ベッドにそっと七井を転がす。幸せそうな間抜け面だ。
肩を軽く回してから、欠伸を一つこぼした。時計を見る。……午前一時過ぎ。酒臭いけど、シャワー浴びたら隣人に怒られるかもと思いながら部屋着に着替えた。
煙草のにおいがしないのは、禁煙家とスポーツ選手がいたから、唯一嗜む店長が自重したのだ。だからと言って強い臭いがするのに変わりはないのだが。
脱ぎ捨てた服を拾っていると、ベッドの上からぼんやりした呻き声が聞こえた。
「起きたか?」
「……ここ、ドコ……?」
「帰ってきたんだよ。……七井、寝るのはいいが、着替えてからにしたらどうだ?」
七井が目をこすって、三本松を見上げる。そのあどけない仕草に力が抜けた。
二十代半ばになっても、彼のどこか幼い所作は変わらなかった。それを可愛いと思うのは、きっと自分だけだろうといつも思う。
言葉を理解していないのか、七井は寝ぼけた目のまま三本松をぼうっと仰いでいる。
ゆらゆら揺らぐ、青い瞳がやけに生々しく見えた。
三本松は、そんな七井の上に覆いかぶさった。二人の顔が近づく。彼の顔に、ふっと自分の影が出来た。
冗談、起こす為、―――わずかな胸のざわめき。どれが本当なのか、どれも本当なのか、全部本当じゃないのか、分からないまま七井を見下ろした。
そして三本松が口を開こうとした瞬間に聞こえたのは、
「Why don’t you call my name ?」
舌足らず、それでも流暢な英語。言ったのはもちろん、組み敷いた形の下にいる彼。
寝耳に水、いや英語。出鼻も何もないがとにかく何かがくじかれて、三本松はぴたりと動きを止めた。
「ハジメ、何で名前呼ばないノ?」
何デ?と首を傾げる七井。やっぱり愛らしく見えてしまうことに、焼きが回ってると内心で溜息。
それから、返答するために頭を捻る。ただ、酔っていて、大した事は言えなかったが。
「……外にいたからな。と言うか、なんとなく。ダメなのか?」
「やだヨ。名前がイイ」
「……そうか」
じゃあ、と七井の耳元に顔を沈めた。
「アレフト、」
酔っ払いだからこういうことにも抵抗が何も無い。というより、三本松の理知的な思考回路はとっくにシャットアウトしていた。
七井はその顔ににんまりと笑みを浮かべると、ハジメと名前を呼んだ。
「何だ?」
息が掛かるくらい近い。そんな距離で七井は、三本松の細い目と、己の青い目の線をそっと合わせた。
「Kiss me」
瞬きと挑発的な笑みと共に飛び出した言葉。
多分、酔っ払いが見せるような笑顔じゃない。
弾かれたように唇を重ねた。最初は軽く、すぐに深く。不安定に聞こえてきた、くぐもったような、堪え切れないというような甘い音声。なぞった口からも、その舐め回した中からも、色んな味がしたけれど、もう何とも思わなかった。
彼がそれにやられっぱなしだった訳ではもちろんなく、やり返すを通り越してぶつかり合うようなキスになった。いつもいつも勝負をして、追いかけ追われ、ぶつかり続けたあの頃を思い出した。
たっぷり五分は勝負もどきを繰り返した。息が続かなくなって、思い切り啜ってから、離れた。
「……ヨクジョーしてル?」
七井が笑う。その顔が赤いのは、息が上がってるのと酒の所為だ。目尻が下がっているのは、―――言った本人も、きっと、その台詞と同じだからだ。
「お前……酔ってないだろ」
「そこは、酔ってるって聞くとこだロ?」
「逆なんじゃないのか?」
「……フフ、かもネ」
背中をぞわぞわと何かが走る。吐息に、熱に、お互いの興奮を感じ取った。
アレフト、と名前を呼びながら白い首筋に音を立てて吸い付いた。大げさなくらい身体が跳ねて、腕が背にぎこちなく回される。
ゆっくりと丁寧にのど笛を舐める。時折甘く歯を立てると、ぎくりと身体が強張った。
「っぅ……はっ、ァ……」
シャツを捲られて胸が露になる。あ、と七井が声を出した時には、三本松の顔は喉から離れていた。
色づいている部分を口に含む。反対にある同じそれにも手を伸ばした。男なのにと思っていたが、それが結構、感じるところらしい。
舌でまだ柔らかいそこを舐る。同時に指で優しく擦る。勢いに任せてもいいのだが、何だか今日は、彼の僅かな反応すら、見逃したくないと思った。
「ハッ…っっ……ぅあぁ……」
びく、びく、と身体が小さく不規則に震える。指は残したままで顔を上げてみた。何とも言えない表情で、声を抑えようと息を吐き出す七井がいた。
もっと見たい。もっと、見たい。そういう顔をする彼は、とても色っぽくて、可愛いから。
「酒の、せいか?」
「さ、…ぁネ……っア…」
こういうとき、心臓が、血液が煮えそうなくらい沸き立っている錯覚を覚える。怒りとは全く違う、でもある意味相似した、興奮が起爆剤となっていて。
それがあまり顔に出ないのは、昔から。だから七井は、三本松の表情が取り立てて言うほど変化しなくても気にならなかった。
違うような、けれど同じような、熱をその身に孕んでいるのをちゃんと知っていたからだ。
不意に感じた違和感。自分のものは自分で気づいたが、彼もまた同様らしかった。
「ハジ、メ……興奮したノ…?」
「……お前もじゃ……」
「ンっ、……熱いネ、とってモ……」
不自然に張ったズボンの布地に触れられる。お返しにこちらも触り返すと、彼の身体にぐっと力が入ったのが分かった。
「……本当に熱くなってきた」
と言って三本松は一旦身体を起こした。そして、さっき折角着たシャツを脱ぎ捨てた。褐色の肌でも、酒と熱による赤らみが見て取れたことが不思議だった。
何であんなに筋肉がつくんだろうと思いながら、七井は三本松が再びこちらを向くのをじっと待った。彼が辿った部分が熱を持ち、温度をどんどん上げているような気がした。
こうして待っているだけでも待ち遠しい自分は、つくづく彼に毒されてしまったのだ。穏やかで優しくて、愛してくれるから、抜け出せない。
後悔は全くしてないから、どうとでもいい話であることだけは確かなのだけれど。
「ホンバンは、ナシだゼ?」
「分かってる」
改めて彼が乗っかってくる。挿入は無しとだけ確認をして、もう一度見つめあった。
「……やっぱり、ワシよりも酔ってないな?」
「ご想像に、お任せするヨ」
どちらともなく顔を近づけて、キスをする。酒臭さも全然抜けてない。火に油を注ぐを言い換えて、熱にアルコールを加える、と言えば良かったかも知れない。
ちゅ、ちゅっと水音がさっきよりもっと響く。粘っこくてしつこくて、それはしかし快楽を、どこかの深い底から乱暴に引きずり上げてくるようだった。
何かが剥がされて、剥がされたその片っ端から、愉悦を感じたい自分が丸裸になっていく。そこに触れられるのを待っている。数々の刺激を核心以外に感じながら。
キスだけで頭がおかしくなりそうだ。いつだって、好き過ぎて、知りたくて、欲しくて、そんな勝手な自分達に酔って、おかしくなりそうだった。
「っふぅ……ぁ、ハジ、っんッ……」
「…っ……ア…、ト……」
ぎゅうぎゅうに窮屈なくせに、名前を呼び合う。それがただの文字がばらばらになった単語だとしても、大事な名を表す文字だから意味があるのだ。
三本松の身体が、とうとう七井の上に静かに落ちた。自分より10キロ以上はある質量に圧迫感を感じるものの、本当に潰さないように加減をしてくれるのは分かりきっていた。
けれどやはり息苦しくなって、腕を背中に持っていき二度叩いた。舌が抜かれて、三本松の目がうっすらと開いた。七井はこの目で見られるのも、胸が高鳴るくらい好きだった。こんな彼は最中にしか見られないと知ったからだ。
肌が触れる。薄く浮かんだ汗が滑る。あまり生き物として違いの無い身体に、どうしようもなく欲情する自分がいた。
七井はそっと肩口に顔を寄せた。三本松がそちらを見たのも構わず、がっしりとした肩を舐めた。
塩の味がした筋肉を、齧った。
「!」
噛んだ本人にしか分からない小さな音が、彼に痛みを連れてきた。
三本松が驚いた顔を上目遣いで見て、七井はぺろりと舌を出した。三本松は何か言おうとして七井を見たが、悪戯が成功した子供のような表情に毒気を抜かれてしまい、結局普通の文句しか言えなかった。
「痛いぞ」
「Sorry.……しょっぱかっタ」
「……そりゃあな」
相槌に、七井はにんまりと満足げに笑った。本当に楽しそうで、―――それでいて誘っているように見えるのは、過度の期待が自分の目を歪めているに違いない。
「アッ、」
身体が一瞬波打った。張り詰めたスラックスの上から撫でたせいで。
武骨な指におよそ似つかわしくない動きでそこを触る。その一つ一つに七井は身体を震わせ、あ、あっっと我慢しきれなかった声を溢す。
段々と長い脚がずり上がって来た。足の指がぎっとシーツを掴む。そうでもしなければおかしくなる、とでも言いたそうなくらい強い力で、与えられる快感に堪えた。
「…っぁ…アッ、……っくうっン……ヤぁっ…っ、あァ……」
下手すればいらつくようなもどかしさ。そのじれったさにまた興奮すると言えば、彼は笑うのだろうか。
知りたいけれど、やめておいた。今更言わなくても、もしかしたら分かられているのかもしれなかったから。
「ッ……ハジメ……」
「……っ!」
体をずらして腕を伸ばした。指で引っ掻くと、三本松が一瞬手を止めた。
自分が感じているのだから、彼が感じないところの訳が無く。膨らんだ布地に指を絡めれば、すぐそこにある顔が歪む。ぴくりと眉毛が跳ねるのが見えた。
「……オレだけは、嫌ネ……」
熱くなっていく血が、呟いた七井の頬を紅潮させている。陶酔を宿した瞳は蒼く、とろんとして揺らめいた。
「ハジメ……」
掠れた呼び声が鼓膜を叩く。その音はまるで涙ぐんだように、脳の中に染みていった。
そして雫が落ちていくと、甘い蜜のような快感が溜まりに溜まり、今にも溢れかえりそうになっていた。
溢れるどころか、引っくり返ってしまう時も近いだろうと確信した。
「煽るな…止まらなくなる……!」
止まっていた手を再度動かす。留め金を外しながらくちづけると、七井もそれに応えてみせた。こちらもまた、熱くなった中心に指を這わせながら。
ズボンのボタンを外すことにも慣れて、あっという間にファスナーも降ろされる。キスをしながら直接の愛撫に、背筋が弓なりに反ってしまった。
声を出すことを許したら、舌を噛んでしまいそうだと自分で感じた。だから、もたらされる快感に必死で堪えながら、彼自身を中から拙く取り出した。
それを合図にしたかのように、三本松はキスを止めて、七井の鎖骨にくちづけた。すると七井が触れている三本松自身が、さらにその質量を増した。
もう何がスイッチで、何が呼び水なのか何もよく分からなかった。とにかく二人とも、今は全てに熱を感じずにはいられなかった。
「…あっ、ァ、…っはっあ、あっア! …っぅあっ……」
「……アレフト……」
「ッン! あ、アッ……ハジ、メっ……!」
限界が近いことに気づいている。―――そして、また何度も限界まで続けてゆくスタートに立つことにも、気づいている。
いつ眠れるか、声は響かないか、同窓会の後にまで盛らなくていいだろうとか、考える前に波に呑まれて沈んでいった。

「―――アレフト?」
声を掛けたが、返答は無かった。ただの寝言か、と思いながら自分もベッドにもぐりこんだ。
二日酔いという言葉が欠片も残らないくらいには、すっかり酒も抜けていた。その代わりに眠気が急襲を仕掛けてきている、現在午前4時過ぎ。夜がまだ明けていないことが、何故か救いに思えた。
今日が休みだから昨日の飲み会に参戦したのだが、情事をすることまで想定してた訳ではない。決して。
大型犬のような欠伸を一つ。体に残るどころか貼り付いて離れない気だるさは、とっくに彼を再び夢の世界へと連れていっていた。
そして三本松も、もうすぐそこに眠りが待っていることに気がついていた。
(起きるのはいつぐらいになるだろうか……)
二人して精も根も尽き果てたので、日が高くなるまで目覚めない予感はあった。もしかしたらそれすら過ぎても、起きられないかもしれない。
―――まあいいか。だんだんと重くなっていく視界の窓をそのまま閉じながら考えた。どうせ、いつかは目覚めるのだから。流石に仕事をサボるのは困るけれど、違うから別に支障はない。
自分を置いて寝てしまった七井の肩をそっと抱き、額にくちづけた。
身じろぎもしないことにそっと微笑み、既に閉じられているような瞼を、改めて伏せた。



『何だ、やっぱり酔ったフリだったのか』
『違うっテ。疲れてたから眠かったんダ。本当にでーすいしたんじゃないケド、酔っ払ってたのはホントだヨ』
『そうなのか。……意外と弱いと思ったんだがなあ』
『弱くはないネ。もしかしたラ、ハジメより強いかもヨ?』
『それはそれで……』
『なんてネ。今度、比べてみル?』
『いや、遠慮しておく。酒代だってバカにはならないし』
『ケチ。……ナぁ、ハジメ』
『何だ?』
『酔っ払っても、キスするのはハジメだけだからナ』
『……何じゃ、いきなり』
『ン? オレのイシヒョージ。いらなイ?』
『……いや、いる』

寂しくなんて全然無かった。知っていけばいいのだから。
酔っ払いの約束でも色んなスイッチでもやらしいことでも何でも。時間はたくさんあるのだから。


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