「サヤお嬢様。お着替えの時間です」
「ええ…待たせてしまってごめんなさい。準備に手間取っちゃって」
「ご主人様が馬車を手配されています。急ぎましょう」

貴族の舞踏会は、わりと頻繁に行われる。17年という人生で、すでに6回は経験していた。
国の貧困の問題は軽い訳ではないのに、まるで見栄の張り合いのように贅沢を凝らす貴族が、サヤはあまり好きではない。
とはいえ自身も名門貴族の令嬢であり、アンドレア家が招待されたからにはついていかなければならない。もし欠席などしたら、政治的な面で不利になる恐れがあるのだ。

「ドレスは如何致しますか?」
「…なん、でもいいよ。強いて言うなら目立たないの」
「――あっちでの喋り方には気を配ってね、サヤ。上級貴族たちが沢山集まるから」
「ハンス様…」

ドレス選びに悩んでいたメイドが頬を染めたまま後ろへ下がり、深くお辞儀をする。燕尾服を身に纏い袖のボタンを止めるハンスを、サヤはすでに疲れきったような顔で見つめていた。

「そんな顔したってダメ。…はぁ、サヤは本当に舞踏会が嫌いだね」
「良さが分からないから…。食べて踊って飲んで踊って、胸焼けがひどいの。それにコルセットも嫌い」

言いながらハンスが体に当てて来たドレスをやんわりと押し返す。しかし目で叱られた気がして、手を退けた。時間がないというのに、いつまでも渋る自分は相当迷惑をかけているのだろう。そう思うと居たたまれなくなって、クローゼットから一番無難なものを探す。

「もう、これでいい?」

ハンスに胸を当てて見せたドレスは、淡い黄色をしたシンプルなものだった。ウエスト部分がすっきりしていて、スカートが下にいくに従い滑らかに広がっている。この世界にチャックは存在しないらしいためコルセットになってしまうが、サヤの中では一番着るには気乗りするドレスだった。
時間がないくせにハンスはじっくりとサヤを見つめて、自分が先程サヤに勧めたマーメイドラインのドレスと比べている。

「うん、いいよ。そっちの方がサヤらしい」

やがてにっこりと微笑んでそう言った。


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遅れて参加した舞踏会場には赤に白に緑に青と、目が眩むような光の中で各々のドレスが輝いていた。テーブルには貴重な肉がキャンドルと共に並べられている。何度経験しても場違いさを感じる空間だった。

「お父様、遅れて申し訳ありません」
「おお、ハンスにサヤ。気にしなくていい。今夜は長くなりそうだからな、存分に楽しんでくれ」

ハンスの外での振る舞いは、家の中以上に紳士的になる。シャンデリアの光を浴びてそう見えるだけかもしれないが、隣を歩くサヤが見る横顔は別人のようだった。今でも幼いころのハンスが過ると言うのに、人の成長は早いものだ。

「じゃあ、また後で会おう。帰りは父上と母上の馬車が待っていてくれるはずだから、一緒に乗り込んでいいって」
「分かったわ」

頷いて別々の人混みに紛れる。
突っ立っているだけでは誘われてしまうので、いつも食べるのに夢中な真似をしていた。これが胸焼けの悪循環になると分かってはいるが、サヤはダンスが得意ではないし、貴族男性の歯が浮くような台詞には悪寒が走ってしまう。特に日本人は弱いのだ。

一頻り摘まみ終え暇をもて余してしまったサヤが庭園の風に当たろうとしたところで、誰かが声をかけてきた。

「アンドレア孃。お一人ですかな?」

振り向いて、思わず頬が引きつってしまう。冷静を装い微笑んで老人に手を差し出せば、慣れた手つきで通常通りフリの接吻をされた。

「まあ、エドワード伯爵。お元気そうで何よりですわ」
「はっはっ。そう緊張なさるな。貴女の両親とはちと馬が合わんが、ワシとアンドレア孃では話が別であろう」

そう言って腰に手を回してきた男に、いよいよ鳥肌が立つ。
エドワード家はアンドレア家と同じく上級貴族の更に上に位置する階級であり、社会的特権を根強く握っていた。舞踏会で何度か顔を合わせるようになってからは向こうからよく声を掛けられるが、権力的な面ではアンドレア家を一番敵視している。
そんな腹の底が知れない相手の対応をするというのは、サヤの社会性では不可能だった。

「いやはや、小さい頃はもっと可愛げがありましたなぁ。壁の外に膨大な量の塩水があるだとか、炎の水があるだとか」
「…っ」
「あんなに瞳を輝かせて教えてくれたのに!…きっと妙な研究をする父上の影響ですかな?アンドレア伯爵の夢物語はさぞ面白かったでしょう」

クスクスと、周りから笑い声が聞こえる。このままでは不味い。
咄嗟に逃げようと振りほどいた腕は、すぐにサヤの肩へと巻き付いた。

「まぁ今では随分と色が出てきたようで。またそれも魅力的ですなぁ」

髭を撫でながら囁かれた声に目を瞑る。だから来たくなかったのだ、と胸の中で吐いたとき、再び何処かから声が聞こえた。

「父上、いい加減にして下さい。少なくとも権力争いにこの方は関係ありません」
「おぉ、丁度いい。アンドレア孃、この者と一曲踊ってくださらんか」
「……エドワード伯爵の、息子様ですか?」
「ディオと申します。父の無礼をお許しください」

深々と頭を下げた金髪で長身の男、ディオに慌てて首を振る。しばらくサヤは呆然としていた。こんな気味の悪い男から、こんな逞しい紳士が出来上がるとは思えない。

「せっかくですので、一曲踊りませんか」

自然すぎるウインク。
隣の伯爵からの逃げ道を作ってくれたのだと分かり、サヤは眉を下げて手を取った。



黄色のドレスに煌めく黒髪

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