IN THE SUMMER
えいえんエンゲル

香ばしいにおいが、四方八方から充満する。
じゅうじゅうと食べ物が焼けてゆく音は、龍也と葵の食欲をかきたてる。

アルバイト店員の、威勢のいいやりとり。

そんな生命力に満ちた騒音に、葵の小さな声はかき消されてしまう。

「えっと・・・・・・」
「食いたいモン食えよ。バイト代入ったからよ」
「・・・・・・わ、私も・・・・・・、おこづかい貯めてます・・・・・・」
「・・・・・・気にすんじゃねー・・・・・・」

うなずいていいのか、否定すればいいのか。
あの冬から、春をこえて、夏をむかえて。
葵はまだ、龍也のそんなやさしさを、そのまますなおに受け止められないことがある。
どれだけ甘えてしまってもいいのか。
どこまで飛び込んでしまえばいいのか。

葵の逡巡を悟っているのか、悟っていないのか。
自分にも他人にも厳しく、折り目正しい物差しをもった龍也は、葵のそんな生真面目な思考を、黙って守りぬいてくれるのだ。


小上がりの畳の席。少しだけ掃除のゆきとどかない座布団のうえに、ぺたんとすわりこんだ葵は、龍也と向かい合って、空調を浴びながらも汗ばんでくる肌をそのままに、落ち着かないようすで笑った。
たばこに火をつけた龍也は、いつもとかわらぬ鋭い瞳に、葵にしかわからないぬくもりをにじませて、年下の恋人のそんな遠慮を、黙って理解をしめしてやる。

「・・・・・・」
「・・・・・・」

葵がちんまりと装着している、紙のエプロン。
うすっぺらいコースターの上におかれた、磨きのあまいグラスには、氷が浮かんだ水が満たされている。


どこかの席から、男性グループのドスのきいた笑い声が響いた。
龍也は、顔色ひとつ変えることはない。
ぴくりと反応をみせたあと、落ち着き払っている龍也のすがたをみて安心した葵は、さきほどからしげしげと眺めていたメニューにもう一度向き合った。



ここは、焼き肉店。


8月も半ばにさしかかろうとするころ。
学生にくわえ、世間が夏の休暇を迎える、お盆直前。


葵は、龍也と焼肉に来たのだ。


メニューをにらみつけ、むーーとかわいらしい声でうなって、耳元からはらりとこぼれてくる黒髪を、真っ白の耳にもう一度かけなおす葵の姿。
そんな恋人の自然な仕草を、龍也は落ち着ききった視線で見守っている。


「・・・・・・これにします!!」
「そいつぁ、和牛じゃねー・・・・・・」
「あ、そっか・・・・・あ、でも、」
「こっちにしとけ」

龍也が指さしたのは、和牛カルビの塩ダレと、特製ダレ。

は、はい!!
あわてて返事した葵が、龍也の指示にしたがって、ぶんぶんと頭をたてにふってみせた。
龍也がぺらぺらとめくるメニューをみつめた葵が、ちいさくつぶやく。

「ういんなー・・・・・・」
「食いきれっか?」
「すきなので・・・・・・」
「葵くえんかったらよ、オレが食うかよ・・・・・・」


す、すみませんと小さな声でつぶやいた葵が、向かい合ってすわっている龍也にもよみやすいようにひろげたメニューを一心によみこむ。


そこへ、女性店員がのみものの注文をとりにきた。
龍也が威風堂々たるようすで入店すると、どんな飲食店でも一様におどろかれて、すくみあがられてしまう。
そこへ、背後からいかにも無害な容姿の葵がひょこっと顔をだすと、店員はほっとした表情をみせる。
カップルと思われることは、かずすくない。きょうだい、或いは親子あつかいされたこともある。
入店時、そんな通常どおりの反応をみせた女性店員は、今度はいたって事務的な態度で注文をとった。

「龍也せんぱい、どれにしますか!」
「ビール」
「・・・・・・な、生ビールと・・・・・・」

決断力に長けたタチではない。
コーラにメロンソーダ、フロートにサイダー、オレンジジュース。
いろとりどりのあまいのみもののなかから、葵は数十秒かけてようやく選び抜いた。

「カルピス!!」

龍也が、あきれたようにためいきをついた。
こんなためいきは、葵はなれたものなのだ。うなずいた店員は、すんなりと下がってゆく。


ざわついた店内。
ひとつへだてたテーブルに、クラブ帰りのサッカーグループがついた。
からあげ!と叫んでいるので、葵はメニューをぺらぺらとめくって、その言葉の真実をたしかめている。


「あとぁよ」
「サラダとー・・・・・・」
「こいつたのんでよ、とりわけんか」
「は、はい!」
「あとは」

ちまちまと迷い続ける葵に、龍也がてきぱきと指示をだす。
龍也がたのしむたばこの煙は、上空へ消えてゆく。

「葵ハラミすきだろ」
「なんでしってるんですか!ハラミと、ごはんと・・・・・・」
「葵のぁハーフにすんぞ」
「わ、わかりました!そ、それと、これ。わかめのスープ」
「そいつぁよ、でけーからよ、これも半分のにしとけ・・・・・・」
「わ、わかりました!!」

龍也も、適当に食べたい肉の算段をつけたようで、ぱたりとメニューをとじた。

結局、ほとんどきめてもらった。
龍也はいつもこうして、てきぱきと葵の世話をやいてくれる。
なんだかのろのろと襲いかかってくる情けなさに、ひとり頬を赤らめた葵は、ちらりと龍也のすがたをうかがった。
そんな葵の自信にかけた視線をあびた龍也は、気にするなといわんばかりに、しずかなためいきをついて、口角をかすかにあげた。


ドリンクがはこばれてくると同時に、龍也が、低い声で、すべての注文をさらりとつげてみせた。龍也は記憶力も抜群だ。

龍也が、なれたしぐさでジョッキをとりあげる。
ほそいグラスをぎゅっと両手でかかえた葵は、おとなびたすがたをみつめる。


「・・・・・・びーる・・・・・・」
「・・・・・・」
「未成年・・・・・・。ばれないのかな?」
「ばれたことあるか?」
「ないですよね。いつも、お兄さんとかいわれる・・・・・・」

カルピスをマイペースに啜り上げる葵。お兄さん。そんなキーワードに眉間をしかめてみせた龍也は、葵をじろりと眺めてみるが、葵はきょとんとしたようすであまいのみものを楽しんでいる。

そして、目の間にある七輪と網。

「あ、火ですね」

葵が気をきかせるまえに、龍也があっさりと準備をはじめた。

めらめらと炎がともり、龍也と葵の肌をあぶってゆく。

そこへはこばれてきたのは、山盛りのサラダ。葵の想定よりも、ずいぶんボリュームたっぷりだ。

「さ、サラダ多いですね!」
「かせ」
「!は、はい!」

葵がわたすまえに、葵の目の前に置かれていた小皿をとりあげた龍也が、てきぱきとよそっていく。そのスピード感あふれる熟れた仕草を、葵はじっとみまもるのみ。

龍也によってよそわれたサラダは、葵のちいさな取り皿に、ちんまりと盛られている。
あらゆる種類の野菜がバランスよくもられて、量も葵にとってちょうどいい。


自分が取り分けるべきだったのでは。
そう後悔した葵は、つづいて運ばれてきた野菜を、あみのうえにいそいそとならべはじめた。

「先輩、かぼちゃきらいですよね」
「・・・・・・」
「でも焼きます。大丈夫、私、すきだから」
「口んなかがよ、べたべたすんだよなぁ・・・・・・」
「でも、龍也先輩ほとんど好き嫌いないですよね」


二種類のタレをちまちまと注ごうとすると、龍也が器用な手つきで葵のぶんまで仕事をすませた。

早くも焦げ付き始めたキャベツを葵が慌ててとりあげれば、サーブされたのは葵用の白飯と、龍也の大盛りの白飯。やはり空腹であったのか、龍也はがつがつとありつきはじめる。

キャベツをぱくぱくと楽しんでいると、矢継ぎ早に運ばれてくる肉。
ふたりの大好きな、カルビだ。
焼くぞとひとことのこした龍也が、トングで丁寧に敷き詰め始めた。
おなかが心地よく満たされ始めた葵は、よく焼かれた野菜を味わいながら、すっかり龍也に甘えきって、素直にうなずいた。

仕草や態度の控えめさと反面、葵は、究極食事など食べられれば、美味しければそれでいい。
ひるがえって、龍也は意外に、まめだ。

きっと、龍也にまかせたほうがいい。

たまねぎやピーマンをタレにしとしととつけながら、せめて焼き具合のいい野菜は龍也にあげようと、野菜用のトングで龍也の皿に色とりどりの食べ物をよそった葵が、白飯にぴったりのタレの味をたのしみながら、ちいさくぼやいた。

「私も、何かしたほーがいいですよね・・・・・・」
「葵ぁよ、おとなしく食べてろ」
「・・・・・・」

したくちびるをきゅっとかみしめ、情けなさともっと甘えてしまいたい気持ち、両方にかられた葵が、曖昧にうなずいた。

カルビは、さっぱりとした塩も、ジューシーにしみこんだタレの味も、どちらもおいしい。
龍也もずいぶん満足しているようで、次々と消化してゆく。
真顔でごはんを消化していくすがた。それは、龍也がごきげんである証拠なのだ。




「これ、300円だったの。80%オフでした」

肉をぱくついている葵が、真っ白の胸元にきらきらとひかるネックレスを指さしてみせると、龍也は生返事をするものの、それは大事な彼女である葵の話をおだやかに楽しんでいるあかしだ。もくもくと食事をかさねてゆきながら、龍也は、葵のなにげない話にじっと耳をかたむけている。


それにしたって、くさみのない肉は、葵の口にしっくりくるし、龍也の好みにもしっくりくる。龍也よりずいぶん遅い消費速度。葵はマイペースで肉を楽しみながら、感激の声をあげた。

「おいしいですね!!」
「葵ぁ肉食だよなァ・・・・・・」
「龍也先輩もじゃないですか。お友達と食べに行ったりするんですか?」
「いや・・・・・・焼き肉ぁな・・・・・・。葵のアニキとぁ行ったぜ」
「そう、昔よく行かれてましたよねー。お兄ちゃんがおごってたんですか?」
「いや・・・・・・会計ぁよ・・・・・・あの人だったかよ・・・・・・」
「そっかー・・・・・・みなさんいっぱいたべそうですよね」
「出禁なった店あんぞ、食い過ぎでよ」
「えー!」

そんなことがあるの?

焦げすぎたかぼちゃをぱくぱくと食みながら、葵が驚いてみせる。
味わう季節はいつであっても、焼き肉のゴージャスなおいしさ、庶民的な盛り上がりは変わらない。


しかし、夏に食べるそれは、どこか特別だ。


この店を出れば、押し黙ったような熱気につつまれるだろう。
遠慮のない空調が二人の体を叩けど、野性的な煙と炎にあてられて、汗はふきだしてくる。


ぺろりと焼き肉をたいらげた龍也が、お手洗いにたっているスキに、葵はちいさなたくらみを実行する。


そして。

ほんの数分、龍也が用をすませているだけで、テーブルの上はきれいにかたづけられている。
七輪はしずまりかえって、グラスも真新しいものにとりかえられている。

ぴかぴかにふきあげられたテーブルの上に、ふたりぶんの小さな器が鎮座しているのだ。


「頼みました」

戻ってきた龍也に、葵が得意げにゆびさしてみせたのは、アイスクリーム。

「黄な粉アイスだから、龍也先輩もたべれる。あずきがよかったんですけど、なかったから」
「葵のだけ違うんかよ」
「私はバニラです」

ガラスの器にちいさく盛られたアイスクリームは、はやくも溶け始めている。まちきれない葵がミントごとパクリとアイスクリームを頬張りながら、龍也のことを好奇心いっぱいに見守る。小上がりの席にふたたびどさりと体を下ろした龍也が、わざとらしくあきれてみせながら、和菓子めいた味わいのアイスクリームをひとくち頬張った。おいしいですか?葵のそんないたずらっぽい声を無視して、まともな味のきな粉アイスを、ものの三口でたいらげた。



うさぎのキャラクターのサイフのなかからもたもたとお札をひっぱりだす葵を放置して、さらりと会計をすませた龍也は、とろとろと追いかけてきていくらなのかと何度もたずねる葵のあごをつかんで、あめ玉を無理矢理ねじこんだ。
龍也はミント、葵はグレープフルーツ。会計のそばに添えられていたあめが、龍也と葵の焼き肉くさい口をさっぱりと澄ませてゆく。


ここへきたのは夕暮れであった。
いつしか、夜も九時をまわった。龍也にとって夜はこれから。しかし、葵にとって、いくら夏休みといえど、外出しているという事実そのものが、特別である時間だ。

夏の夜。すっかり風がやんでしまった。
ここは、龍也の暮らす古いアパートから徒歩10分にも満たない。
ぴたりととまった空気のなかで、駐車場を後にしてしまえば、ずいぶんしずかな夜だ。

「ウインナーくえんかっただろーが」
「いけるとおもったんですけどー」
「オレぁあんくれーでちょーどいーんだがよ・・・・・・。うまかったか?」
「おいしかった!!」

素直な感想をつたえる葵は、とびきり澄んだ喜びをあらわしてみせる。
そんな姿が妙にまぶしく、てれくささから、みょうに早歩きになった龍也を、葵は懸命に追いかける。
龍也の、熱のこもる背中にくっついた葵が、素直なちょうしで述べた。

「もー8月も11日ですねー」
「はえーな」

広い背中にそっとくっついて歩く葵の手を、龍也がとる。それは、すっかり慣れた仕草で。

少し汗ばんでいるから恥ずかしいけれど、葵も龍也の大きな手をぎゅっとにぎりかえす。


「暑いですよね」
「ああ」

穏やかで、静かで、何もない夜。
青白かった夜はまたたくまに漆黒にのまれてゆき、空気の悪い町だから、星も見えないけれど。
龍也の汗ばんだ手が葵の手をやさしくつつむだけで、葵は夏に溶けてしまいそうだ。

「また焼肉いきましょーね」
「また?いつだよ」
「来週とか」
「飽きるぞ・・・・・・?次ぁ別んモン食い行くぞ」
「どっかおすすめあるんですか!楽しみ!」

こどもっぽくとびあがろうとする葵の体を、手をぎゅっと掴んで押しとどめる。
素直に龍也にしたがった葵が、しみじみとつぶやいた。


「またこーやって、やきにくたべれたらいいですよね」


龍也が、葵のちいさな頭を見下ろす。
30センチ近い身長差。こうして掴んでいないと、葵のことを見失うことがある。


「おとなになっても、ずっと」


真夏。

葵のちいさな夢にこたえるために。

今はまだ、龍也は、そのいとおしく幼い手を、きつく握りしめることしか、かなわない。
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