小説 | ナノ

 宇髄さんの話が衝撃的過ぎて、私の口から漏れ出たのはかすかな吐息と「え、」という間抜けな音であった。
酷い話だ。
全く、酷い話じゃないか。
彼は、彼らは、昨日死の淵をさ迷って、這う這うの体で、この世界に帰ってきたらしいじゃないか。
やっと、誰を恨むこともなく生きていける世界になった、というのに。
やっと、「風呂」「飯」「寝る」それだけの生活では無くなれるはずなのに。
彼は、そう遠くない未来。
片手で足りるほどの先の未来で、死んでしまうそうではないか。
そして彼は、不死川さんはそれを知っていた訳だ。それを承知でああやって訓練をしていた訳だ。
不死川さんが何かを言いたげに私を見ていた目を思い出す。

 吹いている風をものともせず、じ、とこちらを見据えていた宇髄さんの真っ赤な眼がゆらゆらと揺れている。

「それで、……行かねぇんだな」

宇髄さんの声にハッとして顔を上げる。
そういった、諸々を踏まえて、と言う事だろうか。

「宇髄さん、……、やっぱり私、会いたいです。……会わなきゃ……」

そんな事を知ってしまったら、一時も、命を無駄に出来ない。
不死川さんの時間を奪えない。
もう、どうすれば良いのか、わからない。
助けてほしい。
不死川さんなら、なんて言うんだろう。
どうするんだろう。
宇髄さんの鋭い目と絡んだ視線を、今すぐに外したい。
でも、私が考えなくちゃいけない。
ちゃんと、どうするべきなのか、どうしたいのか。
私が決めていかなくちゃ、いけない。
どうしてだかわからないけれど、今の宇髄さんは、初めて会った時の宇髄さんに見えた。
とても怖かった。

「なら、行くぞ」

今度は、目隠しをされるでもなく抱え上げられた。
ビュンビュンと過ぎていく景色を眺める余裕もない。
風の抵抗が凄くて、息もままならない。

「宇髄さん!!!隠の、嗣永さんは、嗣永秋さんは無事ですか!!」
「口閉じとけ、舌ぁ噛むぞ」

でも、とか何とか言いかけたところで、本当に口の中で血の味が広がって鈍い感覚が舌に走ったと思うとビリビリと痛み始めてようやっと、舌を噛んだことに思い至る。

「言ったろうが」

吐き捨てるように言われるものの、少しばかり笑っているのか、声がかすかにふるえている。
酷い、とこっそりと心の奥で毒づきながらも、自業自得の現状に涙をのんだ。



 辿り着いた屋敷はいつか鬼に殺されかけた、否、殺された後に運ばれた建物で、それでもあの日より遥かに多い人と、屋敷の外に並べ転がされた恐らく、息を引き取った人たちの姿に息をのむ。

「ひ、」

小さく漏れる音を何とか両手で口を抑えて押し込めた。
鉄のような匂いが酷く鼻に着く。
うめき声がどこからともなく聞こえてくる。
屋敷の、建物の中に宇髄さんに担ぎ込まれて、それらを私はじぃ、と見ることしかできない。

「……あ、の、……私!何かお手伝いは出来るでしょうか」

考えるでもなく、口から零れるのは拙い申し出だ。
私を下ろしながら宇髄さんは言う。

「ド素人が下手に手ぇ出しても邪魔にしかなんねぇよ」
「外科的な手術などはできませんけれど、看護は学んでいる所でしたので!!あ、えと、簡単な手当てくらいなら私も!少しは、……少しは役に立てると思うんです!」

大学で、看護学部に入っていてよかった、と今日ほど思ったことは無い。
けれど、こんな、こんなに戦場のような所は経験などしたことも無い。
こんなとんでもない怪我ばかりの人たちを前に、立ちすくみそうにもなる。
こんな怪我の処置なんて、したこと無い。
こんなに沢山の人をみたことなんて無い。
けれど、不死川さんと秋さんの、ではない。
そうではなくて、初めて、この世界で私がきちんと役に立てる、かも知れない。
そう思った。
初めて、きちんと誰かの役に立てるのかも、知れない。

「不死川には、」
「……宇髄さんは、不死川さんが生きている、無事だと、言ってくれました。
なら、……なら、私はこちらを優先したいです。しなくちゃ……」

ふう、と軽く肩をすくめながら、宇髄さんは笑った。

「行ってこい」

近くを走っていた看護衣のようなものを纏った、私よりも遥かに幼い女の子に声をかけ、手伝いを申し出る。

「こ、こちらに!!」

案内された先には、怪我人がひしめき合っている。
あまりの状況に絶句する。

「優先度の高い方はどの方ですか」
「え、えと、……奥の方から順に診てます!」
「……」

女の子の言葉に愕然としながらあたりをぐるりと見渡す。
トリアージも、ろくにされていない。

「あ、の、緊急性が高い方は、一先ず処置をして別室に居ます」

そう、彼女は言うものの、この部屋には四肢の欠損がある人すらいる。
これで緊急性が高くないの……!?
ぐ、と唇を噛んでから少女に向き直る。

「私は名字名前です。今から私が言うことを、少し手伝ってくださいませんか!」
「はい!」

頷いた少女は「なほ」と名乗り、素直に私の言葉通りに動いてくれる。

 全ての処置を終える頃には、一度陽が落ちて、また朝日が昇り始めていた。

「本当に、ありがとうございました!」

いつの間にか、なほちゃんだけではなく、似たような年頃の少女が二人プラスされていて、私の両手を三人でぎゅうぎゅうと握ってくれた。

「あ、えと、……ちょっとでも、役に立てたのなら、良かった、です」
「「きゃぁ!!」」

そう、へら、と笑うと、今更恐怖に腰が負けて、へたり込んでしまった。
なほちゃんたちは、なんとか私を支えようとしてくれる。
それでも私を支えきれなかったようで、私の脚は地面に張り付いた。
申し訳なくなりながら、小さくごめんねと謝罪をする。

辿り着いたときには、亡くなっていた方もいた。
目の前で、意識を失った人もいたのだ。
二人も。
そのうち一人は、もうどうしようもなかった。
どうにも、出来なかった。
寧ろ、二人だけで済んでよかったのかも知れない。
目の前で、医者も居ないのに、彼らは心臓を止めたのだ。
私の出る幕ではもう、ないのだろう。
そう思ったから、「心臓が、動いてません!!」なほちゃんがそう、叫んだときに、更にもう一人を、私は諦めようとした。
その顔にかかった黒い布をめくって、気が付いたら私は人工呼吸をして、心臓マッサージを施し、起きて、起きてと喚き散らしていた。
秋さんだった。
秋さんは、擦過傷こそあちらこちらとあったものの、大きな傷に見える傷はない。
なほちゃんに、怪我の状況を聞き、書いてもらっていた紙を握りしめた秋さんの手を、ちらりと見る。
『がれきに押し潰されていた』
頭の中で、嫌な言葉が過る。
医者じゃない。
だから、判らない。
判断を下せない。その知識もない。
でも、何度も聞いた言葉が頭を巡った。
漫画の題材にもなったし、映画の題材にもなっているそれだ。
慌てて首を固定して、秋さん、秋さん、そう何度も何度も叫んで、馬乗りになって心臓を押して、人工呼吸をした。
秋さんが、意識を取り戻した時にはその、こっそりと彼女が気にしていたささやかな胸に縋りついてわんわん泣いた。
それから、体中あちらこちらと腫れている所がないかを探して、頭部を髪の毛をかき回しながら見て何も見当たらなくて人知れず安心してまたわんわん泣いた。
他の患者に心配すらされながら、何とか皆の処置を終えたのだ。

後藤、と名乗る男性が様子を見に来て、

「あ、悪い、隠の嗣永秋いるか」
「知り合いなんですね!安心しました、彼女を今すぐ揺らさないように病院に連れて行ってください!今すぐです!!」

怒鳴りつけるように依頼して、秋さんを託した。
一息付けた今は、彼に謝らなければ、とこっそり思うのだ。


 腰がようやっとまともに立つようになったから、私を抱え上げ、ベッドへ腰かけさせてくれた男性に頭を下げた。
それからその病室を出る事にする。
さらっさらの前髪がとても印象的な優し気な、男性だった。

 なほちゃんに案内してもらい、辿り着いた病室の前で、深呼吸をする。

「あけて、良いですか?あ、その前に、音柱様から伝言です『俺は帰る、素直に言いたいことを伝えやがれ。相手の気持ちなんざわかるもんじゃねえんだから、無駄な事考えてんじゃねぇ』だそうです。」
「……はい。わかりました。……ありがとう」
「あの、本当に助かりました。ありがとうございます」

頭を下げるなほちゃんをなだめすかし、また一つ息を吐いて扉を軽くノックする。
返事は帰ってこなくて、そう、と扉を開けるとそよそよと大きな窓から風が吹き抜けた。
未だ肌寒い季節なのに、と冷える体をきゅ、と抱きしめてから、4つあるベッドから膨らみを探しそ、と顔を覗き込む。
違う。
こちらは、ともう一台のベッドを覗き込む。
居た。
不死川さんはドアから入って一番左の端。
顔にまでぐるぐると巻き付けられた包帯が痛々しい。
寝相のせいか、少しだけ出ていた背中を、私は布団を引っ張って隠す。
ベッドサイドの物置に置かれた吸い飲みには、十分な水が入っている。
不死川さんの真っ白な側頭部が包帯のせいでもっと真っ白に見える。
それを私は立ったまま見下ろす。

ああ、生きている。
息をして、眠っている。
そ、と手を伸ばして包帯がたっぷりと巻かれている顔に触れる。
温かい。
そこでようやっと、不死川さんが生きている事を実感してぼろぼろと涙が零れた。
昨日から、私の涙腺はとことん壊れてしまっているらしい。
びっくりするくらいに止まらない涙を、何度となく着物の袖口に吸い込ませていくうちに、トン、と太腿に何かが当たる感覚がして、そこからゆっくりと視線を滑らせていく。

「……に、泣いて、だァ」
「あ、……っ、」

不死川さんから漏れ出た掠れた音に弾かれたように不死川さんと視線をからませた。
しなずがわさん、声になっていない程に小さな音が私の口から洩れる。
太腿に当たった彼の右手を、離したくなくて握ろうとして添えた手の感触で、指がたくさん無い事に気が付いてしまう。
不死川さんの、指が、ない。
そうすると、止まりかけていた涙がまたぶわ、と溢れてしまって、ひくひくと喉まで鳴りだしてしまう。
此処には、他の患者さんも居るのだから、静かにしなくちゃ、と彼に触れていない方の手で口元を抑えているのに、どうにも、しばらく静まりそうもない。
後で沢山謝ろう。
後で沢山叱られよう。
静かにしていなくてはいけないのに。

「い、きていてくれて、っ、ぁ、りがとう、ありがとう、ございまず、ぅ」
「……」

なかなかな音量になった声を出した私を、いつかバカだなと私に言った時の目で不死川さんは見ていた。



「お水、いりますか」

少し落ち着きを取り戻した私は、ようやっと不死川さんを気遣う声をかけられた。
彼は目を少しだけ伏せ、また開く。
yesと言う事だろうか、と理解して吸い飲みを持ち上げると彼が体を起こそうと腕を突っ張っている。
慌てて支えるけれど、出来れば寝ていたままで居て欲しいのに、と心配でたまらなくなる。
そ、と吸い飲みを差し出すと不死川さんは自分の指の足りない手でその吸い飲みを支えて流し込む。

「……」
「不死川さん、ころびますか?」
「いや、いい」

吸い飲みをぐい、と返され
私はゆっくり休んでほしくて声をかけるものの、失敗に終わってしまう。
不死川さんはぼう、とどこか遠くを見ながら、ぽつりと言葉を落としていく。
聞き逃さないよう、私は地べたに膝をついて膝立ちになり、不死川さんを見上げる格好をとる。

「お前は、これで自由だァ」

落とされた言葉に、私は息をのむ。
聞きたくなかった、私が一番怖かった言葉を、彼は今、紡ごうとしている。

「今まで、縛り付けて悪かった。……働けるところと、住むところくらいは、世話してやれる」
「その話は、今度にしましょう、今は休みましょうよ、不死川さん」

私の返答に、ぎゅ、と不死川さんの眉間に皺が寄る。

「俺が、帰るまでに出ろ」
「……や、です。……お帰りなさいって、言うんです。」

宇髄さんの言伝が脳裏に過る。
相手の事は、考えない。素直に、言いたいことを、言う。
その結果は、彼が考えてから決めてくれるから、私にできることはそれで全部。
だから今は、言いたいことを、言って良い。はずだ。
そうだ。きっと、それで良い。

「私、不死川さんに伝えたいことがたくさんあるんです。まだ恩も返せてないんです。私、不死川さんの傍に居たいんです!」
「……声がでけぇ」

聞こえてる、と少し不機嫌そうにそっぽを向いて言う不死川さんに、慌てて謝罪をした。

「今日は、もう出ます。何かいるものはありますか?明日、また来ます。」
「……要らねぇ」
「ころびますか?」

ち、と鋭い舌打ちを零す不死川さんはまた、「要らねぇ」と言って、私が不死川さんに添えた手から体を捻り逃れた。
それだけの事なのに、胸がつきつきと痛む。

「また、来ますね!」

極力明るく、それでも静かに言ってから病室を後にして、やってきたなほちゃん達に連れ出されるまでズリズリと病室の扉のすぐそばの廊下でへたり込んで、また涙をボロボロと零す事しか出来なかった。
こんなにも、私は無力だ。


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