Novel
熱が生まれるとき

このあたたかい部屋は、八畳。
千冬の家の古い和室に比べて、二畳ぶん広い。

初冬のひざしがやわらかくさしこむ部屋の壁紙はクリームホワイト。年季がはいった壁は、端からすこしずつ黄ばみ始めている。
使い込まれたフローリングは、深い飴色だ。畳二畳分のホットカーペットが、部屋の差し色として目立っている。
こどもっぽいフォルムの勉強机。きっと、幼いころから愛用されているのだろう。
本棚には、千冬の知らない本がところせましとつめこまれている。
並べられたカセットテープの背に書かれた曲名と名前は、千冬とまるで好みの合わない音楽ばかり。そして、ちいさなラジカセがクローゼットの上に置かれている。

引き出しやもちものを漁るほど、余裕に欠けているわけではない。

テレビもこたつもない部屋。そのかわり、暖房があたたかくきかされている。

こどもっぽい勉強イスにふんぞりかえるように腰掛けた千冬は、ポスター大のカレンダーをくるくるとまるめ、輪ゴムでとめる作業をくりかえしている。これは、年末にあすかの店で配る、ノベルティのカレンダーだ。彼女の店の細かな手伝いを重ねることも、千冬にとって日常となった。
ハンドケア、ネイルケアをかかすことのないきめ細かな手。あすかはその雪のような手が厚い紙で傷つくことをずいぶん心配していたが、幸いなことに人よりずいぶん器用に動く己の手には、そんな心配はよけいなことにすぎない。残り20冊であったカレンダーは、あっさりと片づいた。

最後の1本をハコのなかに放り込む。

勉強イスの背もたれにひっかけてあるジャケットはそのままに、手伝いをおえて立ち上がった千冬は、わざとどさりと音をたてて、あすかのベッドに倒れ込む。

シャンプーと、せっけんと、彼女愛用のボディクリーム。
やわらかくかおる、あすかのかおり。
コーヒーのような色のシーツ。同じカラーの毛布。

ここは、あすかの部屋。

千冬は、この部屋を、いたく気に入っている。




「……千冬さんはさ……寒いのヘーキなのかダメなのか、どっちなの」
あ!カレンダーもう終わったの?ごめんね、ありがとう……。

階下から、お茶とお菓子を運んできたあすかが、千冬の様にあきれたあと、礼とわびを続けた。そしてその声音には、結局苦笑がにじんでしまう。

千冬が、きちんとたたんでおいたあすかの毛布をめちゃくちゃに崩して、そこにもぐりこんでいるからだ。

スレンダーな体を毛布にかくして、あすかのベッドでマイペースに過ごす千冬。
彼がこの部屋におとずれはじめたのはいつだったか。この部屋ですごした回数は、そう多くはない。

あすかの部屋は、暖房をきかせられるものの、こたつがない。
そのかわり、千冬は、あすかの使うベッドによこたわり、毛布を好き勝手に使っている。

「どっちもだよ」
「八尋さんもそーゆってたなあ、千冬さんは薄着で後ろに乗るときもあるし、コート着込むこともあるって」
「あ??渉が?」
「このまえ、葉山のホテルまで原付で配達に行ったらね、帰りに八尋さんとすれちがったよ」
「ああ、あすこに用事かよ……」
「てか、カレンダーありがとう……。千冬さんのお母さんに持って帰ってよ」
「今度うちに配達のときよー、あすかが持ってきて」
「わかった、そうするね」

テーブルの上に、紅茶をケーキをおいたあすかが、さめるよ?と忠告をおくる。生返事をした千冬は、あすかのベッドによこたわり、あすかの毛布にくるまりながら、なにやら雑誌に目をおとしつづけているようだ。
この部屋に、千冬が読んで楽しい雑誌などあっただろうか。あすかが、ベッドのそばによる。

ホットカーペットの上に腰をおろす。温度を最大にすれば、こたつのようにあたたかい。

美しい金髪をさらさらと流して、ベッドでくつろぐ千冬。
ベッドの木枠にもたれれば、その百合のかおりがあすかをつつむ。紅茶のカップに腕をのばそうとしたとき、この百合のかおりの香水と相性のいい海のにおいを思い出したあすかが、話を切りだした。

「そういえば、葉山で会ったとき、いや森戸のあたりかな……八尋さんにね、原付より単車のが仕事はやくすむんじゃねーのっ……て……!」

わっ、と、小さな声をあげたあすかの胸元に、素材のいいセーターにつつまれた、千冬の精悍な腕がからみつく。羽交い締めされるように、ベッドの上に横たわる千冬に突然拘束された。

「渉の話すんじゃねー」
「……」
「オレのヤキモチぁこえーんだぜ?」
「わ、わかってる、よ……このまえので……」

千冬のしなやかな腕があすかのことを、さらにきつく拘束する。

ベッドによこたわっている千冬が、あすかのことを背後から抱き、耳元にふうと息をかける。
あすかの、ボートネックのセーター。真っ白な手が、あすかののどもとを、軽くとらえたあと、鎖骨でとまった。

ふわふわのセーターにつつまれた千冬の腕が、あすかの胸の上におりて、だらりとたれさがる。

「ごめんね、もーこの話しない」
「免許とりたくなったらよー、オレので練習しようぜ!」
「……壊しそーだから、やめとく……」

機嫌をなおした千冬の腕が、あすかの胸もとからあっけなく去り、厳しい拘束からあすかはあっさりと解放された。
むねをなでおろしたあすかが、マイペースにベッドにころがった千冬のことをのぞきこんだ。

「千冬さん、紅茶さめるよ。なに読んでるの」
「なああすかこれほしーの?」
「ん?……ああ、それ友達が貼っただけ。あたしのじゃないよ」

千冬が読んでいるのは、あすかの友達がさんざん読みふけった後にあすかにあげると押しつけてきた、女子高生向けファッション雑誌であった。ありがたくちょうだいしたファッション雑誌の巻頭ページには、何枚かの付箋がはられている。ニット帽、マフラー、バッグにブーツ。彼女が欲しいといっていたものだ。あすかにとって、やや大人びたブランド。自分のマッチするとは思えないブランドだから、あすかとは無縁の話だ。

雑誌をぺらぺらとめくりながら、千冬が提案する。

「あすか、あれ読めよ、あっちのがあすかっぽい」

千冬が名前を挙げた雑誌。それは、あすかも知っている少女ファッション雑誌だ。この雑誌にくらべて、砂糖菓子のようにあまくふわふわとした、それでいてピリリと利いた感触もある、乙女らしいファッション誌。そんなことにも詳しい千冬に舌を巻きながら、あすかは自分の意見を述べた。

「あれかー……パリとか原宿とかあんまし興味ない。でも、こっちも別に興味はないけど」
「あすかん好きな音楽はよー、あの雑誌にちけーだろ?」
「でも、あんま読んでてぴんとこなかったなあ。渋谷より鎌倉の方がすきだし」

あっ!
ようやく違和感に感づいたあすかが、小さくさけぶ。

「そんなことより、どうしてそれ引っ張りだしてきてるの。ベッドの下にいれてたのに」
「やっと気づいたかよ……。これフツー男女逆だぜ?」
「そうだね……ヘンなの……」
「で、こんなん読むんかよ、あすかもよ」
「ん、どれ?」
「こっちきな。オレん隣」

千冬が、いまだベッドの下で千冬をのぞきこんだままのあすかのことを手招きする。
おずおずとうなずいたあすかが、慣れ親しんだベッドにそっとよじのぼった。

ベッドにうつぶせになり、ひじをつき、意地悪そうな笑みで雑誌を読んでいる千冬。
横たわる千冬のそばにぺたりとすわりこんでみると、あっというまに腰をとられて、千冬のそばに、やさしく引き倒された。

太くもなければほそくもないあすかのからだ。
男にしては華奢だけれど、あすかにくらべれば骨格がしっかりとしている千冬。
ふたりがおさまれば、ベッドはいっぱいだ。
そして、ふたりだけでちょうどいい。

千冬の腕のなか。
あすかもころんとうつ伏せになり、千冬がゆびさしているページに視線をおとした。

「エッチ体験談……エッチって言ういいかたもねー……」

二色刷りのページには、高校生の少女たちによる、一線を越えた経験談が語られている。記号的なタッチの挿絵が、より想像力を増幅させる。
性犯罪まがいの内容から、少女マンガのように愛らしい経験談まで。異様に芝居がかった言い回し、高校生とは思えない語彙にうさんくささがたっぷりとつまっている。

「んだよ、枯れてんのかあすか」
「枯れてないけど……だってその言い方ヘンじゃん」

こいつぁ創作だな、こーゆーの、プロが代筆してんだぜ。
そう言った千冬も、これを真に受けることはないようだ。愉快そうにつっこみを下してゆく。

「オンナもこんなモン読むんだな……男のよりまどろっこしー」
「もっとすごい雑誌あるよー、みんな回し読みしてる」

少女らしい好奇心いっぱいにキャッキャと騒ぐわけではない。みんな一様に、真剣によみふけっているものだから、その熱心さに気圧されるものもある。読んでいるとたしかに体の奥底がもぞもぞとうごめく感触もあるけれど、千冬の分析どおり、ファンタジーが大半であろう。

「ま、そこ付箋ついてんやつ買ってやるからよ」
「い、いいよ!!これは友達のなの」
「あんまシュミじゃねーの?あすかにも似合うとおもうよ?」
「ほしいものがよくわかんない……。ね、千冬さんは、なにがほしい?クリスマス」
「あすか」
「はいはい。なにがほしい?」
「ちょーしよく流してくれんじゃねーかよ……」

毛布のなかで、千冬にわきばらをおもいきりくすぐられる。
わぁと声をあげて体をすくめると、千冬にそのまま抱きしめられた。

「オマエがいればいらねー……」
「あたしもそうなんだよ?でもねー」
うーん……。何か千冬さんに、あげたい……。

わき腹をくすぐられたはずみで、千冬のやさしい手は、あすかのセーター越しに体の線をたどり、あすかのことをぎゅっと抱きしめてくれる。
千冬の胸のなかに安心してからだをあずけたあすかが、ためいきのような声をあげながら、千冬におくりたいものを逡巡する。頭からつまさきまで、そしてこころも、すべてが洗練されたひとにおくるプレゼントなど、皆目検討がつかない。
この香水は、こだわりのものであろう。あすかの浅知恵のプレゼントで、千冬のかおりを乱してはならない。深呼吸のようにかおりをすいこんだあすかが、千冬に抱かれながらつぶやく。

「千冬さんが帰ったあとね、部屋に香水のにおいがのこってるんだよ」
「毒塗ってんからな、オレは」
「毒?でね、髪の毛もおちてるよ。金色の、長いの」
「マジ?きもちわりーだろ、わりぃな」
「きもちわるくないよ、千冬さんがここにいたんだって思う」
「枕にファンデと口紅ついてんだろ」
「あ、そうだったの。そっか、花っぽいにおい、ファンデのかおりもまざってるんだー。気にしてないからいいよ?」

千冬のあたたかい腕のちからがゆるみ、あすかのことを拘束から解放する。

そして間髪をいれず、千冬が、あすかの体をまたいだ。

組み敷くようにまたがった千冬。そのあでやかな金髪が、あすかのもとにだらりとこぼれて、あすかの頬を残酷にくすぐる。

「なんでそやっていつもオレんことゆるすんだよ」
「ほんとに、いやじゃないからだよ」

千冬のくちびるは、三色のルージュでつくられている。
きっちりとブラシでひかれて、材木座の夕暮れのようなグラデーションが描かれている。
深い赤のくちびるが、あすかの浅黒い首筋をたどりはじめた。

「……っ……」

千冬の真紅のルージュがあすかの首をすいあげて、唾液にまみれた痕をのこす。

あすかのセーターの上から、千冬のしなやかな手が、あすかの胸元をたどる。通り過ぎていくだけだ。執拗に触れることもない。あすかをおびえさせないように、それでも性急に。

きつく目を閉じ、あすかは千冬にしがみつく。

千冬に体をじっくりとたどられるまえに、あすかの体に走る熱は、胸をおりて、体の中心にじんわりと潤んだものを灯し始める。

千冬が、あすかの耳元でささやく。

「雑誌に書いてたの、やってやろーか」
「え、えっと……う、海でやっちゃうやつ……」
「あすかそーゆーシュミあんのかよ……あれ一番嘘くせえだろ……」
「そーゆーわけじゃなくて……えーと、体育倉庫でやるやつ……」
「んだよ、オレに鍛えられた?あすか案外よゆーあんじゃん」
このままいけんかよ?

おそるおそる、目をあけて、あすかのくっきりとした瞳にうつった千冬。

意地悪で、心が優しくて、残忍で、あすかのことを大事に愛してくれる千冬。

いつもの千冬、そのままだった。

千冬のくずれないルージュが、あすかのくちびるにくらいつく。

千冬の背中にぎゅっとしがみつき、だんだん深くなるキスを必死でうけとめつづける。

脚に自信のないあすかがウールのミニスカートを纏っているのは、千冬しかそばにいないから。そして、厚いタイツを身に着けているから。

スカートのなかから、千冬のしなやかな手があすかにしのびよる。

「んっ……」

つまらない脚。
そんなもの、千冬にさらせる勇気なんてないし、千冬に性急にさわられることに、すこしのこわさこそあれ、自信なんてない。

それでも、あすかの奥底には、千冬にこうして熱く求められたいきもちは、たしかに存在している。

千冬の肩にぎゅっとしがみつき、声を耐える。

ふとももをたどって、内股でとまったその手が、厚いデニールのタイツごしにあすかのことを優しくなでる。

「怖い?」

あすかがふるふると首をふる。
肩がふるえて、腕もふるえて、本人は気づいていないだろう、脚もふるふるとふるえて、あすかは千冬の下で、懸命に我慢をかさねている。

「あすかがそーなんのは、怖いときだよ」

スカートから手をひきぬいた千冬が、あすかのうえにわざとらしくどさりとおおいかぶさった。
スレンダーな千冬のからだの、心地よい重み。
くるくる巻いた金髪が、あすかにふわりと落ちてくる。

「あー……生殺し」
「……ごめん……」
「クリスマスな」
「クリスマス??」

あすかを組みしいたままの千冬が、あすかの前髪ごしに、何度もキスをおとしてくれる。
このあでやかなルージュ越しのキスを何度もあびていれば、あすかの心は、次第に落ち着き始める。

「楽しみにしてろよ?あーーでもよ……」
「うん、楽しみにしてるよ、でも、いろいろあるんでしょ……?」
「どっちのこと言ってんのかしんねーけどさ、あすかが気にすることじゃないよ」
「……わかった」

千冬の精悍な胸。
このあたたかさを、直に味わったこと。
直に味わうときのこと。
ふわふわのセーターごしに頬をそっとあてて、あすかは、しずかに目をとじてみる。
かすかなたばこのかおり。そして、すべてを包み込んでくれるユリの花のかおり。

「何時になってもあすかに会いにくるよ」
「あ、あの、あたし、いつも9時半に寝るから、なるべくそれまでに……」
「オマエなー、今時ガキでも10時くれーまでおきてんだぜ……?」
「がんばる……」

紅茶はさめきり、せっかくのケーキも鮮度を失っているだろう。
あすかのそばにぺたりと横たわった千冬が、あすかに金髪をばさばさとかぶせて、あすかのやわらかな体にぎゅっとじゃれつきはじめる。

「ねー、千冬さん、クリスマスプレゼントなにがほしい?センスいい人におくったらいいもの、わかんないよ……」
「あすかっつってんじゃん」
「……あ、あたしも、千冬さんが、いいな……」
「オレなんかでいいの?」
「なんかじゃないよ……?」
「あすかいつもこやって言ってんだよ?な、んなこといわれんとやだろ」
「いやだ……」

あすかがいつもほしいものは、千冬そのものだ。
そして、あすかは、千冬そのものを、千冬に、これ以上ないほどもらっている。これ以上、なにがほしいというのだろう。

じゃれてくる千冬にぎゅっとしがみつきながら、あすかは、香水のかおりをすいこむ。

あすかの体のなかでおこる、かすかな変化に耐えながら。そして千冬はきっと、それも汲んでくれている
こんなに優しい千冬が、すこしでもやすらぐもの。それは何であろうか。

来るべき今年の終わりにむかって、千冬の腕のなかで、逡巡をくりかえしながら、あすかは、千冬に抱きしめられ続ける。

title:「サンタナインの街角で」様

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