小鳥の囀りが窓の外から聞こえる。ふらりと外へ出て、散歩でもしたくなるような昼下がり。
しかし、壁外調査を終えた兵士たちは報告書の始末に追われ心身共に疲れ果てている。サヤもまた、目の前の白紙と向かい合い睡魔と戦っている最中だった。

図書室の角で船を漕ぐ。
共同で使っていた部屋のルームメイト達は先日の壁外調査で重症を負い、別舎で治療を受けている。ガランとした部屋では逆に気が落ち着かずここへやって来た。

「やあ、サヤ。阿呆なくらい呑気な天気で空が恨めしいけど調子はどうだい?捗ってる?」
「ハンジさん…お疲れ様です」

机の横に手をついたハンジが上から微笑んでくる。明らかに疲れている目元にそう声を掛けた。

「まったく嫌になっちゃうよね。壁外調査の後はいつも報告書に追われて、感傷に浸る間もないんだ」
「…」
「いつまで経っても慣れないよ、この感覚。眠たくなるくらい綺麗な空を眺めてるのに、どうしようもなく哀しいんだ。夢の続きみたいなさ」

いっそ夢だったらいいのにね、そう言って頭に乗せられた手に、サヤの鼻がツンとする。睨むように空を見上げた。
今回の壁外調査でも調査兵団は多くの命を失った。ハンジの部下だってその中に含まれている筈だ。なのに自分を気遣って笑ってくれる彼女を見ていたら、つい弱音を吐きたくなる。

「ハンジさん!すみません」

奥の入口の方で兵士がハンジを呼ぶ。

「あぁ、今行く!…邪魔したね、サヤ。暇な時はいつでも私のところにおいで」
「ありがとうございます。あの、良かったらその資料渡しておきましょうか。運ぶ途中だったんですよね?」

ハンジが抱える紙束を指させば、ぱあ とハンジの顔が明るくなった。

「ホント?ありがとう!!正直渡しに行くのが億劫だったんだ。忙しい盛りのあの人は今頃最高潮に苛々しててさぁ」

その言葉に思わず動きを止めてしまう。
まさか、渡す相手とはリヴァイのことだろうか。エルヴィンに運ぶものだと何の根拠もなく思っていたサヤは、ハンジが駆けて行く後ろ姿を見つめて肩を落とした。


::::

この前ハンジに無理やり連れて来られた部屋の前で、崩れそうな資料の束を抱え直す。ノックをしても返事がなかった。もう一度ノックをしたところで、「誰だ」と低い声がする。

「サヤ・アンドレアです。ハンジさんに頼まれて資料を届けにきました」
「…入れ」
「失礼します」

扉を開けて中へ足を踏み入れる。相変わらず単素で何もない部屋が広がっていたが、前回来た時よりも少しだけ散らかって見えた。忙しくて片付ける間もないのだろうか。

「ここに置いていいでしょうか」
「ああ」

そんなことを考えながらリヴァイの向かいにある机に束を置く。いつもに増して鬱な雰囲気のリヴァイに邪魔をしてはいけないと出口へ向かったサヤの足は、制止の声に動きを止めた。
振り向けば、ひしひしと感じてしまう程の疲労感を漂わせる瞳がこちらを睨んでいる。

「何か」
「お前の報告書では、同僚だったエイデル・バイドラーとノーラ・グリフィスは巨人戦で戦死したそうだな…」
「…はい。報告書に述べた通りです」

この男には嘘がばれていると分かっていたが、向き直って答える。値踏みする様な視線を寄こしたリヴァイは、徐ろに立ち上がってサヤが立つ本棚へと近付いた。

走行途中で遭遇した巨人に応戦する為、その場の判断で巨大樹の森に入りノーラ・グリフィスが討伐。その際エイデル・バイドラーがサヤを庇い死亡。後方からの巨人を察知し走行を再開―――。報告書にはそう記した。

「それで、なぜお前はあの場にいた」
「…巨人の陣形内への進行を、あの場で食い止めるためです」
「一人で何とかなると判断したのか?大した過大評価だな」
「ノーラは戦える状態ではありませんでした」
「ほう?ではそれは何故だ…」

ぐ、と口を噤む。視線を外せば踏み込まれてしまうと、意地でも鋭い瞳を見つめた。

「窮地の中、自分で命を絶つ奴は腐るほどいる。例えそれがどんなにくだらねぇ理由だろうとな」
「……なにが、言いたいんですか」

あまりの言葉に嫌悪の視線を向けて、低い声で睨み返す。

「……サヤよ」

ぎい、と床が軋む音。

「お前はなぜ信煙弾をあの女に全て渡し…一人残った」
「質問しているのは私です」
「黙れ」

身体を完全に支配される、低く鋭い声。底冷えするような瞳にとうとう耐えられなくなって、サヤは眉を寄せて俯いた。
弱々しい声が部屋に溶け込む。

「…ノーラには、生きて欲しかったから…」
「違うな。お前は誰のことも眼中に無かった。俺があの場に居なかったら、お前は死んで結局巨人は陣形内に侵入していた」
「…」
「テメー自身の為に、心臓を捧げたんだろうが」

ひくり、と肩が揺れる。
今まで自分で片付けられなかった理由――目を逸らしていた真実が、この男には簡単に解ってしまったらしい。

リヴァイの言葉が真っ直ぐにサヤの胸へと突き刺さる。そうだ、自分の為だ。ある日何らかのきっかけがあったのか突然別世界へ投げ出された先で、外への自由に強く憧れ、大切な人を沢山失い、現世では比べ物にならない程の地獄を味わってきた。これ以上生きていても何の意味も無いだろう、漸くそれを悟ったのだ。
いや、それも今は違う。この男の言う通り、自分がもう傷付きたくなかっただけだ。

「…気味悪い女だな……。なぜ死のうとした。通常種ならば馬で回避出来た筈だ」

リヴァイの冷めた碧眼が、サヤを静かに見据える。思わず一歩後ずされば、本棚の脚に踵が触れた。

「……分からなかったからです。何が正しくて、何が間違っているのか」

本音がぽろりと口から漏れる。

嗚呼、ダメだ。見透かされてしまいそうで怖い。
自分の中の汚れた部分を、暴かれてしまいそうで。
それでも、理由を吐き出すことは出来なかった。言ってもこの世界の人達は信じてくれないだろう。また異端だと罵られる日々は、正直今の自分には堪えられない。

「答えになってねぇが、その眼を見る限り本心らしいな。だが、巨人の胃袋に収まったところで、何も分かりゃしねえぞ」

鋭い視線が未だにサヤを突き刺す。しかしそれは扉を開けて入ってきた白けるような声の主に逸らされた。

「失礼するよーリヴァイ!実は手違いでさっきの資料が……って、ええ?何ソレ、何やってるの?」

サヤが本棚へと迫られている光景に、ハンジは肩を突き出して呆けている。リヴァイの疲れ切った溜息が聞こえた。
今度こそ退散しようとサヤは扉へと足を進める。無断でドアノブを握れば、奥から低い声がした。

「サヤ、お前の生き方に口を出すつもりは無い。死にたきゃ勝手に死ね」
「ちょっ、リヴァイ?」
「だがな…その捻くれた心臓はもうてめぇ一人のものじゃない。その意味が、こうして生き残ったお前なら分かるだろう」

リヴァイの声が酷く鼓動を乱す。

彼は一体どんな経験をして、どんな地獄を見て、自分にそんな言葉をかけたのだろう。考えれば考えるほどその言葉が重くのし掛かり、息苦しくなる。

私達は、背負い込んでいかなければならない。
エイデル、ノーラ、上司、壁外調査で失った全ての心臓を死ぬまで背負って、生きなければならない。それがサヤだけではない彼ら全員の使命だ。

「…失礼します」

扉を閉じる音が、やけに物悲しく感じた。



罅割れたガラス瓶のような

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