You're The Top 9


「ラオウんとこにすげえのあげたんだって?」
「毎年作ってるから。簡単なものだよー。クッキー缶のまねごと」
「ラオウもうまかったっつってたわ」
「よかった。え、残ってるのあるよ。マーシーも食べてってね。それとね・・…」
「ん?」
「……ううん、やっぱなんでもない。いくらマーシーでもね!秘密…」

内緒なんだー。

コーヒー一杯だけにしたほうがいいよ。これのむ?
スリランカから輸入された茶葉がフレンチプレスのなかで、桜吹雪のように舞っている。飴色の紅茶を杏が指させば、ポケットから紙煙草のケースを取り出した真志井がマイペースに首を振った。この家のリビングでの喫煙許可は、家主からもらっている。家主である杏の母親は真志井を軽々と凌駕する喫煙量を誇るヘヴィースモーカーだからだ。

蛍光色にひかる安っぽいライターで、ピースライトの先に火をともす。
空気清浄機が真志井への厭みのように作動する。
タダでさえ長い腕をさらに悠々とのばして、杏から努めてはなれた場所でともされた火がうむ煙は、暖気のなかへ渦巻いてゆく。真志井のめぐまれたリーチいっぱいにつかって、杏から最も離れた場所で生まれるたばこの煙は結局この部屋に充満する。この行為に一体何の意味があるのか。真志井はときに自問をくりかえしながら、それでも本能と少しの背伸びのために、たばこを味わうことをやめない。そして真志井のそんなしぐさに慣れた杏は、涙ぐましい気遣いをみせる彼氏をよそに、どのチョコレートを選ぶかマイペースにじっくりと見定めているところだ。やはり女性職人の手による極上のジャンドゥイヤを選んだ杏は、潤った唇のなかへそっとしのばせた。

たばこの味がチョコレートの重厚な甘みをかき消してゆく。そんな真志井は、杏が丁重に行った気遣いをあっさりと反故にした。


「知ってるぞ。京華バスケ部の二年だろ」


杏が、誰かを想って、心の底に隠し込んだこと。

かすみの家に忍ぶ淡くかわいい恋模様。

そんなひみつは、真志井のもとへ、とうに届いている情報だ。


「あ、知ってたんだ!さすがマーシー。そう、かすみの家の、中学生のあの子。好きな男子がいるって……、バレンタインのことを相談されたの」
「ラオウに付き合って、あのこの部活の応援に行ったときにな。自分の試合そっちのけですっげえ熱心に応援しててさあ、さすがのラオウにもバレてたなあ」


小さな子供達が集ってくらす児童養護施設のなかで、現在思春期を過ごす唯一の女の子が彼女だ。真志井や岬、杏と入れ違いで中学に入学し、在学期間はかぶっていない。
かざらない肌はつややかで、ロングヘアは杏と違って天然の黒髪。いつも元気にあふれていて施設を前向きなムードに変えてくれる女の子も、年相応の甘酸っぱいときめきに心を満たされているようすだ。


「バレンタインのことも?」
「ラオウにラインできいたわ。カムイのリサーチだと、彼女なし、素行よし、家庭環境問題なし、成績良し、性格よし、上にも下にも外にも友だち多し……だそうですよ。ヤンキーのダチもいるみてーだぜ。たまにいるわな、そういうタイプ。全方位に好かれてるみてーだな」
「カムイくん頼りになるー……。かすみの家の子たちは、味方がいっぱいいるね」
「ただな、おれが気になったのは、初手で手作りを考えてるっつーことだ」
「私もそこは気がかりで。手作りチョコあげたいから教えてって相談されたんだよね。だから他に方法があるんじゃないかなーって、あの子と話し合ったの。京華バスケ部は、女子が男子に義理チョコつくるのが伝統なんだって…私が中学のときバスケ部の助っ人に入ったときは、そんな感じじゃなかったんだけどなあ…」
「昭和か。さっさと悪習を撤廃しろ」
「体育会系は変化が難しいんじゃない?だから、とりあえず手作りは、重くない感じのお菓子をつくって男子全員分…その彼にもどさくさにまぎれてしれっとあげて。そのあと、あらためて、いいものを買って、ちゃんと時間作って、告白しようかって……」

その相談に乗ったりとか……。

真志井も深く絆をむすぶかすみの家にくらす少女。

杏は、は、そんな女の子の愛くるしい恋模様について、少しずつ語り始めた。


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立春を過ぎ、戸亜留市のかたすみを温かな夕暮れの光が包み込む。
近隣の小学校ののどかな下校の放送が流れても、またあたりは随分明るい。日も長くなった冬のおわり、杏の自宅リビングにも淡いオレンジ色のひかりがさしこむ。西と東と南から器用に光をとりこむように設計されたリビングは、微風の暖房でちょうどよくあたたまっている。

IHの左側に設えられたパイン材のカップボートに、バルミューダのオーブンレンジが置かれている。
高級オーブンの黒い窓をのぞきこむのは、背の高い少女。そして、飾ることのないロングヘアを飾らぬまままとめた、セーラー服姿の女の子だ。
シンプルなレンジが簡素な電子音を立てる。
大きな手にミトンをはめたのは杏で、セーラー服の女の子に見守られながら、杏は慎重にとびらをあけた。瞬時、少しだけチープだけれど、甘く香ばしい香りがただよった。

大きなジップロックコンテナのなかには、深いブラウンの生地がしっかりと固まっている。どうやら、成功だったらしい。深いカカオの香りをさせる生地の表面には刻まれたオレオと砕かれたクルミがまぶされている。

完成したのは、電子レンジひとつで手軽に作れるブラウニーだ。

「わー!杏ちゃん、これ成功だよね!」
「だと思う。本当に簡単だった……おいしそうだね!」


杏のそばで手元をのぞきこむ元気いっぱいの声は、中学時代の親友のものでも、高校に入学してから出逢った心の友のものでもない。

幼く、ピュアで、元気にあふれた声は、かすみの家に暮らす中学生のものだ。


「食べてみていい!?」
「そうだね、味見しようか」

ここからひやすパターンとこのまま完成のパターン、どっちがいいか確かめてみる?制服姿の少女にそうたずねる間もなく、キッチンの作業台に慎重に置かれたコンテナに、フォークが無慈悲に差し込まれた。
この女の子は、幼いころに両親を交通事故で突然亡くし、身寄りのないままあの施設で暮らすことになったという。そんな厳しい育ちをものともしない生命力と明るさの持ち主だ。


「どう?私も食べる…。わ…、かんたんなのに味の完成度が高い…」
「おいしいねー!杏ちゃんありがとう・・…あれもいらなかった!むずかしいミキサーみたいなヤツ」
「道具少しですんだよね。みて、キッチンも全然汚れてない。このまま売ってそうな味になってるね。この人のレシピは、どれもすごいよ。カムイくんもバクバク食べるの。簡単でこんなにおいしいんだ……。見た目もおしゃれだよね」
「材料費もかからなかったね!!」
「ほんとに。ていうかあなたの買い物のしかたが完璧だったよ。さすがだね。これだとみんな、気負わないし美味しくたべてくれるとおもうよ!」

部活動を第一に生きる中学生らしい体躯のなかに、甘い物が際限なく放り込まれてゆく。そんな彼女の食欲を慌ててとめた杏が、ラッピングをすすめた。そして、指さしたものが、本当の意味合いを孕むプレゼントだ。

「で、これにしたんだよねー」

対面キッチンのカウンター部分に置かれているのは、目黒のパティスリーの手によるものだ。シンプルなホワイトのペーパーバッグに、男性ショコラティエの名前が冠されたブランド名がプリントされている。
セーラー服姿の少女が、ブラウニーのあじに彩られた唇をぬぐい、澄みきった目を輝かせて杏がゆびさすものをみつめた。

「たぶん、大丈夫だと思う。おしゃれだし、味もおとなっぽすぎないよ。万人うけする味で、あまりかぶらないセレクトだと思うの」
「まって、私のスマホだす……。杏ちゃんがいってたこれは?」
「これだとやっぱりかぶるとおもったの。これは有名すぎ。これは、みんな狙おうとしてここに集中しちゃうから。これが絶妙、で高すぎなくて無理はしてない」
「杏ちゃんありがとうー、あのね杏ちゃんのおかげで、期末の点もよかったの。ラオウにいちゃんに色々いわれなくてすんだ!」
「あなたがちゃんと勉強したからだよ」

コンテナから慎重にブラウニーをとりだして、切り分けは杏が担う。愛くるしいラッピンググッズが揃う100円ショップで買い求めたジップバッグのパッケージを開いた杏は、切り分けたお菓子を慎重に詰めてゆく。あなたもやってみる?杏がそうたずねると、女の子は、不器用だからここはやってと杏に素直に甘えた。そして透明フィルムに載せて、丁寧にくるんでゆく。そしてオフホワイトとピンクブラウンの紙紐で、器用にリボンで結んだ。正方形に包まれたブラウニーはそのまま愛くるしい手土産としてわたせそうだ。
リボンむすぶのやってみたい。そう告げたセーラー服の女の子も、杏の華麗な手つきからまなび、姉同然の存在である杏のしぐさを、素直に模倣をはじめる。

そして少女は、杏に向かって思わぬ言葉を述べる。


「杏ちゃんはレンアイケーケンも豊富だから。相談してよかった!ラオウにいちゃんとマーシーじゃ頼りにならないんだ」
「え、私、恋愛経験豊富じゃないよ?マーシーとしか付き合ったことないんだよ。お菓子作りは嫌いじゃないだけ。もっと上手い子はいくらでもいる。それにただのミーハーなチョコおたくなのー。全部、親と雑誌とネットの受け売り」
「杏ちゃんはマーシーの女じゃんー」
「……ど、どこでそういう言葉覚えたの…」

学校!
杏ちゃん、これでいい?少しだけ不器用なリボン結びをゆびさす彼女が、杏の肩口に頭を載せて甘えてみせる。かわいい!!上手だね!!杏は、彼女が小さく添えたメッセージシールを指さしてそう褒めてみせた。

「マーシーの女だから経験豊富なんだよ」
「そういうことにはならないよ。私は、マーシーと付き合ってる。つまり私はマーシーしか知らないってこと。ひとりのひととつきあった経験しかないの。これは豊富っていわない」
「マーシーなのに?」
「マーシーなのに!だけどマーシーは、恋愛…もだけど、私よりずっといろんな経験してるよ」
「マーシーにもれんあいけいけんほうふ!っていったの」
「い、言ったんだ……あなたはすごいなあ。マーシーなんて言ってた?」
「杏ちゃんといっしょ」

ちいさくため息をついた杏が、ぽってりとしたくちびるにすこし照れたような笑みをにじませる。セーラー服の少女は、おとなびた女性のそんな微笑を、澄んだ瞳でみつめた。少女はまだ、年上の女性の整った顔に滲んだ幼い安堵を見抜くことはできなかった。

「いっしょだけど、ちょっとちがう」
「…教えてもらってもいい?知りたいな」
「最初は豊富じゃないっていったんだけど、やっぱ豊富っていってた」
「そうなんだ」
「杏とずっといっしょにいるから豊富なんだよって言ってた」
「参考にしよ、その考え方」


彼女がなくした実の父母は体育教師と地元スポーツクラブのコーチであったという。そのおかげかセーラー服の女の子もスポーツ全般得意とし、どんなこともすんなりと飲み込み学ぶ、あっぱれなほどの素直さを持っている。杏の器用なラッピング技術を一心に見入っていた少女もやがて、自分なりのアレンジをほどこしはじめた。そしてチープなラッピンググッズを駆使して愛らしいプレゼントをつくってみせた。部活の仲間たちにおくるバレンタインのプレゼントは完成だ。そして、杏のアドバイスをもとにえらんだ希少価値の高いチョコレートは、あどけない女の子の本気の心意気がこもった、愛情の証のまっすぐなプレゼントである。

「ジュンウジタのチョコ、私も食べたいなー」
「杏ちゃん、メイクも教えてほしい!なんか部活で私だけ可愛くないんだよね」
「こんなにかわいいのに」
「みんな垢抜けてる。まゆもなんかわたしだけ太いし、みんな整形したいっていってるし」
「そこは今度私のお母さんにせっきょーしてもらおーか…マーシーより激詰めされるよ…統計とエビデンス持ち出してくるよ。こどもが整形とか言い出すとどこの誰が得するか、見せつけられちゃうよ。そういうのはともかく、まゆはせっかくきれいなのに…」
「垢抜けできないよ!」
「垢抜け……。そういうの一旦棄てて、一からやろーか」

これは一旦冷蔵庫でひやして、帰り忘れないようにしようね。片付けは食洗機がするし、じゃあ私の部屋行こ。そう告げた杏の背中に少女もつづく。杏ちゃん家、泊まりに来ても言い?階段を上りながらそう甘える女の子のことを、杏が振り返る。ラオウと呼ばれる少年のおかげで、養護施設の秩序と安全はしっかりと保たれている。杏も、妹のような存在の女の子一人この家で守るちからは持つつもりだけれど、大切なのはあの家が穏やかに維持されることだ。私はいいしお母さんも歓迎するけど、施設の約束では原則だめなんだよね?よく話し合ってみたらいいよ。そうつたえると、中学生の女の子は相応にわがままな表情もみせた。そんな少女を、さっぱりと片付いた自室に招き入れる。杏も、自らを飾る努力を放棄せずここまできた性分だ。母親と共同で利用するラグジュアリーコスメに、年齢相応のバラエティコスメ、色とりどりの化粧品があふれるドレッサーのなかから、バランス良く選び取った。あなたには、この色かな。そう述べた杏は、国産ブランドのアイシャドウのなかから、抜けるような空のごときカラーを選ぶ。鏡の前にすわらせた彼女のさらさらの前髪をピンでとめて、選び抜いた化粧品で手際よく彼女をかざってゆく。


「そのままでもかわいいのに。だけどもっとかわいくなって」
「そー、ぶつかっていくの!」
「かっこいいねー!」
「杏ちゃんはぶつかったの?」


桃のような肌に、トムフォードのチークブラシをすべらせる。オーガズムという名前のチークは杏の小麦肌には残念ながらマッチせず、彼女のような色の白い子に似合うカラーだ。


「マーシーに?」
「そう、マーシーに、バレンタインはあげたの?」
「今年もあげるよ」
「そうじゃなくて。付き合うまえ」
「中1と中2のときか……うん。よく憶えてる。マーシーにバレンタイン、あげたよ」
「教えて!!参考にするからー!だけどバレンタインでは付き合わなかったんだよね?」
「そう。告白はそのときは出来なかったよ。てか私のそんな話、ききたいー?それにマーシーが教えてないならやめたほうがいいかなあ…」
「杏ちゃんは、そうやって、なんでもマーシー次第なの?」
「……今の……、す、すごく刺さった……」
「刺さった!?」
「刺さったよ。あなたの言うとおりだね」
「じゃあ教えてくれる?」
「うん。いいよ。なんでもない話だけどね」
「杏ちゃんは、そのときもうマーシーがすきだったの?」
「うん」


だいすきだったよ。


大きな鏡のなかで、かざらない中学生の女の子が、美しくかわりゆく。

そんな女の子は、自分を変えてくれる女性を鏡越しに見つめた。

伏せられた瞳は、今にもあふれだしそうなほどおおきなひとみだ。砂漠のような色のシャドウが、彼女をとびきり大人にみせる。

「じゃあ…」

チークブラシを持つ手をとめた杏が、ぽってりとしたくちびるから、ありきたりなものがたりを紡ぎ始めた。
ひどく懐かしくて、気恥ずかしいほどに愛らしいものがたりを。

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