白縹色の六眼が見つめる先は
泥濘の底から浮かび上がるように、瀬亜は意識を取り戻した。
瞼に刺さる光が眩しい。
此処は何処だろうか。ピクリと指先を動かしながら瞼を開ければ、何とも安っぽい照明が自分を真上から照らしていた。
ベッドの上に大の字に横たわっていることを察した瀬亜は、手首を縛る無機質な感覚に一気に意識が冴え渡る。
「っ」
起きあがろうともがいた身体は紐に拘束された反動で硬いスプリングへと叩き戻された。
一体誰がこんなことを…。
眼球を動かし室内を見回す瀬亜の視界の端に、静かに佇む男の影が一つ。
「起きたか。やっと始められる」
「…だ、れ」
目が合うなり瀬亜の足元に立ったそれは、頬の削げ落ちたそこを無造作に掻いた。フードから覗く顔は思ったよりも若く、しかしその瞳は光を寄せ付けないほどに淀んでいる。
「駄目だよ、暗いのに一人で居たら。悪い人に捕まったらどうするの」
「誰…ですか。此処はどこ」
そこで瀬亜は心臓を圧迫する痛みに気を失う前の事を思い出す。
そういえば自分は敵の呪力に当てられて意識が混濁し、治療を受けようと急いで車に駆け込んだのだ。しかし気づけば自由を奪われ、捉えられ、知らない男に知らない場所へと引き込まれている。
警戒を怠った自分の落ち度だ。
けれどそれよりも深刻な問題は。刃物で背中を何度も突き刺されるような痛みは――。
まだ呪霊の毒が身体を侵食し続けていると言うこと。
「荷物なら全部没収したよ」
首元のネックレスを確認しようと宙を掻いた手を見て男がそう言った。
不快な声に足元を睨みあげれば、それは悦に浸ったような表情でずしりとベッドへ乗り上げる。
「、やっ…触るな」
「どうせ誰も来ないよ。諦めて泣き顔見せて」
蹴り飛ばそうと曲げた膝をするりと撫でた荒れた皮膚の感触に、瀬亜の脳内で警告音が鳴り響いていた。
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「…チッ、人間が相手となると少し厄介だな」
五条はそう吐き捨てながら、瀬亜が忽然と消えたと言う校舎のグラウンドへと降り立った。
サングラスをずらし空を眺めれば、瀬亜が使用したであろう帳の残穢が僅かに漂っている。
他に術式を使った跡が無いことから、瀬亜が術師に誘拐された可能性は低いと目星を付けたは良いが、そこからは情報が途切れ八方塞がりであった。
すっかり暗くなり息を潜める校舎。
柄になく焦慮する気持ちを落ち着かせるように周囲を見回した五条は、見慣れた呪力の色合いに動きを止める。
指導員がいたら怒られるであろうが、そのまま一瞬で校舎の屋上まで浮遊した五条は、床に揺蕩う呪力の残穢に眉を顰めた。
「……何で"アイツ"の呪力が此処に?」
着地し、ズボンに手を突っ込んだまま呟く。
そして瀬亜がいつも首に掛けている小瓶が割れて飛散しているのを認めて、五条は目を丸くした。
(まさか)
空っぽの小瓶を拾い、五条は周囲の気配に意識を研ぎ澄ます。
―――有る。
何千もの夜景の光を縫うように、それは漂い、一本の線となって闇夜から五条を導いている。
この先に居るのだろうか。
五条はいけ好かない女の顔を思い浮かべながら呟いた。
いつも自信無さげに、何もかもを諦めたとでも言いたげな表情で笑うその姿が嫌いだった。近づけば戸惑うように揺らぐ黒い瞳も、俯いて見せてはくれない紅い唇も。
"――悟、?"
なのに、そう口ずさんだ瀬亜の声が鼓膜から離れない。
自分からは逃げるくせに。どうして自分だけこんな事に頭を支配されなければならないのだろう。あの女が居ないと自覚しただけで、前のめりになる心臓が思考を絞らせる。そんな自分も嫌になる。
「あいつ、死んでたらぶっ殺す」
血を這う声で矛盾を吐き出した五条が、塵を見るような眼で夜景を見下ろす。
微かに漂う呪力の軌跡を辿り、突風を受けて闇を泳いだ。白縹色の六眼が見つめる先は、瀬亜が居るであろう夜の街の一欠片。