Night and day 7


すっきりと削げた杏の頬に、分厚く、ごわつき、実年齢よりさきに大人になってしまった手が添えられたとき、二人の間に流れる慈しみ溢れた情調をたたき壊したのは、真志井と杏共通の友人から杏のiPhoneに届いた一通のメッセージであった。

単調な通知音に杏は素直に反応し、真志井はすずしい顔をコミカルに崩し、わざとらしいため息をついた。


スマートフォンにとどいたメッセージをマイペースに確かめる杏を、ひとまず真志井は尊重する。
今後こうした場で、みずからの欲と彼女の心を天秤にかけることもたびたび起こるだろう。そして真志井は、恵まれた頭脳で、そんな状況における正解をしばし、考える。
やはりそれは、己を突き通すより、彼女自身のことを慮るべきであろう。これは今後幾度も訪れるであろうそんな試練のたたき台となる。再びソファの背もたれに長い腕を添えた真志井は、彼女がとりだした通信機器の画面を遠慮なくのぞきこんだ。手垢と指紋ときずだらけの真志井のiPhoneとちがって、杏のもつそれは清潔に手入れされている。

そして彼女のメッセージアプリに届いた連絡は、またも、何枚かの写真であった。

そこへ写るのは、もちろん、伊東カムイと岬麻理央、そして真志井と杏と彼らと机をともにする友人たちのすがたである。

杏と真志井雄彦が、お互いを大事に想うあまり、おさない心の奥底にこれまでそっと隠し続けてきた意志の交換を丁重に重ね続けているあいだ、二人がお互い以上に愛し続けた愛くるしい後輩は、充実した遊興の中にいまだ耽溺していた。遊興施設で撮影された写真は矢継ぎ早に送られてくる。大手エンタテインメント施設で遊んでいるメンバーはいつしかずいぶん増えている。杏の友人たちにまぎれて目立つのは、他校の制服を着た女の子たちだ。
韓国のアイドルのように飾り尽くされた若く美しい女の子たちに華々しく囲まれたのは、杏と真志井の愛すべき後輩・伊東カムイの写真である。いやにフォトジェニックな不良少年の写真は、杏のiPhoneへ次から次へと、届く。
ボウリングで、そしてビリヤード、さらにはダーツで好成績をあげ、女の子たちをあらゆるスポーツで歓ばせつづけているようだ。友人いわく、これから卓球で遊ぶという。
杏が素直に感嘆の声をもらし、真志井はカムイの醜態にあきれきっている。


「カムイくん、もててるー!」
「もー帰ってこなくていいよカムイ。一生ボウリングやってろ。んでそこに住め。一生そこにこもってろ」
「マーシー厳しすぎるよ。いいじゃない。ま、まあ、いつもカムイが言ってることと、やってることが、ちょっとだけ違う気がするけど……」


生まれ持った濃厚な顔だち、人形のような、性別を超えたところに存在する整いきった顔立ちで差別されたくない。
体の細さや、やがて175センチまで育つ予感をひめながらもいまだ160前半からのびない身長で決めつけられたくない。
ありきたりな言葉で決め込まれたくない。おれを人間扱いしてほしい。
己の性分を見て欲しい。中身をみてほしい。
そして、ラオウ先輩と真志井先輩と杏センパイは、おれのことをそう見てくれる。そんなことを日頃兄貴分と姉貴分に訴え続けるカムイであるが、思春期とはよくいったもので、春先の気温変化のように、カムイの自意識は乱降下する。
自らの日々変化する心身、そして自らの対外的評価に振り回されながらも、愛されたり褒められたり、人のぬくもりに囲まれてみれば、そのむずかしいこころに満たされるものは、あるようだ。
やはり、うるわしくはきはきとした性分の女の子たちにかこまれ、愛され、そしてちやほやされることは、まだまだ青い男の子にとってわるいものではないとみえる。


「んだこれ、どこ中の女子だ?」
「中学生じゃないよ、清邦の制服だよ。高校生だね。カムイくんは年上にもてるね!」
「髪をな。黒くするとな。あともっと一般受けする服着るとな、もっといれぐいなんだけどなーーー」
「下品な言い方やめて!だけど、メッシュも学ランの裏が赤いのも、直さないよね。それがカムイのスタイルだしね」


そういうおまえは、受験のとき髪どうすんの。
地毛証明書あるよ。
戸亜留市いつまで昭和なんだ。
けど、黒くするかも。
時代錯誤だなあ……。おまえにそんなのに屈してほしくないけどな。
私は、それで済むなら気にしない。黒にしたって、私は私だし

そんな会話を交わしながら、真志井のがさついた指先は、杏の栗色の髪にふれた。

アップスタイルは少し乱れている。真志井の胸のなかにおとなしく抱かれ続けていたからだ。熟れたヘアアレンジが乱れて、天然のパーマのブラウンヘアがありのままのすがたであらわれれば杏はまるで外国の女の子のようだ。


「げ、言わずにさわっちまった。髪いいか?」
「いいよ。あ、これからも何も言わなくていい……」
「きれいな色だ。おまえがさあ、この色のままで、自由に生きられるまで」
「今もそんなに気にしてないよ。何色でも私は、私以外になることはないんだし」


こいつは?いや?杏の頭頂部をぽんと撫でれば、杏の彫の深い顔だちがすこしだけ難しい気配にかわった。
やめとくか。杏の気持ちを理解した真志井が、杏がそんなことないよと窘めるまえに、細くてきらきらとひかる栗色の髪へ指先をさしこむ。
杏の母親がこだわってえらんだヘアケア用品で、彼女の少しだけご機嫌取りの難しい繊細な髪は大人びて輝く。
髪、何もいわずにさわっていいからね。てかさわってほしいから。杏がそう伝えたとき、また手の中のiPhoneが彼女を呼んだ。おくられてきた写真は、実に珍しく、カムイの至近距離からの写真だ。
だれよりも愛くるしい写真は、杏であればいくらでも見せてくれる表情で、真志井が毎日みている顔なのだけれど、杏の友人たちにとっては奇蹟のショットであったようだ。


「めずらしい!カムイくん、少しずつ、私たちの前以外でもこういうふうに笑えるようになってるよ。これ、いいことだと思うよ?」
「うーん、まあ、あいつに友達が増えるのはいいことか?むずかしいコだからねカムイも」
「むずかしい?そうはおもわないよ。そうだよね、ともだちだよね、まずはともだちから。だって私とはできてるし」


あんまりこういうこと言いたくないんだけど、カムイって、自分がかわいいこと、うすうすわかってる?
杏が恐る恐るそんなことを問うと、真志井雄彦は、深い思慮を湛えた瞳をとじ、厳かにうなずいた。


「ま、まあ、カムイくんはこのまま夏休み楽しめるといいね」
「一時だけだよ。すぐこっちに帰ってくる。まだあいつはむこうの世界じゃやってけねえよ。おれが卒業すっとなあ、ま、大丈夫か。あいつもんな甘いタマじゃねえしな」
「マーシーの隣が一番息がしやすいって言ってたね。それに、わたしもそう思う。カムイくんはそんなタマじゃないよ」
「おれがいなくても呼吸できるようにならねえとな」
「どうしたってマーシーがいない時間は、できちゃうしね」
「おまえんとこにカムイが来たら頼むわ」
「あたりまえだよー。ん、ライン終わった。えっと、岬くんは、今度こそ帰るって」
「ああ、この時間か。ギリギリだな。保育所とよーちえんバスの迎え行かなきゃなんねーんだよ。やっぱおまえらのダチも理解してくれてるんだな」


そう、みんないい子だから。
そう呟いた杏が、プリーツスカートのポケットに機器をしまいこんだ。
いそいそとスカートを整えて、清潔な生地から痩せた膝を少しだけのぞかせた杏は、長い足を組み上げて杏の肩を抱くように包んでくれている恋人を見上げる。


「ごめんね、マーシーが……」
「ん?」
「えっと、マーシーが、何かを、したそうだったのに……私、こっちを優先しちゃった」
「いいよ。おまえはこれからもしたいことしろよ。いいんだおれは。そんとき一番気になることに従えよ。やりたいことやって、行きたいとこにいけ」
「わ、私は……、私は、マーシーに、私のことだけ見て欲しいのに、マーシー大人……。もー、マーシーといると、時々自分が恥ずかしくなるんだ」
「あのな、さっきの約束とこいつは別だぞ。おれだってそうしてほしいよ。だけど、おまえはおまえのやりてえことを一番に考えろっつーことだよ」
「……勿論、そういう自分でいるつもりなんだけど…だけど、だめだね。マーシーの気持ちが気になっちゃう。マーシーが……いま……」


ん。

真志井の太い喉から、これまでと一転、色味の違う声が漏れた。

古いソファがぎしりと揺れて、178センチに及ぶ大きな体の質量が増えた気がした。

無駄なものが削がれた痩身を誇るけれど、けして華奢ではない真志井のからだの重みが、安っぽい合皮のシートをつたって、杏の元へ這う。

ぎゅっととじられていた杏の膝が、すこしはしたなく開かれた。

恋人の、すんなりとのびた足をちらりと見やった真志井が、彼女の小さな顔のもとへ身を寄せる。
マラケシュの街の香りがつよくただよった。杏はすでに、杏のからだのかおりに戻っている。それは、青葉のように萌える、甘く、やさしく、みずみずしいかおりだ。



「うん」
「マーシー、がまん、してる?」
「してる」
「わたしも、がまん、してる…」
「おなじがまんか?」


少しだけすくめられていた杏の身が、海のようにひろがってゆく。

長い足を持て余すように組んだ真志井は、両足を床についた。そして大きく広げる。
半袖のシャツからのびる発達した腕が、杏の前に影をつくった。

等身大のブランドのリップで彩られていたはずの杏のリップカラーはすっかり剥がれて、赤銅のようなモーヴなくちびるが、真志井を呼んでいるようだ。

真志井が大きな身をゆっくりとかがめる。

杏の、凪いだ瞳が、しずかに閉じられる。

真志井は、彼女の澄み切った瞳が、夜の色ではなく、真昼のひかりの色だったことを確かめた。

そして整ったかたちの輪郭に、無骨な手をそっと添えた。

がさついた手を感じた杏は、その折、昼のひかりに耐えかねたように、杏のまぶたがふるえはじめた。

杏のその深いまぶたには、砂漠のような色のアイシャドウがかすかに残っていて、それは杏の聡明な瞳をますます濃厚に変えていた。

真志井の厚い心に襲い掛かる感情がある。それはまごうことなき本音だった。だれのことも、本当はいらなかった。はじめて味わうものは、すべて杏のものだけでよかった。
杏の切ない眉間に、少しのちからがはいる。

そして、尖った顎がそっとあがったとき、

真志井の乾ききったくちびるが、杏の薄いくちびるに重なる。

杏のくちびるは、少し大人びた味がした。
真志井のくちびるは、おさない味がした。

杏が、小さな肩をぎゅっとすくめる。杏の頬に添えていた手は、古めかしいソファにうつり、反発のいいシートををぐいと押した。杏の痩せた体が背もたれにしずむ。真志井の腕の檻に囲まれた杏は、きっとひどくみっともないであろ自らの表情をはしたなく感じながら、わたがしのようにやさしいくちびるが押しつけられることを、ただ耐え、ただ受け容れた。杏の手はなぜか、スカートをぎゅっとにぎりしめている。一生で一度のこの瞬間は、やっぱりみっともなく迎えてしまった。
夏のはじめ。冷房をゆるくきかせた古ぼけた施設で、異国の街の香りをあじわいながら、おさない味のするキス。この味はきっと、遠く果てしなく変わってゆくのだろう。そして杏はきっと、このままだろう。なぜだか杏はそのときそんなことを抱いた。

真志井の唇は、杏のくちびるのはしを一度強く吸った。青あざのような痕を、真志井は自在につくる。がさついたくちびるはそのまま、頬にすべる。凹凸のない細やかな肌のうえを、ケアを怠ったくちびるが何度も襲った。ついばむような音をたてて頬を味わっていれば、どこか自然さを失ったかたちで眼をとじていた杏のひとみがやがて、ほころぶ。

「マーシー!くすぐったいー」
「がまんしろがまん」

重い質量はソファをぎしりときしませて、杏の腰はあまり質のよくないシートへますますしずむ。枝のように痩せた体はやがて真志井に気圧されて、清潔といえないソファに杏が今にも横たえられそうになったとき、真志井の大きな腕が杏の背中の下へ敷かれた。


「んーーマーシー!重い!」
「杏」
「んっ……、だ、けど……大丈夫だよ……」

ちょっとだけ。
真志井のととのった顔は、杏の髪をかきわけて首筋にもぐりこみ、くちびるはかたちのいい耳の後ろを這った。
真志井にしがみつくことすら忘れた杏は、ソファのシートをぎゅっとつかんで、切れ長の瞳はやがてひらき、このいとおしい現実に耐え続けた。


「だめだわ、杏これ。おれむりかも」

杏はずいぶんと器用な姿勢でソファに倒れ込んでいて、当の真志井は土足のままソファに上がり込み、杏を遠慮なく組み敷く。片腕一本で杏の背中をソファから遠ざけ、けろりとした口調でそんなことを恋人へ告げた。

「ね、なにがだめなの?」
「おれ抱くわおまえのこと」
「そ、そんな、そんなこと今言う!?こういう施設隠しカメラあるんだからね!?」
「ここはねえぞ」
「なんでそんなこと知ってるの??信じらんない!マーシーはどうなのかしらないけど!私は、キスもはじめてなんだけど!?」

重いよー、どいて!マーシー……。
やだ。どかねえ。杏からどかねえ。
お、重い……苦しいー……。

真志井が杏にかける質量など、とどのつまりたかはしれている。
真志井の熱を間近に感じながら、スカートを腿までひるがえし、真志井にこうして求められて、幼さと大人の間でじゃれつく時間を、杏はただ感じきる。こんな平穏な時間がいつだって与えられるわけじゃない。真志井の分厚い質量を味わっていると、そんな事実が彼の厚い胸からいたいほどにつたわるからだ。

きっとこうして求めてくれることは特別なんかじゃない。


「マーシー、私、マーシーにこういうことされてうれしいし、されたい。あと重いです」
「我慢しろ」
「します」
「なあ、杏。おれがさあ、すっげえ、おまえにあいたいとき。おまえの事情とかどーでもよくて、ただおまえに会いてーとき」
「……。私が、マーシーがそばにいてくれないと、ピンチなとき……」
「何も考えなくていいから」
「すぐに」
「言え」
「言ってね」

ちょ、ちょっとマーシー!どいて!私、マーシーに伝えたいことがある!
なんだよ。

杏が大きな背中を軽く叩いて真志井の下から逃れようとこころみれば、真志井は杏をあっけなく抱き起こした。どかねえよ。いたずらめかしてそんなことを耳元で告げる真志井に、杏は締め付けられるような心をこらえながら、ずっと欲しかった体のなかで、彼女自身を解放するようにじゃれあいつづける。


「わ、髪がぐちゃぐちゃ……もーーマーシーがー……」
「杏はめちゃくちゃになってるほーがキレエだろ。えろいし」
「えろくない!」
「一回こうしちまえば」
「わ……あ、ピンとゴム取った!ポケットにいれてる!あとで返してね」
「だーめだ人質」
「意味がわかんない。ねえ、マーシーに伝えたいことがある!あと、マーシーにしたいことがあるの」

おれはこうしたい。
まって、これのアレンジ。
おまえこそ意味わかんねえこというな。
もーーマーシー土足じゃん、マナーが悪いよ。マーシー、一回ちゃんと座ってください。

あのなあ、おれはカムイじゃねえんだぞ。

腕のなかで暴れ続ける恋人をしぶしぶ解放した真志井は、不遜な態度でソファに身をあずけ、あまりにも長い足を大きく開いた。実に反抗的な態度だ。
すると、古めかしいソファからいそいそと立ち上がった杏は、何をするかと思えば、真志井の目の前になぜか立ちはだかる。そして、大きく開いた足のあいだにおさまって、長い腕を広げて、真志井を呼んだ。


「マーシーのことこうしたいの。だって、やってもらってばっかだから。はい、おいでマーシー」
「カムイじゃねんだからよ」
「そんなこと言って。マーシーは、私にこうしてほしかったんだと思うの。それに私がマーシーをこうしたいの」


大きく腕を広げた杏は、真志井を、あまりに薄っぺらい胸のなかへ、凜としたさまで呼び込んだ。
不遜な気配を少しだけ残したまま、真志井は、彼女に呼ばれるまま、彼女の胸のなかへ顔をうめる。
穏やかで平らな胸のなかへ身をよせて、杏の切ないほど細い腰に長い腕を回せば、腕は随分あまってしまった。


「やっとマーシーのこと、抱きしめられたよ。私、胸薄いままなんだよね。だけど胸が薄い方がいろんな服が着られるの。って負け惜しみみたいかな?男子にはわかんない感情だと思うんだけど」
「んなことどうでもいいよ。おれは、オマエのことがそのまますきだから。おまえがむりしてねえのがすきだから」
「やさしいね、マーシー。ありがと……。いつもマーシーがそうやっていってくれるから、わたし、ひねくれないですむの。マーシーがいなかったら、私なんて、やみおちだったかも」
「おまえがか。じゃあもう戸亜留市はあれだよ」


そのとき真志井が杏に伝えたのは、大作SF映画シリーズのとある設定の引用であった。
戸亜留市を、SF映画のとある王国に例えたようだ。
しかし、真志井がこよなく愛する映画に触れずにここまで育ってきた杏には、真志井の見せたジョークを理解できぬままであった。


「そのネタわかんなくてごめん……。受験がおわったら、一気見したいな。教えてほしい」
「みようぜ。じゃ今度杏の本貸してくれ。どれでもいいや。できたら古くねえやつ。日本のじゃなくてアメリカのがいいな」
「うん。新しくはないんだけど、古くもないのでおすすめがあるよ。ルシア・ベルリン…」
「じゃそれ。勉強のあいまによむわ。杏、しばらくこうしてろ」
「マーシー意外と素直に甘えてくれる……」
「そうだよ、おれ心開いたやつにはこういうかんじなの何よりおまえがしってるだろ」
「しってた……。いっぱい甘えてね、頼ってね…頼りないかもしれないけど……。ねえ、マーシーの髪、さわってもいい?」


杏の薄い胸に顔をうめたままの真志井の頭が、しずかに上下した。

混じりけのない黒髪に、杏のしなやかな指が差し込まれる

清潔にケアされた髪はまるで絹のようにまとまっている。長髪は、杏の手ぐしによって、慎重に手入れを行われる。


「私も、マーシーのために何か出来たかな。いつも、マーシーに、してもらってばっかだったから」
「杏」
「これから、いっぱいするね、今までマーシーにできなかったこと。マーシーからもらいすぎだよ、私……」
「おまえにすげえもらってきたぞ」
「それは、私だよ……」


杏。
杏のブラウス越しの胸のなかで、くぐもった声が響いた。

幾度も呼んでくれるそのなまえが、まるでミルクの飴のように、とびきりやわらかくひびいた。


「受験……受験終わるまで我慢すっか…なげーな……」
「会うのを我慢?それは長いよ。私たちなら、がまんしすぎなくてもちゃんとやれるよ。さっき決めたでしょ?」
「いやおまえ抱くの我慢」
「…………………あ、あの……そ、その言い方、古風だけど……なんかマーシーらしいよね?あ、あと、エロいよね?やるとかいうよりエロいよね?」
「あのさ、杏さんさあ……さっきから思ってたんだけどさあ、なんかあんた、おれより溜まってませんか?」
「た、た、た、た、たたまってるよ!マーシーに勝ったからね……。一位になるのにつかれたの……もうこんな頑張り方しない。まちがってた。自分の見るべきところだけ、ちゃんと見る」
「おまえは最強だ。あと一応きくぞ。いやか?おれにさわられんのいやか。抱かれんのいやか」
「いやじゃ、ない……。マーシーにこうされたい。いっぱいくっつきたいし、さわられ、たいし、べつに、どこさわられてもいいし、何されてもいいし、マーシーに、なにかあったとき、、私がとなりにいてもいいなら、いたいし、キス、したいし、どんなこと、されても、いい」

杏いたい。あんま頭きつくしないで。あの、杏さん?
たたみかけるように語り始めた杏は、いつしか真志井の小さな頭をぎゅっと抱き込んでいた。これではまるで先ほどとは逆だ。


あなたに、壊されてもいい。

強く求め続け、強く愛し続け、体の奥底から、いとしい体をよび、求め、探し続けていたのは、真志井よりも、きっと、杏のほうだったのだ。

言葉にはできぬ心を抱えた杏の薄い胸からおくられる静かな鼓動を、真志井はどこかあきれたような表情で、耳を傾けた。




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