2016年ありがとうございました
龍也

大晦日二日前。
年末の凍えるような一日は、駆け足で過ぎ去ってゆく。

早めに目覚めたはずなのに、時刻はもう夕刻。北風が木造の住宅を叩き、音をたてて舞い上がる。
買い物に掃除、年末特有のせわしなさにおわれながら、掃除が得意でも不得意でもない葵は、ようやく自分の部屋の大掃除をおえた。兄の部屋にいい加減にほうりこんでいた服がすべて自室にもどされたから、その仕訳に手間がかかっていたのだ。

母親も兄も、昨日帰国した。
姉は母親に夜遊びの有様を散々叱り飛ばされたゆえ、年末はしぶしぶ家ですごしているようだ。双子の妹は、日頃からみのまわりを清潔に保っているから、とっくに掃除を終えている。

そんな日に、葵の家のチャイムが鳴った。

時差ボケがようやく治った兄は誰がきたのか、風の間を縫って轟いた排気音で分かったようだ。

そして、葵をつかいにだす。

兄が大丈夫というなら大丈夫だろうけれど、誰なのだろう。

葵は、おそるおそる扉を押した。

「……?はい……」
「……」
「あ!!!!」
「……あ!ってなんだよ……」
「さ、榊先輩、こんにちは!!!」

まさか、扉の向こうにいたのが、葵がずっと想い続けている人だとは。
背が高い。
ハイネックのトレーナーにボンタン。ランチコートを羽織ったその姿は、相変わらず精悍だ。きびしい冷気よりも、さらに厳しい表情で、葵のことを冷たく見下ろしている。

整った顔にざっくりと走るキズ。
龍也に会えるのは数日ぶりだ。
日をおかずに会えるとは思わなかった。

とにかくあいさつだ。
礼儀、義理、スジを大事にする、葵の片思い相手。

理屈はわかれども、頭は簡単にまわらない。
しどろもどろで挨拶をしたあと、葵は黙りこくってしまった。

「……」
「……」
「……?」
「……」
「あ!お兄ちゃん、ですね?えっと」

龍也は、兄を呼んでほしいのかもしれない。
ひとりよがりにそう悟った葵が、くるりときびすをかえそうとする。

龍也が、ふわふわとした素材のセーター越しのほっそりした肩をがしっとつかんだ。

「まて」
「!?」
「……おせーぼ」
「……」
「……」

龍也に片手でおさえられたまま、葵は、たった今耳に飛び込んできた言葉を理解することに時間をかける。

「お、お歳暮……?」

葵を引き留めていた手はゆるりと離れて、そのかわり、右手に提げられていた紙袋がさしだされた。
流れでそれをうけとる葵。
龍也からおくられたお歳暮をぎゅっと抱きしめて、澄んだまん丸の瞳で龍也を見上げた。

「お歳暮……?わざわざ……ありがとうございます……」
「……うちの親がよ、葵んちにももってけってうっせーんだよ……」

いわく、日頃やかましいバイクで近所に迷惑をかけているのだからこれくらいもっていけと、龍也が一人で暮らしているアパートの住民にもくばったらしい。

そして年末実家に帰った龍也は、アパートだけではなく、世話になった人たちにも配れと強要されたという。

本当にイヤであれば拒否するだろう。どんな言いつけでも盲目的に思考停止して従うタイプではない。自分で考え、自分自身で納得したことを行動にうつす、まじめな龍也らしい気遣いだ。

「ありがとうございます!」

大きな声でお礼をつたえて、それを抱きしめた葵が、促す。

「あがって、いきますか……?」
兄もいます。

そう伝えた、その刹那。
背後からのびてきた手が、葵がぎゅっと抱きしめるものを奪った。
葵の兄だ。
そして、裸足で三和土にとびおり、龍也のことをおおよろこびで抱きしめる。

兄は、もとより感受性が豊かで感情表現もオーバーだったが、外国の大学でこんなスキンシップを覚えてきたようだ。
むずかしい顔をみせた龍也は、六代目爆音が終焉を迎えて随分たった今もかわらず龍也に愛情をそそぐ兄の行動を、だまってうけとめている。

兄にあがれとうながされると、龍也が仏頂面でうなずいた。


葵も、いそいそと、龍也のその広い背中をおいかける。

この家に龍也があがることは、ずいぶんひさしぶりだ。

葵の兄はさっさとリビングに戻ってしまった。

廊下をあるくふたり。
大好きな龍也の大好きな背中に、葵がとことことついてあるく。

すると、しずかな声が頭上からおちてくる。

「ついてくるな」
「……」

龍也のそれは、いつだって己のことを一途に追い回しとことことくっついてくる葵への照れにすぎない。

おれが怖くないのか、おれがおまえの迷惑にならないのか、おれ以外にまともな男もいるだろうに何故ついてくるのか。おれに傷つけられてもいいのか。だいたいこんなチビっこい生き物を、どうやって丁寧に扱ってやればいいのか。ふれただけで壊しそうだ。少し押しただけで、脆く壊れてしまいそうなちいさな少女。どうしてほしいのか、どうしてやればいいのかわからない。

そんな疑問が、簡潔でぶっきらぼうな言葉に集約されてしまう。

でも、今の葵には、龍也のそんな複雑な思いはわからない。

その言葉を真に受けてしまった葵がかるくはなをすすった。

そしてつぶやく。

「……じゃまですか……?」

ぎゅっとセーターのすそをつかむ。

「でも……」

素直な色の瞳で龍也をみあげた葵がつぶやいた。

「ここ、わたしん家ですから……」
いくら、榊先輩がわたしのことそんなに好きじゃないっていっても……。

とてもさみしい気持ちにかられた葵がすごすごと背中をむけて、自室に戻ろうとする。


だれがそんなことを言ったか。
人の気持ちをひとりできめつけて、かなしくすねてしまった葵を、龍也がよびとめた。

「だれがじゃまっつった」
「……」
「だれが好きじゃねーっつった」
「……好き……?」
「…………だいたいオレがじゃまだろ……こんな忙しい時期によ……」
「じゃまじゃないです!ほらお母さんもいる!」
「ばっ……」

ひさしぶりに龍也に会った葵の母親は感慨のひとつもなく、今日の夕飯はタンドリーチキンと蟹鍋のどちらがいいかとたずねている。
上の姉は、車の調子をみてくれと龍也にねだるしまつで、双子の妹は、こんなさむい日にも暴走っているであろう彼氏が心配なのか、龍也に、今日の路面の善し悪しを平気で質問している。軽い男性恐怖を抱いている妹だが、彼氏と兄と龍也はてんで平気であるようだ。

仏頂面のまま、すべての質問に対して律儀にそして誠実にきまじめに答えてゆく龍也のすがたを見守っていると、葵にみるみるうちに笑顔がもどってきた。

そして兄が龍也に語り掛ける。

龍也と兄は葵にはわからない話をする。
そして龍也は、兄のまえで、葵にはぜったい見せてくれない、むずかしくて、17歳の男の子っぽくて、とてもリラックスした顔をみせるのだ。



結局葵の家の年末に巻き込まれてしまった龍也を見送る時刻となった。

おくりだされたあと、葵が最後までしつこくとことこと追いかける。

きっと、これが今年最後。
これをのがせば、次いつ龍也に会えるかわからない。

「さ、榊先輩……」
「葵食いまくってたな」
「……」

すきなものだったから、ぱくぱくと食べてしまった。バイクの話がわかる母、兄、姉、そして龍也。
わからない双子。
ふたつのグループにわかれて、龍也にかまってもらえなくて、葵はなかばあてつけのようにごはんをたくさんたべた。

そんなみっともないすがたをみられてしまった葵は、じっとうつむいてしまう。

「……」
「……ん、んだよ……のこしちまうよりよ、いーだろーが……」
「……!そうですか……?」
「……」
「あ、あのお歳暮ありがとうございました……」

紙袋の中身は石鹸の詰め合わせ。兄は、寮に持って帰ると言っていた。
すっかり暮れてしまった夜。
切り裂くような寒さと静寂のなかで、葵は最後の言葉をさがす。

「え、えっと」
「……」
「えっと……」

耳まで真っ赤にした葵。落ち着いた性格のおとなしい子のはずだが、龍也のまえで葵はいつもこうして忙しそうにしている。
切れ長の瞳があたたかくさがり、整った口角をやさしく緩めてくれた龍也のことに、葵はまだ気づいていない。

「よ、よいお年を!」
「葵もな」

龍也が、葵のかわいらしい頭をぽふぽふとなでる。

龍也は、庭にとめていたバイクを遠慮なくふかして、坂道から一気に下って走り去ってしまった。

龍也がだいすきだ。

ずっとあたためているそんな気持ちは、今年もまた伝えられなかった。

来年は何かが変化しているだろうか。
そして、あの人を傷つけるもの、あの人が傷ついているもの、あの人が苦しんでいるもの、あの人が信じぬくもの。

少しだけ、そのすべてをゆるせる時間がきますように。
少しだけ自分のことをゆるして、静かな時間をすごせる日が、あの人にきますように。

次に会える日、そして、龍也のようにすべてを覚悟できる勇気をもてたら、龍也につたえたい。あなたのことが好きだと。

よいお年を。
もう一度ささやいた葵は、龍也がのこしてゆく音に耳をすませながら暖かい自宅へもどった。

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