それは女子の、女子による、女子の、ための、聖祭。一年で一番の、甘い香りが漂う日。


Love,Like,Chocolate …and You?


「………………どう、するか…………」
雀が上機嫌に空を舞う、朝。空気がピーンと張り詰めて、肌を刺す寒気が痛い。だが雲は一つも空には見えず、誰が見ても文句のない晴天だった。
そんな気持ちのいい日。凍矢は十回目ほどのため息をつきながら、駅への道を足取りも重くトボトボと歩いていた。時折、自分のスクールバッグを見つめながら。
「……はぁ…………」
淡い色の前髪が、頭を垂れた瞬間に揺れ上がった。


バレンタイン。起源に関しては長くなる上に、違う場所に話が転がってしまうため割愛するが、日本のそれはどうしてこんなにも盛り上がるのか。その理由は女の子の、異常なまでのイベント好きな性質が関係する。
『一年に一度、女の子からのチョコレートと共に愛の告白が許される日』
いつの間にやらそんな煽りが着いてしまい、日本の菓子メーカーはこの時期が稼ぎ時となったわけだが。
だがそんなことは、当の本人達には何も関係が無い。意中の男性に積年の想いを告げてみたり、友人同士でチョコレートを上げて友情を確かめてみたり、むしろ色んなチョコが出回るこの時期に自分で買いまくって味見してみたり。毎年毎年、大部分の女子は色んな事を試して盛り上がる。たった一日だけのイベントのために。
そして、男子のほうにも、――男の誇りをかけた闘いがひっそりと繰り広げられていた。
『どれだけのチョコをもらったかが、男としての価値を決める』
それは量だけに関係するものではなく、(無論大部分は数だが)どれだけ気持ちがこもったチョコであるか。(またはプレゼントであるか)大っぴらに見せびらかすような奴もいれば、陰ながら対決が行われるのもある。見詰め合っている男子達がいれば、アイコンタクト(あるいはテレパシー)での争いだろう。

バレンタインデーとは、女子の愛、男子のプライドが掛かりに掛けられまくった、ある意味様々なことの決闘なのである。

無論、それは日本の一部の人間であると言っておこう。例外は多数ある。
例えば、モテまくってそんな次元ではなくなっている者。もらえなくてもどうだっていい者。彼女持ち。まず我関せずの者。―――――本当に本気で分かっていない奴。


「よーっす、幽助!」
派手な緋色の髪の毛をした少年が、明るい声で気合の入ったリーゼントの学ラン姿に声をかけた。が、
「……!?」
その少年が醸し出すオーラが、陣の身体に嫌な予感をまとわりつかせた。手を置くために出した手が、触れる直前で止まった。背中に冷や汗をかいたが、苦笑いをしながら、とりあえず声を掛けてみた。
「ゆ、幽助〜……?ど、どうしただか…?」
もしもーしと顔の前で手を振った。ら、その手をガッと掴まれた。
「陣っ!!」
「な、何だべ…?」
とてつもない剣幕に、陣は顔を引きつらせながら後ずさった。手首を掴まれているので、これ以上は後ろに下がれないが。
「お前は……お前はチョコなんて要らないよなっ!?」
「な、何の話だ〜……??」
もはや悲痛と言ったほうが正しいような叫びに、陣はひたすら困り果てて疑問符を頭の上に飛ばしまくった。
「幽助、陣が困ってるじゃないですか。チョコの1個や2個や10個なんて大したもんじゃないですよ。全く、小さい人ですねぇ」
「蔵馬…1個と10個の差は結構でかいだよ…って、マジで何の話だべ?オレ、何かしただか?」
「違いますよ。……陣、本当に気がついていないんですか?」
訝しげな蔵馬の目線に、陣はキョトンとした顔で蔵馬を見た。チョコレート?一体何の話をしているんだ、この二人は。
「だから、何がだべ?」
「バレンタインデー、ですよ。今日は、2月14日じゃないですか」
ばれんたいんでー。頭の中でその言葉を反芻している陣を、蔵馬はその美しい顔立ちににっこりと笑みを浮かべて、楽しそうに見ていた。


溜息をおよそ30回以上はついて、凍矢は自分の通っている学校に着いた。しかし今度は、教室に入る前で足が止まってしまった。
(入ってしまったら……会わなければいけなくなる……)
首に巻いている寒々しい濃紺のマフラーをギュッと顔に上げ、迷う。だがその思考は、陣よりももっと派手な金髪のマッドサイエンティストのおかげで破られることになる。
「凍矢!何をしてるんだ?それ、入った入った!」
「ちょっ、オイ、鈴木っ!?」
小さな背中を押されて、つまずく様な形で教室に入った。ほとんど転びかけていたため、危うく教壇にぶつかってしまうところだった。
「スマン、大丈夫か?」
「鈴木ーッ!!オメ、何してるだー!!」
「!陣…」
悪びれも無く謝る鈴木に、入り口よりも大分離れた席に座っていた緋の髪が、八重歯を見せて激昂した。
その声に気づいて、凍矢は顔を上げた。が、すぐに逸らすように顔を下げてしまった。今は、まともに彼の顔が見られそうも無かった。
「凍矢がちょっとでも怪我したら、オメも全身骨折させてやるだーっ!!」
「うおおっ!?そっ、それはあまりにも代償がでか過ぎやしないかーっ!?」
ガン!と机を蹴って飛び上がり、陣は全力で逃げる鈴木を追いかけ、廊下に凄まじい勢いで出て行ってしまった。哀れ陣に蹴られた机は、その反動で滑っていきガシャーンと他の机にぶつかった。周りにいた幽助や蔵馬が机を元の位置に戻しているのが見えた。
彼が教室を出たことにホッとして、凍矢はようやく体勢を直して、ぐしゃぐしゃになったスカートを下げる。しかし、胸をなでおろしている最中に、クラスメイトの1人がからかいの声をかけてきた。
「相変わらず、だんなは過保護だなー!ってヒイッ!?」
青ざめる顔の下には、剥き出しの竹刀が寸止めされていた。それ以上に、竹刀を持った人物が恐ろしく禍々しいオーラを全開させていたことで、男子生徒はちびりそうな程に震えていた。
眼光鋭く、陶器のように美しい顔立ちのため、その怒りは更に恐ろしいもので、からかっていたクラスメイトは「スイマセン!!」と連呼しながら他の男子のところに飛んでいった。
美人ほど怒らせたら恐ろしいものは無いというのは、彼女が体現していた。
「……ッチ、竹刀では切れないな」
「死々若……あ、おはよう」
「ああ。…全く、お前は何をしてるんだ。鈴木が後ろに来たことを気づかなければ、その内実験台にされるぞ。陣が息の根を止めていることを願おう」
もう一度舌打ちをしながら、死々若は竹刀を袋に仕舞った。薄青紫をした、一つに束ねた髪を流麗に揺らし、凍矢に向き直る。不機嫌そうな顔だが、これがいつもだからしょうがない。と言うよりも、一年近く過ごしてきたため、凍矢はもう慣れてしまっていた。それに、凍矢が気の置けない、数少ない友人の1人であった。ちなみに、女子剣道部主将で、剣道3段。家は道場で真剣の扱いにも長けている。物騒で頼もしいことこの上なかった。
凍矢はそんな死々若の態度に苦笑し、ふんぞり返った死々若の前に椅子を引いて座った。
「そこまで言わなくてもいいだろう。一応、付き合っているんだろ?」
「付き合ってなんか無い。アイツはオレの下僕だ」
「下僕か……」
フン、と鼻を鳴らす死々若に鈴木を少しだけ哀れに思った。すると、死々若が急に身体を乗り出して、凍矢にずいと迫った。凍矢は、不機嫌さに拍車が掛かったような表情に気おされ、少し後ろに下がった。
「凍矢」
「、どうしたんだ?」
「今日が何の日か、さすがにお前は知っているだろう?」
「え、…あ…」
顔を赤くして、凍矢は死々若から眼を逸らした。その反応を見て、死々若はまた鼻を鳴らして自分の席に座りなおした。
「…全く、どいつもこいつも」
「し、死々若はあげない…んだろうな」
「当然と言うかやる義理も無い」
「……」
冷や汗を出している凍矢に、死々若はなおもこう囁いた。
「言っておくが、……陣は分かってなかったぞ」
「…え…」
「ま、午前中はともかく、午後はチョコの山かも知れないかもな。アイツが来る前に、アイツの机がそうなってなかったのは、オレもよく分からん。と言うか去年はそうなってたというのに、忘れてるアイツが何というか…ああ、お前がいるようになったからか。まだ一つもないのは」
その台詞に、凍矢は顔が赤いまま、勢いよく頭を振って否定した。気づいているんだかいないんだか、むしろ全力否定の態度に、死々若は歯が浮きそうになった。無論、凍矢が悪いわけではない。全てを天然でやっているのを分かっているから、死々若は何も言えなかった。
それに対する文句を押し込んで、溜息も我慢して、改めて凍矢に聞いた。
「で、お前はチョコレートは持ってきたのか?と言うか、いつになったら告白するんだ?」
「死々若!!」
うっかり声を荒げてしまい、周りのクラスメイトの視線を感じた。それに恥ずかしくなりながら、凍矢は小声で話した。
「…いきなり、何を言い出すんだ!」
「持ってきたのか?」
「そっ…それは、そのっ……」
先程、今日が何の日かを確認した時点で、持ってきていることがバレバレだったので、あまり弄るのもよしてやるか、と死々若が考えたとき、廊下に駆け出していった二人が戻ってきた。
「オメは凍矢に対して乱暴だ!死々若にはいっつも甘すぎてどつかれてるくせに!」
「オマエがオレに対して乱暴だと思うぞ!?でもって凍矢に甘すぎる!!オレじゃなかったら骨が折れていた!!と言うか、凍矢には謝っただろうが!」
「女の子相手にあれで済むと思ってるべ!?大体、常日頃人体実験してるって噂がある、オメのことなんて信用できね―べ!」
「失礼な!!気に入らない奴だけだ!!」
「やってんじゃねーかよてめー!!」
後方から鈴木に、辞書がプロ投手の球並みのスピードで飛んでいった。投げたのは蔵馬に食って掛かっていた幽助だった。それはバゴッと鈍く嫌な音を立てて鈴木の顔にめり込んだ。
それにどうと思うこともなく、落ちた鈴木に追い討ちをかけるため、死々若は席から立ち上がって鈴木の金髪を踏みつけた。鈴木がぐえ、と蛙がつぶれたような声を出した。
「陣に完膚なきまでに打ちのめされて、全身複雑骨折で死ねばよかったのにな」
「チャイム鳴っちまうから戻ってきただ。あ、凍矢!遅くなったけどおはようだべっ!」
凍矢を見た瞬間、喜々として陣は声をかけた。その様は、傍から見ていた死々若が「オマエは子犬か」と突っ込めてしまうほど、でれでれだった。
「あ、ああ。……おはよう…」
今日、自分の恋心を伝えようとしている相手の顔は、まともに見ることが出来なかった。少なくとも凍矢は、普通の女の子と比べれば、随分な初心だった。
そんな風に顔を背けながら挨拶を返す凍矢を不審に思い、と言うか寂しく思い、陣は顔をよく見ようと自分の顔を近づけた。
「凍矢?どうしただ?…あ!何か顔が赤いだ!熱あるだか?」
焦って自分の手を、凍矢の白い額に持っていった。えっ、と彼女が思った瞬間、自分の平熱よりも高めな体温が、のぼせそうな頭に触れた。それが恥ずかしいやら、嬉しいやらで、凍矢は目をギュッと瞑った。
(ど、どうしよう…!と言うかどうしたらいいんだ…!?)
「…ん〜、オレの手あったけーから、よく分かんないだな〜」
(…あ…)
だが触れていたのは一瞬で、すぐに離れてしまった。凍矢はそれを少し、名残惜しく思ったが、もうすぐ始業のチャイムが鳴るため、陣に席に戻るよう促した。
「…大丈夫だ。陣、もう戻れ。時計見ろ」
「え、うわっマジだ!そんじゃまたな!」
慌てて窓際の席に戻っていく陣を見て、凍矢は何回目か分からない溜息を、またついた。
「……ライバルは多いだろうけどな」
「!!」
いつの間にか席に戻り、突然言葉を発した死々若に驚いて、後ろを振り返った。が、その言葉に同意して、寂しそうに苦笑した。
「……だろうな」
「………まあ、(120%オマエだな)……火を見るより明らかだな」
本当に言いたかった言葉は、胸中にとどめておいた。それは、凍矢と陣と仲の良い人物全てが分かりきっていることだった。なお、当の本人達は、一切気づいていない。

陣と凍矢の今までのやり取りは、傍から見ていれば百人中九十人は「カップル」と言い切れるものだったが、未だにこの二人は恋人同士ではない。「あそこまで甘いのに!?」と思うだろうが、付き合ってない。どころかむしろ、二人とも互いの片想いだと断じて疑っていない。全ての行動が、片想い前提なのだ。「あそこまでやっておいて?お互いに特別な存在って思われてるのに気づいてない?」――全く、だ。周りの人間は、少しだけ呆れつつ陰ながら応援してはいるが、付き合っていないにも関わらず下手なカップルより甘ったるい二人なので、告白を促すようなことをしようとは思わなかった。面白がっているのもあるが、ゆっくり歩みを進めても、この二人なら大丈夫だろうとほぼ全員が思っているからである。
今日はバレンタイン。凍矢は、当たって砕ける精神でチョコレートを作ってきていた。(無論、砕けることが有り得ないのを、周りの人間は本当によく分かっていた)2年に上がり同じクラスになったときの、凍矢の一目ぼれだった。折角仲が良くなったのだから、高校3年生になってクラスが離れる前に、気持ちだけでも伝えておこうと、元々得意だった料理の腕を生かした、実に美味しそうなトリュフチョコが凍矢の鞄の底にあった。
だがその気持ちは、直前になり、尻込みしてしまっていた。今の関係に戻れないのなら、ずっと友達で居られればいいかもしれない、と臆病な考えが芽を出していたのだ。

黙って、ギュッと拳を握る凍矢を見て、死々若はそれとなくフォローを入れた。
「…安心しろ。そうだとしても、問題は無い」
「いや、私なんかじゃ……釣り合わない。3年の瑠架っていう先輩も…っていう噂だし…」
(……言ってやったほうがいいのか。陣はオマエに骨抜きだって)
そう考えて、死々若は思い直した。間接的に、遠まわしに言ったって、二人には全く伝わらないが、直接言ってやっても、全力で否定するに決まっている。
促すな・伝えるな・本人達に任せておけ。これは、陣と凍矢の周囲の、一種の暗黙の了解だった。
「……まあ、勝負をかける時間は凍矢が決めろ。オレの関わるもんじゃない」
「ああ。…死々若、ありがとう」
「!……何もしてない。チャイム鳴るから、前向いてろ」
「そうだな」
ぶっきらぼうな死々若の態度に、くすくすと小さく笑いながら、凍矢は言われたとおり前を向いた。
死々若は、礼を言った凍矢の笑顔が柔らかく、とても可愛かったのを思い出して、
(オレが男だったら、迷わず付き合ってたけどな)
ふっとそう思い、『陣が好きだ』と断られるか、とも考え、馬鹿馬鹿しくなり呆れ笑いをした。



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