小説 | ナノ

 不死川実弥は殆ど一年ぶりに人の気配の全くしない屋敷に戻った。
これで気兼ねなく熟睡して、少しばかりスッキリしたら今までのように鬼の殲滅に全力を尽くすことが出来るのだ。
誰かに気を使って休む時間を削って外に連れ出してやる算段など立てなくてもいい。
あの「得体の知れない」と口々に言われている女の今後を憂える必要もない。
願ったりではないか。
罪悪感から来る罪滅ぼしも兼ねて、悲鳴嶼さんの担当地域もたまに見回ってやりゃ尚良いだろう。
アイツが今後、少しばかりの期間でも安心して過ごせるようにだけ尽力してやりゃあ、十分だ。

そう、思うのに、
屋敷の中が、静かすぎていっそ五月蠅い。
女の笑い声も聞こえない。
気配すら、ない。

「今日の夕飯は、甘いものが良いなぁ」

と飯に甘いもの、だとかふざけたことを抜かす声が聞こえない。
たった一年の間に『当たり前』だったものがまるっとすげ変わってしまっている現実に、胸が軋んだ。

 女を護れなかった、その罪悪感がふとした時に胸を過る。どうしようもない事であるのに、あの時こうしていれば、ああしていればとたらればばかりが頭を占めていく。
ふるりと頭を振って、その考えを打ち消すかのように鬼を探してひた走った。

そんなことを数日繰り返していたころだった。
鎹烏が悲鳴嶼行冥からの言伝を持ってきたのは。

 曰く、女が未だ酷く怯えている
__当然だ。もうこれで何度目だァ
 曰く、眠れていないようだ
__自分の元に居た頃から、魘されることはままあったが、酷くなっちまってんのか
 曰く、食欲もあまりないそうだ
__アイツは甘ェもんが好きだから、目の前に出してやりゃぁ食うんじゃねぇかァ
 曰く、不死川に会いたいと、言っている

「会ってやってはくれぬか」

と。
考える間もなく
「行く」
と一言応えていた。


 たった一週間程だ。
たったそれだけの間顔を見ていなかっただけ。酷く懐かしく感じた。
自身の腕の中に女が、名前か飛び込んできたのを抱きとめた時にその温度に喉がカッと焼け付くようだった。
思わず、いつかの火傷の跡を確認してしまった。
胡蝶に、「今生きている、それが全てだ」等と宣っていたくせに、本当はきっと、自分が一番この組織に居る誰よりもこれにこだわっている。
それはもう、誤魔化すことのできない事実である。
いつかの火傷跡の消え失せた肌は何の突っかかりもなく指が滑る。
守れなくて、悪かった。
そう言葉にしたいのに、今口を開くと何か違う言葉を落としてしまう、そんな気がして口を開く事すら戸惑われている。
そんな不死川の目を名前は覗き込んで笑っている。

「不死川さん、私、帰ってきましたよ!!」

そう言って、笑っている。
はく、と口が戦慄いて、やっとのことで零せた言葉は、

「……オゥ」

という、何とも情けない言葉であった。

 きっと、嬉しかったのだと、不死川は思う。
彼女が自身を恨みがましく思っていないであろうことが。
彼女がまた、「帰った」と言っていることが。
不死川を「帰る場所だ」と言っていることが。
けれど同時に、そのすべてが怖かった。


 この日、悲鳴嶼に頼まれていた事は偏に女の気分転換であった。
極力この悲鳴嶼の屋敷のすぐそばで行動をしてほしい、可能であれば少しでも眠るように言い聞かせろ、と。

悲鳴嶼に行ってくると良い、と言われ、いつかのような大きな声で名前は笑う。

「ありがとうございます!!」


 移動の為に抱え上げた名前が以前より遥かに軽いのがわかり、歯噛みした。
行きたいところを聞いてやるつもりで居たが、今日は兎に角何かを食わさねばならない、と此処に来るまでに見つけていた茶屋へ出向くことに決める。
暫く走っていると、名前の腕が首にまわってくる。
触れられた首筋が嫌に熱く感じた。
思わず打ちそうになる舌を何とか止め、スン、と名前の鼻が鳴っていることに泣いているのか、と顔を窺ってみたが、すぐさま失敗した、と頭を抱えたくなってしまった。
(なに嬉しそうな顔してやがんだァ、)
失敗した。何が、等わからない。
分かりたくもない。
けれど、この顔を見ていると酷く胸が絞まるのだ。
今女を抱える為だけに回している腕で、きつくかき抱きたくなってしまうのだ。

「嗅ぐんじゃねぇ」

絞りだした言葉すら、嬉しそうに笑う女に不死川は殺されてしまうのではないか、とどこかで確かに感じた。


 辿り着いた茶屋で、団子をほおばりながら女は言う。

「寂しかったです?」

誰がだ、と不死川は言いたくなった。
寂しかったのはお前だろうがァ、ろくに飯も食わねぇで、睡眠も摂らねぇでぶっ倒れてぇのかァ!そう怒鳴りつけてやりたい。
けれど、この女はきっと、
「寂しかった」
そう言いたいのだろう、という事くらいは自分にもわかるのだ。
妹やなんやのようにかわいがっていた事は事実なのだ。そんな風に思われているのを察してしまうと無下にも出来ない。

 暫くそうして名前の話に付き合っていると、話題に困ったのか、いや、多分そうじゃない。
不死川を困らせたかっただけなのか、イラつかせたかっただけなのかもしれない。
背中に名前の指で言葉がかかれていく。
『バカ』
『アホ』
『マヌケ』
まるで語彙の無い馬騰のようなもの。
いっそ、そう罵ればいい。
面と向かって、守れなかったと、怒ればいい。
なぜかその言葉は、不死川の口から出てはこなかった。

 背中を衣服越しとはいえ、つつ、と撫でつけられると異常な程に擽ったい、いや、熱いのか。
分からない。
分からないが、ふざけんじゃねェと怒鳴りつけてしまいたくなった。
 こちらは何なら今お前を護ってやれなかったことを反省しているんだ、気の散るような事してんじゃねェ。しかも今おはぎ食ってんだァ、味もわかりゃしねぇじゃねぇかァ。大体ここは外だぞ、お前の常識どうなってんだァ。
男の体に気やすく触ってんじゃねェ、って嗣永にも言われてただろうがァ。ベタベタこんなとこで触ってんじゃねェ!いや、場所が問題なわけじゃねぇ、そうじゃなくて、

と頭の中で名前を何度も怒鳴りつけているのに、言葉には矢張り出てこない。
クソ、と零しそうになったところで、

「いい加減にしろォ」

と凄んでやると、へらりと笑って読めなかったのか?と煽ってくる。
ちげぇ、そうじゃねぇ。

「読めたからイラついてンだァ」

と言うと、

「じゃぁ、最後にしようかなぁ」

そう零しながら、背中がまたつつ、となぞり上げられる。
腹筋にぎゅうと力を入れてくすぐったい様な背筋がぞわりとする感覚を逃がそうとして、今度は頭にカッと血液が回ったように感じた。
今、名前の方を向いてなくて本当に良かった。
そう、不死川は思う。

「ねぇ、不死川さん……読めました?」
「…………読めねぇ」

誤魔化すことしかできなかった。

 不死川はいっそ眩暈がした。
名前の言葉を誤魔化すことならできる。けれど、自分の気持ちはもうどうしようもなかった。
今、理解してしまったからだ。
たった今、名前の指が伝えてきたその拙い言葉に、固く握った左の腕が振るえるほどに『嬉しい』などと、性の無い事を感じてしまっているからだ。

 なぜこの女が、どんな目にあっても死ぬこともないのに、こんなに自分が気にかけていたのか。
もちろん、可哀相、と思ったことも事実。
守ってやりたいと思ったことも事実。
故に未来を憂いていたのも事実。
名前を何故今こんなにも連れ帰りたいと思うのか。
離れがたいと、思っているのか。
悲鳴嶼の下に連れ行く為にかける目隠し。それを結ぶための自身の腕が嫌になるほどに震える。
何故か。
すべての答えはたった一つの簡素なものだ。なんて事はない。
不死川自身が、女を名字名前を『慕ってしまっていた』から。
確かな慕情がそこにあったから。
きっとそこに帰結する。

名前の言葉でそう、気が付いてしまったから。理解してしまったから。
 何故今の今まで触れられて「熱ィ」程度の感想しか抱けなかったのか。
この一週間、存在を感じる事もなく平気だったのか。
分からなくなりそうな程に胸が苦しい。
締め付けられている。
クソがァ、そう吐き捨てたくなる程にもう名前の存在が恋しくてたまらなかった。

バカみてぇだ、そんなこと言ってる余裕もねぇくせに。
楽しむための人生なんざ要らねぇ、そう思ってんだろォがァ。
玄弥の事だけ考えてくんじゃなかったのかァ、
アイツの幸せの事だけ考えて、それだけでよかったんじゃねぇのかァ、
そんな言葉ばかりが頭を締めていくのに、浮かぶのは女の笑った顔であった。




 不死川は名前を送り届けた後宇髄の屋敷まで出向いていた。
最悪だ。この後任務だってある。休む時間は全く持って使い切ってしまった。
しかも全力で走ってきたのだから、体力だってそれなりに使った。バカかよ、間違いねぇ。
クソみてぇだ。
心のなかで何度も自身を罵倒した。
さらにどうしてこんな時ばっかり機宜が適してしまうのか。

「あ?不死川じゃねぇか。こっちに来るなんて珍しいじゃねぇか、何かあったか?俺は派手に今から任務だが、」
「……俺ァ前に、」

不死川の言葉に屋敷から出てきて挨拶をかました宇髄は言葉をとぎった。

「あの女を、そんなんじゃねぇと言ったァ、」
「……」

不死川は宇髄が腕を組み、門前にもたれ掛かるのを視界の端に捉える。

「もう、今後、アイツの監視の任には……俺ァ、着けねェ。」
「…………本気で言ってんのか、不死川よぉ」

思っていたよりもずっと静かな声が宇髄から降ってくる。
その声に、嫌でも不死川の体がピクリと動いてしまう。

「……俺は、多分、アイツを好いちまってる」

どうしようもない、不甲斐ない顔を見られたくなくて、不死川は、ぐしゃっ、と目にかかる前髪を思わずかき乱していた。



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