プロになって何年だか。二人とも20代っぽくはある。
色々捏造&キャラ崩壊・フィーリングでお願いします。
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この世界が、ふやけてしまうその前に




ジムノペディック




暗闇の外から響く旋律。ピアノの透明な音の星。黒い意識のその中で、それは一つ二つと落ちて、落ちて、光となってはじけて消える。

星が落ちる。光が飛び散る。そして闇を刹那に照らす。また音が跳ねて鳴る。

小さな粒を受けるのを感じながら、そっと目を閉じた。

水が流れていくその上に立ち尽くして、音に耳を傾けた。

雨が降っているんだ。音の雨が。光の雨が。

まるで祝福のように。まるで祈りのように。まるで恵みのように。まるで慰めのように。

じっと、立ちすくんで、その雨を身に受け続けた。



「―――てますか? ……起きてますか?」

目を開けてみれば、いつも通りの悪い目つきと見慣れた赤い髪がそこにいて。ああ、不機嫌そうに聞こえる声も、数時間前と変わりない。
生きてます? 溜息とともに吐き出された言葉に、お前のせいで死に掛けてるよ、とだけ答えて、
二宮との距離を0にした。

「おはよ」

「……おはようのキスとか、柄じゃないでしょ」

「柄じゃないことはやっちゃいけないのかよ」

その質問には答えないで、「何か飲みますか」と一ノ瀬に背を向けて立ち上がる二宮。一ノ瀬は楽しげに目を細めて、アクエリ取ってきてと仰向けに寝転がったまま声をかけた。台所に向かった彼から返ってきたのはぞんざいな了承。

彼の背中から視線を外す。窓の外を見ようとすれば、細い青い髪の毛が枕の上で悩ましげにうねった。

(あ、)

雨が降っていた。

ガラスに雫がぶつかって、跡を残して滴り落ちる。無数に増して繰り返していくそれらを、後から後から続けて目で追う。
キリがなくなるのを知っていても、ぼんやりと、水玉が流れてゆく様を見つめていた。

さっきのあれは正夢だったのかな。

静かに静かに、冷たさをつれて、けだるさをつれて、降り注ぐ雨。
無機質な部屋にいても分かる、独特の湿り気。妙な安堵とともに生まれつく、変な澱み。

空っぽになりかけている空間を形成する澱み。何とも言えない気持ちになる、空白を、雨の日は作り上げる。
虚しさの一歩手前で落ち着ける。昔から、雨を嫌うことは少なかった。

「雨降ってきたんスね」

声が聞こえて見上げると、差し出されていたペットボトルに手を伸ばして、礼を言ってそれを受け取った。

「これでいいすか」

「これしかなかっただろ?」

上体を起こして蓋を開ける。色んなところに違和感や痺れを覚えるけれど、それは仕方がない。
一気飲みをすれば、渇いていた喉と骨身に甘さと水分が染み渡った。
二宮は、飲み切って息を吐いた一ノ瀬から顔を背けていた。残る痕も傷も倦怠感も、全部自分が残したくせに。

―――だが、彼の黒いTシャツの下にも、爪痕に歯形がついている。
それから、内緒で襟足の辺りに紅い所有印を一つ。

飲み干したボトルの蓋を閉めて、床に放り投げる。
行儀が悪いと咎められたのを聞こえなかった振りして、ベッドの端に腰掛けていた二宮に抱きついた。

「……何スか」

「べっつにー」

言いながらうりうりと髪に顔を埋める。ちょっと、と呆れたような声もお構いなしに匂いを嗅ぐ。
いつもの自分のシャンプーと、二宮の匂いがした。

「何してるんですか、ホント」

「瑞穂の匂いするー」

「聞いてますか?」

「聞こえません」

「オイ!」

膝立ちのまま二宮の髪をわしゃわしゃとかき回す一ノ瀬に、何か言うのも諦めた二宮は、大人しくしたいようにさせてやった。
一ノ瀬は二宮の意図を察したようで、「ちゃんと寝てるのか? 傷んでるぞ、髪」とか好き勝手やっている。
そういった呼びかけに適当な返事をしても、鍛えられた指が止まることはない。

(―――止まなかったら、濡れて帰るしかねぇかな)

微かに聞こえる雨音をBGMに、目を閉じた。

「お前、やっぱり逞しくなってるんだな。高校生の時は俺より小さかったくせに」

一ノ瀬の声は、雨音の静寂とよく調和していた。耳の中に沈んでいくハーモニーが心地良かった。
まるで音楽だ。頭へ浸透していって、何かを満たしてしまっていく。

「成長期、止まってなかったみたいです」

「俺が止まったみたいに言うなよ、お前」

「あの、髪引っ張んないでくださいよ。痛いから」

禿げてしまえと呟きながら指を通す一ノ瀬。冗談であっていただきたい。
手櫛で髪を梳かれるのは、存外気持ちのいいものと知っていた。だから、本当は、最初から何か言うつもりも無かった。
指が一瞬止まった。と言うよりバタついた。同時に一ノ瀬がくしゃみをしたのが聞こえた。

「塔哉さん、服着たらどうですか? 冷えるでしょ」

「ん……」

鼻を啜ってから、二宮の髪から手を離す。名残惜しいという感情を口に出す気にはならなかった。

あ、と一ノ瀬が呟いた。

「瑞穂、そこのCD取って」

CD? と思い部屋の中を見回す。それらしきものがテーブルの下に放置されていたので、しゃがんでそれを取る。
渡そうと振り向くと、まだ上半身裸のままスラックスを穿いていたので、顔だけ逆方向を向いてケースを掴んだ手はそっちへ伸ばした。

「今更照れる仲じゃないだろ」

ウブだなあという若干失礼な台詞は聞こえない振りをして、着替えが終わるのを待った。
そして、衣擦れの音が止んだと思ったら、その代わりのように、ピアノの旋律が響き始めた。

何事かと振り返れば、一ノ瀬はベッドに四つん這いになってCDプレーヤーの操作をしていた。真っ白で、彼によく似合っている。

「何で、急に」

てゆうか、クラシックなんて聞きましたっけ。そう尋ねる二宮に、いつもの笑みを口元に浮かべる。

「雨の日に聞きたい曲を見つけたんだ。不思議だよな。俺、そう気づいた時にはCDショップに出かけようとしたんだぜ? しかも雨の中、傘まで差してさ」
そういうことってあるんだな。一ノ瀬は言って、CDのケースを閉じた。

そして、床に座っている二宮に、とうっと掛け声一つして半ばダイブといえる抱擁を仕掛けた。
変な声を出して何とか一ノ瀬を受け止めると、二宮は、今度は本気で呆れたように長く息をついた。

「……危ないっスから……! も、ホント、カンベンしてくださいよ……」

「だいじょーぶ、信じてるから」

「そういう問題じゃねーっての……」

あーもう、と言いながら、一ノ瀬の背中に腕を回す。ゴメン、と笑いながら、二宮の首へ抱きついた。
肩口に顎を乗せた。そんな彼の赤い髪をまた手で弄り始める。すると身体から力が抜けて、重みがずしりと感じられた。

「うん、やっぱりお前、逞しくなったよ。重い」

「それ褒めてねっス。つーか、逞しいはともかく、成長してなかったら困りますよ。俺らまだいくつだと思ってんですか」

「まだまだ盛りの、いやサカる時期だよなあ」

「言い方考えてください」

「だってぴったりじゃないか。昨日の夜から……今何時だ?」

「暗いけど、9時半。平日はともかく、日曜なら起きてもおかしくない時間ですよ」

「あれ。じゃあそこまでハッスルしてた訳じゃないのか」

「その顔でそういうこと言うのやめてもらえません!?」

「どの顔だよ」

「……その顔ですよ」

「お前俺のこと何だと思ってるわけ。エロと無縁の綺麗な先輩じゃないってのは、お前が一番よく知ってるだろ」

「……だーかーらーっ」

「冗談だよ。怒らなくたっていいだろ」

頬に触れた唇。そのまま、二宮の肌を辿る。小さく笑えば、息と柔らかい感触が震えたのが伝わった。
顎の近くまでなぞり、リップ音を立てて離れた。
二宮の目つきの悪い瞳を覗き込んだ。微笑むと、さっと目をそらされた。

「別に怒ってないですよ」

「なら、いいんだ」

好きだよ瑞穂。頭を抱え込んで耳元でそう囁くと、珍しく、「俺もです」という言葉が先に返ってきた。
一層強くなる腕の力に、口元の笑みはもっと深くなった。

「ホント可愛いな、瑞穂」

「可愛いはやめろ!」

「先輩にそんな生意気な口利くもんじゃないぞ瑞穂」

「アンタ何なんだもう!」

「お前の恋人だよ。一応な」
一ノ瀬の勝ちだった。二宮はくっそだの何だのぶつぶつ言って、完全に脱力して肩に頭を落とした。
そうだよな? そう訊く一ノ瀬の声がほんの少しだけ、ほんのわずか、ためらいを持っているように聞こえたから、ダメ押しだ。

「誰が、いつ、そうじゃないなんて言いましたか」

素直になれないからいつもこうだ。けど、洞察力が並外れてる彼なら、いつだって真意だけを掬っていく。
二宮のぼやきに近い低い声をしっかり耳に入れて、一ノ瀬は改めて二宮を抱きしめた。

「うん、そうだよな」

「……そうですよ」

落ちる、響く、音の粒。雨音と彼の声と一緒にそれは、無音のような楽曲を奏でている。

さっき、何も答える事はしなかったけれど、彼の言うとおり、雨の日に似合いすぎるほど似合っていた。

曲に込められた意味も、名前すらも知らない。ただ、雨降りの休日の、他愛も無い会話には、悪くないと思った。

「雨、いつ止むかな」

「さあ……いつでしょうね」

「いつまでこうしてていい?」

「……塔哉さんの気が済むまでいいですよ」

「サンキュ」

「いえ」

本当の無音が、少しの間この部屋に落ちた。でも、ピアノの音は止まらないままだったのは、良かったのかもしれない。

髪を梳きながら、体重を預けたまま、泣きそうになっていた。温もりを感じていたら、満たされていたら、それなのに泣きそうになっていた。



(―――あ)

窓の外、ずっとずっと遠くの方に、でも肉眼で見えるところに、雲の切れ間が見えた。眩しいくらいの輝きが、消えそうなくらい小さいけれど見えた。

雨が止んだら、どうしようか。今はとりあえず、この問いは胸に仕舞っておくことにした。


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イメージソング:藍坊主『ジムノペディック』、エリック・サティ『ジムノペディ』

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