【844年_846年】




『残された歴史文献にも、巨人の発生原因は記されておらず、不明な点が殆どである――』

巨人には人間のような知性は確認できず、我々との意志の疎通は例がない。生殖器は存在しないため繁殖方法などは不明。殆どが男性のような体つきである。
また、その体は極端に高温。難解なことに人間以外の生物には一切の感心を示さない。
行動原理は人を食らうことだが、そもそも巨人が人間のいない環境下で長年存在していることを考えると、その行動は意味を成していないように思える。――つまり目的は捕食ではなく、殺戮にあるのではないかとされている。

『巨人を倒す方法は一つ。後頭部より下、うなじにかけての縦1m幅10cm。巨人はここを大きく損傷すると再生することなく絶命する』

――サヤが第101期訓練兵団に所属した初日の兵法講義は、根拠という根拠がない疑問だらけのものだった。


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誰もいない練習場で、ガスが噴射される音が響く。大木にアンカーが突き刺さる。風を切るような高い音を立てて筒の中へと鉄線が巻き取られる。
足を前後に揺らして跳躍した。そのまま腕でバランスを取り、太い幹に着地する。

「……はぁっ…」

盾に違い剣の紋章の付いたジャケットが、サヤの背中で控えめに揺れた。汗で頬にべったりと貼り付いた黒髪を、鬱陶しそうに拭って結び直す。

陽は大きく傾き橙色の光を放っている。

「もう戻らなきゃ…」

サヤは呟いて、大分擦りきれた剣を身刀ボックスに差し込んだ。暗くなってからの立体機動練習は、危険を伴うため禁止となっている。もし見つかれば一晩中宿舎の周りを走らされることになるので、絶対に見付かりたくはない。
…けれど、部屋へ戻るのも億劫だった。

というのも、避けられているのだ。同室の者達に。



『オイ、貴様』
『は!』
『貴様は何者だ!?』
『ウォール・シーナ東区出身!サヤ・アンドレアです』

その姓に、周りで青い顔をして通過儀礼を待つ兵士達は一斉にサヤを見た。それも仕方ない。アンドレアという姓は、言わずと知れた有名貴族であり、政治的面でも強い権力を持っているのだ。皆がざわつく中、教官の只でさえ煩い声が一喝する。

『なぜ貴様は幸せな貴族の豚小屋生活から巨人の餌になりにきた!?』
『――――』



(もういい。思い出すのはやめよう)

はぁ、とため息を吐いて宿舎への道を急ぐ。華やかだったルームメイトの女達の会話は、サヤが自室に顔を出すと静かになった。名門貴族の娘であることを知り、みんな恐々とした態度なのだ。サヤは構うことなく装置を取り外し、着替えを持って浴場に向かう。

なんだか泣きたい気分だった。訓練兵になって、どれだけ過ぎただろうか。長くも短くも感じる日々の中で、一通りの訓練を経験し慣れもしたが、それ以前に覚悟していたよりも貴族に対する周りの出様が心を虚しくさせた。
それだけならマシなのだ。中には、貴族という家柄が気に入らないのか突っ掛かってくる者がいる。唯一対人格闘術が苦手なサヤが手も足も出せないのは言うまでもなかった。

……弱気になってはいけない。

何度目かの溜め息に首を振ったサヤは、薄暗い廊下を再び歩き出す。約束したじゃないか、ハンスと。何度繰り返したか分からない言葉を唱えて前を向いた。

今日は早く寝たい気分だった。



懐かしく思えてしまうけれど

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