不自由な感じがいいんだ



「寒いですねー……」
「あ?小春どっから電話してんだ?」
部屋、暖房きいてるだろ?

電話越しに響いてくる恋人の声は、かすかにふるえている。
その幼い声がぼやいた言葉を、緋咲はききのがさない。

緋咲の部屋の暖房は、先ほどいったん切られた。この夜の先に、緋咲が向かうべき場所があるからだ。
そのとき、シンプルなフォルムの電話に、電話がかかってきたことをしらせるランプが点滅し始めた。
暖房は再びスイッチを入れられ、緋咲のミニマルな部屋をのんびりとあたためはじめている。

受話器をとりあげ、小春の声を確かめた緋咲はそのままベッドに腰をおろし、長い脚を投げ出した。
高級ブランドのライター。ローラーが、ぬるりとすべって、ジョーカーの先に火をともす。

大音量で流していた音楽は、電話機が点滅するしらせを見つけた緋咲の手により、しずかに落とされている。ひごろ、流しっぱなしで外出するのだ。ほうっておけば、このままラストトラックが終了するからだ。ベースとドラムがきざむリズムは、受話器の向こう側の小春のもとにおくられているだろう。

夜は深みを増している。
暗い色のカーテンが引かれ、切り裂いてしまえそうな夜とこの部屋を隔てている。
テレビのリモコンをひとつ押せば、この年の終わりをむやみやたらに祝う、ばかばかしいテレビ番組が乱舞しているだろう。
そもそも、よっぽどでないかぎりテレビなどつけない。
よけいなものはこの部屋には必要ない。廃棄してしまってもいいのだが。

そういえば、小春が時折、借りてくる映画。
テレビをつかって、小春とともに鑑賞することもある。
小春がすきに選んでくるそれは緋咲の趣味と一致することはないが、彼女の選ぶものはいずれも緋咲にとって、けして心地が悪くはないものばかりだ。

あの子のために、たった今、この送話口からこぼれてくる、愛らしい声の主のために。
このテレビは、しばらくはおいてやってもかまわないだろう。

ひとまず今日は、年の瀬、と呼べばいいのか。

小春と、なにもおこらないプラトニックな一夜をすごしたクリスマスから数日たち、小春と緋咲が出逢ったこの一年の終わりに、ようやく彼女から電話がかかってきた。

この部屋を発つまえでよかった。
あと少しで日付をまたぎ、年を越すこの時間だ。小春ももう眠たがっているだろう。
この電話はきっと、さほど長くはならない。
一年から一年へ向かうほんの一瞬、電話を通じて小春のそばに少しだけいてやれば小春は安心するだろう。

さきほど、小春に、今どんな格好をしているのか尋ねられた。

オマエがこのまえ着た服だよ。

紅の特攻服に精悍な身体をつつみ、この電話が終われば、チームを率いて初暴走に出向く緋咲は、小春のために、そんなささやかな嘘をついた。


そして小春は、どうも寒がっている様子だ。

「玄関のでんわ……」
「あ?んで玄関だよ、さみーだろ、部屋からかけなおせ。いやオレからかけなおしちまうかよ……」
「あ!あの!部屋の子機は、お母さんに、没収されました…」

あのクリスマスの日。
緋咲の部屋で朝方5時に目覚めた小春は、寝起きの爆発した髪の毛や寝乱れたすがた、そんなものを恥ずかしがる余裕もなく、緋咲の使う高級な洗顔料で顔を洗って緋咲に髪の毛を丁寧にセットしてもらった後、ころがるようにマンションを出た。

その朝の、寒かったこと。
澄んだ空気。

出迎えてくれた母親は、やさしい笑みを浮かべてくれていた、なんてことはありえなかった。小春の浅はかな期待は、やっぱり母親には通用しない。
男物のシャンプーのにおいや強い香水の薫りを纏って帰ってきた小春を、母親は鬼の形相で軽自動車に放り込み、母親の働く病院のクリスマス会の細かい下働きを小春は一手に請け負うこととなった。

そして残りの年末の日々。
勝手な判断で外泊を敢行した小春への罰として、すべての正月支度、家中の掃除も、小春ひとりでうけもった。

コレが終わるまで、彼氏に連絡はしちゃだめ。そしてそのトワレは、今年は使うな。

母親にそう言いつけられた。
もう二度と会うな、別れろ。そんなことは強制されなかった。緋咲との時間を親の権力で断ち切られなかっただけでm小春は安堵したのだ。母親に言いつけられていたことを、小春は賢明に守って黙々と家事をこなした。

そして、大晦日。

今年が終わるまで、あと十数分。

小春は、やっと、だいすきな人のあたたかい声を聞けたのだ。

「電話すんなっていわれてたんかよ」
「そうです……。おそばもつくって片づけもしたら、やっと今日ゆるしてくれてー。でも、お、お母さんが、緋咲さんと電話していいのは2秒だけって……」
「……ヒザキ、で終わっちまうぞ……?」
「だから、おかあさん、さっきからぜーーーろ いーーーーちって言ってる・・・・・・」
「ショーガクセーかよ」

責任の一端は自分にもある。
必要であれば、緋咲自身が電話越しに母親へ謝罪を伝えることもたやすいが、小春はそれは必要ないと断った。

「怒られっちまったか?」
「怒られたというか、お手伝いいっぱいさせられたっていうか……。でも、もう大丈夫ですよ。ね、緋咲さん、テレビは見ましたか?」
「みるわけねーだろ」
「ですよねー。わたしさっきまでみてて、そしたらお母さんが、二秒だけ電話していいって言ったから、急いでかけたの。緋咲さんが家にいてくれてよかった」

安堵に満ちた声でひといきついた小春が、ぽつりとこぼした。

「今年は、緋咲さんに会えて、幸せでした」
「いろいろイヤなことあっただろーが……」
「緋咲さんがいてくれたから、乗り越えられました」

足下は、ふかふかのルームシューズ。
母親が編んでくれたざっくりとしたルームソックスにつつまれて、一番お気に入りのルームウェアをまとった体は、玄関の冷気にも慣れてきた。

そうしていると、母親が、イスとあたたかいレモネードをおいてくれた。
ピースサインなのか、2秒で切れという意味なのかわからないけれど、とにかくそんなサインをみせた母親はそのまま部屋へ戻った。

この電話はきっと、長くならない。
緋咲がこの夜、おとなしく部屋で休むなんて考えられないからだ。
この春から今日まで、緋咲のそばにいてわかったことがたくさんある。

緋咲が小春を守ろうとしてくれていること。
小春は、その腕のなかで、緋咲にしずかに寄り添うのだ。

「……」
「一人だけだと、ムリだった」
「オレだけかー?親がなくぞ?」
「お、お母さんもですけど!緋咲さんがいてくれたからがんばれました」

こたつにもぐってテレビをだらだらとみていても、どのチャンネルをえらぶか迷ってしまうから、こうして、この世で一番ききたい声を聞けることが、小春は本当に幸せだ。
これからもずっと、この声を、この瞬間に聞いていたい。

そして、2秒どころか、そのときはあっというまだった。

そのときを告げる鐘が、少し離れた町から響き、あっさりとすぎていく。


「あっ……鐘だ」
「小春ん家、んな音聞こえんのか」
「わりと近くにあるんです。お寺。初もうでも、そこで……」

え、えっと。
小春が息を継ぐ。
緋咲が、こんなかしこまったあいさつをおくってくれるともおもえないから。

でも、小春はきちんと伝えたいことだ。

「あ、あの、緋咲さん」
「なんだよ」
「あ、あけましておめでとーございます……!」
「……ああ」
「今年もどーぞ、よろしく……」
おねがいします  

電話の向こう側の緋咲に見えるわけもないのに、くるくると巻いているコードをひっかけながら小春はぺこぺことお辞儀まで行った。

「なんで声が小さくなってんだ?」
「な、なんか、はずかしい……」
「今日はもう寝ちまえ。遅くにでてくんじゃねーぞ」
「はーい。わたし、夜中の初詣とか行ったことない」

緋咲はいつも、小春ののぞむままに軽妙に会話をつむいでくれるわけじゃない。
緋咲は緋咲のペースで語ってくれる。

そして緋咲は、小春が懸命に語る心地よい声に、じっと耳を傾けている。

「……緋咲さん」
「どうした?そろそろ切っちまうか。2秒終わってんだろ」
「終わったけど……」
「あったかくして寝ろよ。次ぁオレから電話するからな。親の夜勤このまえ聞いたとおりだよな?」
「そ、そうです。あ、あの!!」
「どうした?」

あふれてきてとまらない言葉を、器用につむぐことなんてかなわないまま、小春は、今年はじめのことばを緋咲に語ってゆく。

「……えっと、不自由なこともあるけど」
「ああ、小春にぁよ、ガマンさせちまってるな……」
「でも、それがいいです」
「小春」

たしなめるように小春のなまえを呼んだ緋咲に、すこしぬるくなったレモネードでのどを潤した小春が宣言する。

「強がりじゃないです。本当です」

そうかよ、小春はオレにそんなに会いたくねーのかよ。

そんな、駆け引きのように探りあう言葉は、小春には告げられない。
これ以上、小春に、切ないガマンを重ねさせるわけにはいかない。

「緋咲さん、今年は……あの……」
「どうした?」
「……けが、とか、しないで……ください……」
「……」
「新年早々、よけいなこと言っちゃってごめんなさい」

これでは、集合におくれるだろう。
こんな夜に居場所のある連中、ない連中。
それぞれが緋咲を慕って、ここより10キロ離れたパーキングに集う。

この子に聞かせたくない音。
小春から、断ち切っておきたい夜。
どんな時間が訪れようと、緋咲は、小春のこともこの町も、すべてを護りゆくつもりだ。

「小春はよ、何も心配するこたねーんだぜ?」
「緋咲さん……」

緋咲のあの、しなやかな指。
ほんの数週間会えなかっただけで、精巧に縫われたようなキズがうまれていたこと。
あの手で、緋咲は、小春のことを、やさしく抱きしめてくれる。

「デージョブだ。おれぁよ」

ジョーカーの先を灰皿で叩く。
火はのこっていないか。緋咲は、入念に確かめる。

「なにがあっても、あの部屋に帰ってくるからよ」
「……はい……」
「だから小春もよ、なにがあってもあの部屋で待ってろ」
「絶対、待ってます」

あと少し。
次の約束は、またの機会だ。

「小春」
「はい」
「今年もよろしくたのむぜ」
「お、おねがい、しま、す……?……この言い方・へんですか?」

静かな夜。
静かにはじまる、新しい年。
小春が緋咲につれてくる、静かなやすらぎと、あたたかなざわめき。

緋咲はあと少しだけ、いとおしい子の声を、楽しみ続ける。




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