小説 | ナノ


 体がふわふわと浮いている感覚がして、おもむろに目を開けると、すっかり闇が深くなっていて、それこそもうあたりがまっくら。
どうやらあのまま私も寝こけてしまったのか、と気がついた頃には状況が何となくわかってきて。

「…………あ、あの、……ご、ごめんなさい!歩ける!!」
「……」

 少しばかり気だるげに見えた(気がした)目が私を見てからまた前を向いてしまった。

「あ、あの!!」

そう、寝起きから不死川さんのお姫様抱っこ!これ何て少女漫画?恥ずかしくて仕方ない。
抱えられることに馴れたとは言え、お姫様抱っこなんて死ぬ前でかつはるか昔にお父さんにされて以来なのだけれど。
 もだもだ言っているとさっと寝かし下ろされたのは、いつか私が使わせてもらっていた部屋。
暗さに馴れた目が、その特徴的な梁と柱を見逃さなかったから、確実にそうだと言い切れる。
それからそのすっかり慣れた目が、不死川さんの目をしっかりと見つめている。

「……」
「……寝ろォ、」

不死川さんはそう言って、ふい、と目を逸らしてしまう。
それがなんだか寂しくてこっちを見てほしくて、ゆっくりと体を持ち上げて不死川さんと向かい合う。

 片膝をついた不死川さんの顔はこちらを向いていない。けれど、視線が交わっているのはわかる。
だって、でないとこんなに胸は煩くならないし、こんなに切なくならない。と、思う。

「……あの、ね……私、」

 ゲコゲコだか、ケロケロだか知らないけれど、カエルの合唱が馬鹿みたいに真っ暗な部屋にまで響いてくる。
何だかそんな中で真面目な顔をしている自分が滑稽と言うか、恥ずかしくすら思えてきて一つ大きく息を吐き零した。

「不死川さん、……また、明日」
「オゥ」

 大胆な事ならたくさんしてきた自覚だってあるのに言いたい事なんて、何一つとして言えはしなくてぎゅ、と手を握り込んだ。
不死川さんは襖を閉めてとっとと部屋を出て行ってしまったけれど、それを引き留める事すらままならない。
それでも、不死川さんと今同じ屋根の下に居るのだと思うと、今日は眠れる気がした。


 障子戸から太陽光が透け入ってきて、私に朝を知らせている。
春といえどもこんなにさんさんと日が照っているのだから、もしかしなくとももう朝ご飯を作り終えていなくてはいけない時間なのでは?!
と慌てて布団から這い出て顔を洗う。
どたどたと走り回って何とかかんとか朝ご飯の支度を終え、不死川さんを探しに行く。
 いつもならお庭で素振りやらなんやらを熟しているか、お部屋で眠っているか、という時間。
それか、仕事に出ていて、居ないのか。
迷うことなく不死川さんの部屋をスパンと開け放つと、

「…………いない」

お庭かしら?
ととてとて探しに行くも、

「……いない」

念のため、とトイレに向かうも、

「いない」

どこに行ったのだろうか、とまたドタドタと屋敷を走った。
結局見つけることは出来なくて、朝ご飯の用意を食卓に持っていき、埃がかぶらないようにと湿らせた手拭いをかけておく。
それを眺めながらぼう、と一人で取る食事はどこか寂しくて、やっぱり秋さんが恋しくなった。

「ご馳走様でした」

手を合わせたところで玄関口がからりと音を立てる。
慌ててそこに向かうと、表で水を浴びてきたのか頭から水を滴らせた不死川さんが草履を脱いでいる。

「わ、!おはよう、ございます……」
「アァ」
「お仕事、ですか……」
「…………アァ」

どうも煮え切らない返事に、どうかしたのか、と不死川さんの顔を覗き込む。
見るな、と顔を抑えられてしまったけれど、一瞬見えた顔が、まるで、泣いている、ような。

 框に立ち尽くす私に一目もくれずに去っていく不死川さんに、もやもやとしたものがまた胸にやってくる。
やめておけ、要らないことをするな、彼に寄り添えるだけの何かを私は持って居るのか、と頭の中では警鐘が響き渡るのに、体は意志と反して彼に向かって動き出す。

「放せェ、濡れンだろうがァ、」

とどこか苛立った不死川さんの声に、何度も首を横に振りながらぎゅう、と背中に抱きついた。

「不死川さん、……ご飯、ご飯食べましょう。私、作ったんです。多分、美味しくできたから。ご飯食べましょう。」
「…………」

何でこんなに彼は苛立っているのか、それは全くもって分からないけれど、独りにしてはいけないという事は、何となくわかった。
いつか、父と母に連れられて行った先の教会で、何度かあの顔を見た。
多分、そんな顔だった。
同じような、顔をしている。
苦しい苦しいと、藻掻き喘いでいるような。
全身を掻き毟りたい衝動を堪えていると言うような。

 自身を落ち着ける為か、幾度も息を深く吐く不死川さんの背中が上下するのを全身で感じた。

 そう、と背中から不死川さんの顔を覗き込むと、先ほどよりも少しだけ、本当に少しだけ苛立ちのようなものが隠れた顔になっていて、ここにきて初めて私は彼の危うさを知り、彼の背負ったものの片鱗を見た気がした。

□□□

 静かに向かいに座って味噌汁を啜る不死川さんをそう、と眺めてから口を開く。

「秋さん、柱の中では宇髄さんが一番美丈夫だって言うんですけど、私そもそも柱の皆さんの顔なんて知らないし、__」
「秋さんと小間物屋に行ったときに、そこのおじさんに私可愛いって言って貰えたんですけど、可愛いですか?嘘です。冗談です__」
「宇髄さんに、連れていかれた時の事、私本当に全然覚えてなくて、今でもどうやって生きてたんだろう、って。でも意外と生きていけるものですよね。きっと、お世話かけたんですね、私。謝らなきゃ……」

 緊張からか、何からかは分からないけれど、口からは勝手に言葉がぽろぽろと零れていく。
不死川さんが聞いているかそうでないかは知った事ではないけれど、とにかく、私はここに居ますよ、とアピールしているのかもしれない。
不死川さんといると、自分のこともよくわからなくなる。

「___それでね、宇髄さんが、」
「ここで、他の男の話してんじゃねぇ」

ずっと黙っていた不死川さんの口から落とされた言葉と共に、彼の手の中でみしり、とお箸が嫌な音を立てた。

「……な、にそれ、……あは、妬いてんですかぁ、」

いかにも冗談ぽくやり過ごそうとしたところで、彼は静かに汁椀と箸を置きじろりと私をねめつけた。

「妬いてる。馬鹿みてぇだろォ」

 それから鼻を鳴らして、また静かに食事を再開した。
私はもう、それどころではなくなってしまって、そこから一言も言葉を出せずにいる。

「ごっそーさん」

聞こえるか聞こえないか。それくらいの声で合掌した不死川さんの声に、ようやっと我に返った私は、身を乗り出して食器を下げようとしたところで、ゴツゴツとした彼の手と手がぶつかって、そのままその先を辿ると、長い睫毛に縁取られた淡い紫と私の視線がバチンと重なって、交りあう。
 いつかの玄関先での一件を思い出して、心臓が弾け出している。
びっくりするほどに、それこそ、心臓はロックミュージックのドラムさながら拍動していて、それに合わせて体を支える腕も震えだしている。
どうすれば良いのか。
視線をずっと、逸らせない。

「……まえ、は……秋さんがきたんだよね、」
「…………」
「今日、は……きっと、誰も来ない、ね」

 言うが先か、彼が先か、もうわからないけれど触れていた手がぐい、と引っ張られ、食卓の上に私は乗り上がってしまって、"不死川さんに引っ張られたから"それを言い訳にして、私は彼の唇に自分のそれを押し当てた。

 文字通り、食卓の上である、だとか片付けていないのに、とか。不死川さんにちゃんと想いは確りとは伝えてないのに、とか。
いろいろ、いろいろあるはずなのだけれど、食卓の上に膝立ちになって、いつの間にか立ち上がっている不死川さんに包み込まれるような形で背中に腕を回されていて。
私はそれに応える形で彼の両頬を手で包み込んでいて。
これはなんてドラマ?そう聞いてみたくなるほどに甘い空気が漂っている。
そんな気がする。
食卓の上なのにね、なんて。
 ちゅ、ちゅぅ、と唇が触れる度に、『好きだなぁ』とか『カッコいいなぁ』とか。
胸が痛くて痛くて、張り裂けそうで。
もう、全部あふれてきて。

「…ぁ、……ん…」

 もっともっと、とでも言うみたいに体ごと全部不死川さんに押し付けて、不死川さんの下唇を食んだ。
ぴくり、と彼は体を震わせて、我に返ったように顔を反らしてしまった。

「…………すき」

 もうわかり切っている、なんの装飾もない、それでも溢れて漏れ出た私の言葉が静かな部屋に響いている。
自分が口から出したはずのその言葉すら、私自分の胸を締め付ける。
ぎゅうぎゅうと締め付けられて、胸が苦しくて死んでしまいそう。

「すき。不死川さんがすき」
「……」

馬鹿みたいに繰り返す私を見る不死川さんの目が、どうしてか、どうしてか、何かを堪えているモノのように見えた。
ほんの少しでも、私のことを好きなら応えて頂戴、とでも言うように私はまた不死川さんの唇にかぶりついた。

 ちゅ、ちゅう、と吸い付く音と、少し荒い呼吸だけが室内を満たしている。
もう幸せで、頭の中身なんかどこかに飛んで行ってしまいそうなくらいに、何も考えられない。
キスって、こんなだっけ。
こんなに気持ちの良いものだったっけ。
唾液のヌル付く感じとか、半乾きの唾液がにおってくることとか、全部が不快だった、そんな記憶しかないのに。
じゃぁ、いましているこれは一体何なんだろう。
本当にキスだろうか?
じんじんする。
全部じんじんする。
気持ち良い。
熱い。
胸と、肺が、苦しい。
多分、多分、きっと。びっくりするくらいに、私は今濡れてる。
私、不死川さんとしたくてたまらない。
だって、キスだけでこんなに気持ちが良いのに、この先なんて。多分死んじゃう。死にたい。ほしい。切ない。
は、と息を吐き出してまた不死川さんの目と目を絡ませた時。
彼はぐい、と私を押し返して、そのままこちらにやってきたかと思うと、私の肩口を引きずって玄関まで連れ出した。

「え、ぁ……え、不死川さ、」

 玄関口で、襟首を掴み上げられて、不死川さんの親指が私の唇にそう、と触れた。
切なく揺れた不死川さんの目は一度閉じられて、いっそ、こちらが悲しく思えるほどに歪んだ。
長い睫毛がその揺れる瞳を隠してしまって、もう一度開く頃には、いつもの顔に戻っていた。

「……帰れェ」

 そう言った不死川さんに、玄関のドアから放り出されてしまった。
その先にはやはり、と言えばいいのか、宇髄さんが立っている。
すぐにピシャンと閉められてしまった玄関扉を振り返るも、もうそこに不死川さんが居そうな気配はない。
多分、お部屋に戻ったんだろう、と、思う。

「アイツは見送りくらい、まともに出来ねぇのかねぇ」

少しニヤつく宇髄さんが同意を求めるかのように私を見る。

「私は、……十分でした。」
「だろうな」

口元を抑えながら宇髄さんを見上げると、どこか困ったような顔で返される。

「帰したくねぇとか、帰りたくねぇ、とか言いだすかとも思ったんだがなぁ」
「……そうしたら、私は、此処に居られましたか」
「いんや、誰も許可しねぇだろうなぁ」

頭の上で腕を組んだ宇髄さんは歩き始めて、私はそれに着いて行く。

「ねぇ、宇髄さん、私此処に居たいです。」
「……今度なぁ」

 屋敷から暫く離れてから私に目隠しをして、抱え上げたのは、もしかしなくとも、宇髄さんから不死川さんへの気遣いからなのかもしれないな、とどこかで考えながら体を預けた。
不死川さんの手の方が優しく掴んでくれてたかも。とか
不死川さんと違って、この人は匂いが殆ど無いな。とか
不死川さんよりも、大きいな、とか。
もう不死川さんが恋しくてたまらない。



「音柱様、お疲れ様でございます」
「あぁ、こいつ頼んだ」
「はい」

 宇髄さんの屋敷で目にしたのは、久しぶりに見た、隠と背中に刻まれているのであろう、黒の衣装を身に纏った秋さん、その人であった。

「名前、久しぶりね。ここの設備担当にしてくださったの。多分、風柱様の計らいね。……大事にされてるのね」
「……秋さん、あ、あいだがったぁあ゛」

秋さんだった。
秋さんだったから、声を殺すことも出来ずに、私はわんわん泣いた。
今日は、幸せが過ぎて眩暈がしそうだ。
胸と、肺が、痛い。


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