小説 | ナノ

腰かけている椅子の、冷たいスチール部分に足がくっつかないように気を付けながら、膝上13センチのスカートによって無防備になった太股から、だらしなく足をぶらつかせる。
木製の天板の机に肘をずっとついて重たい自分の頭を支えていたものだから、左腕が随分としびれている。
読みもしない教科書の置かれたその机。
開いてある、頭が良くなるとか、賢くなると噂の等間隔にドットの着いたノートに綺麗に並ぶ文字を眺め直して、今日も綺麗にかけているな、と少しだけ満足する。
静かな教室には、コチコチと時計が針を進める音と、シャ−プペンシルの走る音。
それから、時折むいちゃん先生の咳払い。
イケメンだと人気のむいちゃん先生は若いし、クールな対応をするのに笑いながら「ばぁか」なんて言ってきたりするのだから、人気があるのも頷く。
隣の席から丸めこまれた紙が投げ寄越されて、だるいなぁ、とかなんとか。
それに私は口にも態度にも出さないように、開く前にそちらを見てから少しだけにっこりと笑っておくことにする。
この静かな教室には不釣り合いな、意味深な笑顔を纏うアオキ君。
彼が、「今の」私の彼氏で、きっと来月か再来月には別れている人だ。

紙に書いてある言葉など、読まなくても分かるのに、律儀に目を通すのはあくまでもポーズのためで。
やっぱり思った通りの言葉が連なる手紙をくしゃりと握りつぶし直す。
カラオケ、だとか、漫喫、だとか、体裁を保つかのようなお誘いは、私と密室に行くためで本当に漫画を読んだ試しなどない。

私が自分の体に、一回3万円と値段を付けられてからはこの面倒な「彼氏」と言うものとの面倒な行為は一言で言うと「不快」。
まぁ、世間様的にはどっちが悪いだとか、そんなことは知っているけれど、どうせこの「彼氏」だって私の事が好きだから抱きたいわけでは無い。
抱きたいから「好き」だと言うのだ。
ただでするくらいなら、貰えた方が良いと思うのは当然ではないか。
そう思うくらいには、さっちゃんに毒されている。

「ごめんね、今日、さっちゃんたちと新作のフラぺ飲みに行くの」

授業の終わった事を知らせるチャイムに紛れ込ませるように断る旨を告げる。

残念だ、と言う言葉を顔にしっかりと張り付けて言われる「しゃーねぇな」と言う言葉は全然しゃーなくなさそうだ。知らないけど。


さっちゃんと、えみりちゃんと、かおこちゃと、帰り道にあるスタバに寄って、新作のフラぺを寒いのにすすり上げる。
店の中は暖かいのだからセーフ。
えみりちゃんと、かおこちゃんのコントみたいなやり取りに、時折私とさっちゃんが茶々を入れる。

「今日のゆきセンさぁ、あれマジでないわ」
「あぁ、むいちゃん先生にめっちゃアピールするじゃんって」
「ババァかよ笑う」
「てか月9みた?あれエロ過ぎない?食事時なんですけど」
「遅くね?」
「いや、おかげで親と見たわ」
「ま?」
「ま」
「てかあたしらみんなもっと気まずい事してんじゃん」
「知られたらこのフラぺばりに泥沼」
「それな」

別に、幸も不幸も無い当たり前のふつーの日常で。
特別なことは何一つない。
生きているのか死んでいるのかもわからないような何の張り合いもないしょうの無い世界で、ただ息をして、ご飯食べて風呂に入って、ちょっとだけ癒されて。
でも、ちょっと刺激が欲しいから、って
皆でそろって馬鹿をする。
道連れが居なきゃ怖いから。
皆ですれば、先生だって一人だけを責めることも出来ないじゃんね、って言ったのは、誰だったかな。
まぁ、そんな、ただのちょっとした日常に溶け込んだ刺激が、度が過ぎていた。
そう、ありありと自覚してしまったのは、もしかすると私だけ。

鈴木君は、クラスには絶対一人はいる、少し浮いた子だった。
ずっと寂しそうに本を一人で読んでいて、さっちゃんの彼氏のたぁくんがちょっかいをかけたのが始まりだった。
日に日にちょっかいはエスカレートしていって、そのうちただの嫌がらせになっていく。
たぁくんは、まぁ、学校内でも1、2を争う荒くれ者で、まぁ、つまりはやんちゃ。

私たちを引き連れて、摘まみ上げた鈴木君を空き教室に押し込んだ。
昼休みの事だったと思う。
まだお弁当を食べきれていなかった私は、お腹空いたなぁって考えながら、それを眺めて、新しい彼氏の名前も憶えられていない男の子に肩を抱かれている。

「すずきくーん、ズボン、下ろしてくださぁい」
「や、めろよ」
「おーろーしーてーくださぁい」
「下ろしたら名前ちゃんがしゃぶってくれるかもよ?」
「やめてよ」

顔をしかめたら、私の彼氏が「撮ってて」と言ってスマホを渡してきて、私は無言で撮影をする。
鈴木君のペニスが現れた頃には、黙っていたさっちゃんが

「ねぇ、ここで一人でしてよ」

そう笑う。
昼休憩の終了を告げるチャイムが鳴るまで頑張って勃たせようと擦り上げる鈴木君を私は静かにスマホ越しに見る。
これが私の日常で、取るに足らない毎日の、ほんのちょっとの刺激。
私だって、こんな事をしたい訳じゃなかった。
本当はバイトだってしたい。
まっとうな方法で稼いだお金で飲むフラぺはきっともっと美味しいし、お昼ご飯もゆっくり食べたい。
お母さんに、「残しちゃった」なんて言いたくもない。
でも、こうしていれば、私に矢印が向かないのだから、これは処世術ってやつ。
ずっとそうしてきたし、これからだって、そうする。

鈴木君は、標的にされ始めてから三か月で、教室から姿を消した。
左斜め前の、空白になった席を見つめながら、
「もう虐められないし、良かったじゃん」
って私は考える。
これが、素直な私の気持ち。
胸糞悪くね?って聞かれたら、もちろん「そうだね」と返すし、そこにさっちゃんが居たら、さっちゃんと同じ言葉をなぞる。
でもだからって、私が何かをできるとは思わないし、私だって、自分の人生かかってるんだから、おいそれと手を出すわけにはいかないし。
助ける義理だって無いのだから、「残念だったね、目をつけられて」って。そんな感じ。
まぁ、仕方ないよ。
避ける努力をきっと怠っていたんでしょう?って。
そんな。

鈴木君が亡くなった、と聞いたのは冬休みが明けてすぐ。
体育館でやった始業式も終わり、教室に戻ってから始まったホームルームで。
卒業も受験も控えたこの時期に、なんてことを持ってきてくれたんだろう。って、そんな保身が一番と怖いって、きもち。

「キリ良いもんね」
「何かあれでしょ、自殺率の跳ね上がるシーズン的な」
「タイミングばっちりじゃね?」

さっちゃんと、たぁくんたちが話しているのを、ぼうっとした頭で眺めていた。
頭の中では、死んだおばあちゃんが、ずっとずっと話していて。
「人一人が、背負える命は一つだけなんや。だから、大事に生きなあかん。背負わんように、背負わさんように」
私が、鈴木君の命を背負ったとして、私の命は誰が背負うんだろう。
お父さん?お母さん?反抗期で、死ねって、行ってくる弟?
私は怖かった。
だから、考えることをやめたし
こう、考えた。

「皆が、してたことでしょう?なら、私だけが悪いんじゃない。私は、悪くない。」



幼稚園からずっと一緒だったさっちゃんと、ようやっと本当に別れることになったのは、進路の大学が決まって、終業式を終えてから。
もう、お金を稼ぐためのえっちなんてしなくて良いし、彼氏だって作らなくても良い。
バイトって言っても、文句だって言われないし。そう思うと、清々しい。
さっちゃんが警察に捕まった、と言う話をお母さんから電話で聞いたときも、
「そうなんだぁ、」
って言いながら、大学の同期のちぃちゃんとフラぺをスタバで飲んでいた。

一人になって、夜道を歩きながら考えていた。
ずっと、高校時代を彩っていたのは、青春、って感じの明るいものでは全然なくて。
ずっと「面倒くさい」「だるい」それが頭の中を占めている言葉のほとんどで。
なのに、今の頭の中は何にもなくて、真っ暗な空を見上げながら歩いて坂本なんちゃらを口ずさみながら「将来」って言葉とか「これから」みたいな言葉に嫌悪感を持った。
私には、何もなかった。
明確な夢も、進路も、これからも。
少しだけ、センチメンタルな気分に浸りながらも歩いていたら「あの、」
と、おどおどとした声が投げかけられて。
振り返ったら、いつか自分が来ていたブレザーと同じもの。
それを着た少年がいた。

「わぁ、懐かしい。雪高の制服だ、」
ってなって、わらう。

その声の持ち主は、私よりも少しだけ背が低くて、眼鏡のせいも相まって、顔が殆ど見えなくて。
凄く、気弱な男の子って感じ。
虐められなければ良いね、と思うのは、さっちゃんたちが虐めてきた対象が、彼のような子たちだったから。

「鈴木 コーイチ、覚えてますか」

背中にヒヤリと冷たいものが流れたのは、秋の夜風が冷たいからか、今思い出していたクラスメイトの名前だったからか。

「あー、……うん、覚えてるよ」
「そうですか」

それ以上、彼が何かを言う事はなかった。
そのまま帰っていったし、怖かったから、私もそのまま急いで帰ったし。
ただ、元クラスメイトの名前を確認されただけ。
それだけだった。



それから暫く。それこそ数か月経ってから。
もう、そんなことがあった、ってことも忘れ切ってから。

大学の校門前に、頭まですっぽりとフードを被った人が居て、その人は、いつかの、聞き覚えのある声で、私の名前を、まるで読み上げるように聞いてくる。

「名字名前さん、ですよね」
「俺、弟です」
「鈴木コーイチの、弟です」

その言葉に、え、怖いって思って
彼の袖口が赤く染まっている事に気が付いて。
そうしたら、凄くお腹が痛くなって、
一緒に帰ろうって、校門のところまで一緒に来ていたちぃちゃんの煩いくらいの叫び声が響いていて。

それから、それから。





ゆっくりと目を開いて、ぐるり、とあたりを見渡した。
見慣れない箪笥と、少し開いた障子戸から見える庭。
その部屋が、実弥さんを失って、あれ以来久方ぶりに与えられた自室で有る事を、傍に置かれた解きかけになっている荷物を見て思い出した。
ここ一年、隊士になってからが、本当に辛かった。
何度も死んだ。何度も人を見送った。
それから、
それから。
お風呂にも入れなかった事の方が多いし、眠ることもままならなくて、眠っても、こうして嫌なことを、思い出す。
まだ、今日のはずっとまし。
でも、ずっと、引っかかっていた事ではある。
だから、いつもよりずっと心は重い。
本当に久しぶりに思い出した、過去の自分に、ぼう、と働かない頭で想いを馳せた。
実弥さんの事を思い出しながら、実弥くんの事を思いだしながら。
今の私は、ブレザーなんて当然着ていないし、膝上13センチなんて勇気もなくなっている。
胸元のボタンだって、もうしっかりしめている。
もうスマホの操作も、覚えているかも怪しいし、思い出せるかもわからない。
フラペの味も忘れてる。
人生のほとんどを共に過ごした、さっちゃんの声も憶えていない。

けれど、覚えている事はある。
学校に乗り込んで、たぁくんの名前を叫びながら、「学校に、人殺しをかくまうのか!」そう叫びあげていた、多分、鈴木君のお母さんであろう女性の声。
苦しい、と死に際に叫んだ、隊士の声と、選別で死んでいった、あの子たちの声と、被る。

別に、ここには鈴木君も、そのお母さんも居ない。
線香だって無いし、もちろん、遺影もやっぱり無い。でも、
でもどうしても、手を合わせたくなった。
許してなんて、思っていない。
でも、手を合わせたかった。

鈴木君は自殺した。
だから、きっと天国にはいけないのだろう。
でも、それでも、死んだ後まで、亡くなった先でまで苦しい場所じゃなければ良いと思う。
生前に、たくさん苦しんだのだから、私たちが、苦しめたのだから、背うだとか、そんなことは言えないし、やっぱり言わない。思えない。
そんなに出来た人間には、やっぱりなれない。
それでも私は、彼が今、不幸でなければ良いのに。
そう思わずにはいられなかった。

ゆっくりと目を開けて、頂いた着物から隊服に着替えていく。
顔を洗ったら、挨拶をしなくては。

私を引き取ってくださった、師匠にあたる方へと挨拶をするために、まずは身なりを整える所から、用意をしなくては。


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