小説 | ナノ

不死川実弥は焦っていた。
それは宇髄が告げた一言からもたらされていた。

「悪ぃが名字名前は明日付けでお前の元へ返す」

更に言うと、「はぁ?」開口一番に漏れたのはそんなくだらない音だった。

「いや、俺もいろいろ考えたんだが、悲鳴嶼さんの元に返すわけにもいかねぇし、甘露寺の所となると伊黒が派手にうぜぇ。
伊黒ン所になんかやってみろよ、あいつ餓死しかねねぇ。胡蝶の所は皆却下の上、時透はまだ任せられる状態でもねぇ。……お前、あそこに連れてこうもんなら俺の事刺しかねねぇしなぁ」

と肩を大袈裟にあげて鼻をフンと鳴らす宇髄に眩暈さえ覚える。

「……ンで今なんだァ」

思わず零れた音を聞き逃してくれるほど宇髄と言う男は優しくはない。

「まぁ、長期間嫁の居ねぇ俺の家で俺とアイツが二人でも構わねぇってんなら俺は派手に問題ねぇがな!!!」
「……わァった、」

そう答える以外に、確かに現状としては己も答えが出せなかった。
確かに、冨岡のもとに名前が行くのはどうにも気に食わない。
あの冨岡だぞ。
何が起こるかわかったもんじゃねぇ。
下手をうたずとも、「そう言えば……居たか」だとかなんとか言って女の存在を忘れてしまいそうだ。そんな未来しか見え無い。
けれど自分のもとに来られるのも少しばかり都合が悪い。
それもこれも、すべて自分が悪いと言う事は重々承知ではあったが、頭を抱えずにはいられなかった。

 そもそも、煉獄が生きていればすべての事は上手く運んだのだ。
煉獄が女を引き取り、宇髄の嫁たちは任務へ。
宇髄は暫く今まで通りに嫁たちが居ない間は他の任務にあたる。
たったそれだけの事で済んだのである。
今は煉獄の事を蒸し返す気にはまったくもってなれない事であるし、こんな自分の気持ち一つで煉獄に帰ってきてほしいと思う程クズのつもりもない。
つまりは自分がわかった、と口にすれば万事解決。以上問題無し。というわけだ。
それくらいは、不死川とてわかっている。

「……アイツには」
「もう言ってある。喜んでたぜ、お前に会えるのか、つって。……煉獄が死んだってことは、派手に昨日伝えてるが、」

ふっと視線を下げた宇髄は寂しそうに笑う。

「『私が皆さんの事ずっと覚えておきます』だってよ。永遠に成仏できそうにねぇな、つったら、『その方が皆が寂しくないでしょう』なんてぬかしやがる。……アイツは、本当に死なねぇのかねぇ」
「……」

宇髄の言葉に、そう告げる名前の顔は簡単に浮かんだ。
けれども不死川は返せる言葉が見つからなかった。
自分とて、考えたことが無かったわけでは無い。
アイツは『寿命』で死ねるのだろうか?今回の女のその言い草を考慮すればその可能性は限りなく低い。
何度考えても頭が痛くなる。
アイツは、どうしてこうも『可哀相』なのか。
この話は頭が痛くなるからいったん置いておく。
今重要なのは、名前が戻ってくることをもろ手を上げて喜べない現状である。

 律儀にも先の話を告げにわざわざ不死川の邸宅までやってきた宇髄を門前まで見送ってから頭をガシガシとかきむしり、不死川は少しばかり物思いに耽った。

 不死川実弥が気まずく感じているのは二月ほど前、一時的に名前を預かった事に起因している。
むしろそれ以外に原因は無い。

 あの日の事はいつだって簡単に思い出せる。
むしろ何度だって思い出した。
あれほどに心臓が言う事を聞かなかった事など、日常生活において一度足りとて無かった。
あんなに体が燃えるのでは、と思う程に熱くなった事など無かった。
思い出す度に、むくむくと反応してしまうのが情けなくて、くたばれと泣き叫びたくすらなったのだ。
また思い出し始めて、その感触を消し去りたくて、ぐい、と強く己の唇をこする。

 自分から仕掛けたのだ。
どうせ、もう会わないのだ。
此処には自分たちしかいない。
誰にも、お互いが誰にも言いさえしなければ、誰も知らない事にできる。
そう、耳元でクソみたいな誘惑がささやいた。
 それでも、確実に己は動きを止めたし、最後にかぶりついて来たのは、唇を押し当ててきたのは彼女の、名字の方からだった。
理性と呼ぶのも恨めしい程のちっぽけな理性はそれであっけなく崩れ去った。
名前が良いっつってんだ、もう、良いじゃねぇか、触れたいだけ触れちまえ。
どうせ、きょうでもう終いにすんだ、ならもう良いじゃねぇか。
そう、何度も何度も言い訳をしながら、理由をつけながら、その柔らかく形を変える唇に己のそれを押し当てた。
終いには、離すまいと不死川の頬をその小さな両の手で包みこみ、名前は切なそうに、合間合間で唇を離し

「好き」
「不死川さんが、すき」

そう何度も何度も告げる。
その声だけで、バカみたいに心臓が脈打って、壊れるんじゃねぇかといっそ心配になるほどに煩くなって、不死川は耳を塞いでしまいたかった。
勿論意味が皆無だと言う事はわかっている。
離れた時に唇にかかる吐息にすら欲情した。
ふるふると震える瞼も、真っ赤に色付いた頬も可哀相な程に震える指先すらも愛おしさが満ちてくる。
俺にもまだこんな気持ちが湧いたのか、とどこかでくだらない事を思いながら、気持ち良すぎてバカみたいになった頭を働かせようともがいた。
接吻ってのは、こんなに気持ちの良いものなのかとか下らねぇ事を思いながら、こんなで夜、事に至ったら、俺は死ぬんじゃねぇか、と真剣に考えた。
それくらいに馬鹿になっていた。
あそこで宇髄の気配を感じ取ることが出来ていなければ、もう少し先迄していたのだろうか。
あの己よりもずっと細く柔い腰を抱き寄せて、まるで溶かしてしまうかのように求めたのだろうか。
そんなくだらない、実にバカげたことを妄想して何度も自分を慰めた。
それ程には、興奮していた。
馬鹿みたいに、その先を欲した。
下らない夢までも見た。
だからこそ、もう会わねぇ方が良い、と不死川は考えていた。
勿論、もう会うつもりは一塵も無かった。
これ以上一緒に居て、自身が一切手を出さず、女から与えられる物事全てを理性をもって接することのできる自信がないからだ。
腑抜けることは無いとは、もう言い切れないからだ。
これ以上、いっそ、この依存のような気持ちを抱いて居たくないからだ。
 それも全部、宇髄からの言葉を今日了承してしまった時点ですべてがあっけなく揺れ動いている。
己の心が揺れている。
 慕情だの恋だの、女だなんだ、煩わしい。
 面倒くさい。
宇髄やら何やらの前では何とでも言えるくせに、名前の前で言えるのか、そう思えるのか。
既にあの日の事を思い出し、喚き始めた心臓の事を思うともう既に自身がない。

「クソかよ」

吐き捨てた言葉が矢鱈と暗くなり始めた自身の邸宅内の廊下で響いた。



 先日言っていた通り、宇髄はその日また家主不在の不死川の邸宅、しかも居間でくつろいでいた。

「不死川さん!!!お帰りなさい!!」

ばたばたと玄関まで駆け寄ってくる名前から少し距離を取りながら、あァ、と応えるとどこかで寂しそうにする名前にグ、と喉が鳴った。
 たまたまかワザとか、通りかかった隠、(こいつも見覚えがある。__嗣永秋だ。)にす、と目を細くして眺められた。
それも無視して居間へ入ると、まるで自分の家のようにくつろぎ、茶を飲む宇髄が鎮座している訳であった。

「暇なら一戦やってけやァ、」
「俺様は今日も任務帰りそのまんま来てんだ、やらねぇよ。だりぃ」

大きく伸びをして、もう帰ると手をひらひらと振り立ち上がった宇髄はニヤリと笑いながら何かを投げ寄越す。
何だ、と手に取り中を眺めると手の平には噂には聞いたことのある、所謂『サック』

「殺すぞォ!!!」

物騒な言葉が飛び出るのも、手の中のものが粉みじんになった事も仕方がない事と思ってほしい。



 それからしばらくは家にも殆どよりつかず、むしろ避けていたと言っても良い。
帰ると、嬉しそうに笑う名前がいけないのだ。
舌打ちを思わず落とすと、それを見ていた嗣永は名前が湯浴みの時に、飯を取りに行っている時に、洗濯を入れに行っているときに、こちらをじとりと見据えながら言うのだ。

「風柱様、嫌われますよ」

その言葉に、怯える名前の顔が実に容易に想像できてまた舌打ちを溢す。
見たことがあった顔であったから、余計に鮮明であった。
 そんな事を暫く繰り返し、それこそ二月が経とうとしていた頃。
 いい加減に少し休めとお館様直々の文を烏から渡されてしまっては休まざるを得なかった。
これ幸いとでも言うように嗣永は

「今晩、手伝いに出ますので、私はここを開けさせていただきます」

そう言い残して屋敷を出て行った。
自身とて半年以上休んでいなかった気がする。
もう何も考えずに眠り込んでやろう。
いっそそうすれば、一つ屋根の下で二人である、と言う事を意識することも無いだろう。
と、早々に布団にもぐり込んだ。


 それがもぞもぞと動き始めたのは時計の針がてっぺんを挿す頃。
何かはすぐにわかった。
けれどもその理由は一切理解できずにいる。
背中にぴたりと張り付くぬくもりがいっそ憎らしい。

「なにしてやがる」
「……あ、きさんが、……居なくて、」

当たり前だ、お前も聞いてただろうが
そう言ってしまいたい。
けれど、背中に当たる恐らく腕であろう物が小さく震えているのを感じ取ると、それすらも言えなくなってしまう。
 こいつとて、バカではないのだろうから、年頃の男女が一つの布団で眠る、つまりは同衾と言うわけだが、それが意味することはわかっているはずだ。
それでも入ってきたと言う事は、それほどまでに怖いことがあるのか、それともそういう、つまりは咬合の意図があるのか。
間違いなく前者で有る事はわかってはいる。

 女の事を考え始めると、不死川は小さくため息を落とすことしかできず、布団から追い出す気にはならなくなってしまった。
 つくづくお人好しだ、こいつの為にも自分の為にもならない。
そう思いはするものの、無碍にできないのはひとえに自信の意思が弱いからだ。少しだけ布団の端に寄けてやっている自分を殴り殺したくなった。

「……さっさと寝ちまえェ」
「ごめんなさい」

小さな声で謝った後の名前からはすぐに小さな寝息が漏れ始め、首筋にかかってくる。
ンでこっち向いてんだアホか。と心の中で何度も罵りながら、腹にまわってきた細っこい腕に、ああ今日俺は死ぬんじゃねぇか、と、そう、煩い心音に不死川は独り言ちた。

 もういっそ眠ることを諦め、ここ最近眺めることをすらやめていた顔をみてやろう、と体を捻る。
眠っているなら笑いかけてくることもない。
こちらが何をしても、眠っているのだ。気付くことも無いだろう。
 不死川は思いの外近くにあった顔に少しばかり驚きつつも、

「……ん、…ふ…」

漏れてきた情けない音に、自身のこわばった顔が崩れていくのを感じた。

「バカかよ」

名前の頭を抱え込むように腕を回し飽きるまでじぃ、とそのいっそ間抜けな寝顔を眺めて髪を梳く。椿油のおかげか、さらさらと指から髪が抜けていくのは心地良い。
その心地良さに促されるままに、そ、と目を閉じた。
もぞもぞと腕の中でもがく何かを感じるまで。
薄ら寒かった外気を忘れるまで。
瞼の裏が、明るくなるまで。

「……」
「あ、の、……おはよう、ございます」

 眠れねぇ、と思っていたはずなのに、不死川はやたらとスッキリとしてしまった頭で、女が恥じらいながら腕の中で漏らした挨拶で。自分が馬鹿みたいに気持ち良く寝こけていた事を知った。

「……お、ゥ」




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