小説 | ナノ

 あの日から、不死川さんは何があったかは話してくれないけれど、どうにもまた様子がおかしい。
秋さんに聞いてみても、

「あなたが知ることを喜ばれないと思うの。私も詳しくは知らないわ」

そう躱されてしまってはそれ以上聞くことは出来ない。
二週間程経ったろうか、という頃だろうか。

「不死川さん、遅いですねぇ」

食卓で、秋さんと隣に腰かけながらお味噌汁を啜っていた。

「そうね、まだ帰ってこられないのか、……っ!!!」

秋さんは唐突に真っ蒼になって私を突き飛ばす。
床に張られた畳だったものは、いつの間にか扉に代わっていて、すっと開いたその横開きの扉の中へ秋さんは吸い込まれるように落ちていってしまった。

「秋さん!!!」

突き飛ばされた格好から、腰が抜けて立てない。
それでも、行かなくては、と四つん這いになりながらのそのそと体を動かしていく。

「あ、秋さん、……秋さん!!」

手が、扉に触れる
その瞬間に
無情にも閉じてしまった。
何度瞬いても、そこは畳。
スリスリと畳をなぞるも、その扉はもう出てこない。

「あ、きさん……」

は、は、と息が漏れる。
何度も何度も息を吸っているのに苦しい。

「秋さん、どこ、ねぇ……秋さん!!」

これが普通でないことは一目瞭然。
(ヤバい、やばいやばい!!何かが起こってる、)
そう思うのに、どうしていいのかわからない。
これはもしかしなくても、「鬼」の仕業なのかもしれない。
いや、きっとそう。
どこかで、そう確信めいたものがあった。
恐怖から来ているのであろう震えを纏う体は言う事を一切利いてくれなくて、上手く立つことも、やはりできない。

何とか体を動かして這いつくばりながら台所まで行き、暗く、冷たいそこで鋭く研がれた包丁をぎゅう、と握りしめた。

怖い、なんてものではない。
体の震えは止まらないし、涙だって勝手に落ちていく。
甘えちゃだめだ、二人とも大変な目にあっているのはわかっている、
二人が生きて居る保証もない。
それでも、これまでずっと私を守ってくれていた!
だから、今度は自分くらい、自分で守れなくてはいけない!

不死川さんの、秋さんの生きてきた世界を、ほんの、ほんの少しだけ垣間見た気がする。

二人は私よりもずっと、ずぅっと強いから見える、見ている世界は違うのかもしれない。
それでも、私はこの世界で生きて居る。
不死川さんも秋さんも、生きている。
がたがた、ぶるぶると震える体を抱きしめながら、右の手に握った包丁だけは離すまい、とありったけの力で握りしめた。


 目を開くと、真っ暗だった台所には薄明かりが入ってきている。
もしかしなくても、夜は明けていた。
「鬼」は陽に当たれない、らしい。
秋さんの言葉を思い出して、体をゆっくり、ゆっくりと持ち上げていく。
 からからになった喉は張り付いているようで、酷く痛む。
膝を抱えて、そのままそこで、二人の帰りを待つ。
そうこうしていると、ドンドンと玄関扉を叩く音と、いつかお世話になった、須磨さんの声がする。

「名前さぁん!!おられますかぁ!!!」

慌てて玄関のカギを開けて扉を開くと、眩いばかりの太陽の光を背中に背負った須磨さんがボロボロと涙をこぼしながら笑う。

「終わりました!!終わりましたよぉ!!名前さぁん、」

もう私の顔もきっとボロボロだから、お相子だと須磨さんとぎゅうぎゅう抱き合った。

「良かったですね、良かったですねぇ!!!」

終わった、不死川さんの、秋さんは報われたのだ。
嬉しい。
胸が痛かった。
嗚咽は止まることもなく、ひっきりなしに口から溢れていく。
どうすれば良いのか、もうわからなかった。
痛いくらいに須磨さんと抱きしめ合って、須磨さんの肩口に頭を擦り付けた。

「もう、みんな……自由ですよぉ!」

須磨さんの言葉に、私ははた、と動きを止めた。
そうだ。
そうだ、そうだ。
私はもう殺されることは無くて、秋さんは私じゃなくて、自分の事を。自分の幸せだけを考える事が出来るようになって。

不死川さんは、私の事を考えなくても良くて。
だから、
だから、
私は、急速に理解した。
皆、私からも解放されるのか。

「……」
「どうしました?」
「あ、えと……」

喜ばしい筈なのに、さっき迄は嬉しくて、嬉しくて嬉しくて堪らなかったのに、どうしたらいいのかどう感じれば良いのか、わからなくなってしまう。

不死川さんの悲願は果たせた。
秋さんの親の仇は討てた。
鬼はいなくて、平和な日々がやってきた。
めでたしめでたし。

ここに、そこには、私は居なくて良い。
そうじゃない。
居る必要が無い。
ちがう。
不死川さんの事を、秋さんの考えたら、居てはいけないのだ。
彼らには、これから新しい人生が待っていて、これから幸せになるべきで、私と言う"鬼に渡ってはいけない存在"はただの化け物と変わるのだ。

「う、ううん!」
「連れてこいって、天元様に言われてるんです!!」
「あ、えと、よろしくお願いします!!」

須磨さんが手を引いてこちらです、と案内してくれる。
暫く歩いたり、走ったりを暫く繰り返し、私の息がもう尽きてしまいそう、平たく言うとつまり、くたばりそうになった頃。
ようやっと辿り着いた竹林で、着流しを纏った宇髄さんはそこに居た。
辺りはもうすっかり日も落ちかけていて、吹き付ける風が体の熱を奪っていく。

「おう、派手にボロッボロじゃねぇか」

カラカラと笑う宇髄さんを、随分と久しぶりに感じながらも、ぺこりと頭を下げた。

「お、久しぶり、です……」
「不死川、生きてるってよ。会わせてやれるが、どうする」

宇髄さんの言葉に、最後に見た不死川さんの姿を思い出す。
いつもと変わらない、少しばかり血走っている大きく開いた目をこちらに向けて、

「行ってくる」

そう言った。
いつも通りだったのだ。
だから、こんなにも早く、唐突に別れの時がやってくるだなんて、私は考えても居なかった。

自分が、こんなことばかり考えている、自分本位なだけの人間だったなんて、知らなかった。
知りたくなかった。

不死川さんに、「もう出ていけ」だなんて言われたら。
そう思うと、怖くてしかたがない。

「……会いたくないです、やっぱり……今は、会いたくない。」

私の言葉に宇髄さんは鋭い目を大きく見開いて、横でこちらを窺っていた須磨さんも、ただでさえ大きな目を落としそうな程に見開いた。

「え、どう、……どうしてですかぁ!?」
「わたし、……まだ、……不死川さんが帰ってくるまででも良いんです、あそこにいて待っていても良いですか?!
わたし、私、皆さんから、不死川さんと秋さんから、ちゃんと離れる覚悟が、全然、出来てないから、……今、出て行けって、言われたら……!!」

ごめんなさい、と何度も何度も謝った。
かぁ、かぁと烏が煩いくらいに鳴いている。
空はもうそろそろ暗んでいて大きなため息を吐いた宇髄さんの顔色はもう窺えなくなっていた。

「お前に、伝えておきてぇ事がある」

それでも宇髄さんの言葉がとても重たく落ちてきて、あまりにも静かにそう、告げたものだから、これから話されることはきっととんでもなく大きな、大切な話しなのであろうことを私は理解する。


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