龍也小説

願い

一人一人好きな人を言っていこう。

女子中学生があつまると、当然そんな話題にもなる。私は、当時つきあっていた男子の名前をあげた。同じ競技の男子選手だ。もっとも、フェミニンすぎる性格に辟易してすぐに別れたあと今では女友達のような関係だけれど。

クラスメートの女子のかしましい話を、輪のかたすみで、柔和な笑顔で、いつもあたたかく相づちをうっている葵。どんな話でも、けげんな顔ひとつみせず、すぐに笑ったり泣いたり怒ったりする不安定な思春期の女の子たちのそばに、葵はそっと寄り添っている。葵だって、泣きたいことも怒りたいこともあるだろうに。

そんな葵の顔色が、ほんの僅か変化したこと。
うちのクラスに集うのは、ギャーギャーとうるさいだけではなく、頭の回転が早い女子ぞろいであるから、誰もが葵の変容に気が付いた。
人の話を聞いてあげるばかりで、自分の話はめったにしない。そんな葵の、本音がきける。
皆こぞって葵につめより、やっとのことで吐かせられた情報は

「他校の先輩」

これだけだった。先輩といったって、何年なのか、どこの高校か、はたまた大学生か、名前、いったい何者なのか、どんな部活か、顔はかっこいいのか、頭はいいのか。葵はこれ以上口を割らなかった。

私も知らなかったのだ。私の好きな男子やお気に入りの男子の話はさんざんきかせておいて、葵のことは、何も知らなかった。

あの男子校の何部の人だろう。
いや、葵の地元の人だったりして。
ピアノ関係?
女子中学生は、ぎゃーぎゃーと騒いだぶん、忘れるのもはやい。

そんなことをほぼ忘れかけた日、最寄り駅から電車にゆられ、葵と一緒によく遊ぶ、お気に入りの町へと降り立った。
地下鉄の階段をのぼり、明るい地上に出ると、途端耳を突き刺すのは下品なバイクの音と、群れ。横浜にいるかぎり、つきあっていくべき音ではあるけれど、いいかげんうっとおしい。群ればかりつくって、一人では何もできないのだろうか。
そう葵にグチろうとすると、葵が、夢をみているような瞳で、ぽわんとつぶやいた。

「今、すれちがった人」
「えっ?」
「わたしの好きな人、今すれちがった人」

すれちがった人といわれても、そばを通り過ぎていくのは、背広の中年男性ばかり。まさかと、葵の顔をのぞきこむと、

「ちがう!バイク!もう行っちゃったよ」

葵があわててつけくわえた。

確かに、暴走族のバイクの音が、えげつなく響いたけれど。まさか、それのこと?

「今度すれちがったらおしえて?」
「滅多に会えないよ」

葵の好きな男の姿をこの眼で確かに見たのは、それから数日後だった。

「榊先輩!」

ひごろおとなしい葵が、実にダーティーでド派手なバイクにまたがった男に、それはそれは、明るい笑顔で近寄った。

まず視線がひきよせられるのは、ざっくり走った、頬のキズ。
あごにまでおよんでいるそれは、いやでも目立ってしかたがないだろう。
たてられた髪の毛は、整髪料でべとべとだ。
世にも冷たい三白眼。
実に実に、えげつないデザインの、バイク。

暴走族だ。

超弩級の、不良だ。

音楽関係の人を想像していたものだから、落差に驚愕するばかりだった。

「寄るな」
「・・・・・・ここまでならいいですか?」

ふつうの女子なら、その三文字で泣きながら逃亡だろう。一歩もひかない葵が、図体のでかい、世にも恐ろしい睨みをきかせた不良高校生と、マイペースにやりとりをつづけている。

「・・・・・・勝手にしろ」

葵の勇気あるひとことに、その不良があっさりおれたことにも驚いた。

「先輩、ケガ・・・・・・大丈夫ですか?」

自分のせいで負ったケガにきまってる。ほうっておけばいいのに。

「ほっとけ。気安く話しかけんな」

不良と同じことを考えていたことが、恥ずかしい。

「・・・・・・ビョーインに行くんですよね?」
「・・・・・・うるせー・・・・・・あぶねーから近寄んなっつってんだろ」

厳しい眉間。バイクにまたがっていてもわかる、ずいぶん高い身長だ。この男が、誰かとこころおきなく笑うことなんてあるのだろうか。強めた語気は、聞く者に非常にストレスを感じさせる。葵は、負けていないようすだけれど。

「わ、わたしにうるせーってゆっても、それ、なおりません・・・・・・ちゃんと病院・・・・・・」

その大男が、葵の足下にたばこのすいがらを投げ捨てた。葵があとずさったので、その残り火で葵を傷つけずにすんだ。

「・・・・・・ダチが待ってんぞ」

いやな音をたててバイクが走りさってゆく。ガソリンのにおいがかすかに漂った。おもいきりにらみつけてやったけれど、あとのまつりだ。

葵がうつむいて立ち尽くしている。勇気をだしてヤンキーに近寄り、ふわりと話しかけた葵。そんな葵をじろりとなめまわすように見たあと、ヤンキーが走り去ればそれにあわせてなにごともなかったかのように去っていく、あのヤンキーと同じ領域に棲んでいそうな人間が、周囲に複数いたこと。そいつらが、葵のこともしっかり見ていたこと。それを、この子は気づいているのか。

「・・・・・・怖くないの?」
「怖くないよ、優しい人だよ」
「あれが?族だよあれ?」

あんなに、あなたを突き放したのに。ましてやたばこのすいがらまでなげつけた。
どこが優しいの?

「身も蓋もないことを・・・・・・兄と仲良くて、そういうので、よく知ってて、まじめな人で、あの、」

次第に小さくなってゆく言葉。日頃どんなことでものんびりしたペースでわかりやすくはなしてくれる葵の言葉は、今日は断片的で意味がよくわからない。
マイペースに話していたように見えたのに。
葵が傷ついている。
寄るなという言葉がきいたのだろうか。
葵の手をきゅっと握ってあげると、ちからなく握り返してきた。


よくよく話をきかせてもらえば、ずいぶん長くあれのことを好きだったらしい。早く教えてほしかった。一人だけで抱えていたのか。

人見知りにみえて、そうでもない。
おとなしそうにみえるけれど、言うべき意見ははっきりのべる。
制服も髪型もメイクも、飾らないから目立たないけれど、葵はとてもあたたかい子。

なんだって、あんな不良高校生を。

しかし、あの男。
スカーフェイスはおいておく。それは、本人の責任でできたものではないかもしれないから。
あの眉間には、24時間ずっと、ああしてしわがよりつづけているのだろうか。笑うことがあるのだろうか。あの、年上の男子高校生。高校二年か。榊龍也。ご立派な名前だ。顔の造作はなかなか整っていて、背は十二分に高い。でも、高二にしてはずいぶん老けているし、そり込みもまったくもって気にくわない上、黒髪なら純粋に黒でゆくべきだ。たてた髪の毛の先端がうっすら赤いことがなんとも気に入らない。
男は見た目じゃないけれど、その人のことを何も知らないのだから、見た目という情報でとりあえず判断させていただいた。ポリシーがあって、そういった見た目を選びとっているのだろうから、一応の判断基準にはなるだろう。

あの、感じの悪い、暗い目線と、暴力的な態度に、大切な友達への、まぎれもない愛情が含まれていたこと。

あの、乱暴な言葉ときついオーラで、葵のことを一心に守りぬいていたこと。

そんなこと、はじめて見たときには、見抜けなかった。

そして滅多に会えないと言っていたけれど。

この、図体のでかい、趣味の悪いバイクに乗った不良高校生は、どう考えても、葵のいるところに、意図してあらわれている。

葵はわかっているのか。
それとも、そう思ってはいけないと、己に禁じているのか。
見たこともないほどの、とけそうな笑顔で、葵はこの男にかけよる。そして、至近距離までちかよらない。寄るなといわれて、そこまでは大丈夫とゆるされた、あの日の距離迄、葵はかけよった。

「榊先輩、あの、このまえの、もう治ってますね!」
「あ?何のことだ?」

何なのかしっかりとおぼえているだろうに、てれくさくて忘れたふりをしているようだ。しらじらしい。

「よかった、もう痛いところなさそうですね」

葵は、自分のことのようによろこんでいる。でかいヤンキーが、葵の肩をつかんで、道ばたに引き寄せた。これみよがしにすれちがうチンピラから、葵を守った。たしかに守った。ついでに、私にまで命じる。

「避けとけ」

そんな気遣い、なんだというのか。
葵が大事でそこにいるのなら、そういえばいいのに。

それにしても、葵側にも、この男センサーがついているようで、比較的離れている街をテリトリーにしていても、思いがけなく出会うことが、しばしばある。そして、たいてい、あの不良は、傷ついている。全部自分の責任なのに。葵には何の関係もないのに、葵はその傷を、己以上に敏感に感じ取っている。湿った路地裏に駆け込んだ葵を、あの男がおもいきりかき抱いたこともあった。ほうっておけばいいのに。こんなことをしていては、いつか、葵が、心も、そして体も、傷つくときがくる。この男にではない。この男を憎むだれかに葵が傷つけられるかもしれない。
ほうっていても、あれは、葵のことをいつか必要とするだろうけれど、葵をどうしておきたいのか。胸倉をつかんで聞いてやりたかった。

バレンタイン前には、葵にめずらしく相談された。あのたいそうな顔面のあのヤンキーが、家庭的なプレゼントをもらって、笑顔になる画など、どう転んでも想像できない。葵にダメージが少ないように、シンプルなプレゼントを提案してみたけれど、どうなったのか。肝心の成果を報告してもらっていない。


そしてあの男は、葵を、一度、はっきりと拒絶した。
好きなくせに。葵が大事で、葵を守りたくて、葵をそばにおきたいくせに。
手放すことで、葵を守ろうとした。
そんなの無理だ。
そんなのいずれ、どちらの身体も、どちらの心ももたなくなる。
ぽろぽろと泣き出した葵の手をとった。大丈夫、いつか、この手は、私じゃなくて、あの男に変わるから。そういう日が来ないなんて、嘘だ。絶対嘘だ。初めて葵に会ったときから一番苦しそうに泣いている葵の手をつないであげながら、私にはそんな確信と、願いがあったのだ。

元気を失いながら気丈に葵は学校にくる。
冬の日。
葵は、めずらしく、無断で学校を欠席した。すぐに連絡はついたみたいだけれど。その日以降、ただでさえクラスの男子とあまり話さないあの子は、なぜだか男子と眼も合わさなくなった。別に、うちの学校の男どもなんて、身も心もおとなしい、無害な奴が多いのに。
そのかわり、葵は、たしかに、おとなっぽくなった。満たされたように笑うこともふえたかわり、どこか、切ない瞳をするようになった。

ほどなくして、あの男と、想いが通いあったことを、小さな声で教えてくれた。

私は前から知っていたのに。
あの図体のでかいヤンキーが、葵のことを大切にしていたことも。
葵が、あのでかいヤンキーをどれほど大切に想っていたかということも、私は、あのヤンキーよりもずっとよく知っているのだ。
なぜだかいらいらした。


尋常ではないケガを負ったそいつが、葵を連れていこうとしたとき。すれちがいざま、じろりとにらんでやると、私には、何一つ攻撃的な目線を投げかけなかった。
この図体のでかい不良にとって、葵がどうしたって必要だから、こうして会いに来ることは、わかる。葵をかしてやるけれど、どうか、そのキズを、葵にぶつけてくれるな。
私のその願いがかなったのかどうか、知る由もないけれど、翌日無事に学校へ登校してきた葵は、一日中、ゆるむ口元をかみころしていたことを忘れない。


放課後、葵と一緒に遊ぶ時間が、少しだけ減った。それはかまわない。私にだって、やるべきことはたくさんあるのだから。

葵の首すじに、赤い痕がのこっていることがある。それが目立つ日はきまって、葵から、何かを我慢したあとの疲労を感じさせる。それを見るたび、切ない気分になる。これは断じて嫉妬ではないはず。

あの人は、葵が大事だから、そんな痕をつけるの?
それとも、葵を傷つけたくて、そんな痕をつけるの?

「ねえ、それ目立ってるよ」
「あ・・・・・・、でも、そんな、わたしのことなんか誰も見てないよ」
「コンシーラー塗ってあげるよ!」

リップグロスのような容器から、コンシーラーをブラシですくいとり、葵の首もとに、ぽつりと置くようにぬってあげると、葵がくすぐったそうに笑った。

「そっか、こーいうので隠せばいいんだね」
「おねーちゃんの借りてさ、かくしな?」
「そーするよ、ありがとう」

切なく笑う葵。
彼氏にあれをされただの、これをされただの、こうされたいだのああされたいだの、そんな話題は女子のあいだでつきることがない。時折、ちょっとだけ元気のない笑顔で、葵はそれをだまって聞いている。

「ほんとにいやなときは、言わなきゃだよ」
「ありがとう」
「そやって言って、怒るやつとか、無理矢理するやつは、それまでのやつなんだよ」
「そうだよね、はっきり言うべきだよね」
「・・・・・・わかってる?」
「うん、わかってるよ。いつもありがとう」

自分のことのように傷つく必要はないのに。あの不良の苦しみは、あの不良のものだ。葵のものじゃないのに。

”自分を大事にして”なんてのたまって、オトコどもには教育のひとつもほどこさず、オンナにばかり自衛と無理と恐怖と責任を強いる、うっとおしい家庭科教師のような、バカバカしくて偽善的なことを言うつもりはないけれど。

でも、葵が、あの男に、痛いときは痛いと言えて、怖いときは怖いと言えて、泣きたいときは泣けて、苦しいときは苦しいと甘えられていればいい。


「げっ・・・・・・!」
「・・・・・・」

また来ている・・・・・・。
まあ、乗りたい乗り物に勝手に乗ればいいけれど、もっと目立たないバイクはもってないのだろうか。それにしても、我ながら今の反応は失礼だっただろうか。私だって体育会系のはしくれだ。あいさつのひとつくらいできる。

「すみません、こんにちわ」

別に無視はいいけれど、そもそも未成年がたばこ吸ってんじゃねえよと思う。こういうところは、ゆるせない。葵の前でも吸ってんだろうな、かんべんしろよと思う。

「葵は、もーすぐ来ますよ!今図書館にいますから」

よく見れば、葵のいうとおり、べつにぜんぜんこわくない。理性的な瞳だ。なんだか話も通じそうだ。競技でしのぎをけずりあっている外国人女子のほうが、よっぽどこわい。強がりではない。葵の言っていた「怖くない」、その意味が、じわじわとわかりかけている。

「・・・・・・いつも、葵が」
「世話に……、ですか?べつに、あなたのために葵と一緒にいるんじゃないです!」

喧嘩ごしにすぎただろうか。いいよ別に、なぐりたきゃ、なぐれよ。練習ではコーチにぶたれたこともあるんだから、なれているのだ。

「・・・・・・」
「葵のことが好きだから友達なんです」
「そりゃ、俺もだ」

その男の、冷静ぶった口もとに、ふっと、微笑がよぎった。妙に心臓がどきどきしたことは一生隠しておこう。

葵が、必要以上に、この男の痛みを背負おうと背伸びしはじめたら。
そのときは、私の出番だろう。

「さよーなら!」

きっぱりとあいさつしてやると、この不良、榊龍也が、やや拍子抜けした表情をみせた。そんな人間らしいかおもするのか。意外だな。

前方に、隣のクラスの女子グループがいたので、その輪にまぜてもらう。

「あれだれ?」
「だれかの彼氏?」
「しらない!誰かのおにーちゃんじゃないの?」

適当にかわしてやった。
いわく、ぜんぜん好みじゃないらしい。もっとかわいい男がいいと。悪口に花がさいている。

あれ、たぶん、ズイブンまともな男だよ。

そう言い返したくなったけれど、まあ、そんな情報を与えてやる必要はないだろう。

後ろをふりむくと、門から葵がとびだしてきた。すぐに、あの図体のでかいヤンキー、榊龍也のもとに、かけよった。
後ろには乗せないみたいだ。
バイクをおしながら、ふたりで歩きはじめている。

またも、いまにもとけてしまいそうな笑顔で、葵が話している。
その葵の話を、ズイブンと穏やかな表情で、榊龍也が聞いている。

明日会ったらきいてあげよう。

昨日は、楽しかった?
昨日は、幸せに過ごせた?
昨日は、ちゃんと大切にされた?

あの子の大事なあの男。
悔しいが、あれは、いい男なのかもしれない。
あれは、ずいぶんと、悪くない男だ。

prev / next

- ナノ -