それは星の綺麗な夜の話。


++空と記憶とキミと++


新月の夜。幾多の星のみが顔を覗かせる黒い夜。
凍矢は洗い物を終えて、自室に戻り本を読み耽っていた。蔵馬から借りたもので、少々分厚いが二日後くらいには返せるであろうスピードで読み進めていた。
パラパラと紙をめくる音が畳敷きの部屋に響く。半刻ほど経っただろうか。いつもより静かな部屋に、ふと違和感を覚えた。
パタンと本を閉じて、部屋を見回す。ルームメイトである、赤髪の陽気な風使いが見当たらなかった。
そう言えば、彼は夕餉が終わった途端に居間を飛び出して行ったような気がする。常に戦場と化す六人の食事の時間は、あまり他人を気にかけるほどの余裕は、料理当番である彼にすらないのだから、陣に目を向けられなかったのは仕方の無いことだろうが。
「…………」
まあ、こういうことが今までにも無かったわけではないので、凍矢は読書を再開した。ただ、いつもと比べると部屋がやけに広い気がする。それだけなのだから。
星明りが彼の部屋を覗く。視力が落ちるかもしれないが、文字が読み取れるほどの明るさだったので、電灯はつけなかった。人間界の優しい闇は、ここも等しく覆っていた。

「凍矢!!」
静寂は唐突に破られた。パァンと景気良く開けられた襖に、凍矢は少し眉を寄せてそっちを見やる。満面の笑みを浮かべて、陣は入り口に立っていた。
「……煩い。何だ、いきなり」
栞を挟んで本を閉じた。少し機嫌の悪そうな凍矢の声など気にもせず、陣は部屋に飛び込んだ。そして、窓際に座り込んでいた凍矢の傍に、一気に距離を詰めた。
陣の眩しい笑顔がかなりの至近距離に現れて、凍矢は少し目を丸くする。うっかり、文句を言おうと思っていた口が噤まれてしまった。
「凍矢!空行こう!」
「…は?」
目を輝かせながら、陣は突拍子も無いことを言い切った。気のせいだろうが、凍矢の目には千切れんばかりに振られる犬の尻尾が見えた。
「宝石がたくさんあるみてえで、凄くキレイだっただ!だから凍矢も行くべ!」
な!とワクワクした表情を向けられ、思わず面食らってしまった。しかし、どうにも毒気が抜かれてしまい、何を言おうとももう思えなかった。
見開いた目を細めて、呆れたように微笑する。そして、指の長い白い手を、若干控えめに差し出した。
「……ああ。連れて行ってくれ」
陣も、もう一度笑う。凍矢のひんやりした手をギュッと握り、窓から外へ飛び出した。

夜空の中をぐんぐんと上昇していくが、凍矢の身体にはそれ程の冷たさと風圧は無かった。細身に向かって吹き付けてくる風に対抗する壁となるように、陣が飛翔しながらも風を操っていたからだ。大雑把に見えても、そういった細かな心遣いが凍矢は嬉しかった。
尤も、陣がここまで気を配るのは相手が凍矢だからなのだが。と言うより、凍矢以外を空に連れて行ったためしがまず無かったような気がしなくも無い。
身に染みる空気が、徐々にピンとした冷たさを増していく。それがまた何とも心地良いような感覚で、凍矢は飛翔の勢いに硬く瞑っていた目をふっと緩めて、陣の声が聞こえるのを待った。
「凍矢、目ェ開けていいべ」
陽気な声が耳に届き、ゆっくりと瞼を開けると、そこは夢のように美しかった。
赤、青、白、緑、黄色、色とりどりの星々が夜空を飾りつけている。まるで宝石がちりばめられた黒の絨毯だ。
遥か下に目をやると、自分達が暮らしている山々がとても小さく映った。遠くの方に、街の明かりも見える。それもまた、地上に星が幾つも落ちているように思えた。
 
空も大地も、手を伸ばせばその光の海に届くような気さえした。
純粋に美しいと感じ、子供のように、無数の光を拾い上げたいと思ってしまった。

目を奪われ、感嘆のあまり口を開けたまま言葉も無くなった。凍矢が息を呑んだのに気づいて、陣は満足げに笑った。
「すっげーだろ?光の洪水みてーだべ」
「……………ああ。とても、綺麗だ……………」
やっとのことで、それだけを搾り出した。陣はまた心底嬉しそうに微笑んで、凍矢を抱きかかえたまま自分達の周りの空間を見渡した。
「全部、全部、オレ達が手に入れたモンだべ?――光だ!」
画魔もきっとこの空のどっかに居るだかなぁ、と言って陣は少し場所を変える。
…かもしれないな、と答えた凍矢の顔は、少しだけ苦く、柔らかく、懐かしそうに微笑んでいた。
 
そう、とても穏やかな時間。今はこの場にいないが、大切な友人、仲間と居られる平和な時間。そしてこの美しい世界。
全て、手に入れることも幻に近かったもの。一つだけ欠けてしまって、やっと、この細い手の中いっぱいに。
だからこそ、泣きたいほどに愛おしくて。絶対に手放さないと、欠けてしまった旧友に誓って。

「―――なあ、陣」
夜空に身を浸したまま、十数分が、飛ぶように経過した。凍矢は自分の脳内に浮かんだ疑問を、ふとそのまま溢してみた。
「何だべ?」
「……どうして、オマエはいつもオレを空に連れて行こうとするんだ?」
確か、二人とも大分小さい頃からだったと思う。如何せん昔過ぎるように思えて、ぼんやりとしか思い出せないのは少し口惜しくもあるが。
陣は何故、自分を連れて空に飛び出そうとするのだろうか。彼一人で飛び出すことは多々あるが、その中で自分まで巻き込んで飛翔することも、少なからずあった。
特に最近、―――暗黒武術会、そして魔界統一トーナメントが終わってからは、頻繁に空に連れ出されていた。それ以前は、……一時、フッとそれが途切れてしまった時期があった。魔忍として、“一人前”となってからは―――
「………あー、っと………」
珍しく、陣が言葉を濁しているのに気がついた。少し弄ってやろうか、なんて気持ちが頭をもたげてきた瞬間、強い突風が二人に吹きつけた。
「っ…!!」
うっかりグラついてしまい、落ちないようにギュッと陣の首周りにしがみつく。が、予想していたよりも、次に凍矢の身体に風の勢いは来なかった。代わりに陣があっけらかんと、「大丈夫だべ?」と顔を覗き込んだ。
その顔の近さに、凍矢は一瞬驚いて、小声で大丈夫だと言いながら顔を伏せた。きっとまた、陣が風を使って避けてくれたのだろう。それは有難いのだが……
「…凍矢、耳赤くなって可愛いだな〜。オレにギュッてしてくるし…もしかして怖かったべ?」
と、にやつきながら言っているのが分かったので、キッと顔を上げて両手で頬をつねり上げた。予想通りにやけていた顔が、横にびろんと広がって更にだらしない顔になる。
「うるさい。怖くない。…落ちたらタダじゃ済まないだろ、この高さじゃ」
「いっ、いはいべほうや〜!」
何を言っているか分からなくなったので、指をパッと離してやる。もちもちしてて、さわり心地のいいほっぺだったから、また摘まんでやろうかと思ったのは内緒だ。
「……で、結局、どうしてオレまで一緒に空に連れて行くんだ?…負担になるんじゃないか?」
一段落したところで、本題に戻る。陣は片手で頬を擦りながら凍矢の質問を聞いていた。
「負担云々なら、全然無いべ!凍矢ほっせーし、おっきくなってからは凍矢の方が小っさくなったから、こうやって抱えられるしなー。むしろ軽すぎなんでね?」
「……人の気にしていることをずけずけと抜かすな。オマエの方がでかくなってしまっただけだ」
「それに………」
陣は言葉を切って、絶え間なく吹く風に、心地よさそうに目を閉じた。そのまま黙って、口を開こうとしない。
仕方ないので凍矢も同じように、夜の空気に身を任せるように、ゆるゆると瞼を下ろす。風が些か冷たい気もしたが、陣の体温はそれを上回って自分に触れていたから、落ちはしない、一人ではない、と安心することが出来た。
凍矢が胸中そんな風に思っているのも知らず、陣は随分と昔の事を思い出していた。

二人とも幼いまま、親友として過ごしていたあの頃。


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