放課後。そろそろクラス中が甘ったるい雰囲気と匂いに包まれて、他の人間は嫉妬の視線でその幸せそうな雰囲気をぶっ壊してやれたらと思いながら睨みつける、放課後。
(どうしようどうしようどうしようどうしよう、て言うか、本当にどうするんだ私…!!?)
凍矢の心臓は、破裂しそうなほどに鼓動を打っていた。絶対早死にできると思えるほどで、自分の耳にその音が外から聞こえてくるような錯覚すらしてきた。顔が真っ赤になることだけは避けようとしているが、耳の辺りが今日は一日中真っ赤になっていたことは、死々若と陣に何度も突っ込まれてしまった。
(…………義理だと言って、渡すべきか……でも………)
陣の鞄を見ると、丁寧にラッピングされた贈り物が、山のように入っていた。当の本人は、掃除をしながら幽助に小突かれ、始末をどうしようか悩んでいるように見えた。
「………」
ギュッと、鞄の中で手に持っているチョコレートを、壊さない力で握る。
本当は、告白してしまいたい。大好きだって、誰にも渡したくないって、打ち明けたい。しかし…怖かった。違うと言われて、傷つくことが。それは普通ならば誰でも抱く想いだが、凍矢はそれが、酷く自分勝手な気がしていた。この恋情が、人を想うこと自体がエゴだが、傷つくことを恐ろしく思うのも、またエゴだと感じていたのだ。
もうすぐ、今日は終わってしまう。これから先に、ここまで絶好なチャンスなど、来ない気がしていた。だから、今日は思い切ってしまおうと、昨日何度も考えたのに。
「……はぁ……」
帰る支度をしながらため息をつく凍矢を見て、死々若は鼻を鳴らした。全く、臆病とは言いたくないが、自信を持ったっていいのに。
凍矢は普段、本当に冷静沈着だ。的確なアドバイスだし、基本的に頭が切れる。だが、一度陣が絡んでしまうと、嬉しそうにするのはいいが、しどろもどろになることが大半だ。しかも、自分の片想いが前提でと言うのだから、歯切れが悪いったらありゃしない。
自信を持て、お前を振る奴はいない。特に陣は。――と、言えるものならとっくに言っていた。が、自分の性格上、素直に口に出すことは出来そうにない上、やっぱり全力で否定しそうだ。
死々若は唯一の親友の心中を案じて、彼女には珍しいため息を一つ漏らした。
そんな時、教室がざわめいたのが二人の耳に入った。振り返ってみると、入り口のドアにある女性が立っていた。一つ年上であるだけだから、女性というのも少しおかしい話だが、その妖艶さはもっと年上にあるべき色香だった。自分達と同じ、ブレザーにチェックのスカートだが、凍矢とはまた別の意味で年不相応だった。
「陣さんはいますか?」
オオッとどよめきが上がり、彼女が発した名前の主を全員が見つめた。当の本人は、クラスメイトの視線を多数浴びて、幽助との談笑を止めて、入り口に振り返った。瑠架は、艶やかな笑みを浮かべ、大きな胸元にチョコレートと思われる包みを持っていた。
「………オレは、いっけど……」
手を上げて自分の存在を示す。その顔は、予想外のことが起きて驚いている表情だった。
「陣さん、ちょっと来ていただきたいのですが、お時間はありますか?」
「えっ…でも、オレは…」「うおお、瑠架先輩から!?お前行って来いよ、陣!」
同級生の1人に押し出され、陣は自分より少しだけ背の低い先輩の前に立った。それは、困惑した表情で、期待などは微塵も読み取れなかった。
「幽助〜……」「掃除はオレらでやっとくから、一応行って来いよ!」
自分の気持ちを知ってるくせに、どの口がそれを言うのか。まあ、『断って来い』と言っているのが分かったので、渋々瑠架に着いていくことにした。
「……分かっただよ」
その言葉が、どれほど凍矢の心を揺さぶったか、陣は知らなかった。


「…んで、話って何だか?」
「……まずは、チョコレートを渡しに。それと―――――」


凍矢は、とっくに掃除の終わった教室で、自分の手にあるチョコレートをじっと見つめていた。
「…………どうなった、かな」
ポツリと呟いた言葉は、誰の耳にも入らなかった。
陣が瑠架に付いて教室を出て行ってから、20分が経とうとしていた。2月は寒く、既に日は沈みかけていた。黄昏が空を覆おうとしている。凍矢は、まだその主が戻らない机をじっと見つめた。鞄はちゃんとある。何故かチョコレートの山は全部なくなっていたが。
凍矢は、陣が帰ってくるのを待っていた。そう、ただの自分の勝手で。

死々若は既に部活に行ってしまっていた。凍矢は、彼女が胸中で何の心配もしていないなんて思いもしなかった。むしろ、ようやく決着が着くと、内心密かに喜んでいた。が、それは表に出さず、死々若は凍矢に声をかけた。
『待っててやれ。絶対戻ってくるだろ?陣は』
ハッピーエンドで終わることが眼に見えていながら、死々若は竹刀を振っていた。フッと唇に笑みを浮かべると、後輩に珍しいと突っ込まれてしまった。

だが、瑠架が教室に来たとき、不安が全身を包んだ。ふらふらしている男子なら、余裕でなびいてしまうようなプロポーションだ。おまけに気立てもいい。もし陣が、OKをして、帰ってきてしまったら――――……
「っ……!!」
泣きそうになった。自分が急に惨めになり、恐ろしくなる。…いや、惨めも何もあってたまるか。
聞いてみるしかない。凍矢は涙を目に一杯にためながら、一人小さく頷いた。震えそうな手と身体を、必死で抑えながら、凍矢は陣が戻ってくるのを待ち続けた。


「何っで、こうなんだべ……!」
陣は、暗くなった廊下を戻りながらイラついた呟きをこぼした。窓の外を見ると、夕陽が沈んでいくところが目に映った。それを横目に見ながら、陣は目一杯のスピードで再度駆け出していった。

『陣さん、好きです。私と…付き合っていただけませんか?』
『………ゴメンだ、オレは、大好きな奴がいるだ。だから、アンタとは、付き合えねえ。…悪いだ』
そう、たったそれだけで終わったのだ。瑠架が差し出したチョコレートを断って、瑠架の告白も断った。自分には、この一年近く焦がれ続けた、想い人がいるのだ。もし振られたら、瑠架を振ったことを後悔するかもしれないが、陣の心には1人しかいなかった。
(凍矢………!!)
瑠架と二人の間も、陣の頭の中には凍矢しかいなかった。だから、すぐに帰ろうとした。が、
「待ってください……!」
「っ!?…る、瑠架先輩……?」
「お願い、少しだけこうさせてもらえませんか……?」
踵を返した途端、瑠架に後ろから抱きつかれた。背中に彼女のふくよかな胸が当たっていたので、振り払おうとしたものの、それは案外強い力で、女子相手に本気で力を振るうわけにも行かなかった。陣は観念して、10分程度そのままでいた。瑠架は満足したようで、スッと離れて礼を言った。陣はそれを困り顔で聞きながら、今度こそ教室に帰ろうとしたが、次には、昇降口で足止めが待っていた。
「………何なんだべ」
そこにいたのは、メモ帳やカメラを持った、数人の男子学生だった。その風貌と、共通して右腕につけた腕章に「新聞部」と書かれていたので、陣はそいつらが何なのかは分かった。だが、どうして自分が通せんぼされているのか。その理由は分からなかった。
「…何の用だべ」
声に不機嫌さを増して、陣はもう一度聞いた。そのドスの利いた声色に若干怯えるものの、眼鏡をかけた男子がズイッと前に歩み出た。陣は童顔だが上背があるため、その生徒は陣を見上げる形になった。怯みながら、そいつは用件を話し始めた。
「いえ、今帰ってきたのって、告白からですよね?陣さんは人気者じゃないですか。それの詳細を聞きたいんですよ。しかもそれが大部分の男子生徒憧れの瑠架先輩からの告白って言うんだから、ネタの大きさは随分なものですよ。…もしかして断ったんですか?じゃなかったらそんな険しい顔なんてしてないですよね。できればそこらへんに関しても是非細やかな情報を…ヒィッ!?」
陣は気づくと、いやみったらしい顔でぺらぺらと喋っていた眼鏡野郎の胸倉を掴み上げていた。その顔はまるで鬼神のような相貌で、脚が宙に浮いた彼は、ちびるのを我慢してその恐ろしさに震えていた。
「顔が険しいんは、機嫌が悪(わり)いからだべ……オメもぶん殴ってやろうか……?」
元々、ゴシップ記事を中心とするこいつ等の新聞を、陣は好いていなかった。なのに自分がその対象となり、なおかつ瑠架の気持ちを無視していて、陣の苛立ちは最高潮にまで達していた。
他の新聞部員も完全に萎縮しきって、ただただオロオロしていたが、陣のほうは完全にキレていて、今にも全員殴り飛ばしてしまいそうだった。凍矢に会いたい、それだけの為に教室に戻ろうとしているのに、どうしてこんな邪魔が入るのか。
「陣、そこまでにしておけ」
掴みあげていた右手に、ガッと手が掛かる。その方向を見ると、死々若を待っていた鈴木が、陣を止めていた。鈴木…と呟いて、制服を握っていた手を離した。眼鏡は地面に着地して、他の奴らを連れてすたこらと慌てて去っていった。
「……何で、ここにいるだ。帰ってなかったべ?」
目つきも険しいまま、鈴木を見る。鈴木は怯む様子を微塵も見せず、死々若を待っていたと告げた。「…………凍矢が教室にいるはずだぞ?早く戻ってやれよ」やれやれと苦笑しながら鈴木が言うと、陣は目を見開いた。――信じられなかった。が、鈴木が意味も無くそんな嘘を言うとは、どうしても思えなかった。
「っな……嘘、だべ……?」
「こんなことで嘘をついても、オレには何の得も無い。むしろ損をするな。お前にボコられるから」
笑いながら冗談を飛ばす鈴木を尻目に、陣はもう駆け出していた。嘘か?イヤ、『待っていた』と言うのなら嘘にはなっていない。問題は、凍矢が自分の意思で帰ってしまったかどうかだ。
帰ってしまう前に。陣は出る限りのスピードで階段を3段飛ばしで駆け上がった。

風のような速さで走っていった陣を校舎内に見ながら、鈴木はもう一度やれやれと苦笑をした。本当に手間が掛かる。だが、さすがにもう気づいたのではないだろうか。凍矢が帰ってしまうことは、きっと無い。それは、きっと有り得ない。
「……オレはやっぱり天才と言うか何と言うか…立役者だな、二人の」
「何か言ったのかオマエ」
気づくと、後ろに死々若が立っていた。いつものように不機嫌そうな顔で、竹刀をしょって。
「死々若!」「何か変なことでも言ったのか、オマエ」
責めるように鈴木を睨み上げた。死々若は、陣が階段を駆け上がったのを見ていたのだ。
「イヤ、凍矢が教室で待っている…とだけな」
「……お節介め」と死々若が言うと、「してやらなきゃいけない時があるんだよ」と、鈴木は笑って答えた。それを鼻であしらって、珍しく、本当に珍しく、死々若は素直に同意した。
「…………それもそうだな」
「!!…死々若もそう思うだろ!?いやー、お節介もいいものだ…なっ!?」
また、鈴木の脳天に死々若の竹刀がめり込む。ただその力は、普段と比べると軽い。彼女だって、陣と凍矢が上手くいくことを望んでいた。だから、その鈴木の行動に、ちょっとだけ免じてみた。
死々若は、微かに微笑んだ。
「……調子に乗るな。帰るぞ」
大きなこぶが出そうな頭をさすって、死々若の言葉に表情を晴れさせた鈴木は、さっさと先に行ってしまった死々若に追いついた。

「なあ、明日どこかに出かけないか?」
「何だ、チョコレートなんかやらんぞ」
「誰も欲しいなんて言ってないだろ。和菓子でも食べに行かないか?」
「……おごらないからな」
「二人で食いたいだけだ!11時に死々若の家に行くからな」
「…遅れるなよ」



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