小説 | ナノ

カルペ・ディエム 下
私達は食べて飲もう、明日死ぬのだから

第一部 敬愛なるマーテル

真夜中になると眠っている実弥さんの口から細くうめき声が上がる。
次第にその音は大きくなり、息遣いが荒くなる。
これは殆ど毎日の事で、私はこの声を理由に実弥さんに触れる。

「実弥さん、実弥さん、」

私の呼びかけにがばっと起き上がって、ぐるりと部屋を一周見渡してから、実弥さんは固く両手を握りしめて

「悪かった」

そう謝ってくる。
もう、こうなってから数ヶ月は経っている。
刀を握る理由が無くなって、夜に駆け回る必要が無くなってからだ。
これによく似た話を知っている。
戦争に行き、生き残って帰ってきた兵士たちのその後の話だ。
所謂、PTSD。
専門的に何かを私が出来るでも無し、知識としてこういった単語を、私はただ知っている。
それだけ。
それが酷くもどかしい。

「実弥さん、嫌なことは、忘れちゃいましょう。嬉しかったことと、幸せだったこと、あとちょっとの後悔だけ残して忘れちゃいましょう」

両手を広げて実弥さんを見ると、一つ瞬きをしてから立ち上がって私の前に腰を下ろす。
それから私を抱きしめてくれるか、手に指を絡めてくるか。
それからはとてつもなく激しくだったり、馬鹿みたいに気持ち良さだけを求めてゆっくりだったり。
日によってそこだけは違うけれど、ともに夜を過ごすのだ。
後片付けも全部全部ほったらかして、最後の最後に私の首筋を何度も撫でて、実弥さんがほんの少しの弱音を吐き始めるまで、もしくはほんの少しだけの過去を語りはじめるまで。
何度も何度もイって、二人で絡まってぎゅうぎゅう抱きしめあって、二人で眠るには小さなシングルサイズの布団で遅い日には、朝方になってから眠る。

これが私が実弥さんに触れる理由で、触れられる理由。ここにいることのできる大義名分だ、と思う。
実弥さんは、欲に負けたようにこの時だけは甘えてくれる。
それが可愛くて、可愛くて仕方がない。
そんな素振りは普段一ミリも見せることも無いのに。

「お前に、触れたくて仕方なかったァ、」

と、そう、初めてした日の夜に言われてからだ。
実弥さんは、少しずつ、すこしずつ昔の話を零していく。

父親が、母親と重なっているのを見た日の事。
父親が母親に手を上げていた事。
父親が子供に手を上げていた事。
父親が嫌いだった事。
父親が、死んだ日の事。
母親がいなくなってしまったこと。
「自分も、父親のようになるんじゃねぇか、と思う」
そう言った実弥さんの目は、ずっと静かで無表情に見えるのに、どこか今にも泣きだしそうな。
そんな。

「実弥さん、今日、後でお墓参りに行きましょうよ」

朝になったら、もしくは起きたら、私は決まってそう言う。
実弥さんは、薄く笑って

「今日は何を供えるんだァ」

仕方ねぇなァとでも言うように頷いてくれる。
そろそろ鬼殺隊関係の来客も少なくなってきたことだし、すぐ近くに住処を移そうか。と話をしながら店でお昼のご飯を食べて、近くの和菓子のお店で団子をいくつか買って、鬼殺隊の共同墓地へ向かう。
ついこの間、アガツマ君たちも来ていて実弥さんが顔をずっとしかめていたけれど私はその顔が照れだとかちょっとした嬉しい事だったりとか、なにせ感情の動きを隠すものだと知っている。
そんな表情ですら見れることを嬉しいと思うのはおかしい事だろうか。

兎に角、私は平和になった日常を実弥さんと生きていけることが結局のところ喜ばしい。
少しばかり大変なこともあるけれど、実弥さんが笑ってくれて、本当に稀にその大きな目が優しく伏せられて、はらはらと涙をこぼすのを見るのも、夜になると甘えたように肩口に顔を埋めてくるのも、可愛らしくて仕方がない。
こんな世界に私は来てしまって、死んでいるのか生きているのか、いや、死んでいるのだけれど、とにかく思うところはあるし、生きていくのがとんでもなく大変な時代で辛いこともそれなりにあるけれど、実弥さんに出会えたから帳消しだ、と思えるくらいには彼が好きだ。
大切だ。
大事だ。


時にはだらしなく真昼間から絡まって、たくさんキスをして、実弥さんは時折天井に向けて刀を刺して「宇髄!!!」と怒鳴ったりして。
ケラケラ笑いながら現れる宇髄さんに私はお茶を運んだりしながら、日々を過ごす。

多分宇髄さんは宇髄さんなりに、私を気にかけてくれていたんだと思う。
実弥さんが、一人になりたがるのを察していたのかもしれない。


それが始まったのは、二年程経った頃からだろうか。
実弥さんは夜になると私にまた出て行けと言うようになるのだ。
頑として私は聞かなかったけれど、その度に悔しそうに顔を歪める実弥さんを見るのがつらかった。
見合いの話しをされたときには、流石に泣いた。
力になれないもどかしさにも、相談も、悩みを打ち明けてすら貰えない不甲斐なさにも、隠れて泣いた。

「勃たねぇ」

そう言われた日を今でも覚えている。
正直に話そう。
面倒に思ったことの方が多かった。
結局、引っ越すことも無く広い屋敷に住んでいたものだから、掃除だって大変だし、時代から考えて当たり前の事なんだろうけれど、実弥さんは家事を殆どすることは無い。
まあ、おじいちゃんもそうだったから、そんなものだろうけど。そのうち体力的なものだろう。ひどく疲れやすくなっていって、逆にこちらが気を使ってしまうくらいだ。
それは良い、それはそれだ。
子供が出来ないことを、実弥さんは気にしている節もあった。

「何で出来ねぇんだろうなァ」

最初の年にあっけらかんと聞いてきたことがあった。
つくろうと思っていた事にも、実はこっそり驚いた。
病院に行ったところでわからないのだろうけど、もしかすると私は不妊なのかもしれない、もしかすると、実弥さんのほうかな?などと考えたことは何度もあった。
考え込んだ私を見て、実弥さんはそれ以降言う事は無かった。
けれど、実弥さんが勃たない、と言い始めてから話は変わる。
多分、多分だけれど、私との子供が欲しかったんだろう。
そうだと、嬉しいかも知れない。
「普通に」「普通の幸せ」その言葉をよく口にした。特に、過去の話をしているときに。
実弥さんは私に、何かを遺したいと考えていたのか、それとも本能的なものか。冨岡さんに子供が出きたと報告をうけた日だ。

「めでてぇなァ」

そう言った背中が寂しそうだったのも、腕を組んだきり、私に向けて両腕を広げてくれなかったのも、私を攻めているようだと思った。
でも私も思うのだ。
もしかすると、私が普通でないからだろうか。
私が、異常だからだろうか。
普段自分の体のことなんて思い出すことも無いのに、実弥さんのこういう姿を見ると思い出す。
だから、実弥さんは本当は私と一緒に居ない方が良かったんじゃないだろうか。
きっと、普通の女性と結婚すれば出来ていただろう。
私でなければ、出来ていたんだろう。

「ちいせぇガキ遺して行くなんざァ、俺はしたくねェ」

いつか、そう寝ぼけ眼で言ったくせに、「ガキも出来ねぇどころか、お前と枕も交わしてやれねェ」そう憤る。
一度、実弥さんの前で一人でしろと言われたこともあった。
一切触れてもくれず、ただ見ている。

「一人でも気持ち良くなれンだなァ」

その一言にあまりにもカチンときて、私だって実弥さんとしたいと怒鳴ってしまって、喧嘩になった。
全部全部投げ出したくなって、飛び出していったのは、多分その時が最初で最後だった。
実弥さんはずっと探し回ってくれたみたいで、着崩れた着流しに素足で近くの山の、木の足元にに背中を預けて座り込む私を見つけた。
彼の第一声は怒鳴り声だった。

「死にてェのかお前はァ!!!」
「どうせ、死ねないよ!だからきっと実弥さんの子供も出来なかったんだよ!!私が原因だよ!」

実弥さんは、そんなボロボロのいで立ちで私を抱え上げて、

「出ていくなら世話くらいさせろォ、挨拶くれぇはしてけェ」
「出て行かないもん、ちゃんと、帰る」

ぎゅうと抱きしめてくれた。
ずっと触れていなかったから思っていた以上の熱に少し驚いたことは今でもありありと思い出せる。

面倒に思ったことの方が多かった。
正直、いつ死ぬ、その期限があったから耐えられたところが大きい。そう思わなくもない。
綺麗ごと抜きに言うと、そうだ。
最後の数か月、実弥さんは殆ど立てなくて、お手洗いは自力で行くと言いはってそれでも私の介添えなしにはたどり着けないものだから、部屋もお手洗いの一番近くに当たるところに移したくらいだった。
見た目も、気持ちも勿論年齢も若いから「悔しい」「恥ずかしい」「辛い」そう思う気持ちはひとしおだったのだと思う。
ぼう、とすることが増えて行って、私の知らない名前を時々差囁くようにもなっていった。
女の人だったり、男の人の名前だったり。
私を見てくれることが、なくなっていく。
私は幼稚で、無知で、結局何もわかっていなかった。
最後に立ち会うって、きっとこういう事だった。
結婚とか、ずっと一緒って、こういう事だった。看取るって、こういう事だった。
彼の口から私の名前が紡がれることも、無くなっていく。
それでも、夢うつつのぼんやりした世界でとびきり優しく笑う実弥さんが、そこには居て「ああ、やっぱり好きだなぁ」って、それでもそう思えた。
本当に、本当に時折。思い出したかのように私の名前を呼んでくれる実弥さんの声が大好きだった。
実弥さんの、カサついた大きな暖かい手が大好きだった。
面倒に思うほうが多かった。
辛いと思ったことの方が、いっそ多かった。
それでも、実弥さんと過ごした日々を思えば、なんてことは無かったんだ。
実弥さんと歩んだ毎日を思えば、立っていられたんだ。



実弥さんがこの世界からいなくなって、実弥さんだった頭一つ分くらいの箱が私に手渡された。
気がついた時には目の前に、実弥さんよりずっと大きな手があった。
宇髄さんだ。
やっぱりこれがわかっていたから、彼は積極的に私に関わろうとしていてくれたんだろう。
私は喪主を務めていないと、思う。記憶がない。したのかもしれないし、していないのかも、しれない。でも、アガツマ君とか、カマド君たちが居たから、もしかしなくとも、彼らがしてくれたんじゃないだろうか。
わからないけれど。
そうであっても、そうで無くとも、お礼をしなくては。みんなに。
そう思うのに、目の前の箱を眺めていると私はそこから動けなくなる。
毎日、見よう見真似で刀の手入れを私が変わりにやって、実弥さんの入った箱の横に転がって、実弥さんがいつか歌っていたわらべ歌を口ずさむ。
二人で過ごした寝室には、常に二組の布団が敷かれている。
いつもそうして敷いてしまうけれど、そこに転ぶことはない。
一人だと、痛感してしまいそうで怖いのだ。

そのうち、産屋敷の使いだという人が来て、実弥さんの入った箱と烏と刀を回収すると言った。
それだけは取り上げないでと蹲って縋って、何度も畳に頭を擦り付けた。
その日は、帰ってくれたけれど、後日また来るのだという。
実弥さんの入った箱は、弟さんの居る共同墓地か彼の実家のお墓に入れるらしい。
一度連れて行って貰ったことがある。
なんて事のない、アパート。長屋と言うのだろうか。それが立ち並ぶ一角に立ち止まって、「ここに、お袋と弟妹と住んでたァ」そう眩しそうに眼を細めていた実弥さんの顔が、だんだんと記憶の中でも薄れていく。
そこからそう、離れていないところに、不死川家の墓があるのだ。と、言っていたように思う。
暫く考えた、と思う。
共同墓地にしたら、弟さんが一人じゃなくなるから「いいなァ」とまたあの優しい顔で笑うんじゃないだろうか。
そこまで考えて、『共同墓地に入れてください』と適当な紙に書いて、机に文鎮で飛ばないように対策をして置いておく。
箪笥に入れてある実弥さんの服やら着物、実弥さんあての手紙を適当に用意した籠に入れていく。
きっと、此処を出ることになるだろうから、その準備をしたい。と、考えたからだ。持っていきたいと思う。
箪笥の一番上の引き出しを引き抜いて床に置いて中を見ると、なにかを包む真っ白な、大ぶりのハンカチ。手ぬぐい、と言ったほうが良いのかもしれない。
くるくると解いていくと、赤いものだったり、藍色のモチーフのものだったり、銀色のものだったり木目が綺麗なものだったり。たくさんの櫛と簪。それから、指輪。
いつか、実弥さんに左手の薬指に指輪を着けるという話をしたことを覚えている。
街を歩く女性の指には指輪は無い。だから、この時代にはまだ一般的でないんだろう、と理解していた。
でもそれが、此処にはある。
長く暮らすにつれて、櫛や簪を送る意味だって知った。
この数の分だけ、私にプロポーズをしようとしていたんだと、私は理解して良いんだろうか。
そう思っても、いいのだろうか。
なんてことだ。
なんてこと。
そうだとしたら、最期の言葉なんて、聞けなくて正解だった。
だって、言葉じゃこんなに伝わらない。
きっとこんなに、実感できなかった。
実弥さんは、ちゃんと私を好きでいてくれた。
好きだと、告げてくれた事などほとんどなかった。
それでも、実弥さんはきっと、私を好きでいてくれていた。
一度だけ、交わした時に、同じ盃で飲んだお酒を思い出して、あれはもしかしなくても、三三九度ってやつだったのかな?なんて。
あの大きな盃を傾けた事を思い出す。
ぼろぼろと溢れるものが止まらなかった。実弥さんが居なくなってから仕事をしなくなった涙腺が、ようやっと役目を果たした。
涙が止まらなくて、泣いてる度に

「泣いてんじゃねぇよォ」

そう困った顔で、無骨な指で優しく目元をぬぐってくれる実弥さんを探してしまう。

「おいてかないで」

「うめェ」と言って、器用に右手で煮物を突く実弥さんを、探してしまう。

「ひとりにしないで」

「どんくせぇ」って笑って、洗濯ものを一緒に干した実弥さんが、ここに居ない。

「いっしょに、いて……」

カァカァと烏が大きな音で鳴く中で、指輪をつけた。
それから、実弥さんのお骨を抱え込んで実弥さんの刀を抜いて、その先端を心臓の位置に当てる。
壁と畳に柄を押し当てて、実弥さんの入った箱を抱えながら体重をかけていく。実弥さんの所に行ければいい、実弥さんが、連れて行ってくれるなら、これ以上に嬉しい事は無い。
そんなつもりなんて無かったのに、どうしようもなく会いたくなってしまった。今、会いたい。どうしようもなく、会いたい。
まるで靄がかかったように、夢の中のように不鮮明な世界なのに痛みだけが強烈に走っていたのを覚えている。






ずきずきとした痛みに目を開くと、うすぼんやりとした赤い陽が差し込んでいる。
ぐるりとあたりを見渡しても見えるのは、そこかしこにある竹ばかり。どうやらここは竹林らしい。
足元には実弥さんのむき出しの刀が、しっかりと血を纏って転がっている。

「は、?」

私は、先ほどまで風柱の邸宅に居たはずで、死ねて消えれればいいのにとちょっとだけの希望を込めて、これで刺したはずだ。
唐突に肩を強く引かれてバランスを崩した。

「わ!!」
「その刀、……鬼殺隊の者か、こんなところで、何をしている」

どこか緊張を孕んでかけられた低い声が反響している。
ジジジとどこか遠くでセミが鳴いている音も聞こえた。

「あ、の……縁者、です」
「そんなものをむき身で持って、どこへ行く」

真っ赤な天狗のお面が不気味に影を落とす。

「私、家に居たはずで……あの、ここは?ここは、どこですか」

暫く考えるそぶりを見せてから、その男は「こい」と声を落とし、走り出す。
あまりの速度に、早くも見失ってしまった。

「は?ぁ、ちょっと、待って……!!」
「……お前は、……トロいな、」
「あひゃ!!!」

フッとまた隣に現れた。戻ってきた、と言う事なのだろうけれど、あまりの事に、飛び上がって変な声が出た。
いや、あんたが速いんだわ、とかなんとか、どこかハッキリとしない頭で突っ込みながら、歩いてくれる事にしたらしい男に、なんとかかんとか着いて行く。
歩くのすら速い。下手をせずとも私よりも倍以上の歳は重ねているだろうに、と背中を冷や汗が流れた。

私は、ただ実弥さんに会いたいと願っただけなのに、何がどうしたというのだ。



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