小説 | ナノ

最終選別、響きはかっこいいものの、結局の所やることは一週間のサバイバル生活だ。
鬼に見つかれば速殺、という特典付きときた。
その中でも特に何が辛いのか。もう全部だけれど、とにかく選別地に辿り着くまでに散々歩いて汗もかいている。
なのにそれをどうこうする暇もなく、よーいドンだ。
そんな甘っちょろい事をこの期に及んで、とは思うけれど鱗滝さんの元に居た時ですら毎日の風呂と洗髪を私は欠かしていない。そんな中で唐突に、いきなり屋外でお風呂に入ることが出来ないどころか、完全にトイレをするのも外。つまる所は野糞ってやつになる。
もちろんトイレットペーパーも無ければ懐紙も数が限られている。
買い足しにも行けない。
思うに、今後の鬼との長期戦になった場合の生存方法が身についているのかどうか、そう言ったところも見られているのだろうか?等と下らないことを考えて青ざめていたら、
「たすけてぇ!!!」
耳をつんざくような悲鳴があたり一面にこだまする。
慌てて声の方に走った。
自分が何がしたいのかわからない。
野次馬根性ならやめておけ、と思うのに、何でかはわからない。けれど足が止まらなかった。
「は、?」
たどり着いたそこで、私の目の前で、手足をもがれたまだ年端もいかない少年が、こちらをどろどろの顔で睨みつけるように見ている。
私を、見たのだ。
「だず、げ、」
ごぼごぼと音を立てながら少年の口からは血が溢れて、こぼれていく。
私はここにきて初めて人の死にゆく、否、殺されゆく瞬間を目に焼き付けることになった。
むせかえるような血のニオイと、耳を引き裂かんばかりに上がる悲鳴と、グロテスクな四肢の千切れ行くそれ。
ここにきて初めて、これを、鬼と言うものをハッキリとした輪郭のある現実として理解させられることになった。
怖い。
恐ろしさに足がすくむ。
耳がビリビリと未だ震えている。
実弥さんが抱えていたもの、秋さんの抱えていたもの、その一端を私は初めて目にしたような気がした。
「いや、だ」
私はそこから逃げ出した。
とてもじゃないが、立ち向かうだなんて、無理だ。
私は人間だ。
あれは、人間じゃない。何がどう転んだらあれに立ち向かう気が起こるのか。
おかしい。
やっぱりおかしい。
みんな、おかしい。
こんなこと、できるはずが無いじゃない。

見たことはある、否、あそこにあの少年の立ち位置に私はいた。
何度も殺されたもの。
けれど、それとこれは違う。
立ち向かうだなんて、無理だ。
なぜアレに勝てると、勝とうと思えるのか。

走って、走って走って走ったところで、鱗滝さんに無理を言って持ってきた実弥さんの刀の鍔が腕に当たる。
まるで「使え」とでも言うように。
「……っ」
あれと、戦うの?無理。
無理、だ。
目の前に、一際大きな影が落ちる。
「へ、」
体のあちらこちらに腕を巻き付けた、見たことも無い巨体がそこにはあった。
「お前、鱗滝の所のだなぁ」
ニヤリ、とでも音がしそうな程の目の歪みを見せるそれは、私に向けて手を伸ばす。
「今度は年増かぁ」
そこで、ハッとして私は駆けだした。
また走って、走って、伸びてきた腕を払うためだけに夢中で刀を振るう。
カキン、と高い音を立てて中ほどから折れてしまったそれが足元に刺さり、背筋を冷や汗が流れ伝う。
体中が震えている。
「……ッ」
「お前、情けないなァ、そんななら、抵抗せずに食われてくれ」
鬼の言う事に間違いはない。
本当に情けない。
情けない!!こんなことで、実弥さんを守れるのか。ここで、こんなところで諦めるのか?
なら何のために刀を取った。
何のために4年間やってきた。
先ずは、最善を考えろ。
教えられたことは、何だった?
戦う事だけか?その為なら死ねとでも言われたか?
そうじゃない。
先ずは逃げても良い、生き延びて作戦を立てなければ。
刀は折れている。
この、明らかに私よりも強い、そんな鬼と今は対峙してはいけない。
立ち向かわなくていい!
腹が決まればすぐだった。
一目散に走って、走って、走って逃げる。
木々の間を縫い、その暗闇の中を音と嗅覚、すべての感覚を頼りに安全な道を嗅ぎ当てていく。
できるだけ、匂いのないところ。
それでいて、音のしないところ!
別に特段鼻や何かが優れているわけでは無い。
でも、鱗滝さんとの修行でわかった匂いのようなものがある。
たった一つだけ。生き物の、死にかけている生き物の匂いだけは何故だかわかったのだ。
だから、そこは避ければいい。今は、それでいい。

何とか手の鬼から逃れ、気が付くと朝まで走り続けていた。
ぜぇ、はァ、と息を切らしながらも足は止めない。
死んでしまった子たちの刀を片っ端から回収していく。
私の技術では、何本あっても足りないと言う事がわかってしまった。
けれど、立ち向かわないと、絶対に強くなれないから。
実弥さんを、助けられないから。
それでは、意味がない。
意味が、ないのだ。
刀を取ったことも、実弥さんに会えると頑張って来たことも。
実弥さんを守りたいと願ったことも。
全部の意味がなくなってしまう。


昼頃に水辺で水を浴びて、浴びるように水を飲む。
虫を食べる度胸も、ましてやウミガメのスープなんかも私には度胸がない。
なら食べられるものは限られている。
斬り落としたリスの首を、鱗滝さんの教えてくれた通りにつるして、さばいて、血を抜いて、焼いて食べる。
お世辞にもおいしいだなんて言えない。
臭みだって凄い。
何よりも、先程まで生きている動き回っている姿を私は見ていたのだ。
こみ上げる吐き気と戦う事の方が難しい。
こんなの、無理だ。
私はやっぱり、泣いた。
口に入れたリスだったものが、零れ落ちないように、と何度も何度も噛んで、噛んで、いつまでも飲み込むことが出来ない自分の不甲斐なさに、また泣いた。

疲れも取れず、眠れもしないままに夜がまたやってくる。
今度は、やらなければならない。
何度も崩折れそうになる心を震わせて、実弥さんの鍔を撫でる。
ちゃんと、ちゃんと戦って、強くなっていかなければ。
私は自分の身を、まずは守れるように。




一週間。
その間に私は恐らく3回は死んだ。
これは比喩ではない。
死んだ。
迷いが仇となる。
鱗滝さんの言ったとおりだ。
心を保て。
それが、一番大変なのに。
けれど、最後に向かってきた鬼を、斬ることを私は戸惑わなかった。

型も、きちんと出せていたと思う。
冷静であれたからだ。
はじめてった。
できる事なら知りたくもなかった感覚が、ずっと肩に、腕に手のひらに残っている。
斬った。
斬ったのだ。
果てしなく遠くて、眩暈すらしそうだけれど、本当に、本当に一歩だけ、実弥さんへ続く道が開けたような気がした。

その回での生き残りは、私を含めて、たったの3人で、そのうち一人は目の前で力尽きた。
だから、二人だ。

「俺は須玖!!須玖志仁スグ ユキヒトだ!!!!たった二人の同期だな!!よろしく頼む!!」
「うん、よろしくね。名字名前です」
「また会えることを、願っている!!」
「はは、うん」

快活なその声があんまりにも大きいから、こんな人、宇髄さんに紹介されたこともあったなぁ、と記憶の奥から呼んでみる。
名前こそ出てこなかったけれど、ライオンみたいな髪型はありありと思い出すことに成功していた。
須玖志仁その人は、体も大きく、既に体格も出来上がっているようで、他の参加者に比べて比較的年嵩もありそうだ。同年代に近く見えた。
そこに少しだけ親近感を抱きながらも、係りの方の待つ藤棚へと足を向けた。

石を選んで、烏を与えられてから、私たちは山を下りた。

とてつもなく長い長い道のりで、だから疲れただけだ。
こんな、いい歳をした女が、鱗滝さんの胸に飛び込んだなんて、そんな事実は無かったことで良い。
鱗滝さんは、ぎゅうと私を抱きしめ返して「共に行こう、約束だったからな」と私の背中をポスン、と一つ大きく打った。
それに私は何度も何度も頷いて、堪えていたものを吐き出すようにわんわん泣いた。

選別に受かったら、専用の刀が出来るまでは待機らしい。
だから、その間に実弥さんの実家に行きたい、と言う話をしていた。
地名と、現地の道順しか知らない私はそこまでたどり着くことも出来ないのだから、鱗滝さんを頼るしか無かったのだ。



東京府東京市京橋区惣十郎町
アパート、この時代では長屋、と言ったろうか。
それの沢山並んだそこを、鱗滝さんと出会ってから何度も思い描き直し、毎日毎日眠る前に街並みを思い出していた。
でも、実弥さんとやってきた時とは全然違う景色だった。
あの雑貨屋さんも、蕎麦屋さんもない。
こんなに長屋ばっかりでは無かったし、あの長屋の前には、畳屋さんがあって、そのすぐ隣には空き地があって、子どもたちが遊んでいて。
そこまで考えて、膝が折れた。
今まで何とか絶妙なバランスで積み上げていたドミノタワーが崩れるように、すべての気持ちが瓦解していく。
どこに、あるの?
どこに、いるの?
そもそも、いるの?

「……っ、ふ」
「立て」

立ちなさい
再度かけられた声に頷く事すら出来なくて、私は涙を止めることも出来ない。
目の前が真っ暗になる。
彼が、居ないのなら、存在しないのなら、
意味がないのだ。
全部。
全部全部。
無駄なのだ。

「死にたい」

口に出した音に、鱗滝さんの平手が飛んだ。

「甘ったれるな!お前が選んだことだ!!」
「でも、っでも!!居ないのなら!もう良い!!生きていたく、ないっ!!!」

叫ぶように喚いたところで、目の前に小さな足が立ち塞がった。汚れた、スリ傷やら青アザの多い、小さな足だ。
おもむろに視線を上げると鱗滝さんと私の間に割り入ってきた真っ白な頭があった。

「女に手を上げんじゃねぇ!」

まるで私を庇うように立つそのいっそ頼りない迄の小さな背中が。
陽の光を遮って私に影を作ったその姿が。
実弥さんだと、そう気が付くころにはそのちいさな小さな背中を私は抱きしめずには居られなかった。
実弥さん、
実弥さんだ!!

「あ、あぁ、……う、ぅう、」

実弥さん、さねみさん、さねみさん
細い腕と、胴回り。
けど、それでもわかった。
実弥さんの、においだ。
実弥さんだ。
あの実弥さんだとは俄かには信じられないけれど、心が彼だと、痛いくらいに叫んでいる。
私の全部が実弥さんだと、彼を求めている。
とてつもなく大きな何かに身体の中から突き破られたみたいに、体は上手く動かなくなった。
実弥さん、実弥さん実弥さん。

「は、はなせッ!!や、やめ……っ!」
「名前、少年が困っている。迷惑をかけるんじゃない」
「ご、めんなさ、……ごめんなさい」

少年の顔を手で包んで、確りと見た。
何度も何度も撫で付ける。
あぁ、やっぱり、
実弥さんだぁ、
擦り傷まみれの真っ赤になってしまった顔に、あの威圧的な迄の大きな傷はない。
綺麗な、綺麗なまぁるい顔だ。
大好きな紫色が二つ並んだ、狂おしい程に求めた顔だ。
大好きな人の、大好きな顔だ。
実弥さんの、お顔だ。
指が、勝手にそろそろと彼の目元をなぞっていく。
傷のあった、頬を、なぞっていく。
それでも、実弥さんだ。

「私の、大切な人に、……っふ、ぅっ……そっくりだった、から、……ごめん、」
「……おぅ」

訝しんでいるのか、手に抱えた桶を少しだけ私から遠ざけられる。
何か、大切なものでも入っているのかもしれない。
鱗滝さんに持たされていたお金があるだけ全部入った巾着をそこに入れて「お詫び、」とだけ実弥さんへと言ってから、鱗滝さんに頭を下げる。

「ご迷惑をおかけしました。……これからも、よろしく……よろしくお願いします」
「うむ」

表情の見えない鱗滝さんは、一つ息を吐いてから、現金をやるのは感心しない。と言葉を落とす。
実弥さんは、そこでそれが現金だと気が付いたらしく、

「金なら要らねぇ!」

突き返されてしまう。
そうだよね、とだけ考えて辺りを見まわすとお団子屋さんがある。

「あ、ちょっとだけ、ちょっとだけ待ってて!!」
「は?!あ、ちょ!!何も要らねぇ!」
「……」

そのお金で買えるだけの団子やなんやを買い込んで、それを実弥さんに渡した。

「重たくなっちゃった、……でも力持ちだし、大丈夫だよね!……あ、でも……あ、ぇえと、引き止めてごめんなさい」
「……要らねぇって、言ってんのに」
「会えて、本当に嬉しかったの。だから」
「そんなに似てるのか、俺」

実弥さん独特のまぁるい目がくりくりと揺れている。
似ているよ。そっくりだよ。多分大きくなったら、もっと似てくるよ。
心でそう答えるけれど、言えるわけがない。

「そう……言われると、悩むなぁ……どう、だろ、……なぁ」
「……そうかよ」

そう言って、からりと笑う実弥さんにはあの殺伐とした雰囲気を殆ど感じることもない。
鬼が、実弥さんをああやって追い詰めていったのか。
鬼が居なければ、実弥さんはこうやって、笑って居られるのか。

鬼に恨みつらみなんて一つとしてわかなかったけれど、その存在が実弥さんに影を落とすのなら何とかしたい。しなくちゃいけない。
それが出来るように、私は死なない体になったんだ。きっと。
そう思えば、死なないことは悪い事では、きっとない。
そう思えば、辛いことなど一つとしてない。
実弥さんをバイバイと手を振って見送ってから、鱗滝さんに向き直る。
目元を何度も何度も擦り、ズッと鼻を啜り上げた。

「取り乱しました。本当に、ごめんなさい。……実弥さんに、会えてよかった。きっと、私に『頑張れ』って、実弥さん、応援してくれてるんだ」
「……」
「頑張ります。もっと、ちゃんと」
「心を保て、常にだ」
「はい!」

鱗滝さんから教わったことを、一つずつ、一つずつ。
心で噛み砕いて租借して、きちんと、前を向こう。
貴方がずっと、そうしていてくれたように、「辛い」などとこぼさず、ずっとずっと前を向いて皆を守ろうとしてくれたように。
私もちゃんと前を向く。
例え実弥さんと向き合う事はできなくても、実弥さんがそうだったように、私ももっと、もっとずっと強く、強くならなくちゃ。

「あ!!お金!お金は出世払いで必ず返します!!」
「ふん」


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