硝子越しの景色


 幼い頃の景色が、頭の中で揺らいでいる。

『瀬亜ちゃん、また具合わるいの?』

 しゃがみ込んできた大きな目と小さな体に、瀬亜は口を押さえて視線を逸らした。
 此処は昔通っていた市立の小学校。昼休みに入った途端クラスメイトは校庭へ駆け出し、教室には瀬亜と声をかけてきた女の子しかいない。

 だいじょうぶだよ。
 気分の悪さにそんな言葉すら声にならず喘ぐそこへ、落ち着いた声が入口から飛んできた。

『ミチコちゃん、さっきハルくんが呼んでたよ。中庭で鬼ごっこするって』
『でも、瀬亜ちゃんが…』
『わたしが保健室連れていくからだいじょうぶ』

 そう言って教室に入ってくる少女は、かつての幼い家入硝子だ。小さな地区の保育園からほぼ自動的に同じ小学校に入学した瀬亜と彼女は、何かと関わることが多くなり、ひょんなきっかけで相手も変なモノが視える体質なのだと気付いた。
 それからと言うもの特殊な共通点をもつ二人はみるみる意気投合してしまったのである。


『ほら』

 女の子が去り安心する瀬亜の視界に飛び込んできた光景に、瀬亜はぎょっと目を見開いた。

 右手に鋏を持つ硝子が、平然とした顔で血の滴る指を突き付けている。

『硝子ちゃん、いたいよ…?そんなことしなくていい』
『飲まないとぶっ倒れるよ』

 口元に遠慮なく差し出された香りに眩暈がした。
 逃げようと腰を引く瀬亜を、それは許すまいと肩を掴む。慣れたように唇に血を塗り付けられればもう抗えなくて、瀬亜は目を閉じながら恐る恐るそれを舐めた。

 気管支を広げたように楽になっていく呼吸に、硝子は安心したように優しく笑う。

 その笑顔がだんだん大人びた物になったかと思えば、今度は中学の景色に変わった。
 ラインの引かれた運動場でサッカーや長縄をするそれらを眺めながら、机の向かいに座る硝子が何かぽつりと呟く。

『ねぇ瀬亜、私達卒業したら高専行かない?』
『こうせん?』
『そ、呪術高専。呪力を使って呪いの祓い方を学ぶんだって。そこには私達を気味悪がる人なんていないし、瀬亜の呪力の問題も解決できると思うんだ』
『…へぇ』

 表情は変えなかったけれど、瀬亜はガラス越しの景色を眺めながら、心が確かに軽くなるのを感じていた。
 呪力が無ければ立ち上がれない、悩まされてばかりいた自分を変えることが出来るかもしれないという事実は瀬亜にとっては吉報で。

『じゃあ高校でも硝子と一緒だ』

 恩人といっても過言ではない親友に温かく笑った瀬亜に、硝子は一瞬目を大きくして、幼さの残る顔で微笑んでみせた。


::::::

 ――誰かが呼んでいる。

「瀬亜、起きな」
「ん……」

 幼馴染の声に机に伏していた顔を上げた瀬亜は、隣の席に座る硝子をゆっくりと振り向いた。
 どうやら教室で夜蛾の到着を待っている間に寝てしまったらしい。涎を確認する瀬亜を硝子が笑う。

「珍しいな、瀬亜が爆睡なんて」
「なんか…懐かしい夢見た気がする」
「へぇ、良い夢?」
「うーん、覚えてない」
「瀬亜もお疲れなんだね。この前の三人任務で苦労でもした?」

 頬杖を付く硝子にそう尋ねられて、瀬亜は前日の五条達との任務をふと思い出した。
 あの後、五条の行きたがっていたパフェ専門店を訪れた瀬亜達だったが、身長の高い男子2人は女性だらけの店内で見事に浮いており、肩身の狭い思いをしたのだ。まぁ、ガラの悪い男がパフェを食べる姿は少し面白かったのだが…。

 と、少し顔が緩んでいるところに夜蛾が入ってくる。
 しかし続いて立派なたんこぶを作った二人が入室してきたものだから、瀬亜の笑顔は思わず引っ込んだ。

「どうしたんだ、馬鹿2人」
「先日に懲りずまた補助監督を置き去りにしたんでな。ちょっとした指導だ」
「センセイ、暴力はいけないと思いまーす」
「黙れ問題児が」

 瀬亜を含め限界集落で補助監督を置き去りにしたことを咎められたばかりだというのに、何やらまたやらかしたらしい。

 不機嫌さを前面に出して座る五条を横目に眺めていると、ふいに名前を呼ばれた。

「瀬亜、お前に任務だ」

 その言葉に、他の3人も興味を示すように黙り込む。

「最近、近くの高校で生徒の自殺が多発しているらしい。あまりにも現実的ではないから、我々に調査が依頼された」
「あの、特定の高校で増加しているなら、単にいじめでもあっているんじゃ…」
「生徒間の仕業ならそれで良い。ただ、呪いが絡んでいると判断した場合は直ちに対処してもらうのが今回の任務だ」

 教卓から差し出された資料を受け取り素早く目を通した瀬亜は、その予想外の単語に目を見張る。

「"潜入調査"?」
「は?なんで瀬亜なんだよ」

 思わず声にすれば、椅子に浅く座る五条が噛みついた。
 その質問を予想していたのであろう夜蛾は冷めた目を五条に向けて、呆れ顔で続ける。

「他に適任がどこに居る。グラサン白髪の問題児に、長髪の悪役顔だぞこっちは」
「心外な…」
「硝子が居るじゃねーか」
「校舎内で煙草でも吸われたら堪ったもんじゃない」
「じゃあパス。禁煙はしんどい」

 完全に他人事に切り替えた硝子が片手を上げる。

「という経緯だ、悪いな瀬亜。向こうの重役に話は付いてる」

 厳つい顔をして申し訳なさそうに言う先生の姿に、瀬亜は断りきれない空気を感じて項垂れた。


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