不死川実弥は蝶屋敷に居た。
普段怪我をしても立ち寄ることの無いそこ。
自身が稀血だとわかってからは、人の居る場所に行くのを避けていたからである。
怪我をしていればなおの事ではあるが、怪我などしておらずとも鬼は稀血に反応する。
更に言うと、蝶屋敷は療養中の隊士たち、看護をしている者たち、つまり戦えぬ者たちがわんさと居るのだ。
今までの経験、実践からそこそこの怪我までなら自分で何とでも出来ていたのだから、それこそ来る必要自体が無かった。
治療をしろ、と煩い兄弟子も、不死川の治療をさせろ、と煩かった女ももう居ないのだから、いっそ行かなくて良いと言われるくらいの方が気も楽であった。
そこまでこの蝶屋敷に行きたがらない男が今日この蝶屋敷に居る理由、
それはもう拾って、共に暮らし始めて(実際は監禁である)半年ほどになる女の正体が知りたかったから。ただそれに尽きる。
実際、人間という括りに置けない存在であるという事は確か。
なぜなら人間は死んだ後に生き返る事は無いのだから。
けれど女は生き返った。
それだけで人間でない事の証明は十分である。
更に言うと、生き返ると同時に欠損した手足まで生えるのだから、それを一度でも見れば『人間』である、とはおいそれと口に出来ない。
けれどその女は、名字名前は良く笑い、泣き、食べ、文句も言う。立派な人間の振る舞いをするのだ。
鬼ではないにせよ、女が化け物で有る事には変わりはない筈。
それを証明したかったのだ。
だから、前回の柱合会議でお館様より、胡蝶は女の診察に行くように、とお達しが出た際はどこかでホッとしたうえ、検査が出来る日をどこかで心待ちにしていた。
自分は正しかった、斬ったのは人間でなかった。
そう、言って欲しかったのかも知れない。
大きな窓から格子状に切り取られた陽の光が降り注ぐ一際明るい廊下を通り抜けて辿り着いた一室に、不死川は声を掛けて入る。
乱雑に本やら研究道具やらが積まれ、少しばかり埃っぽいそこはお世辞にも綺麗とは言い難い。
物が溢れ、いっそ部屋全体が薄暗く見えた。
その部屋の隅の方、雑然とした物たちに埋もれる人影は椅子に座った状態でくるり、とこちらに体を向けた。
女だ。
その女に不死川は呼びかけた。
「元気かァ、胡蝶」
「ええ、そちらこそお元気そうですね」
「検査の結果聞きに来たァ」
そう言うと、胡蝶と呼ばれた女の目はす、と細まり、その視線は不死川を穿つ。
すぐさまそれを隠すように、にこりと張り付けた笑顔で女は話し始めた。
「詳しい説明は省きましょう。不死川さん、彼女は『ヒト』以外の何モノでもありませんでした」
「……」
「今回の検査だけでは分からない事もあると思います。なので今度ですねぇ、
彼女の生き返る瞬間の血液や細胞を検査してみたい、と私は考えています。」
「……人間を、殺すのかァ」
不死川の言葉に、少しばかり間をおいてからくすり、とまた笑う。
「確かに彼女は鬼ではありませんし、現時点の検査の結果としては『ヒト』としか言えません。
けれどその瞬間だけヒトでなくなるのだとしたら?」
「……」
「まだ『可能性』としてはあるんですよ、ヒトでない可能性が。」
不死川はそれに答える事は出来なかった。
胡蝶の言い分はわかる。
正しいのかもしれない。
そして女が、名字名前が人間でなければ、もしかすると鬼殺に関わらず、病の治療だとか、お館様の病の某だとかそういった事に役立つことだってあるのかもしれない。
『人間』であるのに『死なない』のだから。
けれども、そう。
今『人間である』と、結果が出てしまっているのだ。
人間だったのだ。
あの女は。
名字名前は、人間であったのだ。
「胡蝶ォ、俺はもうあいつを殺せねェ」
「……」
にこにこと笑う胡蝶は、ゆっくりとその笑顔を解いていく。
「不死川さん、あなたは悪くありません。誰だって、そうしましたよ。鬼殺隊士なら」
「…………もう行く」
そう言い残し、不死川実弥は蝶屋敷を後にした。
ギシ、と音を立てて椅子の背もたれに深く背中を押し付けた胡蝶しのぶはその背中を見送って、小さな、小さな声を落とした。
その音を、拾うものは誰も居ない。
「私が見つけられれば良かったのに」
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それこそ丸四日ぶりに自身の邸宅に帰った不死川に、名字名前は笑って挨拶を告げる。
「あ、お帰りなさい!不死川さん!!」
「あァ」
いつの間にか、『ただいま』だとか、『帰った』だとか返していた気もするが、今はどうにも返せそうになかった。
顔もまともに見ることも出来ない。
『俺はこいつを殺した』
その言葉が頭の中をぐるぐると渦巻いて、その顔を見る度にいっそ泣いてしまいそうになる。
母親を殺したあの日を思い出しそうになる。
『人間だった』いっそ、知りたく無かった。
そんな結果なら、知りたくなどなかった。
気持ちに折り合いをつけることも出来ず、任務が終わっても烏をせっつき、新しい任務をもって来いと脅かしながらもあちらこちらと駆け回った。
ひとえに帰りたくなかったからだ。
罪悪感に、押しつぶされそうになるのだ。
「お疲れなんですか?」
「あ、お風呂沸かしてます!」
「今日は秋さんとおはぎ作りましたよ!」
その女にいつしか感じていた健気ささえも、なにかもう違うもののように思えてきてしまう。
「風呂、寝る。飯は要らねェ」
「……は、い」
引き下がった女は、どこか寂しそうに見えた。
それが帰る度に続く。
眠りから、ふ、とめが覚めると、部屋のすぐ近くから女の気配がする。
隠の__秋と呼ばれていた者は隠らしい気配がする、だからこれは名字名前のものだ。
理解すると、布団に蹲り頭を抱える。そんな日々が続いた。
けれども不死川は決して我慢強くはない。むしろ短気であった。
幾日目かにその気配のする方の障子戸をスパァンと開け放つと、たすき掛けをした女が突っ立っている。
何かをしていただとか、家の事をしているのだろう、だとか。
冷静になればわかることのはずだったのに、もうどうでも良かった。
「うっとぉしぃんだよォ、てめぇはァ!!!」
きょとん、とした顔の名字名前はこちらに視線をやり、ずももも、と真っ赤になっていく。
「……あ、…ぇと…ごめんなさい」
その反応すら人間臭く感じて、嫌になってくる。
違う。
人間だったのだ。
「でも、会えたらなぁ、って思ってしまっ、
「それがうっとォしぃ、つってんだァ!」
「ご、めんね、あはは、気をつけます」
きゅ、と眉をハの字にひん曲げて笑う顔が酷く寂し気で、ツキツキツキ、ズキズキズキと。
どうしようもない感情に苛立って、理不尽な事は重々に承知しているのに不死川の口は閉じてはくれない。
「ちょっとは迷惑考えろォ!!ただでさえこっちは迷惑、……」
そこまで口にしてから踏みとどまる。
それでも、ここまで言ってしまえばもう吐き捨てたのと同義であった。
名字名前の顔から表情が抜け落ちた。
その顔に、不死川は初めて『これは人間臭くねェな』とどこかでぼう、と考えた。
その言葉を黙って受け止めた名字は手に持っていた桶やなんやをそこに置き、襷をしゅる、と音を立てて外しながらのそのそと不死川の元までやってきて、不死川を押す。
自分の体もそのままの勢いで倒したらしく、名字は不死川の倒れた体の上に跨った。
いつでも押し返すことはできる。
いつでも押し退けられる。
けれども首を刎ねた感触が思い出されてしまいそうで名字に触れようと上げた手を、そのまま下ろしてしまう。
着物が捲れ上がり、女の艶めかしい足が太腿まであらわになっている。
そう。
ただの女であったのだ。コレは。
ごきゅり、と喉の奥で嫌な音がした。
「……私でも役に立てることなら、ありますよ。」
そう言って、不死川の腹に腕を乗せ、少しばかり腰を浮かせてからグリグリ、と不死川の腰に下がるソレを衣服の上から名字の股の中心で擦り上げる。
「……ッ、……ぁ、クソ!!」
ぐ、と思わず彼女の胸倉をつかみ上げたところでいつぶりか、名字名前と視線が絡んだ。
ビク、と不死川は自身の腰が跳ねてしまったことを恥じる。
「……私、……なにかしちゃいました、?」
両の目からボロボロと涙をこぼし、名字は不死川の上に腰を下ろしたままさめざめと泣き始めた。
『今、とんでもねぇことしてるだろォがァ!!』
と、常であれば怒鳴っていたのであろうが、今回ばかりは自身が悪かったことは、女の泣き顔を見て冷静になってからはわかっていた。
いや、寧ろずっとわかっていた。
ただの八つ当たりだ。これは。
「お楽しみ中だったなら申し訳ございません」そう声が響いた事で不死川の頭に一気に現状が駆け巡った。
例の隠の女は、名字のやってきた方と同じ、不死川の足元の方からやってきて、名字の頭をどこからともなく取り出したハリセンでスパコォンとはたき飛ばし、首根っこを引っ掴んでズリズリと引っ込んでいった。
「まったく、はしたない!申し訳ございません風柱様。躾ておきます」
「……」
一人部屋に残された不死川実弥は
「クソ……」
ひとつ漏らし、名字の艶姿でしっかり反応してしまった自身を一先ず治めなくてはならなかった。
そう。
ただの女であったのだ。
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