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真志井雄彦が細ひごで編まれたピクニックバスケットの蓋をざっくばらんな手つきで開けたとき、杏と伊東カムイの整った口元から、恍惚のためいきが、それは長い時間をかけて漏れた。青竹のピクニックバスケットは、真志井雄彦の母親が施設の利用者家族から感謝のプレゼントとしてもらったものだという。カムイが軽々と運んできた軽量のピクニックテーブルの上にバスケットが置かれた。そして蓋をひらけば飛び出してきたのは、宝石のようなピクニックランチであった。二人はしばし、真志井雄彦お手製のそれに、押し黙ったまま見惚れることとなった。

「…」
「……」
「……」
「…………」
「見てねぇで。食べなさいよ。おまえら大暴れしたから腹減っただろ。取り分ける皿と箸置くぞ。おら紙コップ。杏紅茶と麦茶どっちだ。カムイはどうする。コーヒーは濃く出ちまってんから、おれがのむからな」
「・・・真志井さんが弁当屋になったら、おれ、まいんち買いに行きます…」
「三日でつぶすわ。朝起きられねえからな」
「すっごい、マーシー……。大変だったでしょう?」
「おまえほどじゃねえよ」
「クラブサンド、プロみたい・・・・・・。カツサンドとたまご…?カムイ、カツサンドの方食べてね。それと私は紅茶」
「っす」
「ていうか、おにぎらずだ…!これキンパ風?すごい…。マーシー、ついに…おにぎらずに降伏したんだ…」
「そうだよ」

あんなものはありえない。

真志井はおにぎらずなる料理のことを長らくそう否定していたが、こつをつかめばあまりに手軽にこしらえられるその単純さに、忙しい身空の真志井雄彦もついに屈することとなった。焼き海苔とごはんに包まれた具材は彩りもしっかりと考慮されたしろものである。美しくカットされた断面から、食欲をそそるカラフルな食材がのぞく。コンビーフに、キンパ風に、そして、カムイの好むジャンクな味わいの具を中心として作られている。カムイ、これ焼き肉だよ!杏がそう解説すると、カムイは言葉をうしなったまま、おもむろに焼き肉がはさまれたそれに手をのばした。手を洗え、それかふけ。真志井がそう叱る前に、それはあっという間にカムイのぽってりとしたくちびるの隙間に滑り込んだ。うまいす。呆けたようにそうつぶやいたカムイに、杏がウェットティッシュを手渡す。素直に指先をぬぐいとるカムイは、待ちきれないようにねだった。


「あの、杏せんぱいのべんとーも、あけていーすか」
「私はふつーだよ。素朴なかんじ。はい」

わっぱは、おせちの使い回し!
そうさっぱりと言ってのけた杏が曲げわっぱの二段重箱のふたをさらりととってみせた。


「……」
「……」
「おしゃれすね・・・・・・」
「またおまえ、旗とか立てちまって……。いちいち芸が細かいんだよ杏は」
「つまようじから旗とって、このまま食べられるよ。チキンスティックにさしてる」
「旗のこっち側がおれでこっちがカムイつーことな」

そう!あ、私コンビーフのクラブサンドもらうね。弾むような声で語りながら、杏もカムイに続いて真志井特製のお弁当にありつく。するとカムイも杏に続いて、マスキングテープで爪楊枝に巻かれた旗のかたちの持ち手ごとチキンスティックを奪って、分厚いくちびるのなかへ放り込む。
そうだ。写真撮らなきゃ。そうつぶやいてiPhoneを取り出した杏が、テーブルの上に広げられたお花見弁当の数々ををさっくりとカメラで切り取った。カムイのしなやかな手と、真志井の無骨な手が、ピクニックランチの心おどるムードを演出している。

「全部手作りすか」
「そうだねー、だけど簡単なのばっか。凝ったのはないから。マーシーのほうがすごいよ」
「どっちもすごいす。杏せんぱいのは?」
「両方から食べるよ。私好き嫌いないから。あ、でもマーシーのところから食べよ…えびとパクチーの春巻き、かぼちゃのサラダ、さつまいもの甘煮、キャベツシュウマイに、」
「キャロットラペ。おまえのつくるこいつうめーわ。おれのお袋がすげーすきなんだって」
「簡単なのに!カムイはにんじんにがてだもんね。カムイのほうは好きなものだけにしたよ」
「おれあまやかされてますね」

わかってんなら嫌いなものもくえ。真志井のそんな小言を、今日に限ってカムイは黙殺する。
カムイに与えられたお弁当にはチキンスティックをはじめ、そのそばにはナポリタンが添えられて、ゆで卵は愛らしい形にカットされている。のりをチーズで巻いたものに、ハンバーグ。そして鶏の唐揚げときたら、まるで幼いこどもに与えるようなおかずだけれど、それがカムイの味覚に一致しているのも事実だ。

杏はおにぎらずを痩せた体に飲み込ませたあと、見目も味わいもプロ級のクラブサンドにぱくつき、それをアールグレイティーで流し込む。
一方、自分自身のつくった食事を愛する杏と違って自分で自分を食わせることをまだいぶかしがる真志井は、主食は杏とカムイにまかせて、適切な味付けの煮物を味わっている。

「夏はこんなことできねーな…今年の夏も暑いらしいぞ」
「何してあそびますか?これ、おにぎらずっつんすか、こうやってくったんでいんすか?」
「おまえが今食ったのキンパだ。うまいだろ」
「……。なんか入ってたんすか……?くったことねーあじっす…けど、おいしーす」
「マーシーのクラブサンド、お母さんにつれてってもらったハイアットリージェンシーのより美味しい・・・。そういえば去年、みんなでバーベキューやってなかった?」
「やりました。やったから、めんどくせーのわかってんすよ…あれ以降だれも言い出しません。いや、楽しいんすけどね。よそのグループが絡んでくんすよ」
「ばからしいケンカしたくねーのよ」
「迷惑掛けてくる人がいるんだ…。じゃバーベキューは却下なんだね」

それとうちのガッコのやつがいますね。校外でまで会いたくねえ。そうぼやいたカムイは、味付け海苔でごはんをはさんだ平べったい食べ物を次々と平らげる。そのなかにはカムイが苦手で、そして栄養に満たされた食材が忍ばされていて、杏が少年を甘やかすことを見越した真志井はこの機会に、このこどもに足りない栄養素を満たすことにした。その仕掛けにときおりととのったまゆをひそめながら、カムイはそれでも食をすすめてみせる。すると真志井のかけた味わいの魔法は、結果としてカムイを満たしきった。


「夏は三人で何しようか」
「海すね」
「夏は家から一歩もでねえぞ」
「そんなこといって……毎日家から出てるじゃん」
「真志井さんは夏はフェスでいそがしーすからね。勝手にどっか行って家にあんまいません。だからおれと杏せんぱいで海いきます。んで完介もさそって、孫六さんと…あのひとも…これだとビンゾーさんもきますね」
「お、れ、も、だ、ろ」

春の空の下のみならず、夏の太陽の下に、いとおしい青年を引きずり出す確約を取り付けることに成功した二人は、幼い表情で整った顔を見合わせた。
少女と少年の春と夏にその身を明け渡した大きな男は、持てる身体能力を心から使い切ったふたりに、大量のランチをすすめる。ふたりの痩身に次から次へ、とびきりのごちそうが放り込まれる。

そのとき、満開になるまえの桜の木が、春風につよく吹かれた。

ばらばらになった桜の花びらがゆるりと舞い散り、真志井の拵えた竹かごの食事のなかへひとひらこぼれおちた。


たった一つ残ったクラブサンドを真志井がえらび、キンパ風にあじつけされたおにぎらずを杏が選んだ。竹製のランチボックスとお重を空にしたカムイは、ふらりと立ち上がって、汚れたニューバランスのスニーカーにつま先をつっこみ、桜の下に消えた。その向こうに、野良猫のすがたをみつけたからだ。


「これ、美味しい・・・・・・。ねえ、さっき私のこと撮った?」
「はい、こいつ。おれが撮るおまえはかわいい」

指先でくちびるをぬぐった杏が、シートに両手をついて桜を仰ぎ見る彼が手渡したスマートフォンを素直に受け取る。ガラスシートに一本のひびがはいり、その画面の向こう側にいたのは、確かに杏だった。foufouのポロニットの袖をまくりあげて、薄いブラックのデニムに包まれた足が、春の土を蹴っている。ポロニットから痩せた腰がのぞき、真志井の切り取った画角のなかで、杏はとびきりの顔で笑っていた。

「マーシーが撮ってくれる私って、こういう感じなんだよね」
「おれじゃなくてもおまえはこうだよ」
「そうじゃないとおもう」

KINTOのボトルに詰められた紅茶で喉を潤した杏が、シートの上で膝を抱えながら、ささやいた。

「マーシーの撮ってくれる私の写真を見てたら、私、私のことをすきになれる」
「ああ、あれか。そいつといるときの自分が好きっつーやつな」
「んー、わかんない。それも、マーシーがそうさせてくれてるんだと思う」
「おまえのスマホみせて」
「マーシーのお弁当、もっとちゃんと撮りたかったな」
「また作ってやるよ。夏も、秋も。んー完璧。インスタあげんのか?」
「少人数鍵アカだから。ね、あげてもいい?」
「いいよ、あげれば?どうしておれにきくの。それにしても美人は表にでてこねーっつーのは、ほんとだな。お前みてるとわかるよ」
「美人じゃないから表アカに出て行かないの」

こうやってあげた。

中学から高校で出来た友人たちだけで構成された小さなSNSにあがった写真は、カムイが色とりどりのごはんにのばした手も、真志井の無骨な指先もうつっていなかった。

真志井の拵えたお弁当と杏の拵えたお弁当。真志井も杏も同じ時間に起きて、精一杯の心と気遣いをこめてつくりあげた。そんな愛しいたべもののうえにはらりと桜の花びらがこぼれおちた写真だった。

スマートフォンをお互いのもとへ返して、シートの上に大きな手をつき、長い足をなげだして、桜と空を仰ぎ見てみれば、ふたりのゆびさきだけがそっとふれあう。


「楽しい?」
「たのしいよ。おまえらがいるからな」
「私も。よかったー。無理矢理引きずり出しちゃったからね」
「おれを桜の下にひきずりだせるのはおまえだけだよ」
「そうだよ、マーシーをここに連れて来れるのは、私だけ。ああ、楽しいなー。マーシーといると。マーシーと、カムイといると」

な。
短い言葉でこころよりの同意を示した真志井と杏の指先は、相変わらず、ほんの少しだけ重なり合っている。

それはそうとして、そろそろ喫煙にふけりたい。しかしこの自然公園は公園全体が禁煙スペースだ。真志井の内心にすこしのストレスが生まれそうになったとき、マイペースに戻ってきたのはカムイという名の少年だった。

ふたりの指先がそっと離れる。

そのままでいいすよ。カムイがしれっとした調子でそう伝えると、穏やかに笑った杏が、楽しかった?とたずねた。

履きつぶしたスニーカーをいいかげんに脱ぎ捨てたカムイが、ふたりのそばにマイペースに腰を下ろす。そしてAndroidスマートフォンの画面をずいとさしだす。

「ねこの写真、とりました。人いっぱいきちまったからねこは逃げました」
「どれ?」
「こいつ。なにねこなんですか?灰色…しましまっすね」
「きじとらだね。え、人なつっこいね……!こんなにくっついてる」
「桜がつきました。花びら、おれがかけると、キレたんすけど」

小動物に関心のない真志井が、やがて風がやみとろけるような暖気とはりつめたプラスチックのように晴れきった空、そしてとらえようがないほどに淡いピンク色の花のアンバランスさにやはり滅入りはじめて、その大きな身をシートに横たえようとする。そのときカムイが、花見をさぼろうとする真志井の姿を見とがめて、やり残したことを指摘した。


「まじで杏せんぱいと真志井さんの試合みたいす」

いやに切れ味のいいセンスで撮影された猫の写真に見入っていた杏が、ふと顔をあげた。薄汚れたスマートフォンをつかんだまま、杏は、しばし考え込む。ラケットとシャトルは大きなキャンプシートの上に放り投げられたままだ。

昼寝を決め込もうとしていた真志井の頭がみるみるうちに冴え渡り始める。


「…」
「…」
「やる?」
「やるか」
「おれは、ぽてちくいながら審判しますね」

杏の満月のような瞳に、のびやかな光がやどる。

真志井の新月のような瞳の、影が濃厚に変わった。

杏と真志井の、勝負のゆくえ。


それは、振り仰げば二人に覆い被さる桜の大木と、二人を守り続ける少年しか、知るよしはない。


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