冬恋い
手袋の下の体温

みなとみらいのクリスマス。
また、発展の過渡にあるこのエリア。
荒涼としたコンクリートのなかに飄々とそびえたつマンションにオフィスビル。建物の中にせわしなく生きている人々がともすあかりは、ひとつの作品のように、あっと言う間に暮れ行く横浜の真冬の夕方のなかに浮かび上がっている。

片手に紙袋を提げて、断片的な夜景をみつめたジュンジは、真下をとことこと歩いているあすかの機嫌をうかがっている。少し浮かない表情は変わらないようだ。

彼女と過ごせたクリスマスイブ。
夕暮れ。
別れが近づいている。

そろそろ5時。
つまり、まだ5時ですらない。

クリスマスの喧噪。年齢を重ねたカップルにとって、これからが本番であろう。
しかし、数10キロの中距離恋愛をかさねているあすかとジュンジにとって、そしてまだ16歳のカップルにとって、この時間は、別れの時間だ。

彼女をむちゃな時間に連れだし、連れ回し、無軌道に遊んで回る。
ジュンジは、とてもではないがあすかのことを、そうして乱暴に扱えない。
あすかの家に定められたルールに粛々と従うことでせいいっぱいだ。
それでも、そんなルールをうちやぶって、あすかを夜の町に連れ出すことが正しいのか。それが男らしいことであるのか。

やや景気の悪い思案をかさねながら、ジュンジは、あすかのそばにそっとついていてやりながら、あすかのことを桜木町駅まで送っているのだ。

「今日……」
「ん?楽しかったよ、一緒に過ごせて、よかった」

ジュンジのたずねたかったことをまるっと答えてしまっったあすかの声は、やっぱり、かすかに元気がない。

あすかの家は、さほど厳格なルールに縛られているわけではない。とはいえ、あすかの親が物わかりがいいといっても限度というものは、ある。
クリスマスに、鵠沼に暮らす彼女を横浜まで連れだしていれば、ましてや横浜の夜を楽しんでいれば帰宅はいつになるか。

渋滞を縦横無尽にすりぬけ、自由に彼女のことをおくることのかなう単車。それをいまだ、ジュンジは手にしていない。

妹は、アリバイをつくってやるから泊まってこいと促したようだ。おおかたうまくいかないだろう。

混雑しきった、ひどく冷える休日。海の近い街は、とくに冷える。
朝も9時からまちあわせ、そこそこおもしろい映画をみて、一時間並んで、カフェで食事をとった。

そして、あっさりと、別れる時間だ。

どこへ向かっても混んでいたからか、あすかはすこし疲れたようすだ。ジュンジはこの程度造作もないのだが、特段体力にすぐれているわけでもないあすかは、うけるダメージも多かったかもしれない。機嫌をうかがうと、すこし疲れた顔で大丈夫とわらってくれたものの。

そんなあすかの手をつつむのは、ピンク色の手袋。


いつ渡すか思案を重ねたあげく、ようやく席につくことがかなったカフェで手渡した。

愛らしい包装。
あすかは、すなおな歓声をあげて、プレゼントに瞳を輝かせた。

リボンを丁寧にほどいて、中身をそっとのぞいたあすかは、穏やかな目元をきりりとつりあげ、

「かわいい!」

そう叫んだ。

カフェのテーブルの上に、丁寧にほどかれた包装。
キャッキャととりだして、ピンク色の手袋を眺めているあすか。
あまりの照れくささに眼をそらし、頬をぽりぽりとかきながら、ジュンジがぼそぼそとつぶやいた。

「あすか、グローブくれただろ……そのよ……」
「あげたあげたー、免許は、まだなんでしょ?」
「うっ   」
「え、いいじゃん別に。べつに何歳までとかないんだから。とれるときにとったらいいんだよ」

そのあっさりとしたねぎらいが、逆にむなしい。

そしてあすかには、もっと高いものをやろうとおもっていたのに。結局、ささやかにもほどがあるプレゼントで終わってしまった。
あすかが愛用しているパステルピンクのマフラー。ジュンジの趣味とはつゆほどもかぶらぬその女の子らしい色が、ジュンジにはやたらとまぶしかった。
それとマッチするかと思い選んだ、ささやかな手袋であった。
しかしよくみてみれば、色合いは絶妙にずれている。マフラーは淡いピンク。そして、ジュンジのおくった手袋は、妙に蛍光色が強く出ている。

あすかは、さっぱりとわらってくれた。そして、手袋をはめたままハーブティーを飲んでいる。

それからずっと、あすかは、一日中手袋をはめたままであった。

以外に分厚い毛糸で編まれた手袋の上からつなぐ手は、なんだか味気ない。
どちらともなく手は離れ、ときおり、かわいい手袋につつまれたあすかの手が、ジュンジの甲にぺたりとふれてははなれていく。

マフラーに顔をうめたあすかが、少しだけ背の高いジュンジを見上げた。

「ジュンジくん、楽しかった?」
「あ?ああ、たのしーにきまってんだろ?でもよ、オレがよ、免許まにあってりゃよ……」

ジュンジのジャンパーのポケットのなか。
ちゃらりと金属音をたてた、それ。

ジュンジがひっぱりだすと、すこしうつむきがちであったあすかが、手元をのぞきこんだ。

「バイク買ったら、それつけてね?」

買うんじゃない、組み上げるのだと何度説明しても、あすかはいまひとつ理解におよばぬようだ。

あすかがジュンジに贈ったのは、キーホルダー。
革の飾りがくっついた、値段は4桁に及ぶ、シックでやや高級なしろものだ。

「ああ、つけんべ。なくさねーよーにしねーとな」
「鞄につけてもいいよ」

鞄らしき鞄は、持たないことも多い。
そんなことをあすかには伝えられない。

そして、あすかは、もじもじとつぶやく。
ジュンジが、片方の手にさげている、紙袋だ。
その中身。
もうひとつ、あすかがジュンジに贈ったもの。

「あ、あと、そっちは……すててね」
「なにいってんだよ、すてれるわけねーだろ?」
「……だって、やっぱヘンじゃない……?」
「ん?んなことねーべ、おもしれーよ」
「おもしろい……」
「……!」
「カノジョからもらったプレゼント、おもしろい……」
「な、なんていえばいーんだよ!」
「そーだよね、ごめんね!でも、なんか、やっぱり……」
「んー、騒ぐアレでもねーとおもうぜ。めざましかよ、バーちゃん助かんべ?」
オレんこと毎朝起こしてんからよ!

そしてもうひとつ、あすかが、ジュンジにおくったのは、目覚まし時計だ。

ただの時計ではない。

バイクの形の時計なのだ。

バイクの前輪が、時計になっていて、ハンドルをつかむことでベルはとまる。

雑貨屋でみつけたその時計。
ジュンジの乗りたがっていたバイクの形がてんで思い出せない。しかたがないので、身近な男子のバイクを思い浮かべてみる。まず、那智。そもそもあんな色のモノは打っていない。そして、徹。この時計は、徹のバイクに近いかもしれない。あすかは、二種類あるうち、洋風な時計を選んだ。

そして、箱におさまり、しっかりと包装されたそれ。

なんでもないようすでジュンジに手渡したあすかは、あけることをせかした。

しかし、包装のなかからあらわれたのは。

雑貨店の白い照明、ぴかぴかに磨かれた什器のうえで輝くそれは、なんだかかっこよかったはずだったのに。

こうして包装からあらわれたそれは、なんともやすっぽいのというのだろうか、とにかく奇妙なシロモノだった。

銀色に輝く車体は、あれほどきらきらと見えたはずなのに。あらためて観察してみると、なんだか、透明感に欠けている。

ジュンジは、あすかに、こんなにかわいいものをあすかにおくってくれたのに。

キーホルダーはまだいい。問題はバイク型の時計だ。
ジュンジは、こんなにかわいいものをおくってくれたのに、当の自分は、わけのわからないものを押しつけてしまった。

ジュンジは、はっきりとした顔立ちいっぱいにひろがる大きな笑顔で、至極愉快そうに、あすかのおくったバイク型の時計を眺めている。

「あれに似てんべ、VMAX」
「……?ごめん、なんか……」
「どーしたあすか?イケてんじゃんかよ!あ、電池はいってねーべ、家かえってじーちゃんにもらうからよ」

あすかからの奇妙プレゼントをうけとってくれたジュンジは、たべちらかした皿を横によけて、何もかわらない笑顔で楽しんでくれていた。

それを思い出したあすかが、またひとつ、暗いため息をついた。

「ジュンジくん、ごめんね、あんなヘンなもの!」
「ヘンじゃねーよ?オマエらしーよ」
「そっか、わたしらしい……?」
「……ヘンなことゆってねーよな……?」
「ないない」

そっか、わたしらしい。
マフラーの下でぽつりとつぶやいたあすかは、みるみるうちに元気をとりもどしてゆく。

ジュンジが、あすかの気持ちの変化をおそるおそる伺いながら、彼女の名前を呼んだ。

「あすか」
「ん?」
「あ、あの、な」

さきほどからふれあっている手。
手袋の下の体温。
その温度を感じたい。

「これ、ほんとにかわいいね!」

ジュンジの気持ちを知ってか知らずか、あすかが、薄暗くなり始めた空に、手袋につつまれた手をかざす。

その細い手首を、ジュンジがやさしくつかんだ。

そしてジュンジが、あすかの小さな手から、手袋をそっとひっこぬく。
あすかのコート。縁がチェックであすかによく似あっている。
ポケットに、くしゃりとつっこむ。

手袋の下のあすかの手。ほかほかとぬくもっている。

このピンクの手袋で、あすかのぬくもりをちゃんと守れた。

ジュンジにおとなしく手をとられながら、あすかがあっけらかんと言ってのけた。

「ジュンジくんにあげんの、マフラーにすればよかったかなあ」
「オレマフラーつかわねーよ。手袋もつかわねえ」

ジャンパーのポケットに、キーホルダーを大切にしまいこんだジュンジがつぶやいた。

「コイツは使う日くんべ」

そして、片手に提げた紙袋を軽く揺らして、ぺかっと笑って見せる。

「んでよ、コイツも毎朝世話になんよ」

ジュンジの笑顔は、夕暮れにしずかにしずむ太陽のようだ。
そんなことを抱いたあすかが、しみじみとつぶやいた。

「やさしいなあ」
「オマエにやさしくしなかったこと……あったな……」
「ないよ、ジュンジくんはずっと優しいよ……、今日も、ありがと」
「次あすかがこっちくんときぁよー、んな混んでねえときがいいよなー」
「こういうのも、クリスマスならではだよ。わたし、男子とクリスマス過ごせるっておもってなかったから」
「オレもだよ……」
「それがジュンジくんで、そんで彼氏……」

一方的に照れてしまったあすかが、手をおもむろに振りほどき、手袋に包まれている方の手で、ジュンジのしっかりと漲った肩をバシバシとたたいた。
いっ!!っとおおげさに騒いでみせるものの、やわらかな手袋につつまれたあすかの手から受けるダメージは皆無だ。

そして、ジュンジが、改札に立ったまま動かない。
あすかが、セミロングの茶髪をさらりと流して首をかしげる。

「途中まで一緒じゃないの?」
「ああ、ちっとな、逆方向だよ。会っただろ?あんときよ、山下公園で」
「そっかあー、お友達か。みんなによろしくね?」
「ああ」
「そっか、でも、それ荷物になっちゃう……ほんとごめん。みんなには見せないで?」
「え、だめなんか?あすかがいやっつーならそーすんけどよ」

そして、あすかのくるくると動く瞳は、ジュンジをとらえて離さない。
ふたりは向かい合ったまま、その間に電車は一本通り過ぎてしまったようだ。

「どうしたあすか?」
「……きょ、今日、ジュンジくんに……」
「……?」
「な、何もされてないよ……」
「……!?」

マフラーに半分ほど顔を埋めたあすかが、ジュンジのことをじっと見上げる。
この雑踏のなかで、どうしろというのか。
そして、そんなことを進言してみたあすかも、これ以上強気にねだることはかなわず、ばつがわるそうにくちびるをかみしめてしまった。

「……」
「……」
「……」
「……ご、ごめ」
「あすか!」
「……は、はい!」
「コ、コイツでガマンしてくれっか?」

あすかの背中をひきよせて、胸元におさめる。
美しく染められた茶髪にくちびるをよせて、あすかのことをそっと抱きしめた。

「いいよ!」

ジュンジの腕のなかでジュンジを見上げたあすかの、かわいらしい瞳が、ようやく、さっぱりと綻んだのであった。

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