ばれんたいん。そう言えば、そんなことが去年にもあったな、と、頭の底から引っ張り出した。確か、机の上が綺麗な包装のチョコレートだらけだったはずだ。周りの男子から、恨みの視線を痛いほど身にくらったことは覚えている。
「…………あ、チョコレートだ」
「…鈍いですね。と言うより、本気で分からなかったんですか?」
「んだ。…そっか……バレンタインだべ……」
ようやく合点がいったと言う風に納得する陣を見て、蔵馬はやれやれと肩をすくめた。
「俺は毎年大変ですよ。紙袋の量が年を増すごとにどんどん増えていって…」「もらえない奴に対しての嫌味だって分かってるか蔵馬ぁ!!」
幽助は涙目になりながら、にこやかな蔵馬の胸倉を掴んだ。陣が隣を見ると、桑原がいやに上機嫌で手元の包み紙を眺めていた。透明なビニールから覗くのは、こげ茶色の固形物だった。
「あれ、桑原はもらったんだべ?」
「こいつか?雪菜ちゃんにもらったんだとよ!あー、俺なんて毎年螢子からしかもらえねーよ!アイツの作ったやつなんて、腹が悲鳴を上げるぜ!」と言って、幽助はどかっと椅子に座った。
「かと言って毎年しっかり食ってんじゃねーか!浦飯は素直じゃないよなー、陣!」
桑原が爆笑した所為で、幽助の怒りの矛先は桑原に向かい、朝から第一戦が勃発した。それを横目に見ながら、蔵馬は溜息をついた。
「騒がしいですねぇ。チョコなんて数の多さじゃありませんよ、全く」
「蔵馬が言っても説得力無ぇんだけども…。あ、そう言や飛影どうしただ?…何か、今見っと、飛影の机が去年のオレみてぇになってっぺ…」
陣が指した机の上には、こんもりと包装紙の山が作られていた。だが、その席に座っているはずの主は、まだ姿を見せることはない。
「今日はもう来ないと思いますよ?…全く、只でさえ単位がやばいって分かってるのかなぁ?」
笑顔に黒いものを付加しながら、蔵馬は椅子に座った。あはは…と苦笑いをして、陣も窓際にある自分の席に着いた。

バレンタイン。声に出さず呟いてみる。女子から男子にチョコレートが送られる日。…去年は、何人かに告白されたような、曖昧な記憶が残っている。薄情だとか言われても仕方がないが、すぐに記憶は薄れてしまうのだ。自分がよっぽど関心を持っているものでなければ。
例えばそう、2年に上がり同じクラスになって、一目見た瞬間一目惚れしてしまった、あの空色のショートヘアの小柄で華奢な美少女とか。
でも、その原理だったら。今日が、バレンタインなるものならば。…………変な期待は、持たないほうがいいな。陣はふうっと息を吐いた。
凍矢に対する、片想いの期間は長くない。一年も経っていない。彼女はいつも静かで、綺麗で、頭も良くて、時折見せる笑顔は心臓を打ち抜かれるかと思うくらい魅力的だ。だが、これは大体の奴らは思っていることだった。凍矢を泣かせそうな奴らはこの一年近く、それとなく牽制してきたが、凍矢の気持ちが自分に向いているかなんて、わかりっこなかった。下手な告白をして、自分が傷つくのも嫌だったし、凍矢を困らせるのも、嫌だった。
女の子が男の子に愛を伝える日。日本でのこの日の定説はそれだ。それくらいは陣だって知っていた。決して、男子が自分の誇りのためにチョコをねだる日ではない。と言うより、本命の相手がいる男子は、そんなことはしようと思わないはずだ。代わりに、その相手の愛を欲しがった。自分から告白する度胸?んなモンよっぽどの男じゃなければ持っちゃいないだろう。
情けないことに、自分はその度胸を持って踏み出せていなかった。いつもいつも、あと少しというところで邪魔は入るし、あと一歩のところで、勇気を出せなかった。
「……期待したって、意味無いべ」
その不貞腐れた呟きは蔵馬の耳に入り、蔵馬は気づかれないように苦笑いをした。
―――本当に鈍いな、この二人って。
とそこに、凍矢が鈴木に押されて、転びかけながら教室に入ったのが陣の目に映った。瞬間、好きな相手を雑に扱った鈴木に対してぶち切れた。
「ッ…!!鈴木ーッ!!オメ、何してるだー!!」
ガターンと椅子をひっくり返す勢いで立ち上がり、(倒れた椅子は後ろの蔵馬がしっかり支えた)誰かの机を踏み台にしてドアのところまで跳躍した。鈴木がしまったという顔で、捨て台詞を残し、全速力で廊下に駆け出した。また陣も全速力で追いかけた。そこから、予鈴が鳴るまでの10分間、鈴木は捕まったら全身骨折させられる、命がけの追いかけっこが始まった。
結局、鈴木を捕まえることは出来たものの、そこはもう校舎の端だったので、予鈴が鳴る前に帰らなければいけないと言う結論が、陣の中で出てしまった。
(コイツに気ィ取られて、まだ凍矢におはようも言ってなかったべ)
鈴木よりも凍矢の方が大事なのに、何で自分はまず初めにコイツを追っかけてしまったのか。本気のチョークスリーパーをしかけていた腕を離し、我先にすたこらと教室へ戻り始めた。首を折られかけていた鈴木は、危機一髪と盛大に息を吐いて、慌てて陣の後についていった。

辞書が顔に埋まったまま踏み潰される鈴木を、あっさりとスルーして(だっていつものことだから)、先程声を掛けそびれた、片想いの彼女に朝の挨拶をする為に駆け寄った。凍矢の顔を見た途端に、陣はあっという間に上機嫌になった。
この、ただの言葉をかける行動も、陣がどれだけ楽しく、嬉しく思っているか、凍矢は知らない。そして、明るく楽しそうに「おはよう」と言われるのを、雪のように透明なこの美少女が、どれだけ待ち遠しく、嬉しく思っているのも、陣は知らない。
「あ、凍矢!遅くなったけどおはようだべっ!怪我して無いだか?」
「あ、ああ。大丈夫だ。…おはよう…」
おかしい。凍矢が、自分の顔を見て挨拶を返してくれない。いつもなら、微笑と共に鈴を転がすような声で、「おはよう」と言ってくれるのに。寂しいなと思っていると、何か体調でも悪いのか、と言う考えに行き当たって、うろたえた。
「凍矢?どうしただ?…あ!何か顔が赤いだ!熱あるだか?」
逸らされてしまった顔を覗き込むと、年不相応な幼さを持った美しい顔立ちが、耳まで赤らんでいるのが分かった。凍矢は元の肌が真っ白なので、そういう変化は良く分かる。陣は益々慌てて、思わず自分の手を凍矢の額にぴたりとくっつけた。
(、う、わ)
自分がいきなりやった行動に驚いたのか、凍矢は目をギュッと瞑った。その顔が、―――キスを待っているような顔に見えたことを、陣は凍矢以上に驚き、恥ずかしく思いながら、手を離した。すべすべの額で、右手を離すのがとても名残惜しかったが、いつまでもそうしてはいられない。大体、自分の体温のほうが彼女より高いんだから、分かるわけも無かった。
「っ…ん〜、オレの手あったけーから、よく分かんないだな〜」
何事も無かったかのような台詞をさらっとこぼす。内心、心臓が早鐘を打っている音が、どうか凍矢には聞こえませんようにと祈りながら。
だが、そんな時間も凍矢の言葉によって破られた。確かに時計を見ると、もうすぐ担任が来る時間だった。ヤベッと焦り、凍矢にまた後でと告げて、自分の席に駆け戻った。
(ヤバイ、ヤバイヤバイヤバイ、ヤバイだ、今のは!)
頭に上りそうな血を無理やり押さえ込み、随分離れた自分の席から凍矢をちらと見た。桃色の薄い唇に眼がいって、慌てて眼を逸らした。死々若と何か話しているのが見えたが、内容までは聞き取れなかった。聞き取れてしまっても、それは盗み聴きになってしまうので、拒否したいが。
(……何でオレ、こんなに凍矢のこと好きなんだべ……?)
チョコレートを渡そうとしている相手が、自分であって欲しいと切に願ってしまうくらいに。
誰にも聞こえないように、小さくため息をついたつもりだが、それが、幽助の僻みから逃れてとっくに陣の後ろの席に座っていた蔵馬に、聞かれていたことは陣の知る由も無かった。


陣が席に戻る少し前、熱の確認をしていたとき、鈴木はようやく死々若に脚をどけてもらった。
「ぐっは!!死々若!オレじゃなければ死んでいたぞ!」「オマエは何をしたら死ぬんだ」
辛辣なツッコミはいつもどおりなので、特に気にしなかった。全く…と呟きながら、そう言えばと死々若に目をやった。
「ところで……チョコレートは持ってきたか?」「ある訳が無い」
スパァンと竹を真っ二つに割るような返答をされ、さすがに少しへこんだ。死々若はやっぱりいつもどおりの表情で、鈴木を「早く立て」と蹴り飛ばした。
やれやれと言いながら鈴木は立ち上がり、本当に付き合ってるのかなとふと疑問符が浮かんだ。…まあ、自分が下僕扱いされていることは分かっている。それに、死々若は自分の興味の無い人間に関わろうとは一切しない。1年のときの孤高さが良い例だ。だから、そんな扱いでも、自分が死々若の近くにいることが出来ているというのは、疑いようの無い事実だった。
「……凍矢のほうは、持ってきたらしいがな」
ぼそっと呟かれた言葉に、自分より大分低い位置にある美しい顔に目を向けた。その意味を頭の中で理解して、一人うんうんと納得して頷いた。
「そうかそうか、凍矢もようやく決心がつい…はごっ!!?」
「声がでかい。お前相手ならこの竹刀は真剣になるぞ」
背後から思いっきり竹刀でぶっ叩かれ、鈴木はまたもや地に堕ちた。そしてまたもや即で復活した。この回復力の高さはどこから来るのかと、死々若は毎度呆れている。
死々若は呆れながら、少し考えるような仕草を見せた。そして、
「…………」
「だからお前はっ!!……え?」
立ち上がった鈴木に、死々若は何かを呟いた。それは鈴木にしか聞こえない声量で、もしかすれば独り言にも聞こえたかもしれない。
『オレの部活が終わるのは5時だ』
これは、言い換えれば、5時まで待っていろ、とも聞こえはしないだろうか?
「……!!…ああ、分かった!またな、死々若!」
「2度と会わん」「同じクラスだろ……」
いつもどおりの素早い切り替えしに、苦笑いを浮かべて見せたが、鈴木の胸中は晴れ晴れとしていた。…本当に、オレ達は付き合っているんだろうか。自分も自分だ。一緒に帰れるくらいで、新薬の開発アイデアがポンポン浮かんでくるほど、浮かれてしまうなんて。
「…今日は早めに切り上げるか」
化学研究部部長で、理数社にかけては天才(奇才)と言える頭脳を持つ男(国英は1桁の点数がざら)鈴木は、自らが愛している化学実験の時間が少なくなることを、惜しいとも思わなかった。



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