小説 | ナノ

 屋敷に居る患者の看護をすることを条件に、暫く居させてもらえることとなった。
 不死川さんに先日告げた通り、包帯などの交換も兼ねて、私は不死川さんの病室を訪れる。
 先に、先日は不死川さんの隣で眠っていた男性の包帯を交換していく事にした。
病室に会話はなく、驚くほどに静かだ。
窓も閉まっているのに外で騒いでいる声と、それを𠮟りつける声がこちらまでかすかに響いてくる。
シュルシュルと、包帯を解く音が、やけに大きく感じる。その男性は、腕が無い。右側の上腕ど真ん中あたりからブツンと途切れたそれだ。
こちらに来てからたくさん見た。
きっと、凄く痛いだろう。
今まであったものが突如として無くなる。
それって、どんな気持ちなんだろう。
私は歯を食いしばる。
考えたところで、想像もできない。

「終わりました」

男はこくんと頷いて、私が背中に腕を回すと抗うことなくまたベッドに体を横たえた。
何かを言いたげにすぐ隣のベッドからこちらを見ている不死川さんと視線が絡んだ。

「失礼しますね」

先ほどの男性にしたのと全く同じように、抱き起すように少しだけ介助をしながら軽くだけ起き上がってもらい、背中に枕を軽く差し込んでから一言も話すことなく静かに包帯を解いていく。腹回りの包帯を解き、その傷の大きさに思わず手を止めた。
 急いで処置をしたのがわかるそれは、お世辞にも丁寧に縫合されているとは言えない。
かと言って私は縫い直すことも出来ない。ちら、と不死川さんの顔を見るとまた視線が絡む。それでもお互いに何も言うことはなかった。
私は何も言えずに矢張り静かに手だけを動かした。
消毒液をかけて、ガーゼを宛がい、また包帯を巻いていく。
次に右の腕を取り、指の欠けてしまった手の包帯も解いていく。
その間も、彼の顔を覗くたびに視線が絡む。

「っ、……」

ガーゼを外そうとして、不死川さんの顔が少しばかりしかめられたのがわかった。

「ぁ、痛かったですか、ごめんなさ、」
「いや、問題ねぇ」

顔が見られないようにか、彼は顔を私の居るのとは反対に反らしてしまい、その日はそれから、もう視線が絡むことはなかった。
なにも言う事も、言われることも無かった。

 それを何日か繰り返し、一週間程経った頃だった。

「名字さん、隠の嗣永秋さんが訪ねてこられてます。」

なほちゃんにかけられた言葉を全部聞き終わる前に、私は屋敷の玄関まで走った。
静かにしなくてはいけないのに、真っ白な壁を、普通の家に比べて遥かに大きな窓を何度も見送る。
たくさんの患者を手当てしたときは、屋敷を狭いと嘆いたのに、今はこの広さがもどかしい。
辿り着いたそこに立っていた秋さんは、きゅう、と口角を上げて、両の腕を広げていっそ懐かしく感じるほどの声で呼ぶ。私の名前を呼ぶ。

「名前」
「あ、きさん!秋さん!!」

そんな包容力たっぷりの秋さんに甘えてぎゅうと抱きついた。
私よりも頭半分近く小さな秋さん。私よりも、小さいのに私よりもうんと力強い腕が、同じ様にぎゅうと抱きしめ返してくれる。

「帰りました。帰ったわ、名前!」
「おがえり、なざい!!」

鼻がじゅるじゅると出てくるのが酷く面倒でうざったい。
秋さんの服を、汚してしまうかも知れない。
でも、そうしたら「きったない!!もう!仕方ないわね!」って、また叱って欲しい。
しばらくそうしてぎゅうぎゅうとしていると、背中をポンポンと軽くたたく秋さんが

「少し、お茶でもしに行きましょうか」

って、いつかみたいに微笑んだ。




「え、ええ!!!」
「静かに!」
「ご、ごめんなさい」

連れてこられた料理屋は、半個室になっていて、既に運ばれている食事が食べてくれと湯気を上げている。
秋さんの隣には先日私が怒鳴るように秋さんを託した男の人。向かいに座った私はあまりの知らせに大きな声を上げてしまった口をパシンと慌てて両手で塞ぐ。

「え、いつ?いつ結婚するの??!」

後藤と名乗った男は、秋さんにあの後ずっと添い続け、見舞いに幾度となく来て、秋さんが病院で問題ない、と太鼓判を押されてすぐに、秋さんはプロポーズを受けたらしい。それまでにあの日から何度もプロポーズを繰り返したらしい後藤さん。それに、秋さんの根負けという形で結婚がきまったそうだ。
素敵、素敵と喜ぶ私を尻目に、二人は少しだけ顔を見合わせて口を開く。

「それなんだけど、私は暫く名前と風柱様の屋敷に居ようと思うの」
「……は、え?」

秋さんの言葉に目を丸々と見開いてしまう。なんだか申し訳なくなって、男性の方を見ると印象的な垂れ目がきゅ、と細まった。

「こいつ、言いだしたら聞かねぇでしょ」
「だ、めだよ!秋さん!!!わ、たしの為だったらやめてよ、……」

眉間に皺が寄るのがわかる。
そんな私を優しい顔で笑いながら、こちらに身を乗り出した秋さんは、少しばかりかさついた指を使って私の眉間の皺を伸ばそうと痛いくらいにぐりぐりと押さえつけてくる。

「不死川さんが戻ってくるまででいいの。名前を一人にしたくないのよ。」

離れていく秋さんの指が抑えていた場所がひんやりとしていく感覚がする。

「あなた、もう、私の家族だもの。一人になんて出来ないわ。さ、食べましょ、冷めちゃった」
「イタダキマス」

秋さんの横で手を合わせた後藤さんは、その薄い唇でずるずると運ばれていた温かいものだった蕎麦を啜り始めた。
それに倣って、私もいただきます、と手を合わせたのに唇が震えて上手く声が出ない。

「ふ、……ぅ、え、……」

涙を啜っているのか、私の前に運ばれている味噌汁を啜っているのかもうわからなくなってしまう。
ずっとずっとあった胸のしこりがまるで水に放り込んだ氷が溶けていくかのように溶けて小さく小さくなっていくようだ。
料理の味なんて、全く分からなくなってしまった。
ぐいぐいと口に押し込んで租借しながら、汚くずびずびと鼻を鳴らしてしまって、それを優し気に見てくる秋さんに、

「見ないで」

と言う事で私は精一杯だった。
秋さんと後藤さんに、蝶屋敷まで送ってもらってしまい、何度も頭を下げる。

「また名前の準備が整い次第迎えに来るわね」

秋さんは笑っている。
今までよりもずっと、ずっと綺麗な笑顔で笑っていて、てっぺんまで登った太陽の光が、まだ寒い風が吹くそこを暖めていた。




その二日後。
蝶屋敷も落ち着きを取り戻し始めたらしく私は不死川さんの邸宅に帰ることにした。
 不死川さんにはどうしても言い出せなくて、彼の病室の前で立ち止まっては、通り過ぎる。まるでストーカーか何かのようだ、なんて。
蝶屋敷の患者もだいぶ減り、不死川さんとその隣に居た男性はきょうから別室になって、その宛てがわれた個室で不死川さんの手当てをいつものようにし始めた時。
これまで、あの日以来沈黙を貫いていた不死川さんが口を開いた。

「なァ、もう、こんなこともしなくて良い」

私はむぅ、と口を尖らせる。

「私が触ったら怪我が悪化でもしますか。」
「そうじゃねぇ」
「そんなに私の顔も見たくないですか。」
「……」
「私が、化け物だから?」

不死川さんの腹の包帯を巻き終えて、顔を上げると酷くしかめられた顔が目につく。

「そう、じゃねぇ」
「それが理由じゃないなら聞きません。……あとは怪我が治ってから、不死川さんのお家で聞いても良いですか!」
「……」
「今は休んでください、お家は任せてもらって大丈夫ですよ!」
「……」
「出て行けって言うなら、その時に聞きます。……お帰りなさいくらい、言わせてください」

お願いします。そう頭を下げた。
不死川さんはぎゅ、と眉をしかめ、

「もう何度も言ってんだろがァ」

そう凄みながら、なおも頭を下げる私を見てため息を溢し、好きにしろ、と言った。

「ありがとうございます。もう少しだけ、よろしくお願いします。」

頭を下げ、包帯の交換を終えてから私は不死川さんの屋敷まで秋さんと戻った。





不死川さんの屋敷は、たったの10日程しか空けていなかったのに、埃が積もって、蜘蛛の巣まで張っている。

「腕が鳴るわね」
「はい!」

荷物を片付ける間も惜しく一先ずはと箒と雑巾をとり二人で順番に片付けていく。

「不死川さんに、出て行けって話を、されてるんです」

私の言葉に、秋さんは手を止めてこちらを見る。

「……何か、理由があるわ。あの人、絶対名前を好きだもの」
「そ、う……かな」
「でなきゃ、あんな顔も、あんなことも、する人じゃないわ風柱様は」

秋さんの言う「あんな顔、あんなこと」はどういうものの事か判断に困るけれど、それでも『理由』は思い至るものがあった。
きっと、宇髄さんの話していた事だ。
それから、不死川さんに『好きだ』と言われたことなどただの一度もないけれど、彼の行動から、全く好意を感じることは無かったと言えば嘘になる。
それが、ただの優しさだ、と言われればそれ迄だけれど。
不死川さんとの思い出が、この間からずっと頭の中を廻っているのだ。
不死川さんが、外に初めて連れて行ってくれた時。
ご飯に連れてってくれた日の事も。
髪がギシギシすると呟いていたら、ぶっきらぼうに渡してくれた椿油の瓶。今だって大事にとってある。もう何本目か、わからない。
独特の、でも、少しだけ甘い匂いがするんだ。
悲鳴嶼さんの屋敷から一緒に出掛けた日。
一緒に食べたお団子が、美味しかった。
背中が、すごくすごく、大きかった。
秋さんもいない二人だけの屋敷で、絡んだ視線を私は今だって外せないんだろう。
ずっとあの目を、覚えている。
数えきれないくらいにある思い出を、私は一つとして忘れていない。
だからもしかしたら、もしかしたら本当に、私に「出ていけ」というのはぶっきらぼうで、少し不器用な不死川さんの最後の優しさのつもりなのかもしれない。
けれど、もしそうなのだとしたら、本当にそうなのだとしたら、

「諦めたくない、私、……やっぱり不死川さんが好き」
「知ってるわよ」

馬鹿ね、と真顔で返してきた秋さんに、速く掃除をしろと急かされながら私は強く願う。
私のためだというのなら、一緒にいてほしい。
せめて看取らせて欲しい。
ずっと、隣にいてほしい。


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