私、に?

目の前の人物の表情と、言葉の真意を理解することが出来なくて、サヤはどこか別人のようにみえてしまうハンスを見つめていた。
優雅に近づいて来るそれが恐ろしいと思うのは、初めてのことだった。

「…ど、うしたのハンス。様子が変……よ?」

空回りな笑顔で言ってみたものの、ハンスは依然その距離を詰めてくる。
本能的にハンスから距離をとった。一歩、一歩と近づいて来る度に、サヤは出口を背中にするように後退する。しかし―――。

「っ!?」

突然接近したかと思えば、サヤの体は大きなマット式の椅子の上へと押し倒されていた。腕置きにはドレスが捲れて折れ曲がった膝が顕になっている。
その上に体重を押し付けるように、ハンスは跨ってサヤの動きを封じた。

(なに…が……)

さっきから、全然頭がついて行けない。
何が起こっているのだろうか。放心状態で固まるサヤは、ハンスが優雅に微笑んだ瞬間やっと声を出して抵抗する。

「いやだ、やめてよ。何なの…!」

いくら兄妹とはいえ、こんな悪意のある悪戯には怒りを抱く。力強く肩を押し返したものの、その体はビクリともしない。逆にその手を強く握り返され、痛みに抵抗することも出来なくなった。
更に声を張り上げようとしたサヤの耳に入ってきたのは、突拍子もない言葉で――。

「ねえサヤ…君は、僕達アンドレア家と血が繋がっていないこと、知ってた?」
「…は」

一瞬、自分がこの世界の者ではないことを知られていたのかと思った。
だけど、そんな事はあり得ない。証拠なんて本人でさえ持ち合わせていないのだ。

「あれ、あまり反応がないね。もしかして知ってたのかな」
「じょ、冗談はやめて」
「冗談?君は何を"冗談"と思っているんだろうね。血が繋がっていないこと?…それとも、最初から君が知ってたこと?」
「―――っ」

今の言葉で、サヤの疑いは確信に変わってしまった。
ハンスは疑っている。サヤが他所から来た養子であること以前に、この世界の者ではないことを。
でも、どうして。どうやって…?証拠なんてどこにも無いはずだ。当てになるのはサヤ自身の証明されない記憶だけで、どうして身体が小さくなったのか、どうやってこの世界に来たのかも分からない。

それを、どうして。

抵抗を止め呆然と目を見開いていたら、ハンスは可笑しそうに眉を下げて笑った。

「いいの?そんな分かり易く反応して。今まで隠し通して来たんじゃなかったの?」
「言ってる意味が…分からないわ……。私は、お母様から生まれてきたんじゃないの?」
「それは間違いだよ。サヤは幼かったから覚えてないのかもしれないけど、君はある日突然僕らの前に現れた。母上が拾ってきたんだ」
「私が拾われた…?」

信じがたい話だが、その時サヤの疑問という糸が点と結びついてピンと張った。
納得がいったのだ。この世界での母親の体から生まれてきたというのに姿に面影がない理由も、前世の記憶が或る理由も、幼児化した理由を除けば元の世界の身体である以上説明がつく。

ただ、それでもハンスの確信には矛盾があった。

「でも、だったら、私がハンスと血が繋がっていないと知っていた根拠は?貴方が言っていたじゃない、私は幼くて…拾われた事を覚えてなんか、」

警戒しながら訴えるサヤに、ハンスが可笑しそうに笑う。

「ごめんね、サヤ。僕はこの前君を試した」
「え…?」
「君宛に送ったあの、この世の物とは思えない荷物だよ」

それは数日前、ハンスから調査兵団に送られてきたサヤの元の世界の私物だった。しかしあれが根拠になる理由が分からない。真実を明かせば奇異な目で見られかねないと心配したサヤは、確かに"心当たりはない"と返信した筈なのだ。
なのに、胸騒ぎがする。あの瞬間もしかしたら、既に事実は暴かれていた――?

「君が拾われてきたとき、あれも一緒に母上が持ち帰ってきたんだ。捨てられた場所に散らかっていたって」
「…」
「あれ以来僕は一度もその荷物を見る事は無かったんだ。それは君も同じはず。クローゼットの中に大事に仕舞われていたんだから。…なのに、君はあれを見た瞬間かなり動揺したらしいね?」
「…まさか、あの場にいた誰かがあなたに……?」

だとしたら一体誰が。
笑顔を歪めるハンスの淡い瞳に写るのは、食い入るように見上げる不安げな表情だった。



みつけないで、暴かないで

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