれど、もしも鬼が居なくなれば?
鬼舞辻無惨さえ、居なくなれば?そうすれば、全部の話しは変わるのだ。
そう遠くない未来。
この後10年も経たずに鬼舞辻を倒せるのだ。
ならばその間に私はもっと強くなって、実弥くんと玄弥君を私が護れる様になればいい。
もっともっと強くなって、もっと速くに、倒すことが出来れば。鬼舞辻無惨を殺しさえすれば。
彼らが二人で生きられる世界を、私が作ればいいのだ。
それはこれからも、これまでもずっと変わらない目的で、目標だ。
やらなければならない事も、やるべきこともたった一つだ。強くなる。答えはいつだってシンプルた。
難しく考えるからいけないのだ。きっと。
守りたいものは何か
実弥くんだ。玄弥君だ。それ以外は、今は要らない。
だから、今日、玄弥君を今から、これから守る。
その為の犠牲は仕方がない。
なんでも犠牲にする。そのくらいの意志がないと、きっと何もできない。
それで十分だ。
シンプルに、やるべきことだけを見据えて、そのために必要な事だけを導き出せばいい。
実弥君を探して、玄弥君と二人、幸せになってもらうのだ。
その為に、強くなる。
使えるものは何でも使う。
だから、私はしっかりと全部を切り替えて。真っ直ぐに前を向こう。
泣くのは、全部終わってからでいい。
死にたいと嘆くのも、それからでいい。

ぎゅう、と痛いくらいに握り込んだ拳を開いて、玄弥君に向ける。

「一緒に行こう、……実弥君が帰ってこれる場所を、作ろう。実弥君が帰ってこられるように。その時に、迎えられるように。」
「……俺、……俺!酷い事を、……言った!!」

もう、あの狂おしい程に幸せを感じた日々には、もう戻れないのだから。

「なら、生きて、謝らないと。」

何度も何度も頷いて、玄弥君は私の手を握りしめた。
朝日から、「何だぁ?!」と、あちらこちらからあがりはじめた声から、逃げるように私たちはその場を後にした。




一先ず、玄弥君を背負いやってきたのは、程近くの藤の家紋を掲げた家であった。
近く、とは言えそれなりに離れて居るものだから、今朝の喧騒など、ここには無かった。
玄弥君にお風呂に入るように言いつけ、綺麗な着物に着替えさせた後に、食事が運び込まれた部屋へと向かう。

「さ、一緒に食べよう」
「……」

扉の側に立つ玄弥君は、項垂れたままだ。
顔を上げた、と思えば、箱台と呼ばれるお膳を前に玄弥君は目を見開いて、それからぎゅと眉間に皺を刻んでいった。

「……食えねぇ」
「お腹、空いてない?」
「こんなの、出された事ねぇ。こんなの、……食った事ねぇ。……俺だけが、こんな贅沢、……兄ちゃんも、きっと今頃、腹空かしてる。……俺、……こんな、の……食えねぇ……」

せっかく止まっていた涙が、ダムが決壊したみたいに玄弥君の目から零れては、とめどなく流れていく。
彼の気持ちなど、私には到底わかることは無いんだろう。
きっと、お兄さんに、実弥君に会いたくて仕方がないだろう。
辛いだろう。
まだずっと、部屋に入らず、襖の前で立ち尽くし、綺麗な継ぎ接ぎのない、少しだけ身に余った丈の着物の袖で何度も顔を拭って、えぐえぐと嗚咽を零す玄弥君に、私はかける言葉などやっぱり持たないし、何を言ったところで、きっと彼に響くことは無いんだろう。
私に、母の言葉が響かなかったように、彼の中で私ごときのちっぽけな存在の声が響く筈がない。
ならば、響かせることのできる立ち位置に立たなければならない。
彼に、確りと立つ私の背中を見せて、ついていきたいと思われるような人間に、ならなければ。
頼りがないと思われれば、きっと彼は自分で、一人で動いてしまう。
きっと、のように。

「いただきます」

私は手を合わせて、無言でしっかりとご飯を食べる。
涙がちょっと出てくるけれど、それごとご飯をかき込んでいく。
須玖君のおかげで、玄弥君を保護できた。私は今日死ななかった。実弥さんに、また少しだけ、きっと近づけた。
ごめんなさい、と、ありがとうを綯い交ぜにして、ご飯に混ぜ込んで咀嚼していく。
ずるずると、鼻を啜っている音は、もう玄弥君のものか、私のものかはわからないけれど、いつの間にか私の向かいに腰を下ろし、小さな「いただきます」と形作られた音は静かな一室に酷く響いた。

正直、実弥さんが玄弥君の眠る共同のお墓に手を合わせている時にどんな顔をしていたのかは覚えていない。
けれどすごく怒っていた事を覚えている。
始めて行った日は、静かな顔をして、手を合わせていて。
次は、どうだったかな。
私は邪魔をしてはいけない気がして、「ちょっと散歩でも行ってきます」って、実弥さんから少しだけ離れたんだ。
そうしたら、実弥さんの凄く怒った声が聞こえたから、私凄くびっくりしたなぁ。
って、玄弥君がご飯を食べる姿を見ながら思いだす。
なんて言っていたっけな。「しんでんじゃねぇ」だったかな。
それとも、「どうして置いていった」だったろうか。
両方だっただろうか。

きっと、私は実弥さんに、実弥君に嫌われるだろう。
恨まれるんだろう。
柱に一年以上ついてまわって、稽古も付けてもらって、まだ甲の文字すら遠く届かない。もう鬼殺隊士になって三年は過ぎた。なのにまだまだずっと、下の方。
こんなことは、無責任、ただその一言に尽きるのかもしれない。
私は、実弥さんがあんなにも鬼から遠ざけたかった玄弥君を、自分から遠く引き離したはずの玄弥君を、今、実弥君よりもずっと、もっと鬼に近いところに引きずり込んだんだ。

「あのね、私たちは、鬼を殺して回ってる。
日本全国、あちこちまわって、鬼を退治しているの。
だから、絶対に実弥君を見つけるし、今度こそ、あの怖い物から実弥君を、玄弥君を守るよ。だから、私に着いて来て」
「約束、出来んのかよ。……あの、化けモン、……バケモンと闘うって事だろ!!お前も、……俺を置いていくんじゃ……!」
「絶対に、私は死なないよ。絶対。実弥君を見つけて、玄弥君が実弥君と笑っている所を見るまでは絶対に死なない。」

約束だよ。
そう指を絡ませて、指切りげんまん。
陽の射す明るい室内では、玄弥君の綺麗なまぁるい目がひたと私を睨みつけるかのように見ている事が、ありありとわかった。

きっと、実弥君が鬼殺隊に入った。そう言う事さえ知られなければ玄弥君は実弥君を「追う」事も無いだろう。
今玄弥君が立ち上がることが出来たのは、ひとえに「兄に会いたい」その気持ちなのだろうから。実弥君を見つけて、「玄弥君は鬼殺隊に入らない」その条件で兄に、実弥君に会わせればいい。
それから、二人を藤の家にでも預けて、私がその分頑張る。
そうやって、二人がそこで笑ってくれさえすればいいのに。


その日、夕刻前に煉獄の家へ辿り着き、門戸の前で私はこっぴどく煉獄さんに叱られた。

「世話になっている身で、何を考えている!!お前の言っていた稀血の小僧なら……」
「申し訳ございません!!……彼は、その弟で、……あの!必ず彼の兄を、実弥君を見つけますっ!そしたら、ちゃんと預け先も探して、私がちゃんとします!御給金も!それまでは全部、煉獄の家に入れます!」
「要らん!そう言う事ではない!!」

任務の時刻が近かったからか、もういい、と槇寿郎さんはため息を吐いて

「すぐにでる」

そう言ってから、玄弥くんにも敷居を跨がせてくれた。
自分勝手をしている事もわかってはいる。
けれど、鱗滝さんの元に預けるには遠すぎる。それに、そこで修行を積まれたらたまったものじゃない。
藤の家だと、私が居ないタイミングで万が一実弥君と鉢合わせになったら、きっと、本当に最悪な事になることは想像がつく。
だから、もうここしかなかった。
もっと、生前に実弥さんに色々と聞ければよかったのに。と、無いものねだりで頭を抱え込みたくなる。
どうしたって私はこう、愚図なんだろう。

「ここで、杏寿郎君っていうお兄さんがいるから、彼の言う事をしっかりと聞いてね」
「……わかった。……どっか、行くのか」
「仕事に行って、実弥君も探してくるよ」

そうか、と嬉しそうな、寂しそうな、何とも言えない顔を作っている玄弥君を、私に与えられている一室に通した。

「全部、好きに使ってね。困った事は、ここの人に聞いて。絶対に帰るから、待っていて」
「……うん」



それから、任務の終了には一週間近くを要した。
昼間には聞き込みや、見回り、仮眠をとって、夜には走り回って鬼を探し、朝方には休憩をとる煉獄さんに頭を下げて実弥君を探し、
もうくたくたになりながら、藤の家に向かう。
そうしたらそこで、死んだように眠る。それでも時間の許す限りはあちらこちらを歩き回って、実弥君を探す。
鴉をも頼りながら探し回るのに、実弥君の痕跡なんて一つとしてつかめない。

そんな最中でやっと鬼を斬り捨てる頃には一週間を要していたのだ。

「あの、煉獄さん。この後私、須玖君の実家に行っても良いでしょうか?……手を、合わせてきたいのですが」
「……やめておけ」

こちらも見ずに返された言葉の真意を少し考えて、あ、と理解した。
彼のご両親は、私に見捨てられたことで隠であった須玖君が、隊士でもないのに鬼と共に取り残されて死んだ。ということを知ったのかもしれない。
きっと、そうだ。
それなら、私を恨みこそすれ、歓迎などしない。
どころか、かれのご両親の心労を増やすだけなのだろう。

「……そう、ですね。」

槇寿郎さんは少しだけ走る速度を落としてから、懐に忍ばせていたものを、私に差し出した。
それは、かくかくとした男らしい、大きな字で書かれていた。
「遺書」の文字を模したそれを、私は確かに受け取った。
思わず私が立ち止まった三歩程向こうで煉獄さんも立ち止まって、私に一つ頷いている。
かさかさと、乾いた音を立てながら開く白い紙が、段々と文字を見せてくる。

『折れるな』

たったの一言。
たったの一言しか書いてなくて、その上に宛名として書かれた私の名前の方が主張が大きくて、いっそどこか滑稽ですらある。
裏も何も書かれていない。
二枚目すらもない。
あまりにも、彼と私の名前の主張が激しいものだから、ただの文字のくせにまるで睨んでいるみたいに見えてくる。
いつかの怒声が聞こえてきそうだった。
なんと言っていただろうか。
「迷うな」
そう、言っていた。そう思う。

「……ごめん」

素敵な人だった。
辛いときは、笑い飛ばしてくれてた。
私をきちんと叱って、発破をかけて「頑張れ」って笑ってくれるような、そんな人だった。

「ごめん」

一緒に、うどんを食べた。
お寿司も食べた。
鬼から逃げた先のあばら家で、実は住んでたホームレスの人に二人して驚いたこととか。
発熱を促すような血鬼術にかかった私を介抱するのに、目隠しをするものだから、全然ボタン一つも外してもらえなくて、私はよくわからないながもキレ散らかしたし、発情していた彼を助けた時は下着までひん剥こうとしてキレられた。
花街から出てきた真っ赤な須玖君を笑い飛ばして、𠮟られた。
そんなことも、あったのだ。
そんな日々が、あったのだ。
素敵な人だった。

「ごめん」

実弥さんの言葉が、胸に痛いくらいに重しとなって圧し掛かる。
『誰一人、助けられちゃいねぇ』
そう、悲痛なまでに叫んだ音が、声なんて今はもう、思い出せないのに、頭で鳴り響く。
否、ずっと耳にこびりついたその音が、リアルに私の頭の中で回っている。
呪いのように。

「誰一人として、助けられちゃいない。」
頭の中で廻るこれは、きっと実弥さんの声ではない。
実弥さんは、私に言ったわけでは無いもの。
それでも、ずっとずっと、深くに根を張って私の体を突き破って、今にも出てきそうだ。

私は、この世界が、此処に居ることが酷く怖くなった。
須玖君の文字が、瞼の裏に浮かんでは消える。

「ごめんん、」

その文字ですら、助けられちゃいない、と形作られたような、そんな。

相変わらず不器用な動きの、大きくカサついた手が、私の頭をひとつ撫でた。




次へ
戻る
目次

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -