『凍矢、凍矢!』
『何だ、陣。また何か見つけたのか?』
書物を広げていた氷のような少年に、赤髪の少年が駆け寄ってきた。それは犬のような人懐っこい笑顔で、呪氷使いの卵も張り詰めていた気を緩ませた。
陣と凍矢の二人はまだ幼く、忍としての修行をひたすらにやり続けていた。と言っても、陣はこの頃から気まぐれで修行をサボることをしたし、凍矢はこの頃から生真面目で遊ぶようなことを知らなかった。成長してもその辺りはあまり変わっていないのだ。
今日もまた、陣は薬物などの勉強から抜け出したようで、一人黙々と図鑑に目を通していた凍矢の寝床にやってきていた。凍矢が陣に顔を向けると、陣は再度にへっと笑い、凍矢の傍にぺたっとしゃがんだ。
『オレな、風を操れるようになったべ!空だって飛べるだ!』
その言葉に凍矢は僅かに目を大きくした。自分もついこの間、呪氷を形作ることが成功していたが、陣までもがこうも早いとは。
『いつも修行を抜けている、お前がか?』
『む〜、一人でもちゃんと練習してんだべ!みんなとやってっと、合わねーから……』
苦笑をする陣に、確かにそうかもしれないと、凍矢は小さく頷いた。
二人ともその才能は、多くの弟子達の中でも群を抜いていた。忍として、妖怪――風使いや呪氷使いとして、成熟することも早いだろうと、師匠らにも期待されていた。
だが、群を抜くと言うことは、周りに追いつく者が居ないと言うことだ。陣も凍矢も、どちらかと言えば同じ種類の弟子達につまはじきにされていた。
僻んでいる暇があるなら修行をしろ、と嫌な視線を受け流していた二人だったが、ふとした時に二人は出会った。
多少温度差はあるように見えたが、陣と凍矢はすぐに打ち解けた。閉鎖的な凍矢は開放的で自分が揺らがない陣に惹かれ、後先考えない陣は物事をしっかりと見つめて考える凍矢に興味を持った。
次第に、元々凍矢の唯一の仲間と言えた化粧使い画魔が、陣も交えて、忍の里の中でも僅かな平穏を過ごすことになるのだが、それはまた次の機会にしよう。
話は戻り、凍矢は陣に本題を話すよう促した。すると陣は、
『でな!凍矢、一緒に空飛ぶべ!』
そう、驚くほどあっさりと言い放ってくれるので、凍矢は一瞬反応が遅れた。
『……え?』
『オレさっき試したんだけどな、あと一人くれーなら大丈夫みてぇなんだべ。二人だと、あんま高い所には行けねっかもしんねけど、オレ、凍矢と一緒に飛びたいだ!』
眩しいほどの笑みを向けられて、凍矢はうっかり目が眩んだような気がした。まだ見終わっていない薬草の図鑑を手にしながら、少しだけ迷った。
しかしその迷っている時間も、そう長くはなかった。
『……行く』
小さい声だったが、先程から真っ直ぐに伸びていた陣の耳にはしっかりと届いたらしく、陣は笑って凍矢のひょろっとした手を掴んだ。
『しっかり握っててな!』
凍矢の手の冷たさは心地良くて、陣は更に機嫌を良くして風を操った。すると、二人はふわりと浮き上がり、雷雲に向かって垂直に上昇していった。

『……凍矢、そんな身体に力入れなくても大丈夫だべ?』
『…えっ…!あ、っ…ご、ごめん……』
ハッと気がつくと、全身を強張らせて、陣の手を強く握り締めていた。無意識に、未知の体験への恐怖が表面に出ていたことを知ると、凍矢は恥ずかしさで顔を微かに赤らめた。
『凍矢可愛いべ〜。女の子みてーだなぁ…むぎっ』
『……誰が女だ……』
空いた手で陣の頬をつねる。ただでさえ自分でも気にしているのに、他人にまで言われてしまうのは気に食わなかった。
ふと、凍矢は足元を見た。そして今度は、思いっきり目を丸くした。
森が、里が、とても小さく見える。すぐ上を見れば、今にも黒雲に手が届きそうだ。届いてしまうとさすがに致命傷を負いそうなので、手は伸ばせないが。
高い場所から見下ろすと、こんなにも違った景色が見られるのかと、凍矢は素直に感動した。
陣はそんな凍矢の顔を覗き込んで、自信満々にふんぞり返った。
『な?すげーべ!オレ一人だと、もうちっと上まで行けんだけど、こっから見ても、里なんて豆粒みてえだべ!』
手を繋いだまま二人は、何が見えるだの、あっちには何があるのかだの、目を輝かせながら話し続けた。
もう何分経ったのか分からないが、凍矢がふっと呟いた。
『陣は、凄いな。オレは、空を飛ぶことは、…できない』
少しだけ寂しそうに言う凍矢に、陣はまた自信たっぷりに言い切った。
『オレだって氷なんて出せねえだ!凍矢だって凄いんだべ!』
白い歯を見せる陣だが、自分が出来ない事を堂々と言い切るのはどうなのだろうか。と思い、後の自分に対する褒め言葉に、凍矢は何だか喜びきれず、小さく否定する言葉を呟いた。
『オレは、そんなに凄くない』
『凄い!』
『凄くない』
『凄いったら凄いだ!』
力を込めて陣が言い返すと、周囲の風が揺れた気がした。足元にあった風までが揺らぎ、凍矢が不意にバランスを崩して、陣の手を強く握った。
『ご、ゴメンだ!凍矢落ちてないべ!?』
『……ここに居るだろ。まず落ち着け』
言葉を交し合った後、二人は顔を見合わせて同時に笑った。

そうだ、どっちも凄い。それでいいじゃないか。
 
『………凄い、よな。オマエも』
口角を上げ、目を優しく細めた凍矢は、とても綺麗だった。
『……っ……!』
陣は思わず言葉が出なくなった。と同時に、その微笑は脳味噌にくっきりと焼き付いてしまった。
いつも、そうやって笑ってくれればいいのに。みんなに悟られない、けど、辛そうな顔なんて、しないで。
絶対に忘れないようにしよう、と、凍矢には言わないで、心の中でぐっと誓った。
『……そろそろ、戻ろう。このままだと、師匠達にバレる』
『オウッ!』
フッと風を動かし、陣達は空を降りた。結局、陣が無断で飛翔術を使ったことが明るみに出ることは無く、二人は二人だけの内緒が出来たことを、また改めて微笑み合った。
 
それからも、陣はしょっちゅう凍矢を空に連れて行った。決して綺麗とは言えない景色だったが、一時の自由を得られた気がして、陣はとても楽しんでいた。凍矢も、自分から催促はしないものの、陣の誘いを心待ちにしていた。
だが、二人だけの空の散歩は、陣も凍矢も大きくなっていくにつれ、どんどん数が減っていった。丁度、凍矢が一人前の呪氷使いとして認められたときから、急に。

 
「―――…ん、…陣!」
「ふえっ!?えっ、あ、あれ……?」
透明な凍矢の声がいきなり耳に飛び込んできて、陣は肩を跳ねさせて驚いた。陣がまだ微妙に慌てていると、陣を支えている風までも忙しなく動き始めた。
「落ち着け!オマエが冷静じゃなきゃ、二人とも落ちるぞ!」
凍矢に諌められ、陣は漸く冷静になった。全く…と溜息をついて呆れる凍矢に、気まずくなった陣は目線を上にずらしてごまかし笑いをした。
そんな陣にまた溜息をついて、凍矢は三回目の同じ質問を投げかけた。
「で、どうしてオマエはオレを連れて行くんだ?…さっきから十分以上も黙ったままだったし…」
本来なら、凍矢は人の過去を詳しく突っ込んで聞こうとはしない。だが、陣の場合は別だった。幼い頃から一緒に居たのに、こんな理由も聞いたことが無かったのは、不本意だが少しモヤモヤしていたのだ。
素直な疑問の視線に、ぐっと詰まってまた眼を逸らす。凍矢はそんな陣の態度が気に入らなかったようで、顔を見せないようにしがみついた。陣は凍矢が落ちないように、よっ、と抱え直した。
「……凍矢は可愛いだなぁ」
「…話逸らすな」
 
(……あ、)


今、分かった。

凍矢を連れて行き続けていたのは、またあの笑顔が見たかったから。
凍矢を連れて行けなくなったのは、心すら見えなくなってしまったから。

空を飛ぶのを誘うことすらためらうほど、凍矢の心は氷河の底に沈んでしまっていた。――――画魔をなくしてしまう、までは。

そして今。凍矢はまた笑うようになったから。―――何も知らなかったあの頃と、同じように。
 
口を開くが、そこから言葉が落ちることは無かった。そっと、心の中に留めておこう。陣はほくそ笑んだ。
言葉にして、ただの事実にならないように。それよりも、大切な“想い”として、ずっとずっと、ずっと。

忘れないで、いよう。


「………ナイショだべ」
陣は言って、悪戯っぽく笑った。凍矢はやっぱり不服なようで、その台詞と笑い声を聞いた瞬間にガバッと陣から離れ、今度は思いっきり頬をつねり上げた。
「そうか、明日の朝飯は抜きで良いな」
自分が落ちないようにバランスをとりながら、陣が涙目になるまで引っつかんだ頬を上に横に下にと引っ張ってやる。
「い、いでででで!!ほっ、ほんほにいはいべ、ほうやー!!」
でも陣は、きっと泣くほど痛く抓られても喋らないだろう。凍矢は、本当に言わないと分かったら程ほどのところで諦めるだろう。
そして今度は陣が言うのだ。「そろそろ、戻るべ!」と。

大きく広く澄み渡る夜空の上で、風と氷のじゃれあいは続いた。一方的に陣がいじめられているような気もするが、それは無視することにしよう。
凍矢は忘れたのだろう。初めて連れて行ったあの日の事を。きっと辛くならないように、閉じ込めてしまったまま。でももしかしたら、その内ひょっこり思い出すかもしれない。
 思い出したとしても、きっと陣と空を飛んだ本当の理由は知らないままだ。
 
何はともあれ、陣はまた、凍矢と一緒に空を飛ぶことができている。例え凍矢はその訳を知らなくても、きっと微笑みながらまた手を差し出す。

陣はきっとこれからも話さない。
凍矢はきっともう聞こうとしない。

それでも、それでも二人はまた、空高くへと飛んでいく。

仲間と、亡き友と、美しい世界を、互いを、全てを見渡せる、空へ――――



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