Novel
明日もあなたの虜

土屋は知っている。

緋咲が、素肌のうえに気だるく纏うスーツ。
己の纏うまがいものに比べて、ずっと上質なストライプの布地。

そのポケットから、時折、謎のキャラクターの人形らしきものが頭をのぞかせていることを。

ポケットから微かにとびだしているそれは、真っ白で如何にもふかふかとしている佇まいであり、小さくまるまるとしたフォルムだ。
黄ばみやうすよごれることもなく、そのキャラクターはいつだって純粋に白い。

そして、ポケットから飛び出しているそれに気づいたとき、いやに流麗なしぐさでそそくさとしまいこんでいることも。
今迄見たそれの断片を組み合わせれば、とあるどうぶつのかたちを模していることが推理できる。


緋咲のことを誰よりつぶさに見守っている自負のある土屋だけが、知っているであろうこと。


緋咲が、何かを思って呆けていることなんてない。
しかし、そのするどい瞳に、時折ひどくおだやかな瞬間がおとずれること。

きっと、誰かいるのだ。
この人のそばに寄り添う、特定のひとがいるのだ。
あのキャラクターがくっついているのは、自宅の鍵だろうか。緋咲の実家は知っているものの、緋咲が普段どこに暮らしているのか、族内部でそれを知るものは一人もいない。それをさぐる肝っ玉をもつものは一人もいない。

土屋は思う。
土屋のしらぬ緋咲の顔を知る人物が、おおよそ彼のそばにいるのだ
あのちまっとした謎の白い生き物は、そのあかしなのだ。



そういえば。
鳴神の口元にそっとハンカチをあてたのは、華奢な体つきの少女だった。

それは土屋が、個人的な用事で横浜の大きなバイクショップに出向いたときのことだ。
外道がとるルートの情報は土屋は熟知している。
鳴神秀人は、土屋のあらかじめ調べたルートに、潔いほど堂々といたのだ。

そして、鳴神秀人のそばには、ずいぶん儚い女の子が寄り添っていた。
かすかな背伸びだけで、その少女の純白の手は鳴神の口元に届いていた。
パールホワイトのFXにまたがった鳴神の口元を、繊細な指と上品なミニタオルがたどった。
目のいい土屋は、そのシークエンスをじっくりと観察した。

それは、ずいぶん堂々としたすがただ。

土屋は、みずからの頭の愛し方を思う。

どちらの愛し方が正しいなんて、土屋には決められない。

そもそも、緋咲がだれかを隠しているなどということも、土屋の勝手な想像にすぎないのだから。

鳴神は、あの女の子を、守りきる自信があるのだろう。
あの男が顔色を変える瞬間を、土屋はこの目でまのあたりにした。それはきっと、あの形相よりも凄まじいであろう。

口もとをいたわる真っ白の手首をそっととりあげた鳴神秀人は、青白い血管が浮かんでいるであろう手首に、気障なくちづけをおとした。
少女は、悲しそうな瞳で鳴神をみつめていた。


そんなふたりを見つめながら、土屋がひとりごちた言葉。

「オンナ心配させんオトコなんかよ、ろくでもねー……」

それはそのまま、土屋につきささる。




そして土屋がたどりついたのは、三笠公園そばの、私立高校だ。須賀学という愛称で親しまれるそこは、土屋の恋人、あすかが通っている高校。
めぐまれた立地条件だ。
校門の前にはきれいに舗装された路面が走る。土屋は、白線で描かれた駐車スペースのなかに、単車をまぎれこませた。
大きな病院やコンサートホールのような外観に近い近代的な建築の校舎。そんな学校を守るはずの警備員は不在だ。スーツ姿のまま、土屋はひとつのためらいもなく、あすかの通う私立校のなかに堂々と侵入した。
敷地のなかには、海のにおいが漂っている。構内を照らす街灯がぼんやりときらめき、白い校舎に吊るされた垂れ幕が目に入る。そのなかに、女子野球部関東大会出場という祝い幕が見つかった。そんな戦績を彼女から教えてもらっていなかった土屋が、顔をしかめた。

校舎の手前で曲がればグラウンド。体育館からは、煌々とともる灯りにシューズが床をこする音、そして女子生徒たちの大きな声が響いてくるものの、グラウンドにはいっさいの人気がない。ほとんど人のいないグラウンドをてらす、カクテル光線。

そして、グラウンドの片隅で、かざらぬジャージ姿のすんなりとした肢体の少女が、ちまちまと片づけをしている。

土屋は、革靴のまま、トンボで整えられた土のグラウンドをぶしつけにつっきってみせる。



香水のかおりと、たばこくささ。
それは、そこそこ落ち着いたこの私立校の校風にそぐわぬようでいて、マッチしているようで。
しかし、ここまで自信をもって異質でおとなっぽいかおりを漂わせている生徒はいないはずだ。

誰よりも最後まで残って部活動後の後片付けに励んでいたあすかが、かおりにつられて振り向いた。


「よーあすか、ビビったべ?」
「……大丈夫だね?」
土屋くん、久しぶりだねー!

驚きより疲労が上回っているあすかが、土屋に会えた歓びをしずかににじませる。
なおざりにあたりを見回したあすかが、いいかげんな確認を終えて、土屋に、さっぱりとした笑顔を見せた。
グラウンドの上にひざをついて道具の手入れをしていたあすかが、土屋をそばまで手招きした。
力の抜けた歩き方であすかのそばまで寄った土屋が、彼女のそばに、しゃがみこむ。
汚れた道具を土屋がいじろうとするので、あすかがやんわりとさえぎった。土屋としては、女子野球部マネージャーとしての彼女の仕事を手伝うつもりであったのだが、おとなしく彼女の言うことをきいた。

「すごい、どやって入ってきたの?」
「誰もいなかったぜ?」
「そうなんだ、あ、たばこだめ」

わり。
癖のようにひっぱりだそうとしていたたばこを、土屋はスーツのポケットにしまう。
そんな素直な土屋のことを笑顔で見守ったあすかが、彼氏である土屋の整った顔立ちをじっくり観察した。

「土屋くん、ケガー……は……、ほとんどしてないね?」
「なおったから会いに来たんだよ。あとぁコイツだけだナ……」
「なおってなくても会いたいのに。心配されんの、メーワク?」
「んなことねーよ?かっこつけてーだけだよ?」
「ここのガーゼだけ変えてあげるよ」
「いーんかよ、ドーグ、備品だろ」
「いいよ」

グラウンドの上に直に置かれていた救急箱から、適当な道具をとりだして、あすかが手際よくとりかえた。土と油まみれのあすかの手はウェットティッシュで厳重にぬぐわれて、土屋の顔をやさしくいたわる。ものの数秒で手当は終わって、土屋の顔から剥かれた古いガーゼは、土屋が自らのポケットにつっこんだ。

道具と救急箱をとりあげたあすかが、マイペースに立ち上がった。

土屋も、妙に素直に立ち上がり、ジャージ姿ですたすたと部室棟らしき場所へ向かうあすかのあとを、ひよこのようについて歩く。
妙に素直な土屋が可笑しいあすかが、部室棟一階の一番片隅、女子野球部に与えられた一室を指さして告げた。

「着替えるからー、外で待っててね?」
「部室かよ、エロいな……」
「今日はエロいことする体力ないよ」

半分本気であった土屋の言葉を、あすかがあっさりと受け流した。
そして土屋は、あすかの断りをさっぱりとうけいれた。

「そりゃしょーがねーな、あすか優先だよ」
「なんでそんなに優しいの?」
「オレ、やさしーか?」
「いつもあたしのこと考えてくれるよ、こんな優しい人いないよ」

それにー。
振り向いたあすかが、すこやかに宣言する。

「かっこいいし!」

土屋の精悍な肩を、あすかがばしっとたたいた。

「土屋くん、自信もって」

惚けたような顔の土屋をのこして、あすかが部室にきえた。
こういった励ましを与えていたのは、かつて、己のほうではなかっただろうか。
もっとも、土屋はそれを与えているつもりなどなかった。
あすかにふさわしい言葉を、ただそうだと思ったから告げていただけだった。

それがいつしか、あすかをのびやかにそだて、土屋があすかにおくった言葉は、そのまま土屋に返ってくる。

しばらく待っていれば、制服姿のあすかがでてくる。
鍵はあすかが管理しているようだ。
制汗剤を吹き付けすぎたあすかの粉っぽいにおいを楽しんでいると、なにやらふと思い出した土屋が短い声をあげた。

「あっ」
「なに?」

スポーツバッグを肩からさげたあすかが、土屋のそばにとことことかけよった。
海の香りがふたりをつつみ、部室棟のコンクリートと土のさかいめに、土屋がしゃがみこむ。

「な、こんなキャラしってんべ?」

しゃがみこんだ土屋が、ひとさしゆびで砂の上に絵を描き始める。
あすかもつられて、短いスカートを膝につつみこんでしゃがんでみせた。

「んー?」

絵はうまいのだ。
覚えていた断片を組み合わせて、土屋のゆびさきはあっさりと特徴をとらえる。
勉強でも運動でも絵でも習字でも、土屋がなんでもできたことを、あすかはよく知っている。

「なんかよ、白くてよ……」

土屋の描く絵は特徴をとらえていて、かわいい。
つぶらなひとみ、まんまるのフォルム。土の上に、キャラクターらしきものが完成してゆく。
あーー!と声をあげたあすかが、かばんをごそごそとさぐりあてはじめた。

「知ってる、しろたん」
かわいいよね。

「これ」

あすかがとりだしたペンケースのファスナーには、緋咲のポケットからのぞくものよりひとまわりちいさなマスコットがくっついている。

「ああ…コイツか……」

確かに、ときおり緋咲のポケットからのぞくものと、同じかもしれない。

「どこにうってんの?」
「八景島とか……雑貨屋とか」
これは、友達にもらったんだけど。

「あ、ほしいの、今度さがすね!」
「いや、いいよ」

指先の土汚れをスーツのかたすみでぬぐいとった土屋が、しなやかに立ち上がる。

「かえろ」

何を知りたかったのか。
何を暴こうとしていたのか。
気にかかっていたものの正体をあっけなく突き止めた土屋が、今度はあすかを先導しはじめた。

「じゃー、しろたんじゃないキーホルダーあげる」

あすかが、スポーツバッグの金具にくっついているキーホルダーを、土屋の歩調にあわせて弾む息をこらえながらいそいそと取り外し始める。
それは、ドーナツ型のキーホルダー。
土屋のそばに駆け寄ったあすかが、彼の美しい手をとってそっと握らせる。

「何よこれ」
「どーなつ!」
「……?つけろっつーのか……?」
「つけてて!で、土屋くんが、自信なくしたときに、見て!」
あたしが、ついてんから!

緋咲がこっそりと隠し持つそれも、そんなエールとともにおくられたものなのだろうか。
いや、きっと違うだろう。

「帰ってからつけるよ」

そう答えた土屋が、ドーナツのかたちのキーホルダーを、ポケットのなかにしまい込む。
人と自分を比べてうつむいていた自分に土屋が気だるい勇気をくれたように。
土屋が答えや道を探しているときは、あすかが今度は与える番なのだ。
だから、あすかは、くだらないけどいきいきとしたものを与えた。
土屋の温かいかっこよさを思い出してもらうために。

そうねがったあすかが、スーツ越しの精悍な腕に、そっと腕をからめた。

title;静夜のワルツさま

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