巨人の力
一度不安そうに振り向いたエレンに頷いて、ハンジ達は左に並ぶ憲兵団のもとへ配列した。サヤはハンジに言われ傍聴席の壁で静かに跪くエレンを見守る。
左に並ぶのは駐屯兵団司令官ドット・ピクシス、調査兵団団長エルヴィン、リヴァイ、アルミンにミカサ。右には憲兵団団長ナイル・ドーク、さらに何故かウォール教司祭ニックまでもがこの審議に出席している。
「さぁ…始めようか」
そして裁判席には、三つの兵団の総統――ダリス・ザックレーが腰を掛けていた。
「異例の事態だ。これは通常の法が適応されない兵法会議とする。決定権はすべて私に委ねられる。君の生死も…今一度改させていただく」
ザックレーが眼鏡の奥から鋭い瞳でエレンを見下ろす。納得したように目を瞑り俯いたエレンは、汗の滲む顔で強く頷いた。
今回の事件で、エレンの存在は民衆に知れ渡ってしまった。その存在をいずれかの形で公表しなければ、壁内での混乱を呼び起こす可能性があるのだ。今回の裁判の目的はそこにある。
エレンを憲兵団に明け渡すのか…調査兵団へ入団させるのか。
「では憲兵団より案を聞かせてくれ」
ザックレーの声でナイル・ドークが資料を持ち上げる。
「憲兵団師団長ナイル・ドークより提案させていただきます。我々は――エレンの体を徹底的に調べ上げた後、速やかに処分すべきと考えております」
「…」
「彼の存在を肯定することの実害の大きさを考慮した結果、この結論に至りました」
中央で実権を握る有力者達はエレンを脅威として認識し煩わしい壁外への不干渉を貫いているのに対し、今回の衝撃でエレンを英雄視する…特に民衆や商会関係者の反発も高まってしまった。それによって引き起こされるのは互いの領土を巡る内乱。
エレンは高度に政治的な存在になりすぎたのだ。
「巨人の力が今回の衝撃を退けた功績は事実です。しかし…その存在が実害を招いたのも事実。なのでせめて、できる限りの情報を残してもらった後に 我々人類の英霊となっていただきます」
「そんな必要はない」
「!」
そう言ってナイルの後ろから口を挟んだニック司祭は、圧する眼光でエレンを見下ろした。
「ヤツは神の英知である壁を欺き侵入した害虫だ。今すぐに殺すべきだ」
荒ぶる司祭をザックレーが静粛にさせる。そのまま調査兵団へと話を振った。
返事をしたエルヴィンは直立したまま、前を向いて淡々と告げる。
「我々調査兵団はエレンを正式な団員として迎え入れ、巨人の力を利用しウォール・マリアを奪還します。以上です」
「ん?もういいのか?」
「はい。彼の力を借りればウォール・マリアを奪還できます。何を優先するべきかは明確だと思われます」
「…そうか」
本当にそれだけでエレンを取れるのだろうか。
正論といえども頼りない提案に、サヤの顔は不安に歪む。
処分だとか解剖だとか、希望を揉み消すような馬鹿げたことをさせたくない。憲兵や宗教団体が何を考えているのかは知らないが、そんなことはさせない。そんなことを考えながらしかし、エレンの背中で繋がれた枷を見つめるサヤは沈黙に従った。
「ちなみに今後の壁外調査はどこから出発するつもりだ?ピクシス。トロスト区の壁は完全に封鎖してしまったのだろ?」
「あぁ…もう二度と開閉できんじゃろう」
ザックレーとピクシスのやり取りに、エルヴィンが加わる。
「東のカラネス区からの出発を希望します。シガンシナ区間でのルートはまた…一から模索しなければなりません」
「ちょっと待ってくれ!今度こそ全ての扉は完全封鎖するのではないのか!?」
そこに今まで傍観していた中年男性が身を乗り出してきた。その顔は僅かに見覚えがある。サヤが幼い頃の社交界で挨拶をした…――名前も覚えていないが、恐らく彼の後ろに並ぶのは有力貴族集団なのだろう。
「"超大型巨人"が破壊できるのは壁のうち扉の部分だけだ!そこさえ頑丈にすればこれ以上攻められることは無いというのに…そこまでして土地が欲しいのか!?商会の犬共め!!」
貴族の立場からすれば、これ以上民衆が内地に集まり負担が掛かるのが不服なのだろう。少しでも一番安全な内側で他と干渉せず、裕福な暮らしを望むのも頷ける。少なくともサヤが貴族と接した中で、民衆の事を気に揉む人間など居なかった。自分達だけがぬくぬくと暮らしていることを自覚していながら、財をこれでもかと張り合って生きているのだ。
「お前らはできもしない理想ばかり言って我々を破滅に陥れるだけだ!これ以上お前らの英雄ごっこには付き合ってられない!!」
調査兵団に唾を吐き叫ぶ男に、他人事とは思えないサヤの眉が寄っていく。嫌悪感に似た何かが渦巻いていく。
「よく喋るな…豚野郎…」
そこに口を挟んだのはリヴァイだった。
「扉を埋め固めてる間に巨人が待ってくれる保証がどこにある?てめぇらの言う我々ってのは…てめぇらが肥えるために守ってる友達の話だろ?土地が足りずに食うのに困ってる人間は てめぇら豚共の視界に入らねぇと?」
「わ…我々は扉さえ封鎖されれば助かると話しただけだ…!」
「よさぬか!この不届き者め!」
「え…」
「貴様らはあの壁を…人知の及ばぬ神の偉業を見てもまだ分からないのか!」
再び喰いついたニック司祭に空気が凍る。言っている事が滅茶苦茶だ。
(違う…そんなことはどうでもいい。)
エレンの処遇を決める筈の審議なのに、なんだってこんな状況になっているのだろう。お互いが自己の利益を案じ口論している。
「静粛に」
――徐々に喧騒が支配し始めたところで、ザックレーがエレンに質問をした。
「君は調査兵団への入団を希望しているようだが…君はこれまで通り兵士として人類に貢献し"巨人の力"を行使できるのか?」
「……は…はい。できます!」
一瞬考えたエレンは汗を滲ませ上目に肯定する。
それに態とらしく反応したザックレーが取り出したのは数枚の報告書だった。