小説 | ナノ

連れられたのは、その竹林、否山の中ほどにある家であった。
いくら私の父ほどの歳とは言え、男が住むというそこに入るのは戸惑われるが

「むき身の刀を手にここ以外で話ができるところがあるのならそこに行こう」
「……おじゃま、します」

そう唸るように言葉を発する男には、有無を言わせない迫力があった。
家の中は薄暗い。
太陽の光の加減からして、時刻は夕方をさしていたのだろうから仕方がない。
室内を男がつけた柔らかい行燈の明かりが照らす。
通された一室のど真ん中には囲炉裏があって、とても時代を感じる。古民家カフェでもこうも雰囲気は出ないだろう。

「さて、早速だが、その刀は本来鬼殺隊士が持つもの。持ち主はどうした」

お茶を私のひざ元に置いて、向かいに腰かけたその人は不気味に赤びかりする、天狗の面をつけたままこちらを見る。
ゆらゆらと時折揺れる明かりがただただ静かなこの空間で、今も時を刻んでいると言う事を如実に教えてくれる。

「……あの、……聞いて、くださいますか」

多分、誰でも良かった。
いきなり季節が夏に変わっていたようでとても暑かったから、だから熱に浮かされただけなのかもしれない。
それでも、私は本当は、宇髄さんとか、冨岡さん、秋さんではない、私を知らない誰かに、実弥さんと関わりの無い人に多分ずっと、聞いてほしかった。
抱えているのが、辛かった。

「おかしな話だと思います。でも、順を追って説明します。だから、聞いてください」
「良いだろう」

腕を組んだその人は、長くなると踏んだのか少しだけ姿勢を崩した。

「まずは、確認だけしたいのですが、今は何年ですか?それと、……鬼は、今生きていますか」

此処に腰を下ろすまで、この家に辿り着くまで、ずっと歩きながら考えていた。
私が自刃したのは、まだ冬に差し掛かる前。秋の終わり。
けれど、今ここではセミの声がする。
つまり、ここに来た時と同様、また時間が戻っている、もしくは進んでいる。
それから、この人は『鬼殺隊』と言った。
つまり、私が生きていた世界ではなく、死んでから来た、実弥さんの世界に今も私は居る。きっと、そう言う事だ。

「ふむ、今は明治35年の8月だ。鬼は居る。そこかしこにな」
「めいじ、……」

目を剥いた。
私が実弥さんと出会ったのは大正時代の事。
それよりもずっと前。実弥さんが弟妹を失ったと話したのより、恐らく、更に前。
いつの間にか、蝉の声は聞こえない。
夜が深くなってきたからだろう。
今度は草葉の揺れる音と、虫の小さなさえずりが響いている。
手をきつく握った。
私は、実弥さんたちを助けられるのかもしれない。
私は、もしかすると実弥さんたちが、ちゃんと『みんなで』幸せになれる、お手伝いができるかも知れないんだ。
実弥さんに、会えるんだ。
胸が熱くなった。
目に涙の幕が張っていくのがわかる。
会いたい。
ひと目でもいい。
会って、もし出来るのならば抱きしめたい。
抱きしめてほしい。

「私、多分、貴方達よりもずっと先の、未来から来たんだと思うんです」
「……出鱈目を言うつもりなら、」
「お願いします。聞いてください。私の知っている話は全部全部話すから!聞いて、ください!!」

もう、必死だった。
信じてもらえなくても構わない、いや、違う。
信じて欲しい。それから、私は戦う術を身につけなくてはいけない。実弥さんに会うためにも、実弥さんが、あんなに苦しまなくても、いいように。
だって、私は今でもずっと、ずっと、実弥さんが大好きで、大切で。
こんなにも、彼が生きていると思うと、こんなにも胸が温かくなって、苦しい。
だから、私が生きる術を、実弥さんに頼らずともすむ術を、実弥さんを守る事ができるだけの術を、教えてほしい。

「私は、名字名前と言います。お察しだとは思いますが、剣術や、その、戦うことなんて、したこともありません。今、ここにある刀は、……大切な人のもの、です。」

夫、だと言えればどんなに良かっただろう。
実弥さんは、ついぞ結婚の言葉を一言も出してくれることは無かった。
あんなにたくさんの簪やらなにやらをしまい込んでいたくせに。
どんなけの思いでしまっていたんだろう。いったいどれだけ私の事を考えてくれていたんだろう。考えれば考えるほど、わからなくなる。
左手の中指にはめた指輪が鈍く、柔い行燈の光を映している。

「私は、……その、死ねない体なんです。首を刎ねても、毒を飲んでも、死ぬことが出来ないんです。それに、何度見ても、見た目がずっと変わらない。だから、多分……歳もとれないんです。どうしてこんな体になっているのかは、まだ確証が持てません。もしかすると、と考えている事はありますが、どうも現実的ではなくて。
私、ずっと昔に鬼に襲われて、それを、当時、……その時に鬼殺隊に居た方に、助けていただけて……拾っていただきました。『鬼の手に渡ると脅威になる』と言われました。だから拾っていただけたのだと思います。
それから、……」

男の表情はわからない。
けれども言葉を挟むことがないから、聞いてくれては居るのだろう。

「私は、……彼を慕っていました。好きでした、誰よりも、何よりも。彼は、鬼の居ない世界にしてくれました。1916年の頭の事です。それでも、彼は誰よりも早くに、誰よりも先に亡くなって……。
私、耐えられなくて、この刀で、刺したんです。今日、心臓を。」

言葉にして、形にして自分でも驚くほどに胸が苦しくなる。
息も上手くできない。
涙が勝手にあふれてきて、草臥れて、胸元に、膝にまで血の染みた汚くなってしまった着物を更に涙が汚していく。

「そうしたら、……ここに、居た!私、きっとまた実弥さんに会えるんだ、実弥さんに会える!!どうしよう。……実弥さんは平和な世界を望んだのに、実弥さんは、あんなに頑張って、頑張って平和な夜を作ってくれたのに!!!
私、……鬼の居る世界でも、生きているのなら、……実弥さんの頑張りが無かったことになってしまってるのに、!!!」
「また、会えるかもしれない、それが、……あぁ、どうしよう、……どうしよう!!!ごめんなさい、ごめんなさい!!」

自分でももう何を言っているのかなんてわからなくなっている。
支離滅裂で、恐らく目の前の彼が聞きたいのはこういう事ではない。
わかっている。
なのに、今目の前で『実弥さんが生きている』かもしれないとそう言外に告げられてしまったら、理解してしまったら、全身をとてつもなく襲う大きな感情の名前を私はつけることが出来ない。

目の前の男は、一つ息を落として、

「落ち着け」

静かに言う。
はい、と何とかかんとか息と共に吐きだしてから、唇を強く噛む。
ずっと、考えないようにしていた。
ずっとずっと、理解することを放棄していた。
実弥さんと秋さんさえいればよくて、それ以外はもうどうでもよかったんだ。
でも、実弥さんが死んでしまって、カミサマ酷いじゃないですか、とぼう、と考えていた時にふと祖母の言葉を思い出したのだ。
「悪いことをしたら、地獄にいくんやで」ただの脅かしだと思っていた。
辺獄、だ何だと言ったけれど、きっと、きっとここは地獄、なのではないだろうか。
私を永遠に焼き殺すための。
カトリックだった母は言っていた。
「地獄には終わりがない、だから洗礼を、許しを受けなければならないのよ」
私は、洗礼だなんだ、そういった物事は全部頑なに拒否をしていたように思う。
よく分からない。
興味も無かった。
それは、幼いながらに宗教に熱心な母が、父が両親が恥ずかしかったからだ。
嫌いだったのだ、母も、父も宗教も。
それでも、何となく、つじつまも合ってしまった気がして、その時私の頭は急速に理解した。
私は、これから先もずっとこの世界で生きていかなければならないのかもしれない、と。
恐らく、永遠に。
これからずっと。
ただ、それを証明するものは今はない。
それを理解したところで、する事も変わらない。
それに、だとしても、だとしても、だ。
今回の時が遡る事の説明も出来ない。
わからない。
ただ、そんな中でも明確にわかっていることが一つある。
この世界のどこかにいる実弥さんを、私は守ることができるかも知れない、と言う事だ。
実弥さんに、また会えるのかも知れない、と言うことだ。

「……私、だから強く、ならなくちゃいけないんだ、きっと、」

そう、呟いたところで、固く口を閉ざしていた男がようやっと口を開いた。

「思考を止めるのは愚かな人間のすることだ。まずは考えろ、それから最善を探せ。常に、だ」
「はい」

その男の言葉には、妙な説得力があって、頷かずにはいられなかった。

「にわかに信じがたい話ではあるが、……鬼なんぞと言う不可解な生物も居る、不死の人間、そう言うものが居てもおかしくはないのやもしれん
だが、……やはり、信じられん。それは人間と言えるのか」

男は組んでいた腕を解き、お茶を一口口に含んでから言う。
少しだけずらされたお面の隙間から見える口元に刻まれた皺が、男性がやはりそれなりの高齢だったことを知らせてくる。

「そう、ですね……でも私、鬼を倒せるようにならなくちゃいけない。……今度は、私が実弥さんを……守らないと、いけないんだ、……きっと」
「本当にそのつもりなら迷うな!迷えば護りたいものが殺される、自分が殺される。鬼殺の道は『きっと』で出来るほど甘くはない!」

ごくり、と喉が鳴る。きっと男が言うのは最もだ。
しごく正しいことなのだ。
私はまだまだ決意や覚悟なんて大仰なものはこれぽっちも持ってはいない。
それでもしないといけないんだ、出来るのだ、と、そう“理解”したに過ぎない。

「……本当に"不死"なのなら、お前も言ったように、お前が鬼となれば脅威になるのやもしれん……いやが応にも、お前は強くならんといかんのやもしれん」

少しだけ、ため息を吐いてその男は言う。

「儂の名は、鱗滝佐近次と言う。育手をしている」
「そだ、て、」
「お前が着いて来れるなら、強くしてやる」
「……この刀は、私が持っていても、……良いですか」

少しだけ間をおいてから、男は短く「あぁ」と言った。

「よろしく、お願いします」
「ついて来い」
「はいっ」


そこからは、地獄と言うには生ぬるい、そう思わせるほどのものがあった。
ただただ厳しさに打ちのめされる日々を過ごす。
日中実弥さんの事を思い出す暇も余裕もない程に。それが、丁度良かったのかもしれない。
そんな事もないのかもしれない、わからないけれど、毎日が、ただただ苦痛で、辛かった。
強くなっている、という実感など一つもない。
息をするのにも耳がキンと張り詰めて痛み、喉が震えるほどに苦しい。

「逃げるのか」
「実弥とやらを、そんなことで守れると思うのか」
「やめてしまえ」
「実弥とやらの命は諦めろ」

その上鱗滝さんの言葉は、的確に私の心をえぐっていく。

「選別に来るのも、今戦っているのも、お前よりも遥かに幼い人間ばかりだ」
「甘ったれるな」
「その考え方は捨てろ」
「お前が護るんじゃなかったのか!」

なんども逃げ出して、わんわん情けなく泣いて、その度に発破をかけられて、実弥さんの背中を、背中に背負う文字を思い出して立ち上がる。
毎晩布団に潜って、実弥さんの身体を空でなぞる。
彼の晩年、早く時が過ぎ去ればいいとすら思った事もあったのに、今はただ会いたい。
抱きしめてほしい。
あの逞しい腕に、胸に包まれたい。
またあの優しい声で、私の名前を紡いで欲しい。
ずっとずっと、私は勝手だ。

一度だけ訓練中に首が斬れた。
完全に、私の不注意であった。
血が止まらなくて、慌てて押さえるのに力が抜けていって、それから鱗滝さんが少し焦ったように「呼吸に集中しろ!」そう叫びながらこちらに駆け寄ってきているのを尻目に、私の意識は途切れている。

次に目を開くと

「本当に、死なぬのだな」

どこか切ない声でそう言われた。
そこで私はまた自分が死んだことを知る。
修業は本当に大変で、息を吐く暇も無くて、呼吸、というものが本当にややこしい。
肺を膨らませるだとか、血を巡らせるだとか、理解も上手くできない。
それでも、実弥さんの独特だった呼吸の、それこそ独特な音は今でも覚えている気がする。
鱗滝さんが、少しばかり私に頷くようになってくれ始めた頃。
変わりゆく季節を4度も見送って"最終選別"へと私は向かう事となった。
もう、実弥さんの声も、笑った顔も思い出せなくなっていた。
それは酷く辛いのに、忘れることも出来ない彼への思いだけがずっとずっと心臓に重りを乗せたように、今もなお心を重たくしている。
でもそれは、不愉快な何かでは決してなくて、私が立ち上がるための、まるで「希望」だとか「勇気」のような、そういう口にするには少しばかり浮ついて恥ずかしくなってしまうようなそれで。
とにかく、実弥さんが私を強くしてくれる。
それだけで、『殺』を背負ったあの大きな汚れのない背中に向かって、私は歩いていける。そう思えた。

「行ってきます」
「うむ」

鱗滝さんは、優しかった。
それから、本当に厳しかった。
実の父よりもずっとずっと、厳しくて。
優しさをそこに隠して。
強くなりたいと願う私に、根気強く、連れ戻して叩き直して、発破をかけて諦めるなと説いてくれた。
私よりもずっと、私を諦めずにいてくれた。
私は、まだ小さな動物以外の生物を斬った事がない。
斬れるのだろうか、私に。
でもその鱗滝さんは「迷うな」と言う。
けれど、迷いなく命を斬る事など、果たして本当にできる芸当なのだろうか。
さらには、
人型の、ものを。
その鬼が、悪い鬼でない、という確証はどこにあるのだろう。
鬼を片っ端から切って行く事は、果たして本当に『良い事』なのだろうか。
でも、これを考え始めたら、実弥さんを否定することになる。
いけない。だめだ。
考えるな。
よそう。
私は、今は強くなることだけを考えれば良い。
これは停止じゃない。
何がより大切で、何がより重要な事か。
たった一つ。
それだけで十分だ。
実弥さんに会いたい。
笑っていてほしい。
それ以外は要らない。
それ以外は必要な思考じゃない。

選別が終わったら、この時代を生きる実弥さんに一目、会いに行くのだ。
そう決めて、私は鱗滝さんから貰った狐のお面で顔を隠す。
だから、私は強くなるのだ。
今度は私が、守れるように。
今度はあなたが、ちゃんと、ずっと笑えるように。


次へ
戻る
目次

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -