You're The Top 3


「マーシーは杏ちゃんだとそうなっちゃうんだ?」


戸亜留市の片隅が夜を刻むたび、ひとつ、またひとつ、現代から置き去りにされたようなムードを湛えるアーケード街のシャッターが、無機質な音をたてて降りてゆく。
レトロといえば聞こえのいいものの、少しずつ朽ち果ててゆくにすぎぬ都市の片隅の古い繁華街は、週末の夜を味わい尽くそうと構えるこどもたちへこのまま明け渡される。こどもたちの頼りない体の中に未来が生きるのか否か、それはまだだれにも見通せなくて、こどもたちの体の中にしか答えは見つからない。

そして此処に、たった独りだけ、夜にそぐわぬ女の子がいる。それは、真志井の前に立ちはだかる美しい少女ではない。

真志井の目の前にいるのは、顔なじみの美少女だ。
恐ろしいほど精巧な美しさを誇る少女は、好感のもてる性分と知性の持ち主である。
それは十二分に熟知しているけれど、真志井がこよなく愛し続ける女の子は、この先にいる。あの子は、夜にそぐわない子だ。

美しい少女が告げた健気な言葉を聞き流した真志井雄彦は、サングラスの下の遠い目で、少し離れた場所にいる杏を見やった。真志井の彼女は、ローゲージマフラーに小さな顔を埋めていてビンゾーと隣り合っている。そして真志井より先に、ビンゾーと肩を並べて岬麻理央と語り始めた。真志井は、夜に必要のないはずのサングラスを少しずらしてその様を確かめたのち、またも深い瞳を隠した。

夜に集まるこどもたちは、経験も知識も熟さぬままだけれど、人の心を見抜く力を備える者は多い。
つまり、真志井がどれほど大人びたアイテムや装置で自らの性分をうそぶこうとも、真志井雄彦という人間の明朗たる性格や落ち着き、視野のひろさにすがすがしい知性といった気持ちのいい心根をあっさりと見極めるこどもたちも多い。要するに、真志井の備える年相応の少年らしい気質や性根の明るさは、どれほど冷たいムードを醸そうとも、周囲に漏れているわけだ。
つまり真志井のまわりには、人が集まる。
しかし、やはり岬麻理央という青年を遠巻きにする者たちは少なくない。他を圧倒する体躯と質量だけが理由ではない。10代の少年にはなかなかみあたらぬ、いわゆる覚悟というものを秘めているからだ。
しかしビンゾーはもとより、中学時分からの友人の杏は、岬にすなおに親しむ数少ない人物だ。


広げてみると真志井の身長にも及ぶロングマフラーを173センチの体に這わせた杏が、顔なじみの男友達たちと語らっている。
まず、ビンゾーが、事の顛末を岬に語ってきかせた。


「女子そっこーともだちになる。ケンカばっかしてるおれらがバカみてーだなーーー」
「そうか、いいもんだなあ。あいつはマーシーと話してるのか。いいやつだろ。ビンゾーの女友達だ。おれと杏みたいなもんだな。おれも、杏と似てるとこがあるなあって思ってたよ。頭がよくていいやつなんだ」
「岬くんとも友だちなんだね!私、みんなのことまだ全然知らない気がするなー。そうなの、私も、ともだちになったの。嬉しいな、友達が増えて。そういえば岬くんライブひさしぶりだよね」
「久々だったんだろ?久しぶりに聴き行くといいだろラオウーーーーしみるよなーーー」
「それがなあ……」


ファストファッションブランドのシンプルなTシャツとスラックスに恵まれた体をつつむだけで光り輝く岬麻理央が、あっさりとした美貌に、いささか影をよぎらせた。

そして、がっかりといった文字が真正直に顔に書いてあるような、そんな素直な気配に変わる。

いつだって誰かのために生きている岬が、随分久方ぶりに生音を楽しむライブだったはずだ。
ラオウと呼ばれる青年を気遣うビンゾーと杏が、お互いの整いきった顔を見合わせる。そして背の高い青年をふたりして見上げ、話の続きを待った。

すんなりとした眉をさげて、あっさりとしたまなじりを少し情けなく下げた岬が、ため息をついた。


「おれさあ、後ろにいけっていわれたんだよ」
「ラオウでけえからな……」
「後ろで見たの?見えた?」
「そこだよ、杏。この身長だ、見えそうだと思うだろ。ぜんぜんみえなかったんだ……音響も悪いしなあ……」
「せ、せっかくいったのに…!」
「あーあ、マーシーだって5センチしかかわんねえのになー」
「そうだ。マーシーは何も言われないんだ。おれはマーシーのお父さんにまちがわれるしな…」
「それはラオウいつもじゃんかよ」
「お、お父さんにみえるかな…?まさかマーシーが岬くんのこどもにみえるように振る舞ってるの?」
「そー。マーシーはそーゆーやつ。いつものことだよ、杏ちゃん」
「いつもなんだね……そ、そっか、岬くんを保護者にすると…入れないところにも……」
「そういうことだ、杏。それはおれもなんだけどな。マーシーといっしょにいると世界が広がるんだ。俺の知らない所だらけだよ」
「せ、せっかく世界がひろがるところだったのに、マーシーがステージ独り占めしちゃったんだね」
「そうなるな……だから帰りはずっと、今日のことをマーシーに聞かせてもらってたんだ」

ラオウも行ったのに!!!

ビンゾーが実に幸福に満ちた笑い声をあげると、杏も整った顔を素直に破顔させて、愛くるしく笑った。



ビンゾーと杏、そして岬麻理央が実に幸福にあふれた様子で戯れている様を、真志井はほっとしたように見守った。
賢い美少女は、真志井のそんな穏やかな変化を間近で受け止める。
こんな真志井は、一度だって知らなかった。

そして、サングラスをかけたままの真志井の整った口元から、落ち着いた声がこぼれてくる。

真志井は、杏という子が幸せでいればいるほど、こうして穏やかに変わるのだ。

それを確信した美少女は、それでも女友達として、真志井とともに過ごせる時間を楽しむ。
先に口火を切ったのは真志井のほうだ。


「何話したんだ?杏と」
「杏ちゃんと?推しの話!」
「推しぃ……?えーとあいつの推しは今……つか杏は推しとかいう小汚ぇことばつかわねえわ」
「私には、いったし。マーシーが知らないだけだよ」
「ふーん。相変わらずティモシーシャラメか?時々マッツとかいってるけどな。トムヒは中一んころ。アダム・ドライバーはやめたはずだけどな…杏アネットわかんなかったっつってたから」
「ちがうよ、杏ちゃんの推しはマーシーだよ。そういう話をしたの」
「やめてくれ……そういうの……」

ひどいー!でもマーシーらしい!えっ、じゃあ、杏ちゃん、意外とミーハー?
そうだよ。俺の彼女は普通のひとだっつったろ?
そこはマーシーと違うんだね!


気の置けない女友達との軽快な会話を楽しみながら、シャッターを背にした真志井雄彦は、そのまま汚いタイルの上にしゃがみこむ。
そして真志井は、合皮のジャケットのポケットに突っ込んでいた煙草をとりだす。
チープなライターをとりだして、紙煙草の先に、遠慮なく火をつけた。
煙は夜の静かな風にあおられて、美しい女の子にからみつく。

「おまえらはいったいおれのどこがいいんだ。孫六やカムイにいけよ」
「…杏ちゃんもそんなこと言った」
「…?お、おれのどこがいいかわかんねえっつーこと?」
「ちがうー!!杏ちゃんも、マーシーは私のどこがいいのかわかんないっていったんだよ!!杏ちゃんがそんなことを言うのは、マーシーのせいだとおもう」
「それはそうだ。おまえのいうとおりだよ」


美しい少女も、ひざをかかえて華奢なからだを丸め、真志井のそばに寄り添う。

サングラスをかけたままの真志井は、友人としての距離を大胆に侵しながらも遠慮の気配を見せる女友達をちらりと見やった。
やはりこの美人のもうひとつの生業らしく、恵まれた体は、杏より少し細いかもしれない。こんな姿勢をとっても、いわゆるY2Kスタイルからのぞく薄っぺらい腹部には脂肪ひとつない。ネコのようなうつくしい顔立ちに、真っ白の肌。赤い口紅が似合う、雪のような肌の色。そして音楽の趣味が一致する。さらに気性はこざっぱりとしていて、なにより頭がいいときた。好条件がそろっている。真志井のタイプは本来ここであるはずなのに、どうしてか、こんなに条件のそろった年上の美人を前にしても、真志井の心は動かない。しかしやはりこの子は杏より痩せていて、センスもこの美人のほうがこなれているかもしれない。杏のセンスは、洗練されているけれどどこか少女らしさに満ちていて、自意識のにじむ背伸びはそこにない。そこは大人ぶりたい真志井とすこしだけずれている。この美人は年上ゆえか、真志井の趣味とそこかしこが一致する。そして、正統な美形を誇るのはこの女友達のほうだ。杏も際だって評価される整った容貌を持てど、杏のほうが顔だちに個性がにじむ。
杏と女友達を容赦なく比べた真志井は、煙を一切の気遣いなく吐き出しながら、心のなかでそんな品評を行う。

マーシーの心の底をしらぬ美しい少女は、膝をぎゅっと抱えて、男友達たちと楽しそうに語らう杏を見つめてぽつりとこぼした。


「マーシーの彼女……。とうとう会っちゃった。マーシーがずっと教えてくれなかった子」
「んー、うん。そうだったか?とうとうばれたね」
「ううん、全然ばれてない」
「?っつーと?」
「私が杏ちゃんとお話したことより、マーシーと杏ちゃんのあいだに、いーっっぱい、私のしらないことがあるよね?」
「さっきも言ったけどよ、あのときおまえに、ふつうっっていっただろ」
「わかってる。それと、私もう、マーシーのこと、すきじゃないから安心して?」
「知ってるよ。おれにかまわず、おまえはビンゾーと仲良くしなさいよ」
「幸三は親友ー。それに……杏ちゃんとも、友達!」


美しい少女は、岬、そしてビンゾーと語らう杏をもう一度ちらりと見やる。
日本製のマフラーに埋まった可愛らしい顔は、素直な笑みを滲ませている。

あの子は真志井が大好きな子で、真志井を大好きな子だ。
あんな子を傷つけずにすんだ。

何より、そんな自分でいられた。
生まれ持ったこの顔に見合った心でいられた。

美しい少女は思う。
そんな自分でいられたことが、今となっては、誇らしい。


「わかるよ。杏があんな楽しそうだろ。おまえみたいなイイやつと杏が友達になれてよかったわ。杏あんまぐいぐいいくタイプじゃねーからな」
「うん、そんな気がする」
「だけど、自然と周りに人が集まるんだ。カオもだけど、あの性格だからなあ。振り回されやすいとこがあるんだよなあ……、おまえみてぇなのびのびしてて頭いいやつといるとラクだろーな。仲良くしてやってくれ」
「もー…。すっっっっっごい杏ちゃんへの愛、感じるんだけど……」
「そうだよ?彼女だからな」
「それにマーシーに言われたから仲良くするんじゃないし」
「んーそゆとこ杏と似てるなおまえは」
「似てないよ。違うよ。私は、杏ちゃんをすきになっただけ。友達が増えて、私もうれしい。杏ちゃんはきっと、私とずっと仲良くしてくれる。貴重な女友達だよ。それに私、20歳なってないのにたばこすうやつも酒のむやつもイヤだ。杏ちゃん常識人だったもん、私と同じ事思ってるとおもうよ?」
「かもしれねえなあー」
「……杏ちゃんも、そんなこと、言った」
「……杏が?」
「こんな顔してるマーシー、初めてみるーー…・・。マーシーが杏ちゃんにすてられたら私はマーシーと付き合うとかないから。あ、マーシーもないよねべつに」
「はいはい。杏にすてられたら、おれは堂々とぼっち道をいくよ。んなこたべつにどうでもいいからおまえはビンゾーとよろしくやれ」
「幸三は親友なの。付き合うとかじゃないの。男と女がいたらみんなすぐそういう。やめてほしいよ。で、今日楽しかった!?どうだった!?セトリ教えて!」

ああ……。
携帯灰皿で煙草を消して、吸い殻をしまい込んだ真志井が、すんなりと口をひらく。

真志井の語り口は相も変わらずひんやりと一定だけれど、やがて弾むような色に変わってゆく。
美しい女の子と真志井は音楽の趣味がぴたりと一致する。
彼女はやはり、真志井にとって貴重な女友達であることはかわらない。
友人たちふたりは、このつまらない街で聴ける最上級の音楽についてしばし語り合った。



杏は、そんな二人をちらりと見やった。
きっと、杏では真志井のことを満たせないこと。そんなことについて語らっているのだろう。
真志井雄彦の人生は、杏のものではない。彼自身のものだ。杏の人生が杏のものであるように、真志井だってそうだ。真志井には真志井の世界があり、杏には杏の世界がある。すがたも心根も可愛い女の子と語らっている様は、いつもよりぐっと大人びている気がする。

岬は、今日味わった音楽を、昂ぶる心のままに素直に伝えてくれる。

そしてビンゾーは、大事な二人の女の子のことを気遣いながら、愛すべき友人の幸福なさまに寄り添ってみせた。


ビンゾーと岬は、いつだって杏へ、安寧を与えてくれる。

真志井が杏に与えてくれるものと、ひと味ちがった愛情だ。

マフラーに顔を埋めた杏が、岬がきかせてくれる音楽の話と、岬の語る話に巧みな解説を添えてくれるビンゾ−の知識に舌を巻いていたとき、杏の黒いニット越しの細い肩に大きな手が置かれた。

真志井だ。

杏が振り返る。
すると、杏の澄んだ瞳に、漆黒のカットソーの首元に光るゴールドのネックレスが飛び込んできた。煙草の臭気が強く漂っている。
そして、真志井のそばから、愛らしい女の子も顔をのぞかせた。160センチをすこし越える身長は、真志井と釣り合っている。

真志井の大きな手は、分厚いマフラーから忍び込み、杏のニット越しの肩に置かれたままだ。


「もういい加減遅いだろ、杏。帰ろうぜ。おくってく」
「ほ、ほんとだー……。マーシーありがとう。ビンゾーくんも。岬くん家の子たちは大丈夫?」
「ああ、みんなもう寝てるってラインがきたよ。じゃあ俺も帰るか。ビンゾーはまだ残るんだろ?」
「おお。じゃな杏ちゃん。ラオウも。マーシーはいいや」
「いいのかよ……。じゃあなおまえも。ビンゾーこいつについててやれよ」
「いわれなくてもそうするよ」

真志井が女の子のことを気遣うと、可愛い女の子の可愛い顔は、ますますチャーミングに変わった。それは杏が思わず見惚れてしまうほどとびきりうつくしくて、恋の気配と少しの名残がはらりとこぼれおちて、やわらかくとけていった。美しい子は杏の手を素直にとった。こういうの女子ならではだよなと真志井がうそぶくと、男とか女とかじゃなくて、個人の問題だと、美しい子は抗議をみせた。そして美少女は、杏の手を握ってねだる。


「杏ちゃん、いつでもラインしてほしいの。受験のことでなやんだら、なんでも相談してね」
「ありがとう!ラインしちゃうと思う。ごめんね、なんかずっと敬語じゃなくて・・・ごめんなさい。次は敬語で話すね……」
「私もう、マーシーより杏ちゃんがすき」
「私のことをすきになってくれたの?ありがとう、私もすきだよ」

お、おれは……?
真志井の巫山戯た茶々を反故にする女の子たちはまだ話題の尽きぬようすだったけれど、そんな彼女たちのの間を裂いたのは、真志井ではなくビンゾーであった。

「女子ほっとくとずっとこう。あとはラインでやれー。杏ちゃん遅くなっちまうだろ?おまえはオールになれてるだろうけどよ。杏ちゃんはそうじゃないんだ」

獣たちの群れのなかに生きるビンゾーは、彼に制限をかけるすべてを解除してただ、感情と力と本能と嗅覚を解き放つ。そしてあの鴉の高校から一歩踏みだし、また一歩遠ざかればそれらがビンゾーへ戻ってくる。

そしてビンゾーは宮内幸三というひとりの少年にもどる。この街にとけこみながらも艶めいて輝く、ひとりの少年にかわる。

美しい女の子は、杏の大きな手をぎゅっとつかみ、やわらかい胸のなかに抱き寄せる。アフリカの夜明けの色で目元をいろどった杏は、その求愛に素直な驚きをみせて、やがて素直に身をまかせた。
人とふれあうことを恐れない美しい少女は、のびやかな容貌に反して少しだけシャイな杏をぎゅっと抱きしめる。杏を、たばこの強い香りが巻いた。それは確かに真志井の香りだった。
このふれあいは、女子ならではなのか、あるいは彼女特有か。
杏の鋭い嗅覚を、美しい女の子の甘いかおりと、そして真志井が彼女につけたたばこのにおいが、杏の心ごと、いつまでもくすぐってやまなかった。



ラオウんとこ寄れるか?ちっと遠回りだな。真志井がそう彼女を気遣うと、岬もまた懸念の表情をみせた。そして岬は、ごめんな杏と素直に謝罪の念を述べる。杏が好き好んでこの場所にいたのだ。二人に気遣われるいわれなどないわけで、慌てて首を振った杏が大丈夫だよと告げた。


「わるいな杏。マーシーがおくるし、かまわねえか」
「もうそこは、全然大丈夫。私が居座ってたしね。あ、あのね、マーシー、みて。あの子と、ニットがおそろいだったんだよ。着こなしが違ってて面白かったー。私はトラッドに着てるでしょ。あの子はモードだった!かっこよく着てたの」
「……?全然わかんなかったわ……。着るヤツで変わるもんだな……。……えーと俺は、あと、何て言えばいいんだ……?」
「はは、こんなマーシー初めて見るな!!杏、もっと言ってやれ!見たことのないマーシーだ」
「い、言ってやれって!そんなつもりでいったんじゃないよー」
「あのさ、ラオウくんさあ……何煽ってくれちまってんの。こんなラオウもはじめてみるぞ……」

珍しいからよ、こんなマーシー。それにしても楽しいなあ。おまえらといると。
ねーマーシー、岬くん、ステージ見えなかったし、おとうさんとまちがわれたって。
おとうさんにしとくほうが便利だろ?
便利じゃねえよ、マーシー……。
おとうさんはむりがあるよー……。
それで通用すんだもん。

そんな会話をかわしながら、杏の右隣を真志井があるき、左側を岬があるく。
こうして弾むような時間を過ごしていると、まるで中学時代に戻ったようだ。
杏を挟んだふたりが、少し無遠慮なじゃれあいのような会話をかわしはじめる。杏はちらりと後ろを向く。
宮内幸三と、可愛い女の子のすがたは、もうみえない。




美しい女の子は三人のすがたを見送ったあと、ビンゾーとともに、終わりのない夜の街を歩き続ける。
いつのまにか買い求めたホットスナックをマイペースに味わっているビンゾーという少年にむけて、彼女はぽつりとこぼした。

「香水……」
「ん?」

杏を抱き寄せたときに味わった香りと、音楽について幸福そうに語らう真志井の香りは、同一のものだった。


「香水!マーシーと杏ちゃん、同じ香水だったね」
「ああ、あれな。おれも杏ちゃんと初めて会ったときか…、すぐ気づいたわ。マーシー、香水はずっとあれなんだとさ」
「マーシーってさー、好きな映画も聴く音楽も、行く場所も読む本も、好きなたばこも、好きな服もアクセも、呑むお酒も、全部マーシー!!!!てかんじじゃん?ブレてないじゃん。だけどずっと香水だけ、なんかマーシーっぽくないって思ってたんだ。そういうことだったんだね……」


美しい子は、どこか夢のような声でつぶやいた。


「杏ちゃん、すてきな子だね……かわいいし、やさしい。私みたいにうるさくないね!」
「おまえもうるさかねえぞ…。マーシーんこと本気ですきな女子はー、だいたいいいやつばっか」
「……って100人くらいいるじゃん!!よくないコもいっぱいいたじゃん!!幸三もよくしってるでしょーー!!」
「本気でってとこが重要なわけ。本気のやつはほとんど会ったことねえわ。おまえと杏ちゃんくらい」
「幸三、」
「おまえは、なんだって本気だろ」

はい。
短く告げたビンゾーが、ポケットから出てきたスナック菓子を差し出す。
筒型のパッケージに詰め込まれているのは少量のスナックで、棒状のそれをつまんだ女の子は、小動物がごはんを食むように、ビンゾーにすなおに甘えた。


「私、杏ちゃんに意地悪言ってなかったよね?大丈夫だったかな……」
「いわなかったよ、おれがきいてたから。おまえはひとつもんなこといってねぇよ。杏ちゃんの顔見たらわかるだろ?」
「それマーシーもゆった!わかるよ。杏ちゃん、笑ってくれた。杏ちゃん、すごくいいこだったもん。だから私も、いいこでいようっておもった。私、がんばったよね?私……、わたし……」
「はいはいがんばったがんばった。すごいすごい。つよい。うちのやつらよりずっとつぇえ」


いいこでいなくてもおまえはいいやつだよ。

ビンゾーの軽やかな声が、美しい少女の痩せた体をあたたかく包む。華奢な体を保つため、ジャンクなお菓子は避けているけれど、今日ばかりはべつだ。美しい少女は、勢いよくお菓子を食べ尽くしたあと、ごみをぐしゃりと掴んで、小さくつぶやいた。


「いいなあ幸三は、ずっと、マーシーと」
「はは」
「いいなあ、あの子」
「うん」
「杏ちゃん、ずっと、マーシーと……」
「うん」
「幸三もあの子のことが大事なんだね。だから私にも、杏ちゃんのこと、ずっと教えなかった。私にもだよ?……幸三がだよ…?」
「そうだな、杏ちゃんか。ああ、だいじだよ」
「幸三もマーシーも、ラオウくんも、あなたたち、みんな、あのこがだいじなんだね」


だから。
だから。


張り詰めて壊れてしまいそうな声をそっと包むように、ビンゾーが伝える。


「言わなかったのはそれだけじゃねーぞ」


豪奢なアウターに分厚い両手をつっこみ暖を取るビンゾーが、汚染された夜空を見上げて告げた。


「友達だからだな、おまえも、杏ちゃんも」
「わかる気がする。マーシーも杏ちゃんも、私とずっと友達でいてくれるよね」
「あたりまえだろ。じゃ今日もオールすっかーーーずっとおれといられるぞー」
「もーー幸三といっしょにいるの飽きたーーだけどオールしよーー」
「のんでやるよ、いっしょに」

えっ、めずらしー!
こんな夜もあんだよ。
まだまだ幸三に飽きないかもー

まるで、ふたごのきょうだいのように親しみ続ける二人が、おそろしく整った顔を見合わせて、太陽のような笑みを交わし合った。



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