書類処理の仕事がようやっと終わり、壁外調査後ので数日間続いた慌ただしさは無くなりつつある。訓練も再開され頭を切り替えて没頭する彼らだが、日常と呼ぶにはまだまだ癒えない"傷口"があるのは確かで。

そんな中静かに元同僚がいた部屋を片付けるサヤは、何となしに空を見上げた。自らエイデルとノーラの部屋の整理を上官に申し出たのは、少しでも二人の死に向きあう為だ。
やりきれなさと、受け入れたくない気持ちと、絶望感。その全てが今ここに二人がいないという現実を身体に刻み込んでくる。それでいい。向き合わなければ始まらないと思った。悔しいことに、怖いほど無表情で小さな男の言葉が忘れられないのだ。重すぎて、まっすぐで。それでいて確かにサヤが生きる意味を示してくれていた。

「…ふう」

もともと物は多くなかったノーラの部屋が更に寂しくなる。そろそろ切り上げて昼食を取ろうと立ち上がったサヤは、脱いでいたジャケットを掴んで部屋を後にした。

食堂は、僅かだが賑やかさを取り戻しているようだ。こうしてみると随分兵士の数が減ったが、それも仕方のない事なのだろう。いつも食堂で見る程度の、見覚えのある顔が半分くらい減っている事実に眉が下がってしまう。
と、どこからか陽気な声が耳に入った。聞き間違えるはずもなく、その声はハンジのものだ。周りの部下達と雑談をしている。向こうも気付いたらしくハンジがサヤに手を降った。

「やあサヤ!キミも今から昼食かい?」
「はい。部屋の整理終わりました」

ハンジが前の席を叩き、サヤはそれに従う。支給されたパンを一口囓って顔を上げた。
周りに集っていた兵士達はいつの間にか別の場所で雑談を始めていて、目の前には優しく見つめてくるハンジしかいない。

「…大分落ち着いたみたいだね」

一段と低い声だった。手を止めて頭を下げる。

「心配かけてごめんなさい。少しだけど、気持ちの整理が出来ました」
「いいんだ、気にしないで。誰だって慣れる様なものじゃないよ。むしろ慣れてしまったらいけない。リヴァイのように背負い込めって訳じゃないけどね…せめて忘れないであげないと」

そこまで言うと、ハンジは机に乗せていた手をぎゅうと握った。つと、さっきまで話していた部下たちの集団を見やる。

「…あの子達、其々自分の班をもっていたんだ。当日まで根限り努力して班員を指導してきた。…でもどんなに頑張っても残酷なもんでさ、壁の外は容赦なく奪っていくんだ。可愛がってきた部下も、同僚も……ホントにみんな」

だからハンジにとっては大切な部下であるあの男達がこうやって生きているのは、何よりも幸せなことなのだろう。彼女の憂いを帯びた瞳。それがそのままサヤに向き直る。

「こうしてまた君と話せることを、嬉しく思うよ」
「ハンジさん……」

ハンジの真っ直ぐな思いに、サヤはなぜか胸が傷んだ気がした。針でつつかれたような僅かな痛みなのに、息も出来ないような錯覚を起こしてしまう。

この正体はきっと。
この正体はきっと、罪悪感だ。

「…ハンジさん……」
「どうしたの?」
「私は…あの時…壁外調査で巨人に追われていたとき、やっと…来たんだと思いました」
「来たって、何が、」
「死ぬチャンスです――口実…。仲間や陣形のことなんてどうでも良かった…リヴァイ兵長に言われて確信しました。ただ自分の為に死にたかった」
「…」

困惑の表情が目に浮かぶ。冷めたスープを見つめるばかりで顔を上げられないサヤは、ハンジの顔を確認することが出来なかった。

なにをいってるんだろう、私は。
頭の何処かで呟く自分の声が聞こえるのに、口は止まらない。仲間がどうでもいいだなんで、これは私の本心?
解らない。そんなことない筈なのに、どうしてこの口はすらすらと動くのだろう。

「ちょっと、どうしたっていうの―――」

困った顔で笑うハンジに肩を竦める。本当に、何をいっているんだか。そう思い謝って話を切り上げようとしたサヤを、今度はハンジの真剣な眼差しが止めた。

「…それは本当に君の本心?」
「……」

探るように顔を覗き込んでくるそれに、肯定も否定もせずに向き合う。

暫く沈黙が続いた。

ハンジはもしかしたら、怒っているのかもしれない。仲間のことなんてどうでもいい、口実だ、自分の為だ。そう下卑た言葉を並べたサヤは、仲間を思うハンジには最低に写ったかもしれない。

「…ハンジさん、この前言ってましたよね。壁外調査の後、図書館で……"この哀しみは夢だったらいいのにね"って」
「…」
「本当に、そうだったらいい。ずっとそう思ってるんです、私は。いつか夢が突然終わればいい。そうして目が覚めたそこには、目慣れた天井があって、時計があって…リビングの方から懐かしい生活音が聞こえてきて……」
「サヤ…」

最近あまり思い出そうとしなかったからか、久しぶりに本当の元の世界のことを思い出すと恐ろしいほど帰りたくなる。

と、突然頭に何かが乗ってきた。反応して顔を上げれば、自分の方へと腕を伸ばすハンジの姿が見える。ガシガシと強めに撫でられた。

「いた、いですっ」
「そんな顔しないで」

はっきりとした口調で、器の大きい優しさを含んで、彼女は言う。
そんな顔 とは。首を傾げたサヤははっとした。目が熱い。

撫でる力が強すぎて体が沈んでいく。そろそろ体勢がきついとハンジを止めようとする前に、それは図ったように身を引いた。

「恋しいものがあるんでしょ?あなたには」
「…」
「家族や友達や、昔の顔なじみとか街とか…あぁ考え出したらキリがないね。私にもあるよ、そういうの」
「あの…?」

懐かしそうに微笑むハンジに、話が読めず口を挟む。なぜいきなりそんな事を言い出すのだろう。

「楽しかったなぁ、あの頃も。私はね、昔っから巨人の捕獲作戦をエルヴィンに持ちかけては却下されてたんだ。しつこく付きまとっても、あの人全然首を縦に振らなくて…困ったものだ」
「…」
「リヴァイもリヴァイだよ!私をむっかしから眼鏡か菌扱いしかしなくて。私の話を取り合ってくれるのはナナバぐらいだったかな!途中から受け流されるようになったけど」

そうして、感情が昂っていくそれに圧倒され始めた時。ハンジは、電池が切れたように話を止めた。

「……サヤ、それでもね私は、沢山の仲間の死をこの目で見てきたんだよ」

その声は、初めて聞くものだった。
僅かに目を見開くサヤは、テーブルに置いた手に目を伏せるハンジを見つめる。

「それでも生きている理由は何だと思う?」
「…失った人達の分まで、心臓を捧げるからですか」
「ははっ、そんな大層なことじゃないよ。それじゃあとっくに私は此処にいない。潰れちゃってるよ」
「……じゃあ」

なに。
素直な疑問がサヤの頭を占める。

「―――今ある仲間の命も、失くなった仲間の命も、自分も、すべてが恋しいからだよ」

その言葉に、サヤの胸がざわりと波打った。

「たとえ大切なものを喪っても、本当に大切なものは記憶としていつまでも残せる。自分の事も誰かの胸に刻み込めるんだ。…でもそれは生きているから出来ることであって、死んでしまったら意味がない。ましてや夢なんかじゃ初めから無かったようなものじゃないか。それって、すごく 寂しいことでしょう?」

そうだ――。サヤは心の中で破片の穴が埋まるのを感じた。
"全てが夢"、それはハンジやエイデル、ノーラ、リヴァイ…沢山の美しいと思っていたものが、虚無へと変わる言葉だった。

嫌だ。
サヤは強く思う。

そんなのは嫌だと。

「ほら、サヤにもあったでしょ?恋しいもの」

唇を噛み締めて俯くサヤに、ハンジは頷いて頭を撫でた。



指先に霞む輪郭

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