Novel
さよなら純白

あすかが右手に提げている紙袋。
味気ないクラフト紙のなかには、キヨシに贈るクリスマスプレゼントが詰まっている。

差し入れと言ったほうが正しいのであろうか。

貼るカイロに、吸水性と保温力の両方にすぐれた肌着。やすくて実用的な防寒具。キヨシが快適に仕事に打ち込めるようにえらんだもの。あらゆる変化への耐性をもつキヨシだ。こんなもの、必要ないかもしれない。もしもそうであればヒロシにお裾分けするのも良い。現場の人たちにさしあげてもかまわない。あるいは、ずっととっておいてくれて、いつか必要なときに使ってほしい。ロマンチックじゃないかもしれないけれど、あすかの幼い頭でいくら懸命に考えようとも、みちびきだせる答えは結局これだったのだ。

父親もひいきにしている作業服専門店。通常どおりマイペースな調子で、山手の女子校の制服姿のまま入店しみつくろったものはすべて、あすかのお小遣いでまかなえるものであった。やすくて利便性の高いものばかりだと述べた父親の語りどおり、あすかは満足のゆく買い物を終えた。

そして、キヨシへのクリスマスプレゼントが詰まった紙袋をさげ、駐車場から歩道へしずしずと足を踏み出した瞬間。


あすかは、特攻服を着た数人の男に、囲まれた。


いわく、オレたちはキヨシの仲間だが、キヨシが単車でコケたので今すぐ病院につれていってやるとのこと。

所有する運転免許資格は原付のみのキヨシが、単車で転倒するわけがない。聡明なあすかの頭は、即座に結論を導き出した。

あすかは、通学バッグと荷物をぎゅっと抱えて、コートのボタンがきちんととめられているか確認する。靴下は学校指定ではない。ローファーは学校指定だが、高校名をしめすものは何もない。
キヨシに、バレないようにしたほうがいいと忠告されたからだ。

かばんを抱え込み、うつむいたあすかは、思案をめぐらせる。

でももしかするとヒロシと一緒に事故に遭ったのかもしれない。
声をかけられた瞬間、あすかを取り囲む連中の言葉に、とっさに悲愴な反応を見せてしまった。そして、相手は、あすかのセンシティブな反応をあきらかにあざわらった。その反応で、ことの真実は理解できる。


理解できるけれど、もしも。
もしも本当にキヨシが傷ついていれば。
あるいは、ヒロシとキヨシが二人でいるときに、何かが起きたのであれば。


想像力がキヨシの身におよびはじめたあすかのやさしげなまゆが、悲しそうに下がったとき、相手は、たくらみ深い顔で、さらにたたみかける。
不穏な雰囲気、フルスモークの大きなワゴン。
特攻服を着た男が、あすかの肩をべたりと抱こうとしたとき、荷物を抱えたあすかはぎゅっと肩をすくめて、ふるふると首を振った。

迷い、とまどっているあすかにやきもきするように、大きな車からさらに人が降りてくる。
どれも同じ色の特攻服。キヨシの部屋の押入に、こんなに服はなかった。でも、刺繍されている名前は、キヨシやヒロシ、そして天羽から聞いた名前だ。

「じ、じぶんでいくので……病院のなまえ……教えてください……」

あすかがようやく口にできた、抵抗の言葉。

あすかは他人からマイペースと呼ばれることが多くあるうえ、あすか自身もそういった性分は自認していた。

それでも、こんなとき、いつもののんびりとした気性の底がすくみあがってしまうことがわかった。
こんな恐怖は、あすかにとってはじめてだった。

目の前の男たちの胡散臭い声は、頑固にうつむき懸命に抵抗を続けるあすかに向かって次第に暴力性をおびてくる。

キヨシといるときこうしてからまれたことなど、そういえば一度もない。キヨシといることがあすかに恐怖をもたらしたのは、あのアパートでの一度きりの出来事だけだ。
キヨシはずっとあすかのことを守り抜いてくれていたのだ。
こんな危険から、ずっと遠ざけてくれていたのだ。
自分は、それにずっと甘えきっていた。自分の鈍さ、キヨシが守ってくれていたことに対する傲慢さに、今になって嫌悪を感じる。

キヨシにおくる紙袋。ぎゅっとそれをかかえて、あすかは首を振った。
感情だけで行動してはならない。
キヨシに迷惑をかけてはならない。
その一念だけが、キヨシの身の無事と、今の状況。
どちらを選択すべきか、どちらが正しいのか、本能的にあすかに教える。

あすかがこのまま押し込まれそうになっているフルスモークの車。
これにだけは、乗ってはいけない。


キヨシが心配じゃねーのかよ、薄情な女だな。

そんな言葉が、あすかの自尊心を深く傷つけ始める。


なんでもいいからよ、のってよ!!

そんなねっとりした声があすかおそう。

父親も、キヨシも、そしてヒロシも天羽も、みんな言っていた。あすかは、何があっても知らない車に乗ってはいけない。こどもにいいきかせるように皆が幾度もあすかのことを案じてくれた言葉が、この局面で、あすかの頭の中を幾度も幾度も反響する。


キヨシさん。
キヨシさん。
こころのなかで、すがるように名前を呼んでみる。いつも存分に甘えきって、守ってもらうことに慣れていたことを恥じながら。

もしかしたら、彼らの怒鳴るとおり、キヨシはどこかで傷ついているのかもしれない。苦しんでいるのかもしれない。それでも、独特のはたらきかたでめぐるあすかの思考は、この状況を、たしかに、キヨシではなく自分自身の危機ととらえている。

「自分で行きます!ビョーイン教えて…」

しぼりだすように伝えると、しびれをきらした男たちがずらりとあすかをとりかこんだ。

背後から腕がのびてくる。

下品な腕が、あすかの体をとらえた。

「い……や!!」

たばこくさい手があすかの口をふさぎあすかの頼りない体に無数の手がのびそうになったとき。


駐車場にひびいたその音は、もう二度と聞けないかもしれないと思っていた音だった。


そして、あすかの体があっというまに自由となる。



「さがってろよ……あすか……?」


獏羅天の雑魚ふたりに体を抱え込まれそうになったあすかの華奢な肩を、風のようにさらったのは。

龍神の背中、長い腕ひとつで、あすかのことを颯爽と、精悍な背中にかくしたその人は。



「天羽さん!!」

重力にさからって立てられた金色の髪の毛が風にたなびき、180センチを越えた美しい長身。しなやかなからだは、しろがねのバイクからすでに飛び降り、キヨシの恋人のことを守ったのだ。質のいいブーツのかかとが、アスファルトをたたく。

「キヨシのbabyによ……よくやるよナぁ、こんなこと……。あすか、さがってろ……」

あすかのつきささるような悲鳴とともに、人が数人吹っ飛んだ。

「みるなよー?そう、目は、とじろ」

おまえはかんけいないだろ、ふざけるな。
そんな怒号がかたっぱしからとび、かたっぱしからきえてゆく。


ものの数分であっただろうか。荷物を抱えて、ぎゅっと目をとじ、天羽の背中のうしろでふるえていたあすかは、大きな車が逃げるようにきえてゆく音を感じた。


おそるおそる瞳をあけると、ひとかげも、気配も、なにもかも、あとかたもなくなっている。

そして、天羽には、暴力のなごりすらない。

天羽が振り向く。

あすかの澄んだ瞳。

それがひどく傷ついていないか慎重にたしかめた天羽が、背後でおとなしく守られた女の子に、いたずらっぽくウインクをおくった。

あすかのこわばっていたからだから、緩慢に力がぬけていく。

「天羽さん……!!ご迷惑おかけして……ありがとうございました……」
「ああ、あすか、泣いていないのか、よくがんばったな?」

軽く振り向いた天羽が、せっぱつまったあすかのこころをやわらげる。

懸命にこらえていた涙が一気にこぼれてしまいそうなことばを天羽にあたえられてしまうと、このままひざからくずれてしまいそうだ。

でも、今のあすかには、何より気遣うべきことがあった。

「天羽さんが、きてくださらなかったら………あ、あの、天羽さん、キヨシさん!!!キヨシさん事故にあったって言ってた……!!本当でしょうか……?」
「嘘だと思うぞ……?キヨシがとんじまったってことは、ヒロシもだろ?ヒロシに限ってありえない」
「キヨシさん、バイク乗りませんしね……」

あすかの冷静な言葉に、天羽がくすくすと笑い始める。笑わないでだなんて抗議する場面であるはずなのに、ふしぎだ。ずっとこの人は、あすかにとって、こころから信じられるひとりであった。

「あすか、もう怖くないか?」
「もう大丈夫です……。でも、キヨシさん……大丈夫でしょうか……わたし、キヨシさんち……それとも待ってた方が……でも……」
「ああ、おくってやれりゃ、よかったんだけどナ・・・・・・オレの単車は、二人は乗れねえ……」
「いいんです……助けてくださって、ありがとうございました……」
「無事でよかったよ。よくがんばったナ?きっと、アイツはなんともないよ」

ルビーのように澄んだ瞳が、いまだ不安にかられつづけるあすかを眺めて、あたたかくほころんだ。

そして、あすかが抱える大きな紙袋に目をとめる。

「何ソレ?」
「……?あ、あの、キヨシさんにあげる……もの……。クリスマスのおくりもの、です」
「ふぅん……ノエルに?ま、とにかくよ、電話してみな?」
「!!そ、そうですよね……!こーゆーときのための……。天羽さん、あ、ありがとう、ございました……あ、あの、」
「なんだい、あすか」
「……変わって、らっしゃらなくて、よかったです……」

もっとほかに、天羽に伝えるべきことがあるはずだ。
あるはずなのに、キヨシへの切慕と、いまだあすかのなかをすくう恐怖と、目の前にいる、背が高くてあまりにも美しい人物への感謝と。心のなかがぐちゃぐちゃになりながら、あすかは、今一番伝えたかったこと、そしてキヨシにも伝えたいことを、半分うつろに、半分素直につたえた。

切れ長の妖艶な瞳が切なくさがったあと、まさに鉄の馬とよべるそれは、あすかのまえから鮮やかに消えてしまった。



ハッと我に返ったあすかは、早足であるきはじめた。
こういうとき、なかなか公衆電話がみつからない。
すぐ向こうにコンビニがある。
あそこなら、公衆電話があるはずだ。

コンビニの駐車場は閑散としていて、さきほどのような不穏な車は存在しない。
出入り口のそばにとりつけられている電話。
かけよったあすかは、テレホンカードをひっぱりだして、キヨシの携帯番号を性急にプッシュする。すぐに起きたコール音は、あたりまえであるが、つながらない。仕事中なのであろう。

でも、さきほどのことばが本当であれば。

一旦受話器を落としたあと、あすかのほっそりとした指は、とりつかれたようにキヨシの番号をたどりはじめる。幾度かけてもおなじことだ。長いコールはいつまでもその先にたどりつかなくて、あすかはあきらめたように受話器を置くことを、くりかえす。

こんなにかけて、つながらないということは。

真実なのか、それとも、たよりがないのは元気でいるあかしなのだろうか。

そして、いつまでも一人でここにいることが不安だ。
さきほどの男たちがまたあすかをさがしにくるかもしれない。それは自意識過剰な考え方であろうか。

知らない男性の罵声をあび、囲まれ、体に触れられる恐怖は、今まで周囲の人に守られ続けてきたあすかには、耐えがたい怖さであった。未だ不安がやまない。

天羽の単車がたとえ二人乗れたとしても、あれ以上甘えることは、キヨシにも、天羽にも、天羽の愛する人にも失礼だとあすかは考えている。

走ってしまえば駅はあるけれど。

もう一度テレホンカードをさしこんで、自宅の電話番号をプッシュする。

専業主婦の母親は、すぐに電話に出てくれた。コンビニの場所をつげて、母親に迎えを頼んだ。

ほどなくして車で迎えに来てくれた母親に、事情は到底はなせなかった。


疲れた顔で後部座席にぐったりとすわりこんだあすかのことを気遣ってくれるけれど、あすかはわらってごまかした。

無事自宅にたどりつき、部屋にもどったあすかは、紙袋を部屋のかたすみにしまう。
あすかの部屋に子機はない。一度階段を降りて、夕食の支度にとりかかった母親の目をぬすみ、自宅の電話から、もう一度キヨシの番号をプッシュする。

まだつながらない。
そして、もう一度。
これ以上は、あすかの不安を増幅させるだけだ。

この時間、なかなかキヨシと連絡がとれないことは、いたってよくあることだ。
そもそも、はじめにみちびきだした結論。そして天羽も断言してくれたこと。
それが正しいはずだ。
今のあすかには、キヨシの声を待つことしかできない。

部屋に戻り、制服をハンガーに吊るし、部屋着にきがえる。
12月の冷気は、さむがりのあすかの身体を凍てつくようにひやす。
お気に入りのガウンを羽織ってあたたかさをてにいれても、あすかの不安は晴れない。

ぬいだシャツを洗濯機にいれたり、やるべき予習の道具をとりだしたり、それも手につかなかったり、電話がまたも視界をよぎったり。階段を行ったり来たりして、よるべない気分にのまれつづけていたあすか。

そのとき、階下からあすかをよぶ声がした。きっと帰宅したばかりであろう、父親の声だ。

階段をおりてゆくと、真下で父親が待っている。

首をかしげて背の高い父親を見上げてみると、しぶい表情の父親が、大きな手で握り拳をつくり、親指をたてた。

「?お父さん、どうしたの?」
ごはんもうすぐってこと?

苦虫をかみつぶしたような顔の父親が、その親指で、玄関をさす。

「わたしに、お客さん……?」

父親は答えない。
そしてなぜだか、すごすごとリビングへ引っ込んでしまった。
ダイニングキッチンに立っているであろう母親が、いつかはこんな日もくるのよ!!と父親をなぐさめていることがわかった。

きょとんと見送ったあすかは、不審な表情をにじませて、通学用のローファーに足をさしいれる。
この家の靴箱の壁面は一面姿見だ。鏡に映った自分は、お気に入りのガウンに、ふわふわの素材の部屋着。なんだかだらしない。

でも、整え直す元気もなくて、おもむろに玄関のドアをおした。

「あすか……頼むからよ、誰が来たんか確認くらいしてくれ……」
「キヨシさん!!!!!!」

もてるかぎり最大の大声で、あすかが反射的に呼んだなまえ。

絵の具でぬりこめたような夜、それをてらす玄関のあかり。
ぼんやりとうかびあがるオレンジ色。

そこには、あすかの大好きな人がいた。

「え、キヨシさん!?!?」
「どうしたあすか、TEL、きれっちまったぞ?公衆電話もオマエか?なんかあったんか?」
「キヨシさんこそ、なんかあったんじゃないの!?事故ってないの?」
「ああ?……おれが事故……?みろよ、ピンピンしてんべ」
「よかった!!!!!」
「なあ、事故ってなんだよ……あすか!?!?」

あすかが、キヨシの胸のなかに迷いなくとびこんだ。

逡巡するキヨシの丸太のような腕があすかの細い背中を撫でる。

泣きたいのに、涙がでてこない。

ただ、この、汗と土のにおいが漂う、あたたかなからだがいとおしい。

キヨシが、わけもわからぬままあすかをだきしめようとすると、リビングからあすかの父親が顔をのぞかせた。

いっと叫んで狼狽したキヨシが、胸のなかにしなだれかかるあすかはそのままに、まるで降伏するように両手をあげて、首だけぺこぺこと上下させて礼をおくる。

激しいめまいを起こした父親を支えたあすかの母が、やさしくわらってキヨシを手招きした。

「あすか、おやじさんとお袋さん、みてんべ……。鍵しめるぞ?」
「あのね、わたしの彼氏!キヨシさん!」

キヨシの腕をひっぱったあすかが、一切のてらいなく、キヨシのことを紹介した。

「ね、キヨシさん、事故にあってなかった!けがもしてない!」

父親とキヨシが、同じ表情を浮かべて、一気に元気をとりもどしたあすかをいぶかしげに見つめる。
あすかに似てマイペースな性格の母親が、キヨシを食事に誘った。
うろたえるキヨシよりさきに、あすかがうなずいた。
できたらよぶから、お部屋にいなさい。そう促した母親の言いつけのまま、あすかはキヨシを、自室に誘う。


流されるままあすかの自宅に足を踏み入れることとなったキヨシが、あすかの家を、興味深く見回した。母親は専業主婦だといっていた。きれいに片づいた家、塵一つない自宅は母親の手入れのたまものだろう。キヨシは、そうじの行き届いた階段を、よごれた靴下のまましずしずと登り始める。

「キヨシさん、わたしの家のなか、はじめてですよね、ここわたしの部屋です」

階段をのぼりきってすぐ、あすかの部屋。
木目の扉を押して、あすかは、キヨシをまねきいれた。

キヨシの体から甲斐甲斐しくドカジャンをはぎとったあすかが、あすかの制服のそばにそれをつるした。

「……オンナの部屋っつー感じだよナ……」
「そうですか?お母さんがそろえたものばっかですよ」

キヨシがまだ幼いころ、親に読み聞かせてもらったおとぎ話にでてくるような、白くゴージャスなベッド。
キヨシの部屋にはない冷暖房に、テレビはないがコンポがある。
調度品はみょうにメルヘンだ。
あまったるいにおいのもとは、何なのか。

「キヨシさん、とにかく座ってください。あ、のみもの」
「いいよんなもん。メシもいーんだけどよ、どうしたあすか。何があった?」

部屋に鎮座するふかふかのベッドに腰をおろしたキヨシが、隣に腰をおろしぴったりとくっついたあすかのことをのぞきこむように尋ねる。

キヨシのぬくもりを確かめながら、あすかが、今日起こったことを、キヨシにひとしきり伝え始めた。

話してきかせるあいだ、キヨシのために買ってきたものがキヨシにばれないか気にかかったけれど、部屋のかたすみにかくれていることに胸をなでおろして、話をつづける。

ことの顛末をあすかに尋ね聞いたキヨシは、露骨に殺気をまとい始めた。
今すぐヒロシとともに殺しにゆきたい衝動を懸命におしころし、あすかを、いたわる。

「怖かっただろ?」
「怖かったですけど、もう大丈夫です」
「……」
「……キヨシさんが、そばにいてくれるので、もうなおりましたよ」
「そっかよ、時貞に……」
「はい、天羽さんに、ご迷惑おかけしてしまって……」
「オレがおまえを守ってやれなかった、つーことになんナ……」
「違います!もとはといえば、わたしが、慣れない町にいっちゃって、わたしが、ちゃんとしてないのが悪いの……」

ベッドに腰をおろして二人で並んで座っている。
そばにいるあすかの小さな頭。キヨシ由来のトラブルに巻き込まれたのに、自分自身を責めているあすかの頼りない体を、キヨシがやさしく抱きしめた。

キヨシの腕のなかにおとなしくおさまるあすかのことを優しく撫でるキヨシが、だみ声でつぶやくことばには、やるせなさが滲んでいる。

「オレぁよ……オマエんこと、んな目にあわせっちまってんだぜ……?どーしよーもねーよナ……」
「そんなことないです  だってわたし、今日、ずっとキヨシさんに守られてたこと、わかりました。ずっと甘えきってて……キヨシさんの苦労もしらずに……」
「オレが苦労?はぁ……あすかぁ相変わらずわけわかんねーこといーやがんぜ……」
「ずっと、迷惑かけてた……ごめんなさい」
「……好きなオンナひとり、守れねーでよ……」
「ずっと守ってもらってたし、今も守ってもらってて……。キヨシさん、あったかいから、ほっとしました」

あすかのほっそりとした体を少し引き離したキヨシが、純粋な瞳でキヨシを見上げるあすかのすべすべの頬を、そっと覆った。

ふたりの額をあわせる。
乾燥したキヨシの額が、あすかの前髪越しに、あすかのつるつるの額に擦れる。

間近で見合わせる瞳。くるくると目をうごかしていると、なんだか疲れてくる。

はやく、くちびるにふれてしまいたい。

そのまま、あすかのすこしかわいたくちびるを、キヨシはそっとつつみこんだ。

角度を変えて重ねられるキスは、キヨシがいつもたらこくちびるをとがらせておずおずと与えてくれるキスと違って、ずいぶん熱っぽい。

かちんと歯があたり、あらっぽい息をかわし、キヨシの分厚いくちびるが、ざらりとあすかのことを舐めてゆく。

「んっ……」

かすかな嬌声をこぼしたあすかの、ささやかな口元から、唾液がこぼれゆく。

あすかのかわいらしい眉間にしわが寄る。
キヨシは、今日ばかりはあすかを解放することがかなわない。

懸命に呼吸をとりながらキヨシのキスをあびるあすかに、ますます、深く、水っぽいキスをおくりつづける。

あすかの痩せた背中を抱えていたキヨシの腕が動く。

あすかが羽織っているふわふわのガウンが、キヨシによって一気にはぎとられた。

それでも、さむがりのあすかの体は、もこもこの部屋着に厳重につつまれているのだが。

ほっそりした肩をつかんだキヨシは、あすかのくちびるを離さないまま、あすかの上半身をベッドにどさりと倒した。

「んっ……!」

キヨシの丸太のような肩に、あすかが懸命にしがみつく。

名前を呼びたいのに。キヨシがまた口をふさいだので呼べないのだ。

「あすか……」

キヨシの熱い声が、あすかの名前を呼んでくれる。

キヨシさん。
そうよぼうとすると、キヨシの分厚い舌に首筋をおもいきりなめあげられて、自由になった口からは、甘い声しかでてこない。

あすかの、大きくもなければ小さくもない、ただやわらかな胸元。

かたく目をとじあすかの首をなぶりつづけるキヨシの大きな手が、もこもこの部屋着の上から、一心に這いまわりはじめる。キヨシのあたたかで分厚い背中。ただしがみついて耐えることしかかなわない。

「・・・・・・んっ・・・・・・」
「あすか……脚……」
「あ、あし、ですか……?」
「いいかよ」

ぴったりとくっついてベッドに腰掛けたままキヨシに倒されたものだから、あすかのからだとキヨシのからだは、ベッドにまっすぐ横たわっているわけではない。

あすかがまごつく間に、キヨシの熱い手が、あすかのひざを抱えあげた。

軽い悲鳴をあげたと同時に、あすかのやわらかいからだは、ベッドの上にあらためて投げ出される。

あすかのかわいらしい悲鳴にかまわないキヨシが、あすかのことを跨いだ。あすかのからだをしっかりと拘束する。黒髪を花のようにシーツにさかせたあすかが、素直な瞳をぱちぱちと瞬かせ、茫然とキヨシを見つめる。

キヨシが、羽織っているシャツを性急にぬぎすてる
こんなに寒いのに、ドカジャンの下のシャツ、さらにその下は、肌着一枚だ。

あすかの、やさしい羽毛におおわれた部屋着は、胸の真下までめくれあがり、それでも、キャミソールがいまだあすかの肌を守り続ける。

ふたりして荒い息をつきながら、みつめあう。

キヨシの分厚い手。
それがあすかのほっそりとした腰をたどったあと、裾から一気に犯し始めた。

あすかのやわらかな胸の間を、キヨシの湿度の高い腕とがさついた手があらっぽくたどりはじめる。

ふかふかの体から、丘があらわれる境目。

キヨシのざらついた手がそれを確かめたあと、布でまもられたままのそれを、一気につつんだ。

キヨシの片手だけであっさりとつつめてしまうそれ。

何度も確かめ、やわらかなそれを、無骨な手が不器用につかみあげる。
確かめるように、味わうように。
無骨な手が胸を何度も確かめあげると、あすかが、甘く鳴いた。

「あっ……」

いつものびやかに奏でられるあすかの声が、いとしくかすれて、苦しそうに、だけれど、確かに澄んでいる。

じんわりとたちのぼってくるあすかのにおい。
あすかのやわらかな黒髪に、あすかのきゃしゃな首筋に、キヨシは低い鼻をうめて、においをたしかめる。
荒く息をつけば、あすかが、ふるふると首をふる。
その反応がいとおしくて、キヨシは、あすかの首に歯をたて、慎重に痕跡をのこす。

うすい皮一枚。あすかの骨の感触までたしかめることができる。

あいつらは、これほどこころもとない体をこわそうとしたのか。
あいつらは、こんなに繊細な心をつけねらったのか。
そして、あすかとヒロシと同じほど、こころから大事だった男に、この壊れそうな体は守られたのか。

おれは、あすかを守ってやれなかったのか。

すべてのいらだちが、熱となり。
キヨシは、あすかの耳元でささやく。


「なにもこわくねーからよ」
「は、はい」
「オレが守ってやる」
「……き、キヨシさん……」
「なにがあっても、あすかんことぁ、オレが守ってやる」


キヨシの左手が、胸を守る布の上から一度はなれて、ゆっくりとあすかの体をくだりはじめる。

壊れてしまいそうなみぞおち、ふかふかのおなか。
そして、あすかの細い腰を守る、こちらもふわふわのボトム。
こんなにほそくて、腰からすとんとおちてしまわないのか
そんなくだらないことを浮かべながら、キヨシの荒い手が、いまだ触れたことのない場所にしのびこみはじめる。

どんな下着を身につけているのか。
レースの感触。質のいい布であることがわかる。

「や……あ、キヨシさん……」

キヨシにすがるが如く名前を呼んだあすかの声。
そんな声に火がともされるままに、キヨシはあらっぽくあすかの部屋着をおしあげた。
あすかのかわいらしい胸を包む下着は、小花の刺繍がちらされていて、ピンク色のレースがかわいらしい。
きっと、下も。
ボトムのなかにしのびこみ、薄い布をたどった手が、今まで味わったあすかのなかでもっとも弱いところ、もっともやわらかいところに到達しようとしたとき。


階下から、あすかそっくりの声が、ふたりのなまえを呼んだ。


あすかーーーごはん!!!キヨシくんもおいでーー!!!


いつもどおりの時間、いつもどおりの声。
あたたかな家のなかを、母親の声がはねまわった。

「…」
「……」
「……」
「…ご、ごはん…」
「……」
「……唐揚げいっぱい揚げるって言ってた気がする…」
「……か、唐揚げ…唐揚げか……」

キヨシの手が、いつのまにかやさしくなっている。

キヨシが今にも剥かんとしていたあすかの部屋着をおろして、ボトムもかるくひきあげてやり、あすかは元通りとなる。

「キヨシ、さん……」

戸惑ったようにキヨシのなまえをよぶあすかのやせた背中に腕をさしこみ、いとも簡単に抱き起こした。

ちいさな悲鳴をあげたあすか。キヨシはそのまま、広い胸にすっぽりとあすかのことをおさめてしまう。

「キヨシさん……」
「怖かったか?」

あすかのほっそりとした背中を、キヨシのあたたかい手が何度も撫でる。

「キヨシさんを信じてたら大丈夫です……よね?」

あすか!キヨシくんにも食べて帰ってもらいなさい!!

すこし語気がつよくなった母親の声が、ふたりを呼び戻そうとしている。

「怖いのおさまったか?」
「もう大丈夫です。ヘンですね、わたし、こういうこと、大丈夫だとおもってた」
「やっぱ、こえーかよ……?」
「ううん、わたし、キヨシさんにずっと守られてたんだってことがわかって……それで、ちょっと……」
「ああ、よけい怖いおもいさせちまったか……?」
「そうじゃないんです。でも、自分がどれだけ甘えてたかってこと……ちゃんと、キヨシさんのこと、真剣に見なきゃいけないってこと、わかったんです」
だから、あの……。

ロングヘアをととのえながら、あすかが、いまだキヨシに抱かれ続ける腕のなかで、キヨシのことを見上げる。
そのかわいらしい上目遣い。
澄みきった瞳。
ぬれたくちびる。
これまでの何十倍、キヨシはあすかがいとおしい。

「キヨシさん、クリスマスに……」
「ああ、25日はよ……現場あんだけどよ……イブはあけたぞ」
「無理させちゃいましたか……?」
「んなことねーぞ?花火みたいなことにぁならねーからよ、あすかん家まで迎えにいくからな」
「楽しみにしてます……そのときに……」

部屋の片隅の紙袋がばれなかったことにほっとしながら。
そして、キヨシがあたえてくれた無謬の安心に、あすかの全身をあずけながら。

母親が、あすかとキヨシのなまえをさらに呼ぶ。
あすかが、のびやかな声で返事をする。

「ごはん、食べましょう」
「ああ」

なんだかキヨシが、いつもよりずっとおとなにみえる。そしてあすかは、一度こどもに立ち返ってしまったのかもしれない。
ここから、まっすぐに、正直に、そして勇気をだして、キヨシときちんと向き合わなければならないのかもしれない。

ただでさえ、あすかよりずっとおとななのに、今日のキヨシは、ずっとおとなだ。
ベッドの片隅に放っておいたシャツをひろいあげたキヨシが、無造作にそれを羽織る。
あたたかな暖房が効かされた部屋のなか、あすかが、キヨシの腕を引き、たちあがった。

クリスマスイブは来週。
ぽりぽりと頬をかいたキヨシが、腕のなかでほっとしたように微笑むあすかの額に、やさしくキスを落とした。

title:エナメル

- ナノ -