小説 | ナノ

さっちゃんは言った。
「こいつの家、マジでヤバいから。シューキョーだナンダでツボ買わされるから!マジで!!」

あちらこちらから聞こえてくる笑い声に、ぎゅう、と通学カバンの紐を握りしめる。

「あ、はは……さっちゃん、やめてよ……売らないよ……」
「……口ごたえしてんなよ。いいこぶってんじゃねぇわ」
「うん、ごめん」

 いつからかは分からない。
けれど、さっちゃんはいつの間にか私を見下していて、私は言い返す言葉なんて吐けることも無く、さっちゃんの言う事には、さっちゃんの周りの子たちの言葉にも全てyesと返す立派な屑が出来上がっていた。
 思えば、私の初めての全部はさっちゃんからの指示だった。

「あいつとキスしてきて」
「名前処女でしょ。ヤッてきてよ。どれくらい痛かったか教えて」
「セックスしたらお金貰えるんよ。皆で遊ぶお金でも稼ごうか」
「あいつ、ウザいから名前アイツと付き合って。そんで、巻き上げるだけ巻き上げたらフッてきてよ」

「はぁい」

 さっちゃんからの言葉はいつしか絶対で、ぜんぶだった。

 さっちゃんが、援助交際の斡旋で逮捕された、と聞いて「ああ、よかった」と、初めて心から安堵した。
大学に入って、一年が経っていた頃だったと思う。
やっとさっちゃんからは逃げられた。
さっちゃんの関係しないところで生きていける。さっちゃんが、居ない。

 もろ手を上げて喜んでいたはずなのに、さっちゃんが居なくて、自分がしたいことを考えて、そこで初めて、自分には何もないという事に気が付いた。
私のちっぽけな世界は、さっちゃんと、そこからもたらされるものだけで出来てしまっていたのだ。 
 そこで初めて、私は自分の生き方を本当の意味で後悔したんだ。

_______________________

 無事でよかった、助けられなくてごめん、とひとしきり秋さんに抱きしめられた。
 その後秋さんが担当することになった、という音柱邸の設備と言うのは、苦無の的だとか、刀の練習用の藁だったりとか、そう言ったものの設置だったようだ。
私は見よう見真似で手伝いながら秋さんと久方ぶりのお喋りに興じていた。

「不死川さんと……キス、えぇと、接吻、した」
「…………は?」

手を止めてこちらを凝視する秋さんの方を向く勇気は全く持ってやってこないけれど、聞いてほしいことが多すぎて口を止めることは出来ずにいる。

「お付き合いとかの話にはまったくなってないから、そういうのではないんだけど」
「……何度も言うけど、彼も男よ?それで済んで良かったわね」

秋さんの言う事は最もで、多分正しい。
それでも私の心がそれでは納得していないのだ。
多分、これはいわゆるジェネレーションギャップ。そんな感じ。本当はもっと先までしたかった。なんて言うと多分秋さんは本気で怒ってしまうから言えないけれど、本当は不死川さんと結ばれたかった。
それ以外の方法でのこの熱の冷まし方なんて、全く私には思い浮かばなかったから。

「お話し、聞いちゃいましたよぉ……」
「ちょ、あんたやめな!!」

ひょこ、と顔を出してきた二人の女性に私は目を白黒させる。

「え、……きいて、……聞いてたんですか!?」
「全て名字の妄想です。どうぞお忘れください」

秋さんが取り繕おうと口を開くが、それはそれで酷い言い訳である。
ニタリと笑う黒髪の(須磨_と名乗った)女性は私ににこりと笑いかける。

「天元様に、あなたが風柱様と少しでも会えるように取り計らってあげてって、言っておきますねぇ!」
「だから、やめなって!!」
「や、本当に、迷惑をかけたいわけじゃ無いので……」
「名字のたわごとですので、お聞き流し下さいませ」

彼女の目付け役にも見えるまきをと名乗った女性は須磨さんを軽く叩く。
やんややんやと姦しく女子トークが繰り広げられて行き、最終的には『名前と風柱をどうにかする会』なるものが発足することになったのは、宇髄さんのもう一人の奥さんである雛鶴さんがやってきてからのことだった。







 かといって、何がある訳でもなく、程よく打ち解けることが出来たお三方とはほどほどに距離を保っている。
今までの二の舞は正直ごめん被りたいのだ。
 一緒に食事の用意を誘われた時は背中に冷や汗が伝った。
今は縁側やお庭の掃除と草むしり、お洗濯を中心に程よくこなしつつ、空を見上げては暇を潰している。
不死川さんに会いたい、とつぶやいていたのを須磨さんに聞かれてしまい、女性陣が寄ってたかって宇髄さんに会わせてやろう、と詰め寄っていったのを見てから呟くこともやめた。
会いたいし、寂しいけれど、宇髄さんの手を煩わせたい訳でも、宇髄さんに気にかけてほしいわけでも無かったからだ。
だってもう、宇髄さんから、不死川さんと一緒に居ることは出来ないのだと言われてい居るわけだから。
私が会いたいと駄々をこねたところで、宇髄さんや不死川さんを困らせるだけなのは明白なのだ。
 それでも、時折、夜や朝方になると何処からともなく聞こえてきてしまう彼らの情事の声や音は私の中で不死川さんを思い出すきっかけになっていたし、ただただ、好きな人と共に有れる、繋がりあえる彼らが羨ましくて、どんどんと嫌いになっていってしまいそうで、ただただ怖かった。

 そんなある日の事だった。
宇髄さんが連れてきた男の人。
私はその人に目を奪われた。
金髪に、ところどころ赤にも見えるカラーの入ったたっぷりとした髪を携えた彼は、炎を思わせる羽織ものを羽織って、不死川さんたちと同じ詰襟を身に纏っている。
その彼は、宇髄さんと共に、草をむしっている私の元までやってきて、大きな、それは大きな声で明朗に話し始めた。

「俺は煉獄杏寿郎と言う!!!君が名字名前だな!!なるほど、普通だな!!!」
「次は俺が君を引き取りたいと宇髄と話しているのだがどうだろうか!!!!」
「なに、無理体を強いるわけでは無い!!確かに君に預かり先についての拒否権はほぼ無いが、それ以外ある程度の融通は約束しよう!!!」

人の話を聞いてくれるでもなく一気に捲し立てられ、あまりの勢いに思わず笑ってしまう。

「はは、めっちゃお元気な方ですね、初めまして。よろしくお願いします」
「む、俺としたことが、申し訳ない!!挨拶をすっかり忘れてしまっていたな!!!!何度も話を聞いていたから、すでに知った気になってしまっていた!!!!すまないな!!!!!」

はははと快活に笑う煉獄さんに、今度は宇髄さんが小突きながら言う。

「おい、派手に勝手に決めるなよ」
「む、そういう話ではなかったのか?」
「なにより、親父殿には了解得てんのか?」

宇髄さんが半目になって頭をぼりりとかきながら煉獄さんに訊ねると、少しだけ寂しそうな顔をしてから彼は言う。

「父上は、反対するだろうな。__だから言っていない!!!!!」
「じゃぁダメだろ!!!」

二人は空に向かうようにがははと笑うけれど、失礼だと普通に思うから私の前でこの話はやめていただきたいものだ。

「……あの、ありがとうございます。私が鬼に殺されないために、連れていかれないようにするためにこういう話になっているのも分かっています。
でも、本当にごめんなさい。不死川さんじゃないなら、誰に引き取られても、……ごめんなさい。だから、決まってから……結果だけ教えていただければ嬉しいです。」

ご面倒をおかけしてすみません、
と頭を深々と下げると、宇髄さんの大きなため息と、煉獄さんの大きな声が響いた。

「うむ!!そうだな!!!不躾だった!!!すまない!!!!次の引き取り先の人間が得体の知れないソレも男だと思うと少なくとも不快だろう、と思ったから念のために顔を見せに、と思ったのだが。
余計に不快にさせてしまったようだな!!!!申し訳ない!!!」
「あ、や、……じゃなくて、……えっと、お気遣い、ありがとうございます。気を使っていただけてるのは、本当に嬉しいから、ありがとうございます」

少しだけきょとんとした煉獄さんは宇髄さんに向き直って

「不死川は、存外素直な女子が好みなのだな!!!」
「あ、ちょ、バッカ!!!」
「……へ、」

また快活に笑う。
いや、不死川さんから憎からず思われている事はわかっていたけれど、こうして他人から言われるとむずがゆく、それから恥ずかしくて。
思わず顔を手で覆ってしまって、それを煉獄さんと宇髄さんには笑われて。

 次の引き取り先、という話がいつかは出てくる、とは思っていたし、正直ここの女性陣とは少しだけ話すことも出来ていたからこのままが良いなぁ、とどこかで思っていた私だったけれど、次がこの煉獄さんだと言うなら辛くはないな。
とどこかでぼう、と考えていた。
つまり、彼の事は殆ど知りはしなかったけれど、悪い人でないことは十二分に伝わってきたし不快でも無かった。


 そんな彼が、煉獄杏寿郎さんが亡くなったと宇髄さんから聞かされたのは、もうセミが煩く鳴き始めた夏の頃で。
不死川さんと最後に会ってから、二月を迎えようか、という頃だった。

 そこで初めて、本当の意味で彼らの職務と死が隣り合わせだという事をひしひしと感じたのだった。

ミンミンとセミだけが煩くて、須磨さんのすすり泣く音が遠くに聞こえてきて、目の前の宇髄さんの握りしめられた拳と、暗く沈んだ目を何度も往復して自分の足元を見ることで落ち着いた視線をそこに縫い付けてようやっと
「そうですか」
とだけ言葉にできた。
じとりとした粘度の高い風が酷く不快だった。


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