約一週間後、修羅の怪は全員揃って、武術会会場である島に着いた。何もかもが煌びやかで豪華なホテルに、若い風使いと呪氷使いはどことなく落ち着いていなかった。しかし、やはり普通のホテルではなく、妖気を探ってみるとそこかしこに強い妖力が流れてくるのが分かった。その中でも、人間の発するものとは思えない強い霊気を身に感じ、陣は興奮で耳を尖らせていた。
陣と凍矢は一緒の部屋に押し込められた。言い方は悪いが、二人の仲は良いし、別にどうってことはなかった。むしろ、吏将や爆拳と同じにならなくて良かったものだと、二人は顔を見合わせて、陣だけが噴出した。とくに反応を示さない凍矢に、陣はぶーたれた顔で凍矢に文句を言った。
「…凍矢、ノリ悪ぃべ〜。もちょっと笑えばいいのに」
「……笑ったからといって、どうなる。ノリが悪くて結構だ」
素っ気無い態度に、ちぇっと舌打ちをして拗ねる。しかし凍矢はそれにもノーリアクションで、黙々と自分の冷気を研ぎ澄ませることに集中した。
部屋の中で、わずかな風を使って胡坐を掻いたまま宙に浮く。顔は不貞腐れていたが、凍矢のやっていることも尤もなので、何を言うことも無くそのままふわふわと漂っていた。
漂っていると、次第に眠気が降りてきた。よし、じゃあ眠ったまま飛んでいてみよう。そんなことを思いついて、陣は目を閉じた。
本当は、一人で外へ飛び出しても良かったのだが、それをしなかったのは、凍矢の傍にいたかったからだ。かと言って無理やり連れ出すわけにもいかないので、この部屋の中で眠ることにした。凍矢は、眠り始めた自分を置いて部屋を出るほど、薄情な妖怪ではない。
(……凍矢は、優しいんだ…………)
忍なんて、似合わない。
まどろむ意識の中で、陣はそう呟いたのを最後に、完全に眠りに落ちた。凍矢はチラッと陣を見たが、動こうとはせず、そのまま冷気に集中した。陣に当たって、目を覚まさせることが無いように、慎重に慎重を重ねて。
パチッと眼を開けると、目の前に凍矢がいた。
「!?」
驚いて陣が後ずさると、隙間に後ろから落ちて、後頭部を勢い良くぶつけた。涙目になる陣に、凍矢は呆れて溜息をついた。
「……慌てすぎだ。オレがいることは、そんなにおかしいか?」
「ちっ、違ぇけども……オレ、落ちただか?」
陣が座っていたのは、凍矢のベッドだった。となると、理由は一つしかない。
「…驚いたぞ。飛びながらよく寝られるなと思っていたら、いきなり落下音がするし…」
「あ、アハハ……」
苦笑いをして陣は眼を逸らした。どうやら、コントロールは失敗したらしい。しかし、いくらベッドの上だからと言って、よくもまあ落ちて起きなかったものだ。
「全く、気を抜きすぎだ。オマエより強い奴だってたくさん出て来るんだぞ」
「う〜…説教はいいべ〜…どうせ吏将にもネチネチ言われてんだしよ〜……」
心配をしてくれるのは有難いが、こうも説教臭いのは耐えられなかった。ただでさえ吏将に小言を言われることが多いと言うのに。
あーあ、と溜息をついて、何となく窓を見た。瞬間、陣は立ち上がり、目を輝かせて人差し指をピッと向けた。
「凍矢、あれ見るべ!」
「…あれ?」
陣が指で示した方を見て、凍矢は目を見開いた。
窓の外で、丁度太陽が西の海に沈もうとしていた。徐々に見えなくなっていく、昼とは違った、燃える様な濃い赤が、空を橙色から紫の闇で覆っていく。橙と紫の境界線に浮かぶ雲が、妙にリアルに渦巻いていた。
それはとても幻想的で、魔界では決して見ることが出来ないであろう景色だった。夕焼け、というものを、話には聞いたことがあったが、実際に見るのは二人ともこれが初めてだった。
しばし言葉を失い、その壮麗な風景を二人して見つめた。
「………綺麗だな………」
「夕陽って美味そうだな〜」
「…食い気か」
半ば呆れた顔で呟いて、凍矢は再び窓の外を見やる。
「!」
その端正な顔立ちの口元が、緩くカーブを描いていたことは、きっと本人は気づいていないのだろう。
暖かい光に照らされて、凍矢の白い肌は優しいオレンジ色に染まる。柔らかく微笑んでいる彼は、目を奪われるほどに美しかった。
だが陣は、凍矢が無意識に微笑していることを、口に出そうとはしなかった。代わりに、先ほどよりも更に笑みを深くして、閉口したまま、凍矢の隣で沈みゆく夕陽を見続けた。
笑っている、と本人に告げてしまうと、きっとすぐに無表情に戻ってしまう。今までだって、何度かそういうことがあった。
だから陣は学習した。凍矢の笑顔を少しでも長く見ているために、わざと黙ることを。
彼の感情が、少しでも表に出ているのが嬉しかったからだ。
やっぱり凍矢には、笑っていて欲しかった。返り血を浴びても無表情な凍矢は、大理石のような肌に紅がいやに映え、ぞっとするほどに美しくも思ったが、恐ろしかった。優しさも身が千切れそうな罪悪感も全て閉ざして、鬼と、氷となる凍矢は、見ているこっちが泣きたくなるほどに、とても悲しかった。
助けたい。そう願ってしまうことは、忍としておかしい感情だと知っていた。それでも、親友と認めてもらった存在として、凍矢の優しい心の底を垣間見てしまった存在として、凍矢のことを救いたかった。どうか、どうか陽だまりの中で、笑っていて欲しかった。
「……オレ達が、」
「?」
「オレ達が優勝したら、この島を頂くだ!」
「…え?」
「んで、魔忍を抜ける!オレと凍矢は!…画魔もだべ?」
その唐突な提案に、ポカンとした凍矢だったが、やがて賛成とも否定とも言えない意見を言った。
「……さぁな。画魔は抜けると言っていた。オレは……どうだろうな」
「えぇ〜?凍矢も絶対行くだ!オレ、凍矢には忍やっててほしくねーだ!」
「………オレのことより、オマエはどうなんだ。他人よりも、まず自分のことを考えろ」
ほら、そういう優しいとことか。忍をやっていて欲しくない理由の一つなのに。
「だって、この島すっげーキレイだべ?人間界にいるっつーなら、オレ達の縄張りにぴったりだべ!な!」
ニッと笑って、陣は再度夕陽を眺めた。真夏の太陽に等しい笑顔を向けられた呪氷使いは、今度はフッと含み笑いをして、無言で陣と同じ方角に目をやった。
徐々に、だが確かに、大きく赤い太陽は、水平線の向こう側へと沈んでいく。同時に、空の紫色がどんどん濃くなりつつある。星々が、段々と空を飾り始めていた。
ああ、なんて。なんて美しい光景なのか。心の底から、凍矢はそう思った。
「…………悪くないな…………」
目許を柔らかく細めた凍矢に、陣は満足そうに笑った。
「サイコーだべっ!」
とうとう、完全に日が沈んだ。窓から見える景色が、黒一色に染まった。だがそのなかで、宝石の欠片のような数多の星が、キラキラと瞬く。
「「…………あっ」」
ヒュッ、と、一筋の光条が動いて、消えていった。流れ星、は、まだ二人とも知らない言葉だった。
「星が飛んでったべ!キレイだったな〜……」
「人間界では、星が飛ぶのか。…儚いな。だが、…綺麗だった」
夜空を見上げて、二人は各々の感想を述べた。しばらくは、灯りをつけようとは思わなかった。忍の世界とは違う、優しい闇に浸っていたかった。
絶対に、勝つ。消え行く流星を見届けたとき、陣と凍矢の脳裏によぎったのは、同じ思いだった。
「…………オレは、そろそろ寝るぞ。オマエはどうするんだ?」
「え!?まだ時間早いべ!?」
「オマエと違って四時間以上は妖気をフル稼動していたからな。万全の状態にしなければいけない」
さりげない皮肉に、陣はぐっと詰まった。そんな彼を見て、凍矢は口の端だけで笑った。
「…外でも、どこでも飛んで来い。慣れない環境で妖気を慣らすには、陣には一番手っ取り早い方法だろう」
するっと布団にもぐりこみ、肩が隠れるくらいまでシーツを上げた。背を向けられてしまったので、顔を伺うことはできなかったが、凍矢の言葉に陣はまた笑顔になった。
「…オウッ!すぐ帰ってくるから、待っててけろ!」
オマエの気まぐれに待っていられるほど、オレは体力が残っているわけじゃない。とは言えず、寝心地のいい布団に包まった瞬間、自分の低すぎる平熱が少し上がり、どっと眠気が襲ってきた。
(………マズイな、もう…………)
何だかんだ言いながらも、やはり無意識に力んでいたらしい。疲労が全身を覆っているのに気がついた。
心の中で陣に、悪い、と一言謝って、意識を手放した。
夢を見た。白く眩しい太陽の下、画魔が笑っていた。
陣は空中で、太陽に負けないほど眩しい笑みで。二人とも、誰かの名前を呼んでいた。
それは、聞き覚えのある名前で、でもどうしても思い当たらない。
『……、……や…、…………凍矢!』
よくよく聞いていたら、自分の名前だと言うことに、漸く気がついた。そして、オレも微笑って、二人の元に駆け出して行った。
『画魔!陣!』
自分でも信じられないほどに、明るく、幸せそうに、彼らの名前を呼んだ。
夢であるなら覚めるな。いいや、きっと現実にしてみせる。
光の下で、自由と共に生きる世界を。
「…アレ、…やっぱり、寝ちまったべ?」
部屋を覗くと、布団のふくらみが、規則正しく上下しているのが分かった。
よっぽど、緊張していたのか。陣は音を立てないようにして部屋に入った。
凍矢の顔を覗き込む。無防備で、幼い寝顔だった。これが、情の一片も見せない呪氷使いだと、一体誰が信じるのだろうか。そっと、氷のような色の髪に触れる。いつもならば飛び起きるはずなのに、少し身じろいだだけで、凍矢は夢の世界にいたままだった。
(……画魔だって、同じこと思ってるんだべ?)
そりゃ、自分が忍を抜けたいのもあるかもしれない。だが本当は、凍矢に抜けさせたいが為に、オレ達はここまで来たんだ。
画魔はお人好しという訳ではない。ただ、そこら辺の次元の問題ではなく、ただ凍矢という存在が、画魔にとっても、陣にとっても、大事なだけであった。
「………絶対に、勝つべ」
頭の中で呟いたはずの言葉が、無意識に口から滑り落ちた。それもまた、凍矢を起こすことはしなかったようで、ホッと息をついた。
「…………オヤスミ、凍矢」
翡翠色の前髪をサラッと弄る。そして、また静かに部屋を出た。
誰よりも大切な、親友の呪氷。
守るんじゃない、一緒に光を手にしよう。
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